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CHAPTER10『狂気の洞穴に灯るもの』

三大派閥の影が、第二階層を覆い始めていた。

均衡が崩れ始めた今、動く者は狩られる。

それでも、立ち止まっている時間はない。

束の間の休息を終えた蒼海の解放軍は、新たな仲間を求めて歩き出す。






第二階層中央通路――



ジルたちは、仲間になり得る囚人の情報を探すため、第二階層で最も人が集まるマーケットへと向かっていた。



崩れた通路を進みながら、ジルが低く口を開く。

「……確かに、あそこは囚人が多い。だが、手当たり次第に声をかけるのか?」




バレルが肩を揺らして笑う。

「そりゃそれでもいいがよ。まずは情報屋に当たった方が早ぇかもしれねぇな」




「……情報屋?」

ジルが眉を寄せる。




「ああ。この監獄にゃ、俺が知ってるだけでも何人かいる。

ただし、タダじゃ動かねぇ。配給のメシか武器か……何かしら差し出す必要があるがな」




その横で、ヴォルグが静かに口を挟んだ。

「……中には偽物もいる。俺は何度か、わざと外れの情報を掴まされたことがある」




バレルが喉の奥で笑う。

「ハハハ、確かにな。だが、そんな野郎は長くは生きられねぇ。

嘘ばっか積み重ねてりゃ……いずれ誰かに消されるのが、この監獄だ」



ジルは小さく頷いた。

「……なるほどな」




崩れた通路を抜け、ざわめきの濃くなる方へと歩みを進める。




そして、ジルたちはマーケットへと辿り着いた。

雑多な声と物音が交錯する空間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

囚人たちの視線が、一瞬だけジルたちへ向けられる。




バレルは周囲を見回しながら、落ち着きなく首を振る。

「ええっと……確か、この辺に……」


視線が止まった。

「……いた!」




通路の端。崩れた石箱を椅子代わりにし、ゆったりと腰を下ろす一人の老人。

甲羅に深い傷跡を刻んだ、ウミガメ魚人だった。




バレルが大きく手を振る。

「よう、爺さん! 久しぶりだな!」




老人はゆっくりと顔を上げ、片手をかざす。

「……おお、バレルか」


皺だらけの瞼が細くなる。

「お前さんら……ずいぶん派手に暴れとるみたいじゃのう?」




バレルは肩をすくめ、小さく苦笑した。

「おお、さすがに耳が早ぇな……」




老人は小さく鼻を鳴らす。

「この監獄じゃ、壁に耳あり障子に目ありじゃわい。

あんまり無茶しとったら……命がいくつあっても足りんぞい」




バレルは苦笑を深め、軽く頷く。

「……まあな。だが、止まる気もねぇけどよ」



その時、バレルの視線が老人の足元に落ちた。


欠けた貝殻。

錆びた金属片。

どれにも、三大派閥の印が薄く刻まれている。



バレルが喉の奥で笑った。

「沈黙の牙の通行証に、霧の幻影の取引手形……おいおい、深海の狂気の餌除け札まであるじゃねぇか」



ジルが眉を寄せる。

「餌除け札?」



「持ってりゃ、深海の狂気の下っ端に襲われにくくなる札だ。まあ、あいつらが約束を守ればの話だがな」



老人はジルたちを見る。

「ここじゃ、札も噂も命綱じゃ。欲しがる奴に売るだけじゃよ」



バレルは鼻を鳴らす。

「相変わらず、抜け目ねぇ爺さんだな」




ウミガメ爺さんはゆっくりと乾いた笑みを浮かべた。

「ほっほっほ……それで、わしに何か用かの?」




「いやな、ちょっと聞きてぇことがあってよ」

バレルは懐を探り、小さな包みを差し出す。


乾パンだった。




それを受け取り、爺さんはゆっくりと頷く。

「すまんのう……さて、聞こうか」




バレルは少し声を落とす。

「今、仲間を集めててな。

無所属でも、派閥に入ってる奴でもいい。……ただ、“自由”を求めてるような奴を、知らねぇか?」




ウミガメ爺さんは細い目をゆっくり閉じた。

「ほう……自由のう……ふむ……」


顎に手を当て、遠い記憶を辿るように小さく頷く。

「……それなら、何人か思い当たるが……いや、あいつはもう死んどったのう……」




少し間を置き、また首を振る。

「……うむ、あいつも死んどる……。むむむ……」




長い沈黙。



ジルは思わず眉をひそめた。

(……この爺さん、本当に大丈夫なのか……?)




