CHAPTER6『新たな拠点、忍び寄る霧の幻影』
第二階層には、不穏さが漂っていた。
争いの火種は鎮まったはずなのに、どこかでまだ誰かが息を潜めている気配がある。
通路に残る血の匂いと、乾ききらない緊張だけが、確かにそこにあった。
その気配を背に、三人はバラック通りへ足を踏み入れる。
鉄板と流木を継ぎはぎした、小さな小屋。
バレルの棲家だ。
「……ここが、お前の住処か」
ジルが小屋を見回す。
「ああ、ほらよ!」
バレルは壁際の棚に手を伸ばし、乾パンを二つ掴むと放り投げた。
「狭えとこだが、その辺にでも座ってくれ」
バレルは顎で床を示した。
「……座れるだけ、上等だ。
沈黙の牙に捕まって、ろくに身動きも取れなかったからな」
ヴォルグは腰を下ろし、受け取った乾パンを一口齧った。
乾いた音が、小屋に小さく響く。
「そういや……なんで沈黙の牙に捕まってたんだ?」
ジルは視線を向けた。
「……それがな。この監獄の内情を掴もうとして、各派閥の動きを嗅ぎ回ってたんだ。
その途中で、沈黙の牙の連中が――看守と取引してる場面を見ちまった」
ヴォルグは一度、言葉を切る。
「気づいた時には、背後にもう一人いてな、逃げる間もなく、捕まったってわけだ」
「……なるほどな。やはり沈黙の牙は、看守と繋がっているってことか」
ジルは低く呟いた。
「……驚く話でもねぇな。沈黙の牙の連中は、昔から露骨な取引をしてやがる」
バレルは視線を伏せる。
短い沈黙。
「……そうか、となるとまずは情報を集めないとな」
ジルは小屋の中を見回した。
一拍置いて、続ける。
「ここを、ひとまず俺たちの拠点にしてもいいか?」
バレルは鼻で笑った。
「構わねぇが……こんなとこじゃ狭苦しいだろ?」
腕を組んでわずかに俯く。
「他にマシなヤサがありゃいいんだが……?」
ヴォルグは視線を上げた。
「……なら、使えそうな場所に心当たりがある」
ヴォルグが静かに言う。
「……旧補給庫だ。昔、看守が使ってたらしい小さい倉でな、今は動線から外れてる。中身も空同然だ」
一瞬考えるようにして、続ける。
「奪う価値がないからか、どの派閥も手を出してない。人数も限られるが……拠点にするなら、ちょうどいい」
バレルはハサミをパチンと鳴らした。
「なるほどな……あそこなら、ちょうどいいかもしれねぇ!」
バレルは、ふと何かに気づいたように目を細めた。
「……待てよ。だが、あそこは――立ち入り禁止区域の近くだな」
ヴォルグは頷く。
「……ああ。あの区域は、何でも地盤崩落の危険があるって話だ。
古い廃屋が並んでて、いつ崩れてもおかしくないってな」
ひと呼吸置いて、低く続ける。
「だから誰も近づこうとしない」
「……そんな所を拠点にして、大丈夫なのか?」
ジルが眉をひそめ、ヴォルグを見る。
「旧補給庫の辺りなら、少なくとも、今すぐ崩れるってことはないとは思うんだが……」
ヴォルグは記憶を辿るように、ゆっくりと言った。
「大丈夫だ」
バレルは即座に言い切り、ハサミを軽く鳴らす。
「立ち入り禁止区域の“地盤が危ない”って話は、表向きの理由だからな」
「……何だと?」
ヴォルグが顔を上げる。
「どういうことだ?」
ジルも視線を向け、先を促した。
「……地盤が脆いってのは、事実だ」
バレルは低く言い、視線を落とす。
「だがな……あの区域のどこかに、第三階層へ繋がる抜け穴があるって話だ」
「第三階層……!? ここより下があるのか!?」
ジルが思わず声を上げた。
バレルは小さく頷く。
「ああ……野放しにできねぇ、手に負えねぇ囚人や――」
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
「政府にとって、特に都合の悪い囚人が収監されている……らしい」
「……なるほどな。だから“崩落の危険がある”って立ち入り禁止にして、囚人を近づかせないようにしてるのか」
ジルはそう言ってから、バレルの方へ視線を向けた。
「……で、なんでそんな裏の話を知ってるんだ?」
「い、いや……まぁ、小耳に挟んだだけだ」
バレルはわずかに視線を逸らし、ぶっきらぼうに続ける。
「第二階層じゃ、噂は派手に回るもんだろ?」
ジルは一瞬考え込み、やがて小さく頷いた。
「……そうか」
間を置いて、静かに言う。
「じゃあ一度、そこを見に行こう」
そしてジルたちは、旧補給庫へと向かった。
第二階層通路――旧補給庫方面
第二階層の通路は、奥へ進むほど人の気配が薄れていく。
灯りはまばらで、壁に残る錆と水垢だけが、時間の経過を物語っていた。
やがて廃屋が並ぶ区画に入る。
崩れかけた建物が影を落とし、足音が不自然に響く場所だ。
さらに進むと、通路の先に色褪せた立ち入り禁止の札が見えてくる。
その手前――警告線を越えない位置に、ひっそりと残る小さな扉があった。
忘れ去られたように佇む、旧補給庫だ。
三人は、無言のまま扉へと歩み寄る。
扉の前で足を止めると、ジルが手をかけた。
ギィィィ……。
軋む音を立てて、旧補給庫の扉がゆっくりと開く。
薄暗い室内に、空気が流れ込む。
棚は並んでいるが中身はほとんどなく、床には埃と古い木箱の破片が残るだけだ。
物資は枯れているが、身を隠すには十分な空間だった。
ジルは足を踏み入れ、視線を巡らせる。
「……思ってたより、広いな」
「アジトにするには、持ってこいだと思うが……」
