41 どん底
「嫌! 誰か!」
耳の奥に突き刺さるような悲鳴が響く。
「ルードルフ! ハル! いないの!?」
強烈な土の匂いを感じた。ずきりと痛む頭に顔をしかめながら、ゆっくりと目を開く。
一面の暗闇に血の気が引いた。
――突然攻撃されて、それから……。
無我夢中で逃げ回るうちに地面が崩れて落ちた。そこからの記憶がない。
「っセーラ! 無事かっ?」
「ハル!? 近くにいるの?」
「ああ。ケガはないか?」
「多分。体のあちこち痛いけど、かすり傷よ。ハルは?」
「オレもそんな感じ。てか、全然見えねぇ。セーラは動かないでくれ。オレがそっちに行くから」
「え、ええ。気をつけてね!」
手探りで地面と宙を探り、恐る恐る顔を上げる。両手足は問題なく動いた。体感ではかなりの距離を落下したので、動けるのは奇跡である。
膝立ちのまま、セーラの声を頼りに少しずつ前に進む。立ち上がる勇気はなかった。
――ここは神殿の地下、だよな。あれからどれくらい経った?
窒息の心配はないか、地盤は崩れないか、どうやって脱出すればいい? あの死神のような人物がまた襲い掛かってきたらどうしよう。
不安が足を鈍らせた。自分の息遣いがやけに大きく聞こえ、涙がこみあげてくる。
「ハル? 大丈夫?」
「あ、ああ、うん。大丈夫だ。もうちょっと待っててくれ!」
なけなしの見栄と根性でハルは進んだ。泣いている場合ではない。
ようやくセーラの元に辿り着き、探るようにお互いの手を取る。泥だらけの肌から体温が伝わり、どちらともなく息を吐いた。
普段なら照れているだろうが、今はそれどころではなかった。ハルはセーラの小さな手を両手で包み込んだ。セーラもまた、強く握り返してくる。
「ねぇ、ルードルフは?」
「分かんねぇ。……オレたちが無事なんだ。きっとルードルフも大丈夫だ」
ハルは努めて明るい口調で言った。が、声の震えは隠せなかった。
「そ、そうね。でも、どうしましょう。全然見えない。これじゃあ動けないわ。荷物は……」
「近くに転がってるかも。探そうぜ」
二人は片方の手を繋いだまま、片手で辺りを探った。
「ん?」
ふとハルの手がつるりとしたモノに触れた。その瞬間、ほのかに周囲が明るくなる。
光源は小さな石だ。ハルが握りしめるとさらに明るさを増す。セーラが目を輝かせた。
「光晶石だわ! 魔力に反応して光を発するの」
「へぇ……初めて見た」
「珍しいものよ。高価な絵の具の材料になるの。……ああ! あまり強く握りしめちゃダメ。石の中のマナが燃え尽きたら光が消えちゃう。少しずつ魔力を注いで」
「ええ!? 魔力の調整なんてできねぇよ!」
ハルは慌てて石を指先で抓んだ。少しは光が抑えられた。石は白っぽく、不思議な縞模様を形成していた。よくよく見ればあちこちに落ちていた。
二人はポケットいっぱいに石を詰め込む。
「ああ、でも、荷物はないな……てか、おかしいよな?」
ハルは光晶石を高く掲げてみた。高いところにある土の天井に愕然とした。地面も驚くほど滑らかで、瓦礫も土の山もない。滑らかな地面と土壁がどこまでも続いている。
自分たちがどこから落ちてきたのか分からなかった。
「誰かが……ルードルフがオレたちをここまで運んでくれたのか?」
「見て! 足跡がある!」
ハルのものよりも大きな靴の跡だ。おそらくルードルフだろう。二人は頷き合って、足跡を辿ることにした。
道はうねり、平坦ではなかった。最初は光晶石を採掘する坑道かと思ったが、人工的に造られたトンネルではなさそうだ。
――脇道がいっぱいある……まさか、魔物の巣か?