ウミガメ爺さんはゆっくりと目を開いた。

「……そうじゃ、カワハギ魚人のビルという若い男は自由を求めて派閥に抗っとった。

が……沈黙の牙に串刺しにされたんじゃったわい」


低く、乾いた声だった。

「ここで自由を叫ぶのは、代償を伴う。覚悟がいることじゃからのう……」




ジルは黙って聞いていた。

(……俺がここに落ちる前にも、自由を求めて動いてた奴らはいたんだな……だが……やはり、この監獄でそれを掲げるのは、死と隣り合わせってことか……)




隣で、バレルがわずかに視線を逸らした。

「そ、そうか……そうだよな、爺さん」


差し出した乾パンを見て、ほんの少しだけ後悔したように肩をすくめる。




重い空気が落ちる。




だが――


ウミガメ爺さんが、ぱっと顔を上げた。

「……そうじゃ! あいつがおった!」




皺だらけの口元が、にやりと歪む。

「そうそう、チョウチンアンコウ魚人のレクスじゃ。暗がりで提灯ぶら下げて、ひとりでぶつぶつ言うとる変わり者でのう」




ジルはその名を聞き爺さんを見た。

「……そいつは、自由を求めてる奴なのか?」




「ああ。『俺は誰にも縛られねえ』っちゅうのが奴の口癖じゃ。群れるのも嫌いでな、誰とも連もうとせんのじゃ」




ヴォルグが腕を組み、静かに頷く。

「……ほう。やはり、そんな奴がまだこの監獄内に潜んでいたか」




ジルは一歩踏み出し、爺さんをまっすぐ見た。

「それで、そいつには……どこへ行けば会える?」




ウミガメ爺さんは少し声を落とし、周囲をちらりと見渡す。

「……それがのう、レクスは深海の狂気のアジト近くの洞穴に一人で住んどるらしいんじゃ」




バレルの目が大きく見開かれる。

「深海の狂気のアジトの近くだと……!?」




爺さんは肩をすくめ、乾いた笑いを漏らした。

「普通なら近づくだけで喰われる場所じゃ。じゃが……あいつには誰も手ぇ出さん。不思議なもんでのう」




バレルが腕を組み、眉をひそめる。

「……なんでそいつは深海の狂気の連中に襲われねえんだ? もしかして……めちゃくちゃ強えのか?」




ヴォルグは顎に手を当て、低く呟いた。

「……あるいは、利用しているか……逆に利用されているのか、共存関係にあるか……深海の狂気があえて泳がせている可能性もある」




ウミガメ爺さんは首をかしげ、ゆっくりと手を振る。

「さあのう。わしにも詳しいことはわからん。ただ……レクスがここへ来る時は、いつも無傷じゃよ」



爺さんは、乾パンを小さく割りながら、声をさらに落とした。

「ただし、あやつに会うなら気をつけるんじゃ」



ジルが視線を鋭くする。

「危険なのか?」



爺さんは首をひねった。

「危険……とは少し違うのう。じゃが、あやつは小難しいことを、いつもぶつぶつ言いよる」



「小難しいこと?」



「この監獄の仕組みがどうとか、配給の仕組みがどうとか……誰が誰を縛っとるのか、とかのう」



バレルの眉が動いた。

「……なんだそりゃ」



ウミガメ爺さんは、細い目をさらに細めた。

「偏屈なことばかり言うから、誰も近づかんのかもしれんのう。……いや、近づきたがらん、と言った方が正しいか」



乾パンを割る音が、小さく鳴った。

「前にも、配給を奪われた囚人に説教しとったわい。食い物を奪った相手じゃなく、奪わせる仕組みを見ろ、とな。そいつは頭を抱えとったぞ」



バレルが顔をしかめる。

「……面倒くせぇな」



「この前は看守にも食ってかかっとった。槍を振り回されながら、洞穴の方まで追い回されとったぞい」




三人の間に、短い沈黙が落ちた。


ジルは眉間に皺を寄せる。


ヴォルグは顎に手を当てたまま、考え込む。


バレルだけが、露骨に顔をしかめた。

「……しかも、そいつの住処は、よりにもよって一番ヤバい奴らの近くときたか」




ヴォルグはしばらく黙り、低く言った。

「……近づくならそれなりの覚悟が必要だ。だが、今の条件に合う者は、そいつぐらいしかいない」



バレルがジルを見る。

「どうする?」


ジルは、爺さんの足元に並ぶ派閥の印へ視線を落とした。

通行証。

取引手形。

餌除け札。

どれも、この監獄で誰かを縛る印だった。




ジルは短く息を吐き、拳を握る。

