CHAPTER14『新たなる潮流』
第二階層を揺らしていた喧騒は、
今や遠雷のように薄れていた。
怒号も、鉄の衝突音も、今は厚い壁の向こうに沈んでいる。
だが、静けさが戻ったわけではない。
旧補給庫の空気は、冷えていた。
そして、問いは投げられた。
その沈黙を破るのは――覚悟か、それとも波紋か。
ヴォルグの問いに、ジルはすぐに答えない。
ジルは視線を落とし、右腕を見つめた。
指先が、かすかに震える。
「……あれは、俺の意志で出したわけじゃない」
バレルが腕を組む。
「勝手に出たってのか?」
ジルは小さくうなずく。
「昔からだ。仲間がやられそうになった時……迷いが消えた瞬間、勝手にこうなるんだ」
ヴォルグが静かに言う。
「守る覚悟が引き金になる、ということか」
旧補給庫の空気がわずかに重くなる。
「いつからなのかは覚えてない。気づいた時には、こうだった」
ヴォルグの目が細まる。
「制御は?」
ジルは一瞬、言葉を選ぶ。
「……ある程度なら、できる」
右腕をゆっくりと動かす。
「だが、完全じゃない。
それに、長時間は保たない。神経が先に潰れる」
一拍。
「感覚が鈍くなって、最悪、力が抜ける」
そして静かに続ける。
「だから――勝負を終わらせる瞬間にだけ使う」
その声に迷いはなかった。
バレルが低く唸る。
「一撃必殺ってわけか」
ヴォルグがうなずく。
「制限は弱点ではない。戦術に変えればいい」
ジルは目を伏せたまま続ける。
「けど、隠してたんだ。見せた途端……距離を取られるからな」
バレルが顔をしかめる。
「誰にだよ……?」
ジルはわずかに視線を逸らす。
「……今まで出会った色んなやつにだ」
短く息を吐く。
「ガキの頃なんて、よく“化け物”を見る目で見られた」
壁際で腕を組んでいたレクスの耳が、わずかに動く。
沈黙が落ちる。
だが、次の瞬間、ジルが顔を上げる。
その目は、先ほどとは違っていた。
「だが――だからどうした」
短く息を吐く。
「こんな場所まで落とされたんだ。
今さら、そんなこと気にしてる暇はない」
一瞬、目を伏せる。
「どう見られようが、もう構わない」
空気が止まる。
「化け物でも何でもいい」
右腕を握り込む。
「俺はこの監獄を出る」
低く、確かに。
「そして、腐りきった連中を叩き潰す。そのために使う」
「差別と抑圧で腐りきったこの世界を――ぶち壊すためにな」
右腕の震えは、もう止まっていた。
壁にもたれていたレクスが、静かに目を細める。
「……へぇ」
小さく笑う。
「鉛の腕より、その覚悟のほうが危ねぇな」
その言葉に、旧補給庫の空気がわずかに揺れる。
ヴォルグが静かにうなずく。
「力の正体は問題じゃない。どう使うかだ。呑まれぬ限り、武器になる」
バレルが、にやりと笑う。
「ハハッ、意外だな、お前がそんな人の目を気にするタマだったとはな、でもいいじゃねえか!
それを化け物って言うんなら――」
ハサミをガチンと鳴らす。
「甲殻バキバキのロブスター魚人なんて怪物以外の何者でもねえ」
すかさずレクスが口を挟む。
「確かに、お前は誰がどう見ても怪物だ」
バレルが振り向く。
「おい!」
レクスが目を細める。
「分類上でもな」
バレルが睨む。
「分類ぃ?」
レクスの口元だけが、じわりと吊り上がった。
「……甲殻類大型凶暴種だ」
空気が止まる。
バレルがハサミを振り上げる。
「誰が凶暴種だ!」
ギリ、と甲殻が軋む。
「深海の狂気の連中と一緒にすんじゃねえ!」
怒気が残る空気の中、ヴォルグが静かに口を開く。
「……その深海の狂気だが」
視線をレクスに向ける。
「なぜ奴らはお前に手を出さないんだ?」
旧補給庫の空気が、静かに固まる。
レクスは壁にもたれたまま、肩をすくめた。
「……一度しか会ったことはねぇが」
目を細める。
「どうやら、深海の狂気のボス――バシリスクの野郎は」
わずかに口元が歪む。
「俺の知識を欲しがってるらしい」
バレルが眉をひそめる。
「知識?」
ハサミを小さく鳴らす。
「何の知識だ?」
レクスは視線を上げる。
その瞳に、先ほどまでの軽さはない。
「俺はな」
わずかに間を置く。
「政府に禁書指定された書物を書いた男だ」
視線が、レクスに集まった。
誰もすぐには言葉を返さない。
ジルが、低く問い返す。
「……禁書? 何を書いたんだ?」
レクスは壁にもたれたまま、目を細める。
「大したもんじゃねぇ」
口元がわずかに歪む。
一瞬だけ、沈黙。
旧補給庫の空気が、かすかに張り詰めた。
そしてレクスは、軽く言う。
「――『混乱がもたらす統治の構造』だ」
その題名が落ちた瞬間。
ヴォルグの瞳が、わずかに見開かれる。
「……何だと!?」
一歩、踏み出す。
「あれを、お前が……?」
旧補給庫の空気が張り詰める。
バレルが眉をひそめる。
「おい、ヴォルグ。 知ってんのか?」
ヴォルグはレクスから目を離さない。
「……あの書は、連邦政府が最も恐れた思想書の一つだ」
声が、低く落ちる。
「統治の骨組みを暴いた……」
レクスは、ただ薄く笑った。
バレルが眉をひそめる。
「骨組み……どういう話だ?」
