43 死神との対談
※スティナ視点です。
古代遺跡のような石造りの礼拝室。その祭壇の上でスティナはハルと再会した。
薄気味悪い場所だった。
円型の空間の中央、すり鉢状に繰り抜かれた底に設置されている祭壇。神に捧げられる生贄の気分を味わう。
奥には石碑に磔にされた格好の巨大な女神像がある。
見間違えるはずもない。ウルデンでずっと祈りを捧げていた豊穣の眷属ユンルアーラの像だ。
美しい顔を苦痛に顔を歪め、見るに堪えない鈍色の女神像――随分と冒涜的な彫像である。
スティナはユンルアーラの瞳の奥に闇に飲み込まれそうなハルを見つけ、懸命に呼びかけて歌った。そしてハルがユンルアーラの中から抜け出した先、祭壇の上に駆け付けたのだ。
――ひどい……。
ウルデンで別れたときと同じ十歳の少年。しかし廃墟で細々と暮らしていた時よりもずっとボロボロになったハルの姿に、スティナは必死に涙をこらえた。
胸に込み上げてくるのは悲しみと怒り。ここで何が行われていたか、ハルがどんな目に遭ったのか、朧気ながら察しがついた。
「――――――」
しかし負の感情を表には出さず、スティナは笑顔を振りまく。
場違いで空気が読めていないのは百も承知だが、とびきり明るい楽曲、それもドッペルワンダーとそのファンにとって大切な曲を選んで歌う。スティナの気持ちに応えるように、神器の星が宙を舞い、煌々と舞台を照らした。
カグヤがその存在を人々に知らしめた、鮮烈なるデビュー曲。
ほぼコーラスのみとはいえ、ステラのアイドルとしての始まりの曲には違いない。最も長く、最も必死に練習した思い出深い楽曲である。
痛みも苦悩も憎悪も、この空間に満ちている危ういものを全て吹き飛ばす。
ハルの“禍身”化を防ぐためだ。
スティナは、ハルのステラへの想いに賭けた。
――わたしとハルの願いが重なれば、きっと。
スティナの神技・星の産声は、スティナの願いと聴く者の願いが一致することで奇跡を起こす。
ハルが「生きたい」「“禍身”になりたくない」と願ってくれれば、いくらでも力になれる。
スティナはハルの泥にまみれた手を取り、ぎゅっと握りしめた。もう大丈夫だと、言外に告げる。
「すっ……!?」
ハルの瞳から涙がこぼれ、真っ青だった顔に赤みが差し込んでいく。徐々に瞳に光が宿っていくのが分かり、スティナもまた感極まった。
そのまま一曲を歌い終えると、ハルははっとしたように身を揺らし、慌てて体を起こした。神技の効果はあったようで、ハルを取り巻いていた禍々しい気配はきれいさっぱりと消え、頭の傷も治っているようだった。
「良かった……」
「どっ」
「ど?」
「どどどどうして、スッティーが!? マジでどうなってんだ! 夢!? てか、あ、あれ、その目の色……」
ハルの熱に浮かされた瞳が、閃きを得たように見開かれた。スティナは合わせる顔がなかった。
――そうだった。言ってなかったんだ……スティナがステラだってこと!
