CHAPTER7『霧の奥で目覚める災厄』
旧補給庫に満ちていた静けさが、一瞬で“質”を変えた。
静けさのまま、距離が詰まる。
気づいた時には――刃が喉元にあった。
霧の幻影――
彼らが動いた瞬間、拠点は処刑場へと変わる。
霧の幻影の動きは、これまで相手にしてきた連中とは明らかに違っていた。
力で押し切る気配はない。
威圧も、叫びもない。
――ただ、殺すための距離だけが、静かに詰められる。
「チッ……やっかいな連中だな!」
バレルが巨大なハサミを振るう。
踏み込んできた暗殺者を力任せに弾き飛ばす――だが、
その直後、死角から鋭い気配が走った。
「――ッ!」
反射的に身を捻る。
刃が、首元すれすれを掠めて通り過ぎた。
ほんの一瞬でも遅れていたら、喉を断たれていた。
数は多くない。
だが、一撃一撃が“殺すための角度”で放たれている。
目、喉、心臓――
避け損ねたら、即死だ。
ヴォルグは一歩引いた位置で、戦場を見渡していた。
視線は落ち着いている――が、その瞳は一瞬たりとも止まらない。
一歩、踏み込み拳が伸びる――喉元へ。
敵が崩れる前に、ヴォルグの身体はすでに反転していた。
背後から刃の気配。手刀で腕を叩き落とし、骨に衝撃が走る。
迷いはない。
体勢が崩れた刹那、顎へ一撃。
敵は、音も立てずに床へ落ちた。
無駄のない制圧。
だが、次が来る。息を整える暇もない。
(……訓練されてる。しかも、実戦慣れしてるな)
ジルはヴォルグの動きを横目で捉えながら、前線を駆けていた。
刃の隙間を縫うように踏み込み、かわし、叩き返す。
一歩でも遅れれば終わり。
それを承知で、速度を上げる。
掠った風圧が背中を裂き、息が焼けつく。
それでも前へ出る。
速さだけが、生き残る道だった。
(……まだだ。ここで解放する時じゃない……!)
ジルは無意識に右拳を握り込んだ。
だが、その一瞬の迷いを突くように――
「フッ……その程度では、我々には及ばぬ」
ガレオンが、嘲るように口角を上げた。
その瞬間だった。
ジルの視界が、わずかに――ずれた。
「……ッ!?」
床が傾いたような感覚。
焦点が合わず、輪郭が滲む。
次の瞬間、視界の端に――
霧が、滲むように立ち上った。
「これは……」
ヴォルグが、低く息を吐く。
ガレオンの声が、霧越しに重なった。
「安心しろ。楽に死なせてやる……」
霧が濃くなる。
ガレオンの発生させた霧の中では、視覚が歪み、実際の敵の位置を見誤るようになる。
「……お前たちは、ここで消える運命なのだ」
敵の気配が、複数に分裂したように散る。
――来る。
気配だけが、先に動いた。
闇の奥から、刃が閃く。
一撃、二撃――角度も距離も、読めない。
「チッ……!」
バレルが巨大なハサミで受け止めるが、次の刃は別方向から来た。
「このままじゃ――串刺しだぜ!」
霧の中で、殺意だけが増殖していく。
視界は役に立たない。
(立ち止まった瞬間、刃が来る――それだけは分かる……)
ジルは奥歯を噛み締める。
この霧は、形を持っているわけじゃない。
漂い、留まり、視界を歪めているだけだ。
(だったら――掻き乱せば……)
一瞬、脳裏を閃いた。
ジルは息を吸い、鋭く叫んだ。
「バレル、行け!俺が道を作る!!」
バレルは一瞬も迷わず、吼えた
「おうよ――任せとけ!!」
次の瞬間――
ジルの姿が、かき消えた。
超高速で駆ける。
空気を裂き、床を蹴り、敵陣を縦横に貫く。
その軌跡に引きずられるように、濃霧が乱れ、渦を巻き――
一瞬だけ、視界が裂けた。
「チッ……」
ガレオンの視線が揺らいだ。
次の瞬間――
霧の切れ目を突き破り、バレルの巨体が突進していた。
ドゴォォォン!!
ガレオンの身体が、後方へ弾き飛ばされた。
「ッ……ほう、やるな」
口元の血をぬぐいながらも、ガレオンは笑みを崩さない。
「だが、まだ終わりではない。これならどうだ——」
ガレオンが、指先で宙をなぞった。
——直後。
霧の奥で、何かが“軋む音”がした。
「ギャァァァァ!!」
遠くで囚人の悲鳴が轟く。
ジルたちも、ガレオンも、同時にそちらを見た。
立ち込めた霧の向こうには……
——巨大な鎖に繋がれた、ひとりの囚人が、立っていた。
その囚人は、他の誰とも違っていた。
全身はボロボロの包帯に覆われ、
その上から、腕という腕に無数の鉄鎖が巻き付けられている。
「……ッ!? あれは……!」
ガレオンの声が、わずかに掠れた。
「奴は……『最下層』に幽閉されているはずの男だ」
「誰が……俺を解き放った……」
一瞬の沈黙。
「誰が……この鎖を解いた……!」
ズゥゥゥンッ!!