一瞬、言葉を選ぶ。
「その中で、お前はこう書いた」
静かに続ける。
「秩序は正義によって保たれるのではない。混乱を恐れる者たちによって保たれる」
旧補給庫の空気が、わずかに重くなる。
ヴォルグはレクスから目を離さない。
「あれは体制を批判した書ではない」
低く告げる。
「体制の“仕組み”を言語化した。
それが禁書の理由だ」
レクスの眉が、わずかに上がる。
「そこまで読めてんのか、バンドウイルカ」
ヴォルグが小さく頷く。
「なるほどな」
視線を外さずに続ける。
「それでお前は、この監獄に落とされたというわけか」
レクスは小さく肩をすくめる。
「まあな」
壁にもたれたまま、視線を天井へ向ける。
「連邦首都の中央書庫でな、書物を漁ってたんだ」
口元が歪む。
「そしたらよ、政府の連中、俺が気に入らなかったんだろうよ」
わずかに目を細める。
「いきなり後ろから棍棒か何かでぶん殴られてな」
軽く額を指で叩く。
「目が覚めた時には、もうここだ」
「随分と丁寧な招待状だったぜ」
バレルがハサミを鳴らす。
「ハハッ、政府の奴らもえげつねえやり方しやがるな!」
レクスが顔をしかめる。
「笑い事じゃねぇ」
後頭部を軽く叩く。
「しばらく血が止まらなかったんだぞ」
提灯を指で弾く。
「これが光らなくなるんじゃねぇかと、本気で焦ったぜ」
ジルが静かに言う。
「……それなら」
レクスをまっすぐ見据える。
ジルは続ける。
「なおさら、お前の力は必要になる」
「どうだ。俺たちと行動を共にしないか?」
そのとき、レクスの目が一瞬だけジルの右腕に落ちた。
そして、しばらくの沈黙。
旧補給庫に、重い空気が落ちる。
レクスは目を細め、ジルを観察する。
「その気はねぇ」
少しの間。
「……と言いてぇところだが」
口元がわずかに吊り上がる。
「腐りきった政府を叩き潰す、か」
鼻で笑う。
「連中が回している歯車に楔を打つ側に回るってわけだな」
視線が鋭くなる。
「理論の検証には、悪くねぇ」
肩をすくめる。
「よし。しばらく行動を共にしてやるよ」
ヴォルグが静かに言う。
「俺たちを利用する、ということか」
レクスが返す。
「フッ、そりゃお互い様だろ」
ジルが手を差し出し、一歩前に出る。
「ジル・レイヴンだ」
レクスは一瞬だけその手を見つめたあと、差し出された手ではなく――その奥の瞳を見た。
そして、ガシッと握り返す。
「レクス・サルヴィアだ」
ジルが振り返る。
「こっちがヴォルグ・エルクロウ」
ヴォルグが軽く手を上げる。
「こっちが、バレル・ラクロワだ」
バレルがハサミを高く掲げる。
「よろしくな!」
そのバレルの様子を眺めていたレクスが、ふっと目を細める。
「……力は認めよう。あとは考える頭だな」
バレルがすかさず叫ぶ。
「おい!」
ハサミがガチンと鳴る。
「どういう意味だ!それは?」
レクスは肩をすくめる。
「褒めている。力は十分だと言っただろう。ただ、頭部の使用頻度がやや低そうだ、と」
「後半が余計だ!」
バレルが一歩踏み出す。
レクスは一歩も引かない。
「安心しろ。頭を使えない者に、あの踏み込みはできん」
バレルが止まる。
「……お、おう?」
レクスの口元がわずかに吊り上がる。
「だが、怒り任せに突っ込むと――次は壁にめり込むぞ」
ヴォルグが静かにうなずく。
「理屈は通っている」
バレルがヴォルグへ振り向く。
「おい!」
ジルの口元がわずかに緩む。
バレルが舌打ちする。
「チッ……面倒くせえ理論屋だな」
旧補給庫の空気が、わずかに和らぐ。
レクスが小さく言う。
「……だが、悪くないな」
その言葉は、誰にともなく。
四人の間に、確かに“仲間の空気”が生まれていた。
ジルが仲間を見渡す。
バレル。
ヴォルグ。
レクス。
「俺たちは、まだこの監獄を揺らすには小さい」
低く告げる。
「だが、止まるわけにはいかない」
バレルが笑う。
「いい流れじゃねえか、ますます面白くなってきやがった」
レクスが肩をすくめる。
「理論の検証にはうってつけだ」
ヴォルグが静かに告げる。
「盤面は既に動き出している」
第二階層の奥へと、四人は歩き出す。
旧補給庫の灯りが、背後で揺れる。
ジルは振り返らない。
四人の影が、通路の壁に伸びる。
第二階層は広い。
敵も多い。
だが――
今は、背中に仲間がいる。
ジルは無意識に右手を握る。
鈍い違和感が、まだ残っていた。
だが、もう迷いはない。
深海監獄アビスロック。
その静かな闇の底で、
新たな潮流が生まれた。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし物語を面白いと感じていただけたら、
あなたの一票(=★評価・ブックマーク)が、
監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
▼作者Xはこちら
https://x.com/00aomiray00?s=21
これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