「……行こう。自由を求める奴なら、俺たちの話を聞いてくれるかもしれない」




マーケットの喧騒の中、三人の視線が静かに交わった。




バレルが、大きなハサミを軽く持ち上げる。

「――爺さん、あんがとよ」




ウミガメ爺さんの、皺だらけの手がゆっくりと上がった。

「……気ぃつけるんじゃぞ。あそこは、この監獄で一番まともな場所じゃないからのう」




バレルはハサミを肩に担ぎ、鼻で笑う。

「おいおい爺さん、この監獄にまともな場所なんてあったか? 俺ぁ見たことねぇぞ」




ヴォルグは小さく肩を揺らし、わずかに笑った。

「……だからこそ、生き残ってる奴みんな“まとも”じゃないんだろうな」




低く笑う声に背を押されるように、三人は歩き出す。




次に向かう場所は――狂気の影が渦巻く洞穴だった。






第二階層 崩落隔離区画――



かつて派閥同士の全面戦争で崩壊しかけた区域。

今では看守の定期巡回さえ近づかない。

半ば放棄された危険地帯だった。





さっきまで聞こえていたマーケットの喧騒は、完全に消えていた。




崩れた鉄格子を跨いだバレルが、周囲を見回しながら低く笑った。

「へっ……久々だな、この辺は」



瓦礫の山と歪んだ通路を見渡し、ジルは眉をひそめた。

「……こんな所に、本当に深海の狂気のアジトがあるのか?」




瓦礫を蹴りながら、バレルが低く笑う。

「へっ……むしろ連中にはお似合いの場所だろ?――粗暴な奴らには、うってつけだぜ」




ヴォルグは崩れた壁面に目を走らせ、静かに周囲を観察する。

「……曲がった通路に、積み上がった瓦礫。奇襲には向いている地形だ」



足元の砂を軽く踏み、ヴォルグは耳を澄ませた。

「……音も反響する。敵の位置を読み違えれば、囲まれる」


そして後方の崩れた鉄格子を確認し、低く付け加えた。

「撤退路だけは常に意識しておけ。長居は危険だ」




ジルは周囲を見渡し、小さく息を吐く。

「ああ……人気はないのに、落ち着かないな。静かすぎて、逆に気味が悪い」




三人は足音を抑え、瓦礫の間をゆっくりと進んだ。


足元で細かな砂が崩れる。



遠くで、鉄が擦れるような音がした気がして、ジルは反射的に視線を走らせる。




「止まれ」

ヴォルグが低く制した。

片手を軽く上げ、呼吸を殺す。




しん、と空気が張り詰めた。



どこからか、湿った風が吹き込み、破れた布切れが瓦礫の間で小さく揺れた。





だが——人影は見えない。




バレルが小声で笑った。

「へっ……こんな雰囲気は、だいたいロクなことが起きねぇんだ」





その時だった。



瓦礫の影の奥、崩れた鉄格子の向こう側で、何かが“ぬるり”と動いた気配が走る。



ジルの背筋に冷たいものが落ちた。




「……囲まれてるかもしれない」

ヴォルグの声は低く、確信に近かった。




天井の裂け目から落ちる薄い灯りが揺れ、影だけが、わずかに形を変える。





——次の瞬間




ミシッ――と、不気味な軋みが通路に響いた。




そして、周囲の瓦礫が一斉に崩れ落ちる。




砂塵が舞い上がり、視界が揺らいだ。





そして、砂埃が静かに沈み始めた頃――三人はすでに包囲されていた。



崩落した瓦礫の奥から、凶悪な気配を纏った異形の人影がいくつも現れた。

「ケケケ……一撃で殺すなよ、テメェら」


闇の中で、錆びた鉄鋲を打ち込んだ棍棒が、ゆっくりと持ち上がる。

「壊すなら、たっぷり遊んでからだ」




ジルの額から、一筋の汗が落ちた。


瓦礫に塞がれた左右。


崩れた鉄格子の背後。


そして、前方には深海の狂気の囚人たち。



逃げ場は、もうない。





《蒼海の解放軍》より、深海監獄から感謝を込めて。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


もし物語を面白いと感じていただけたら、

あなたの一票(=★評価・ブックマーク)が、

監獄で抗い続ける仲間たちの力になります。


▼作者Xはこちら

https://x.com/00aomiray00?s=21


これからも『半魚囚人ジル』をよろしくお願いします。

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