ハルたちが進んでいるのは大きなトンネルだが、そこかしらに大中小の様々な道が延びていた。風が通り抜け、不気味な音が響いてくる。
風の音か、人の悲鳴か、魔物のうめき声か。聞いているだけで頭がおかしくなりそうだった。
「探ってみるわ」
セーラが神技を使って、小さなネズミ型のゴーレムを何匹か生成した。索敵のために先行させ、大きな別れ道に差し掛かる度に放った。生き物を見つけたら戻ってきて報告してくれるらしい。本当に便利だ。
ルードルフらしきの足跡は途切れることなく闇の向こうへ続いている。
「絶対他にも誰かいるよな……」
小さな足跡をいくつも発見し、ハルはセーラと顔を見合わせた。ゴーレムは一匹も帰ってこない。
「神殿工事のために集められた子どもたちかしら……ねぇ、ハル。あまり考えたくないんだけど、私たちを襲った人は……」
「多分、神の雛なんだろうな。オレ達を待ち構えていたような感じだった。やっぱ、罠だったのか……」
あの“死神”を思わせる人物とインプレット夫人との繋がりは分からない。しかし神殿工事の現場でこんな目に遭っている以上、無関係ではないだろう。
今思えば、インプレット夫人が採算度外視で孤児を集めたり、その領地だけ作物が豊作になっていたり、あの神の雛はあえて目立つように行動していたのかもしれない。神候補をおびき寄せるために。
「私たちを? なんのために」
セーラだって分かっているはずだ。しかしそれでも問うてくる。
ハルが答えようとした瞬間、前方からネズミ型ゴーレムが帰ってきた。続いて現れた人物の有様を見て、二人は息をのむ。
「……ルードルフ、どうしたの」
ルードルフは全身血塗れだった。顔も服もべっとりと赤黒く染まり、鉄錆の臭いが生々しい。
よくよく見れば、本人が出血をしているわけではなかった。しかしルードルフが今にも死にそうな顔をしていて、ハルはかける言葉を見つけられなかった。
やがてルードルフは膝から崩れ落ちるように倒れ、ぐしゃぐしゃの声を出した。今までの彼からは想像もつかない弱々しさだ。
「従魔じゃなかった。“禍身”だった……無理だ……勝てねぇ」
「従魔? 禍身? それは何? 何があったの?」
セーラは恐る恐るルードルフの肩に触れる。彼女も知らないことのようだ。
「ダメだ……俺は、また守れない。また、目の前で……」
ルードルフは許しを請うように頭を垂れ、セーラの手を握り締めた。
ハルとセーラは二人がかりでルードルフを宥め、尋ねた。
ルードルフ曰く、“禍身”は神話に出てくる化け物のことらしい。
世界に災厄をもたらす闇の化身。ヒトも魔物も精霊も、何もかもを殺す“魔王”のごとき存在。
そして、殺せば殺すほど強くなる厄介な性質を持っている。
それゆえに古より多くの軍隊が、英雄や勇者が、命を賭して“禍身”を討伐してきた。ハルもウルデンの神官からその存在を聞いたことはあったが、おとぎ話のような感覚でいた。身近な脅威として認識していなかったのだ。
というのも、“禍身”そのものが地上に現れることはめったにない。従魔と呼ばれる尖兵さえ倒せば、“禍身”は現れないのだ。その従魔すらなかなか見かけないという。
地下に落下した後、ルードルフはハルたちから距離を取り、単身従魔を討伐に行った。しかし、出くわしたのは“禍身”であった。
「あれは……だいぶ成長した個体だ。しかも、一体だけじゃない。奥からもっと凶悪な気配がした……」
「そんなものがここにいるのか? どうして」
「知るか……! あいつ、あの神の雛が集めて堕としたんだろ。きっと、俺たちも同じように……!」
「『堕とす』ってどういうことだよ? まさか、“禍身”って……」
ルードルフははっとして顔を上げたが、もう遅かった。ハルもセーラも鈍感ではない。
「っそうだ……“禍身”は神のなれの果て。旧神も、俺たち神の卵も、“禍身”になる可能性がある……見境なく何もかもを破壊する化け物に……一度堕ちたら、元に戻ることはできねぇ」
どういう条件で神が“禍身”に転身するのかはルードルフも知らないという。
――ただ頑張っていれば神になれるってわけじゃない。当然リスクもある……。
ハルはオレンジ色の猫を思い出して胸に誓う。
肝心な情報を黙っていやがった。今度会ったら容赦しない。
ショックではあったが、納得できる話ではあった。旨い話には裏がある。参加表明をするのに必死で、リタイアした神候補がどうなるのか考え至らなかった。何年も、あるいは何十年も遊戯の予選が続いているのには理由がある。
リスクの存在から目を背けていた自分の落ち度だ。
