CHAPTER13『提灯の導き、沈まぬ意志』
深海に落ちた光は、すぐには消えない。
それは静かに水を揺らし、見えない潮流を生み出していた。
暴力で動く監獄の中で、ただ一人――立っているだけで均衡そのものを揺らす存在が現れた。
第二階層の空気は重く沈み、誰もが次の一歩を測りかねている。
だが歯車は、すでに回り始めていた。
深海の狂気の囚人たちが、歯噛みしながら唸った。
「……アンコウ、テメェ!」
別の囚人が一歩踏み出しかける。
「邪魔してんじゃねえぞ、コラ!」
チョウチンアンコウ魚人は、気だるそうに肩を回しながら、提灯の光をわずかに揺らした。
「ああん? 人が静かに筆を走らせてたってのに、テメェらが邪魔してんだろうが、コラ!」
言い終えると、手にしていた筆をビシッと振り上げる。
黒い墨が、ぽたりと床に落ちた。
その甲高い声が通路に響いた瞬間、空気がぴたりと止まった。
狂気の囚人たちは拳を握り締めたまま――踏み込めない。
「……ぐぬぬぬ!」
その様子に、バレルが小さく目を細めた。
「……おい、ウミガメ爺さんが言ってたのって、こいつじゃねえか?」
ジルとヴォルグへ視線を投げる。
ヴォルグは静かに息を吐いた。
「……だろうな」
わずかに目を細める。
(……だが、何でこの野蛮人共は、こいつに手を出さないんだ……!?)
ジルは光に包まれた小柄な輪郭を見据える。
(……ということは、こいつの名前は……確か、爺さんはレクスとか言ってたな……)
チョウチンアンコウ魚人が、気だるそうに頭をかきながら吐き捨てる。
「なに暴れてんのか知らねえが、どっか他所へ行ってやれ!」
その言葉に、ハンマーヘッドシャーク魚人が歯を剥いた。
「……テメェ、あんまり調子に乗るなよ!
ボスが“テメェには手を出すな”っつーから、俺らは生かしてるだけだぞ!」
通路の空気が一瞬、ざわめく。
チョウチンアンコウ魚人は、面倒くさそうに肩をすくめた。
「はぁ? 誰も、んな事頼んでねえんだよ! ……とにかく、ここで暴れられたら迷惑だっつってんだ!」
提灯の光がゆらりと揺れ、狂気の囚人たちの影が歪む。
――その時。
ジルが一歩踏み出し、声を投げた。
「おい……おい! レクス!」
チョウチンアンコウ魚人の動きが、ぴたりと止まる。
ゆっくりと振り向き、半目のままジルたちを見た。
「……ああ? 何だお前ら、見ねえ顔だな……何で俺の名前を知ってんだ?」
淡い光が、静まり返った通路を満たしていく。
ジルは、光に目を細めながら低く告げた。
「ウミガメの爺さんから聞いた。
俺たちは、お前を探してたら――コイツらに囲まれたんだ」
ハンマーヘッドシャーク魚人が、歪んだ声を漏らす。
「……うるせぇな!とりあえず光を落とせ!」
「……あーもう、面倒くせぇな」
その時、レクスの提灯が、わずかに強く脈打つ。
次の刹那――
ギィィィンッ……!!