監獄全体が揺れ、地面にひびが走った。
霧の奥で、暗殺者たちの呼吸がわずかに乱れる。
ガレオンの顔色が変わった。
「まずい……! こいつは——!」
ジルたちも思わず身構える。
「……おい、ヤバい奴が目覚めたんじゃないのか?」
ヴォルグが警戒しながら言った。
ジルは拳を握りしめたまま、目の前の囚人をじっと見つめる。
(……空気が重い。こいつは今までの敵とは格が違う)
ズゥゥゥン……
彼が一歩踏み出しただけで、地面がわずかに沈んだ。
「……こいつは尋常じゃないぜ」
バレルは目を細める。
ガレオンは唇を噛み締め、低く呟いた。
「……まさか、本当に“封印区画”が破られたというのか……」
ジルが問いかける。
「知っているのか? こいつのことを」
ガレオンは一瞬躊躇し、静かに語った。
「あの男の名はカイゼル——かつて、このアビスロックで最も危険視された囚人の一人だ」
「……カイゼル?」
ジルがその名を反芻した瞬間、男の目が光った。
バチバチバチッ……!!
突如、カイゼルの体から放電のような光がほとばしる。
「っ!? こいつ、何を——」
ゴオォォォォォン!!!!
包帯は焼け焦げ、鎖は爆ぜるように弾け飛び、
壁と床が激しく震えた。
「ちょっ、待て待て待て!!」
バレルが慌てて後退する。
「……この力……戻ってきたのか……」
確かめるように、指を一本ずつ折る。
そのたびに、空気が微かに震えた。
眠らされていた獣が、目を覚ましつつある。
カイゼルはゆっくりと拳を握り、
崩れた瓦礫の向こうに立つジルたちを見つめた。
「……お前らは、何者だ?」
ジルは一歩前に出た。
崩れた壁と軋む床を背に、視線を逸らさず、静かに名乗る。
「俺たちは――蒼海の解放軍だ」
一瞬、空気が止まった。
「……蒼海の解放軍?」
包帯の隙間から覗くカイゼルの目が、わずかに細まる。
興味か、警戒か――判別のつかない光。
「知らんな……」
「当たり前だ」
ジルは即答した。
「俺たちは、三大派閥のどこにも属していない」
「ほう……」
カイゼルはわずかに目を細めると、次の瞬間、突然——
シュバッ!!!
——ジルの目の前に立っていた。
「ッ!!?」
速い——!!
ジルは反射的に拳を構えるが、その刹那——
「試してやる」
ドゴォォォン!!!
爆音とともに、拳が炸裂した。
ジルは跳躍し、紙一重で直撃を避ける。
「ぐっ……なんだ、この威力……!」
背後の壁が、砕け散る。
まるで床に叩きつけたガラス細工のように、粉々に。
「動きは悪くないな……」
カイゼルは淡々と呟く。
「だが……その程度か?」
バチバチバチバチッ!!!
体内に、雷のようなエネルギーが収束する。
ヴォルグが険しい表情で言った。
「……こいつ、ただの怪力じゃない。エレクトリックエイ魚人だ。
体内に蓄電した電力を、身体能力ごと増幅させている」
「蓄電……?」
バレルが息を呑む。
「そんな能力……魚人でも限られた種族しか持たねぇぞ……。
しかも、ここまで制御できる奴は、そうそういねぇ」
ガレオンが低く呟いた。
「カイゼルは単なる囚人ではない。
奴は……かつて、政府にとって最大の脅威となる存在だった」
「最大の……脅威?」
ジルが警戒しながら問うと、ガレオンは険しい表情で続けた。
「――『嵐喰らいのカイゼル』。
政府が“災害”として扱った男、
かつて、ただ一人で海軍の艦隊を沈めた男だ」
ドゴォォォォン!!!
その瞬間、カイゼルの拳が再び振り下ろされる。
ジルは間一髪でかわしながら、心の中で戦慄していた。
(こんな化け物が、この監獄に封印されていたのか……!)
バチバチバチバチ……!!
カイゼルの拳が、次の一撃を繰り出そうとした――その時。
「そこまでだ、カイゼル」
突如、冷徹な声が通路を切り裂いた。
ジルたちが振り向く。
そこに立っていたのは――
シャチ魚人の監獄長、ギルバートだった。
その背後には、数名の重装備の看守たちが無言で控えている。
「……っ」
ギルバートの登場に、カイゼルの表情が、わずかに変わる。
雷光の奥で、カイゼルの瞳が細く光った。
「お前か……俺を第三階層に閉じ込めた張本人は」
「そうだ」
ギルバートは、一切の感情を乗せずに言い放つ。
「今ここで、貴様を再び封じる」
二人の視線が、空気を押し潰すようにぶつかる。
一瞬の沈黙。
時が止まったかのような、一触即発の空白。
(監獄長……ギルバート!)
ジルは、強く歯を食いしばった。
掌に滲んだ汗が、指の間を伝う。
深海監獄アビスロックの歴史が、今まさに、血で塗り替えられようとしている。
そしてその渦の中心に、ジルはすでに立っていた。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
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監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