「ルードルフ……どうして教えてくれなかったの……?」
セーラは悲しげに呟いた。彼女には受け入れがたい事実だったようだ。
“禍身”になるリスクを知っていたら、遊戯に参加しなかったかもしれない。もう少し慎重に考えられたのに。ただの人間として生きていく道を選ぶこともできたのに。
力はないが、ルードルフを責めるような言葉が続く。
「私のこと、どうしても遊戯に巻き込みたかった? ひどいじゃない。ハルのことだって突き放してたわよね。下手をしたら“禍身”になってしまうかもしれないのに……薄情なのはあなたの方だわ。何がヒーローよ。情けないわ!」
ルードルフは肩を落としたまま、無言を貫いた。
仄暗い洞窟に重苦しい空気が漂う。
「セーラ……ルードルフは別に悪くねぇよ。使い魔だって教えてくれなかったことを、わざわざオレたちに教える義理なんてない」
こういうとき、ハルはほとんど反射的に分の悪い方の肩を持ち、バランスを取ろうとしてしまう。
喧嘩の仲裁は得意なつもりだった。
……いつもならば相手の気持ちを汲んで、もう少し気の利いたことが言えただろう。この非常時でハルも冷静さを失っていた。
「分かってる! でも私はルードルフを信頼していたの! 都合悪いことを隠すような人だとは思わなかったのよ! 今こんな目に遭っているのだって――!」
セーラの興奮した声に反応するように、トンネルに低い唸り声が響いた。まだ遠い。しかし、闇の奥から無数の目に見つめられているような気配がして、三人は恐慌状態に陥った。
逃げて逃げて、どれくらい経ったのか分からない。
セーラは力尽きて意識を失った。目尻には涙が溜まっている。
ハルとルードルフも膝をつく。もう唸り声は聞こえない。自らの苦しげな息遣いと心臓の音だけが静寂を濁している。
「……ごめん」
ハルはルードルフの顔を見ないようにして告げた。
「元はと言えば、オレがこの神殿のことを話したから、こんな目に遭ってるんだ。二人を巻き込んじちまった。セーラにも余計なことを言った」
絶望するほど長い沈黙をハルは辛抱強く待った。
「……違ぇだろ。お前一人じゃ都を抜け出すこともできなかった。ここに連れてきたのは俺だ。まんまと敵の罠にはまったのも、俺のせいだろうが。セーラが怒るのも当然だ」
ルードルフから零れる殊勝な言葉に、ハルは内心苦笑した。
よほどセーラに責められたことが堪えているようだ。
――違う。ルードルフは悪くない。もちろんセーラも。
自分のことも、今は棚に上げよう。これ以上滅入るようなことは考えたくない。
「敵……そうだな。あの神の雛はどう考えても友好的じゃない。オレたちをこんな場所に閉じ込めて、“禍身”に殺させようとしている。あるいは、オレたちも“禍身”にしようとしている。そういうことだよな? あいつは、“禍身”を支配する神技を持っているのかもしれねぇ。だとしたら、マジでヤバい」
この状況でこじれてしまった関係を修復するには、共通の敵を作って団結するしかない。
悪いのは全部あの死神めいた神の雛だ。自分たちの迂闊なところも、仄暗い感情も、意外ともろかった関係性も、見ない振りをする。
「奴が最終的に何をどうしたいのかは知らねぇけど、思い通りになってたまるかよ。絶対に生き残って、目にもの見せてやろうぜ。あんなのが万が一にでも最高神になったら、この世界が終わっちまう。そんなの悔しいじゃねぇか。せっかく転生したのに、こんな訳のわからない死に方したくねぇし。なぁ?」
ハルが精一杯強がって、なんとか笑いかける。ルードルフはそっぽを向いた。泣きそうな顔を見られたくなかったのかもしれない。
「何もできねぇくせに。神技も持ってない奴が、偉そうに……」
「ああ。でもさ、こういうピンチにこそ、オレの神技が目覚めて大逆転するかもしれねぇじゃん。あんまり期待されても困るけど、奇跡が起こる可能性はゼロじゃない」
ルードルフが思わずといった風に笑い声を零す。
ここにきて初めて、二人の間に柔らかい空気が流れた。
「んなもん、ご都合主義すぎる。誰が期待するか」
「なんだよ。じゃあルードルフに期待していいのかよ」
「俺はダメだ……セーラの言う通り、俺は、ヒーローにはなれねぇ」
「ずっと気になってたんだけど、ヒーローって何。そんな重要なワードなのか?」
もう自棄になったのか、ルードルフは不貞腐れたように語ってくれた。
前世、強盗に襲われたときに見ず知らずの男に命を救われたこと。何の見返りも求めず、ただ困っている人の為に身を砕き、戦う姿に心から憧れたこと。