ハルは口元を両手で覆い、スティナの全身に視線を巡らせる。最後に会ったときはスティナも十歳の姿だったので、成長した姿と前世の記憶も相まって結びつかないのだろう。
スティナは迷った。言葉を間違えたら収拾がつかなくなりそうだ。
「えっと、ハル、ごめん。実は……わたしね――」
「全く、困ったものですねぇ。あと少しだったというのに」
声の方向に反射的に身構える。
ユンルアーラ像の足元でインプレット夫人が腕を組み、スティナとハルを見下ろして困ったように首を傾げた。完璧に化粧を施された顔の中で、唇の紅が毒々しく浮かんで見える。
「インプレット様……ではなく、ピリオドさんですね?」
「ふふふ、ご名答。おかしな方ですねぇ。人間が“様”で、神の雛たる私は“さん”付けですか」
微笑んだ瞬間、彼女の顔がボロボロと崩れ落ち、土色の肌が現れた。
いつからかは分からない。エリザベート・インプレットは亡者だった。“死神”の雛・ピリオドの傀儡の一つとして、各地で身寄りのない子どもを引き取り、この遺跡の暗闇に放り込んでいた。
慈善事業家として名を馳せていたのは生前の彼女で、その立場を“死神”に利用されたのだろう。
「この体もだいぶガタが来ています。そろそろ潮時ではありますが、最後の最後で面白いものが見られると思っていたのに、よくも邪魔をしてくれましたねぇ。ですが……まぁ、いいでしょう。この巡り合わせも、新たな神話の一節となる」
ピリオドは貴婦人のようにスカートの端を抓み、優雅にお辞儀をした。
「改めまして、自己紹介を。“神選びの遊戯”における十三番――“死神”のピリオドと申します。相変わらずの仮初の姿で失礼をいたします。“星”のお嬢さん」
「お前……っ!」
ピリオドを見た瞬間、ハルの纏う空気が一変した。地の底で蠢くマグマのような危うさがある。
スティナは慌てて前に出て、ハルの視線を遮るように立つ。
「わたしは! 十七番――“星”の神の雛の……スティナ」
恐る恐る後ろを振り向くと、ハルと目が合った。
「やっぱりスティナ……なのか?」
「うん。その、ハルには前世のことも含めていろいろ説明しなきゃいけないと思ってるんだけど、後でいいかな? ゆっくり話したいし」
「あ、はい」
なぜか敬語である。スティナは悲しくなった。
「あー、思い出しましたよ。スティナさん。確かあの寂れた田舎町……ウルデンでも会いましたね? 死にかけの子どもとばかり思っていましたが、惜しいことをしました。こんなことになるのなら、そちらの少年だけでなくあなたも連れて行けば良かった」
やれやれと言ったようにピリオドは肩をすくめた。
スティナがあのとき眩暈を起こして倒れなければ、きっとハルと一緒にインプレット夫人についていった。そして、“死神”の魔の手に落ちていただろう。
――きっと、精霊たちが助けてくれたんだよね。
今この場にはスティナが歌で生み出した精霊しかいないので確認できない。その精霊たちは“死神”の登場によって怯えたように息を潜めている。
「なるほど。遊戯のスタートが一緒だった少年を助けに来たというわけですか。それにしても、どうしてここが分かったんです? 神の卵をおびき寄せる仕掛けは彼らを誘い込んだときに締め切って、この場所も隠蔽していたのに。参考までにご説明いただきたいですねぇ」
少し考えて、スティナは素直に説明することにした。時間稼ぎは願ったり叶ったりである。
ドムドウッドを旅立ったスティナたちは、東の都ヤドーヴィカでハルの手掛かりを探した。
インプレット夫人とは連絡がつかず、ダスクが面会を申し込んでも多忙を理由に追い返された。
ならばと孤児院を訪ねてみたが、ハルのことは「そんな子どもはいない」、神殿工事のことは「そんな工事は聞いたことがない」と信じられない答えが返ってきた。ハルどころかウルデンの子どもも一人もおらず、その行き先は不明。
絶対に怪しい。何かを隠している。
スティナだけではなく、ダスクとアサギもその意見に賛同した。