さらに強烈な光が通路を貫いた。
「!? おい、余計眩しいぞ、見えねえ!」
狂気の囚人たちが一斉に顔を背け、腕で目を覆う。
普段、暗がりに慣れきった連中には耐えきれない光だった。
瓦礫の影が長く伸び、空気がきしむ。
レクスは、半目のままゆっくりと首を傾ける。
「……俺を探してただぁ?」
提灯の光が、じわりと揺れた。
バレルはハサミで光を遮りながら、わずかに身を寄せてヴォルグへ囁いた。
「……おい、チョウチンアンコウの光ってなぁ……こんなに眩しかったか?」
ヴォルグは目を細め、静かに首を振る。
「……いや。ここまで強烈な光は見たことがない――奴は、特殊個体なのかもしれんな」
ジルは一歩だけ前に出た。
「ああ。俺たちは蒼海の解放軍だ。
派閥は関係ない――脱獄の意志がある奴だけが手を組んでる。……どうだ?お前も一緒に来ないか」
レクスの提灯が、わずかに揺れる。
「……脱獄だぁ? そんなもん出来るわけねぇだろうが」
鼻で笑い、肩をすくめた。
「未だかつて、この監獄から抜け出した奴なんざ……一人もいねぇんだよ」
周囲で狂気の囚人たちの歯軋りが鳴る。
「……何ゴチャゴチャ喋ってやがる!」
狂気の囚人の一人が怒鳴る。
別の囚人が目を押さえながら叫んだ。
「アンコウ! さっさと光を止めろッ!!」
提灯の光が、ゆらりと脈打った。
ジルは一歩、前へ出た。
揺れる光の中でも、その視線だけは真っ直ぐだった。
「……だが、俺たちはこの監獄を抜け出す」
レクスの提灯が、わずかに揺れる。
「……へぇ。じゃあ脱獄できたとして――外へ出て、お前は何をしようってんだ?」
低く投げられた問いに、ジルは迷わなかった。
「……もう一度力をつけて、この理不尽な世の中を……腐りきった政府を叩き潰して、この国に自由を取り戻すんだ!」
レクスの眉が、ぴくりと動く。
狂気の囚人たちのざわめきが、一瞬だけ遠のいた。
レクスは半眼のままジルを見つめ、口元をわずかに歪める。
「……ほう。お前は理想を掲げる革命家ってわけか」
鼻で笑うように息を吐き、提灯の光がゆらりと脈打った。
「けど、面白ぇ事言うじゃねえか――久しぶりに、寝ぼけがいのある野郎だな」
その声音には、嘲りと……ほんのわずかな興味が混じっていた。
レクスはゆらりと提灯を揺らし、口元を歪めた。
「よし。少しお前らの話を聞いてやろう。革命ごっこがどこまで本物か見物してやるよ……でも、ここは邪魔が多すぎるな。お前らのアジトへ案内しな」
ジルは小さくうなずく。
「ああ。着いて来い。この二人は仲間だ」
そう言って、バレルとヴォルグを指した。
バレルがハサミを肩に担ぎながら唸る。
「だがよ……コイツらの囲みを突破するにしても、眩しすぎて何も見えねぇぞ?」
ヴォルグは周囲を一瞥し、低く呟いた。
「……背後の包囲が一番薄かった。そこを――勘でぶち抜くしかない」
その瞬間、レクスがひょいと軽く跳び上がり、バレルの背中に乗る。
「よし。俺が案内する方向に突撃だ。目ぇ瞑っとけよ――光を最大限にするぞ!」
「おうよ!頼むぜ、レクス!」
背中に乗ったレクスの軽さを確かめるように、甲殻をガキンと鳴らした。
狂気の囚人たちがざわめいた。
「……!? 逃げようとしてんのか、テメェら!」
「逃がすかッ!!」
目を覆いながら、怒号が重なる。
――その時。
ギィィィンッ!!
提灯の光がさらに増幅し、通路が真白に染まった。
視界が焼き潰され、影すら消える。
「よし、こっちだ!突撃しろ!」
「おうよッ!!振り落とされんなよ!行くぞォッ!」
次の瞬間、床が弾けた。
ドンッ――!!
バレルの巨体が砲弾のように前へと突き出す。
巨大なハサミが左右に唸り、迫る狂気の囚人を薙ぎ払った。
ジルとヴォルグもその背を追い、瓦礫を蹴散らした。
ドガァンッ! バキバキッ!!
甲殻と鉄棍がぶつかり合い、囚人たちが弾き飛ばされる。
ダッダッダッダッ――!!