ヴォルグが周囲を見渡し、低く言う。
バレルは一度だけ頷いた。
「よし……ここにしようぜ、ジル」
ジルは一度、ゆっくりと頷いた。
「ああ……しばらくは、ここを拠点にしよう」
視線を二人に向ける。
「それぞれ情報を集めて、作戦を立てるぞ」
バレルとヴォルグは、無言で頷いた。
旧補給庫の静けさが、三人の間に落ちる。
静けさが落ち着いた、その瞬間だった。
補給庫の奥、闇の向こうから――わずかな気配が、滑るように近づいてくる。
「……! 誰だ……!?」
ジルが即座に身構えた。
「フム……」
扉の向こうから、低く冷静な声が響く。
「ここを、お前たち“新興勢力”の根城にするつもりか」
扉の向こうに立っていたのは、刃のように研ぎ澄まされた輪郭を持つ、タチウオ魚人だった。
「お前は……?」
ジルが短く問う。
「俺は、霧の幻影のガレオンだ」
名乗りと同時に、空気が張りつめる。
「霧の幻影だと……!?」
バレルが低く息を吐き、わずかに重心を落とす。
「……俺たちに何の用だ?」
ヴォルグが一歩前に出て、相手の視線を正面から受け止めた。
「用件は単純だ……」
ガレオンは、軽く息を吐き淡々と言葉を重ねる。
「お前たちは……新しい派閥を作り、三大派閥に喧嘩を売ろうとしている
――そのような真似をして、この監獄で生きていけると本気で思っているのか?」
「……何が言いたい?」
ジルは微動だにせず、静かに返した。
ガレオンの目が細まり、迷いのない判断が下される。
「お前らは、霧の幻影の傘下に入れ」
その一言で、補給庫の空気が凍りついた。
バレルが鼻で笑い、腕を組む。
「つまり……“下につけ”ってか?」
「そういうことだ」
ガレオンは、わずかに口角を上げる。
「我々は、無駄な争いを好まない」
ガレオンは淡々と続ける。
「ゆえに、情報を制する。我々は、この監獄の情報網をすでに手中に収めている。噂も、密談も、裏取引も例外ではない」
視線が冷たく細まる。
「力で潰す必要はない。無駄な争いは、管理を乱すだけだ。
だからこそ、沈黙の牙も、深海の狂気も――いずれ幹部は全員、暗殺する」
その言葉に、バレルの表情が一瞬だけ強張った。
一拍置き、静かに言葉を重ねた。
「この監獄は、最終的に霧の幻影が掌握する。その流れは変わらない」
ジルは一瞬だけ視線を伏せ、拳をわずかに握り込む。
さらに一歩、踏み出す。
「お前たちの、ローレンスとドロマを相手取った一戦……その戦いの一部始終は、見させてもらった」
バレルが低く舌打ちする。
「影からコソコソ見物してたってわけか」
感情のない評価が下される。
「フン……押されてはいたが、判断と動きは悪くない。我々の下につけば――少しは役には立つだろう」
ヴォルグが一歩前に出かけ、ジルがそれを制するように手を上げた。
そして、三人を順に見渡し、静かに言い切った。
「今のうちに選べ。我々の下につけばいい。そうすれば……命だけは保証してやろう」
バレルが、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てる。
「ふざけんな!俺たちは誰の下にもつかねぇ!」
一歩前に出て、言い切った。
「それが――俺たち『蒼海の解放軍』だ!」
一瞬の間――。
ガレオンは、その名を小声で呟く。
「……蒼海の解放軍、か」
細い目が、三人を値踏みするように走った。
「なるほど。名乗るだけの覚悟は、あるらしいな」
そう言って、ガレオンはジルへと視線を向ける。
「……お前はどうだ?」
ジルは無言のまま、その目をじっとガレオンへと向けた。
やがて、静かに言葉を紡ぐ。
「悪いが、俺たちは"下につく"気はない」
ガレオンは一瞬だけ目を閉じ、すぐにジルたちを見据え直した。
「……ならば、交渉は終わりだ」
「何?」
「『霧の幻影』は――これ以上、お前たちを静観しない」
――その時、空気が、わずかに歪んだ。
シュバッ!
鋭い刃のような何かがジルの顔のすぐ横を掠めた。
「っ!?」
ジルが身を引いた瞬間、壁に深く突き刺さったそれは……鋭く研ぎ澄まされた“タチウオの鱗”だった。
「ほう、避けたか」
ガレオンは、さらに冷たい声で告げた。
「お前たちの存在は我々の秩序にとって邪魔なものとなった」
ガレオンはゆっくりと手を挙げると、背後の闇の中から数人の黒装束の囚人が音もなく姿を現した。
ジルは拳を握りしめながら、敵の数を確認する。
彼らは決して数は多くない。
だが、それぞれが静かに気配を消し、暗殺の手練れであることを示していた。
「今ならまだ間に合う。お前たちが霧の幻影の傘下に入れば、無駄な血を流さずに済む」
ガレオンは淡々と告げる。
「ふざけるな」
ジルは即答した。
「ここまできて、お前たちの下につく気はない」
「そうか……ならば仕方ない」
ガレオンは手を振り下ろした。
「全員、始末しろ」
——その瞬間、影が動いた。
無音のまま襲いかかる暗殺者たち。
ジルたちは即座に応戦する。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
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監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