毎日熱心に聖堂に通っているというおじいさんから、ようやくハルらしき少年の目撃情報を得た。「あの子は神官様とよくお話していた」とおじいさんは話してくれたが、神官は「ハルという子どもは知らない」と言った。
ここでようやく、都全体にインプレット家の息がかかっていると確信した。ここ数年不作に悩まされる王国東部にとって、唯一繁栄しているインプレット家の威光は絶対的なものになっていた。
気づいたときには都の貴族たちを敵に回しており、ヴィクターが王都から手を回してくれなければ、ヤドーヴィカに閉じ込められていただろう。
ハルは確かに東の都に辿り着き、“神選びの遊戯”にエントリーした。
怪しいのはインプレット家の領地。たくさんの子どもたちを集めても怪しまれないような、人目のつかない場所。それだけしか手がかりがなかった。
忍び込んだインプレット家の領地はマナに富んでいたが、なぜか精霊の類は見当たらなかった。精霊に居場所を教えてもらうという手も使えず途方に暮れていたところ、スティナたちは予期せぬ案内人に遭遇し、ここまで連れてきてもらった。
スティナは一握の砂が入った布袋を取り出し、ハルに手渡した。
「ネズミが案内してくれたの。一目見て、悪いものじゃないって分かったから。さっき崩れて土になっちゃったんだけど……」
これってハルの神技だよね、と視線で尋ねる。しかしハルは呆然と布袋を見つめ、痛みをこらえるように目を閉じた。
「ああ、あの娘の神技ですか。しもべが神域を出入りする隙を突かれたのか、あるいは……気に入りません」
ピリオドの指先が空を跳ねると黒い影が出現し、そこから一人の少女が現れた。
「セーラ!?」
まだ幼い少女だった。綺麗な黒髪に陶磁器のように傷一つない肌。しかしその瞳には光はなく、どこかぎこちない動きでピリオドの前でひざを折り、頭を下げた。
――あの子、もう……。
生きていないのは明らかだった。ピリオドの神技で操られているのだろう。
見ているだけで胸が悪くなる光景だった。
「死してなお私に反抗するとは……やはり“禍身”にした方が良かったですねぇ。神の卵の遺体などさほど利用価値もありませんし、ユンルアーラに食わせましょうか」
ピリオドはセーラの頬を張り、足蹴にした。
「やめろ!」
ハルが飛び出そうとするのをスティナは反射的に止めた。黒い影からぞくぞくと異形の化け物が出てくる。
「ふふふ、お友達のために必死になれるあなたは素敵ですねぇ。ご褒美に、もう一人とも会わせて差し上げましょう。さて、どの子でしたかね? 随分とコレクションが増えました」
十を超える“禍身”、あるいはその従魔がスティナとハルを囲む。卒倒しそうになる光景だったが、以前に出会った“禍身”たちと比べると一体一体に脅威は感じなかった。
スティナが神の雛になったからなのか、あるいはピリオドに操られている個体だからか。
「ルードルフまで……くそ!」
ハルはその中の一体、オオカミに似た獣型の“禍身”を見つめ、ぶるぶると震えていた。
――ハルのお友達なんだね……。
スティナはぎゅっとこぶしを握り締め、立ち上がった。
意識を神器に傾け、自分たちを守るように周囲に浮かせる。
「さて、最後の悪あがきを見せてもらいましょうか。あなたたちで織り成す悲劇を見れば、おそらくユンルアーラも堕ちるでしょう」
ピリオドは巨人型の“禍身”の肩にちょこんと座っている。ドムドウッドの時と同じように、特等席で見物する気満々だ。
「そう……ユンルアーラ様はまだ“禍身”になっていないんだ」
「えぇ。六大眷属ともなると、なかなか条件が厳しかったのです」
「“禍身”になる条件って何?」
「ご存じなかったのですか。んー、そうですねぇ。死神たる私が冥土のみやげを差し上げないわけにもいきません。いいでしょう」
意外とサービス精神のある死神だった。
「個体によって多少違うこともありますが、基本は同じです。“神”であることを諦めさせれば良いのです。元人間の精神を持つ神の卵は容易く堕ちる。自分に絶望するだけで、簡単に諦めてしまいますよ。しかし、生まれついての神はそうはいきません。責任感が強いのです。立派ですねぇ」