白光の奔流を切り裂きながら、一行は狂気の包囲網を突破した。
背後で、提灯の光がすうっと収束していく。
白く焼けた視界がゆっくりと戻り始めた頃――狂気の囚人たちはようやく目を開いた。
「……チッ……どこだ……!?」
瓦礫の向こうには、もう影はない。
足音だけが、遠く――遠くへと消えていった。
通路には、粉塵と折れた鉄棍だけが残されている。
誰かが、歯噛みした。
「……逃げやがった……!」
――数分後。
崩れた通路から離れた、第二階層の暗い側道。
荒い足音が反響し、瓦礫を踏み越える影が四つ、闇の中を駆け抜けていた。
バレルが大きく肩を上下させながら立ち止まった。
「……はぁ、はぁ……ここまで来りゃ、もう大丈夫だろ?」
荒い呼吸が通路に響く。
ヴォルグは背後へ一度だけ視線を流し、静かにうなずいた。
「……ああ。追っ手の気配はない」
フゥ、と短く息を吐く。
ジルは目元を指で押さえ、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
「……まだ目がチカチカする。……痛いな」
砂塵の残る空気の中で、視界がわずかに揺れている。
「しょうがねえだろ。あいつら、しつこいんだからよ」
気だるそうに肩をすくめながら、レクスが言った。
さきほどまで通路を白く塗り潰していた提灯の光は、もう消えている。
ジルは小さく笑い、頷いた。
「ああ。お前のお陰で逃げきれたよ」
「確かにだな。お前が出て来なきゃ、ヤバかったぜ!」
バレルが振り返り――そこで、ふと眉をひそめた。
「……って、いつまで乗ってんだよ! そろそろ降りろよ!」
その言葉に、レクスは「あぁ?」と短く鼻を鳴らし――ひょい、と軽い動きでバレルの背中から飛び降りた。
着地と同時に、提灯が小さく揺れる。
レクスは着地したまま、しばらく何も言わず通路の奥を見つめていた。
消えたはずの提灯の残光が、わずかに揺れる。
「……ま、今回は気まぐれだが……」
レクスはニヤリと口角を上げる。
「命助けてやったんだから、あとでメシぐらい奢れよ?」
ジルは思わず苦笑いを漏らした。
通路には、ようやく張り詰めていた緊張が少しだけ緩み始めていた。
そして、一行は旧補給庫であるアジトへと辿り着いた。
崩れかけた石壁の奥。
かつて物資が積み上げられていた空間には、今は粗末な寝床と古い木箱の破片だけが残っている。
バレルが大きく息を吐き、ハサミを床へ下ろした。
「ふぅ……やっと着いたぜ」
レクスは提灯を小さく揺らしながら周囲を見回す。
「……ここがお前らのアジトか……何もねえな?」
ジルは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「……まだ、ついこの前ここを拠点に据えたところなんだ」
瓦礫の端に腰を下ろしながら、ヴォルグが低く声を落とす。
「よし。じゃあ――俺たちの、今の状況を説明するぞ」
その視線が、まっすぐレクスへ向けられた。
だが、ヴォルグはすぐには続けなかった。
静かな間のあと、ゆっくりとジルへ視線を移す。
「……だが、その前に、確認しておきたい」
低く、重い声だった。
「ジル。さっきの――右腕が鉛に変化したあれは、何だったんだ?」
バレルが思い出したように身を乗り出す。
「お、それだよ、それ! ごちゃごちゃしてて忘れてたが、凄え一撃だったな!」
ジルは一度だけ視線を落とし、右腕を見つめた。
「……ああ」
アジトの空気が、少しだけ重く沈む。
旧補給庫の薄暗い空間で、新たな仲間と、新たな疑問が交差する。
この日、蒼海の解放軍は――静かに、次の局面へと踏み出した。
ジルは何も言わず、ゆっくりと右腕を握り込む。
鉛色は消えている。
だが、その重さだけは消えていなかった。
拳の奥で、見えない何かが沈んでいた。
《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
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監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。
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これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。