神であることを諦める――責務を放棄するだけで、神のエネルギーは変質して暴走する。そのエネルギーによって卵が割れ、“禍身”を生み出すらしい。
――あ、危なかった……。
何度か諦めかけた覚えがあるスティナは、冷や汗をかきつつも毅然とピリオドを睨みつけた。
「教えてくれたのは……ありがとう! でも、ユンルアーラ様を“禍身”にはさせない! これ以上ひどいことをしないでください!」
「先にユンルアーラに対してひどいことをしたのは地上の人間ですよ? 私を非難するからには、彼らのことも罰しなくては不公平では?」
少し大地の加護が薄れて飢えるだけで、人々はユンルアーラへの信仰を捨てて子どもを売り買いし、あるいは口減らしに山へ捨てた。
その行為がさらに大地から豊穣を奪っていったのだ。
自業自得だとピリオドは嗤う。
問題をすり替えられている気がしたが、上手い反論を思いつかないスティナ。仕方なく、開き直ることにした。
「そういう社会問題をわたしが解決するのはすっごく時間がかかると思うので、とりあえず今はあなたを止めます!」
「はぁ、私を止めることはできると? きらきら光るだけの脆弱な雛が、傲慢なことを言いますねぇ。“星”が地の底で何ができるというのです?」
ピリオドが合図を出した瞬間、“禍身”の何体かがスティナとハルに向かって飛び掛かってきた。
すり鉢状の地形の底にいる二人に逃げ場はない。神器を盾にするが心許なかった。
思わずハルと身を寄せ合って目を閉じたスティナの耳に、風を切るような音とピリオドのため息が聞こえた。
「……もちろん、あなたもいらっしゃるとは思っていましたよ、“吊るされた男”。随分と遅かったですねぇ」
「よく言う。あれだけ従魔を配置しておいて」
アサギが“禍身”を斬り伏し、ピリオドに相対していた。
「無事か、スティナ」
隙を突いてダスクがスティナの元に駆け付けてくれた。思わず抱き着いてしまった。
「アサギくん! ダスク様! 良かったぁ!」
実は、ここに来るまでに従魔の群れに襲われ、スティナは一人はぐれていたのだった。結果的に、ネズミのおかげでハルの元に一番早く辿り着けた。本当に自分は運に恵まれていると思う。
ダスクは大量の“禍身”に囲まれた状況を一目見るや、ため息を吐き、遠くを見た。おそらく現実逃避だろう。
「様で呼ぶのはやめろと言っただろう。もうお前は神の一柱なのだぞ」
「そ、そうでした。ダスクさん。ミントさんとザミーノさんは?」
「あの二人は引き返させた。ヴィクター殿に連絡してもらう。……私もあまり力になれぬかもしれないが」
スティナの周りで怯えている精霊を見て、ダスクは顔をしかめた。
いくらアサギでも一人であの数の“禍身”を相手にするのは厳しいだろう。単純に手が足りない。
――ヴィクターさんが“正義”の雛と一緒に来てくれれば。
間に合うだろうか。それまで持ちこたえるか、せめてハルを連れて逃げ出せれば……。
スティナは神器の星を手繰り寄せる。
「とりあえず、これに掴まって。少しの間なら飛べるから!」
ハルに星を手渡そうとするが、受け取ってもらえなかった。アサギに討伐された“禍身”を見て、心が揺れているようだ。このまま乱戦になれば、ハルの友達だった“禍身”も斬られてしまうだろう。
「ああ、分かってる。あんなの、ルードルフじゃねぇ……あいつはヒーローになるんだ」
「ハル?」
ハルは俯き、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
明らかに様子がおかしい。彼は手にした砂入りの布袋を見て、虚ろな瞳で笑った。
「大丈夫。奪われたら、取り戻せばいい。まだ消えてないんだ。簡単な話だ……」
おもむろに砂を手にするハル。
「オレにはスッティーがいる。それにお前も。なぁ――セーラ」
その名を口にした瞬間、ハルの周囲から黒い光が弾けた。
スティナは知る。
ハルは、全然大丈夫ではなかった。