彼は、ルードルフにとってヒーローだった。彼は誰にでも分け隔てなく手を差し伸べ、たくさんの笑顔を守っていた。
「せっかく助けてもらったのに、俺は結局その後すぐに事故で死んじまった。何一つ生きた証を残せず、命を無駄にしちまった。だから今度こそ、俺はあの人みたいに――」
あらゆる理不尽を跳ね除け、苦しむ人々を守りたい。だから神を目指した。望みに呼応するように強くなった。神技に目覚め、超人的な身体能力を得て、人を助けて従魔と戦ってきた。
理想のヒーローに近づけている。それが嬉しかった。
「だが、俺は甘かった。覚悟が足りてなかった。ダチだと思ってた神の卵に散々利用されて、それでも自分を誤魔化しながら信じて、でも、いざそいつが“禍身”になったら見捨てて逃げた。あいつに助けを求められたのに、自分まで“禍身”になるんじゃねぇかって思って怖くなって……俺は裏切られたんじゃない。裏切ったんだ。最低のクソ野郎だ」
ルードルフは吐き捨てるように言った。
「ダチを裏切るヒーローなんていない」
その後、“禍身”に堕ちた友人は別の神の卵に討伐されたという。
「テメェーは俺のことを武神だのなんだの言っていたが、本物は格が違うぜ。躊躇わない」
とても美しく、儚げな少年だったそうだ。
彼はルードルフの存在に気づいていたが、何も言わずに去っていった。慰められることも叱責されることもなく、興味の欠片も抱かれなかった。
もう二度と会うこともない。つまり、ルードルフが神の雛になることはない。そう思われたのだとルードルフは直感したという。
「情けなくて、恥ずかしくてたまらなかった。俺は誓った。もう二度と、自分を見下げるようなことはしねぇ。そんで、しばらくしてから、セーラに会ったんだ。……こいつはすごい奴だよ。俺が持ってないものを全部持ってる」
ルードルフは傍らのセーラに視線を落とし、寂しげに目を細めた。
纏う空気が明るくて、前向きで、頭が良くて、感性が豊か。
まだ他人を信じることができなかったルードルフが、不思議とセーラのことは信じられた。彼女のようなヒトがこの世界の神になれば、きっと何もかもがうまくいく。そう思えた。
――ルードルフはセーラに出会って、救われたんだな。
親愛の情が湧いた。一緒に神を目指したかった。失いたくなかった。
ルードルフがセーラに“禍身”のことを話さなかったのは、そういった理由だろう。
「俺はまた、裏切っちまった……全然、変われてねぇ」
セーラに対して誠実ではなかったかもしれないが、ハルはルードルフを軽蔑する気にはならなかった。
一人になるのを心細く思う気持ちが分かるから。
俯くルードルフに、ハルはため息を吐いた。
「てか、ルードルフ。事情は分かったけどさ、オレに対しての態度はひどすぎんだろ。ヒーローを目指すなら、分け隔てなく優しくしろよな」
おどけた軽い口調で文句を言う。この暗い空気を取っ払うためには、ルードルフに落ち込まれたままでは困るのだ。
「テメェーは胡散臭かった。……それに、セーラがやけに庇うから、反射的に」
「嫉妬かよ。マジでダサいことしやがって」
「うるせぇ。そういうんじゃねぇっ」
薄暗くても分かるくらい、ルードルフの顔は赤かった。怒っているからか、照れているからか、それにしてもただのツンデレにしか見えず、ハルは噴き出した。
「笑うんじゃねぇよ! 笑ってる場合じゃねぇだろうが!」
「悪い。でも、うん。セーラともちゃんと話せよ。さっきは突然のことでびっくりして、ルードルフのこと責めちまっただけだ。頭が冷えれば、分かってくれる。セーラは優しいから」
セーラはこの中では一番精神的に大人で頼もしい。この非常時に感情的になって雰囲気を悪くするようなことはしない。
ハルはそう分析していた。
「悪かった。俺は――」
「もういいわ。今はそんなこと、気にしていられないもの。私の方こそ、ごめんなさいね」
……状況はあまり好転しなかった。
目を覚ましたセーラに、ルードルフとハルは謝った。セーラも一応謝罪の言葉を口にした。
しかしわだかまりは解けなかった。セーラとルードルフの会話はぎくしゃくしており、目を合わさない。ハルがなんとか間を繋いだ。それも段々苦しくなり、誰もが口を開くことを躊躇うようになる。
――そんなに上手くいかねぇか。早くここから出ないと……。
身の安全を確保するまでは、関係を修繕することもできない。
三人はひとまず地下から脱出すべく行動を開始した。
出口を見落とさないように、“禍身”や従魔と遭遇しないように、細心の注意を払う。
マッピング出来れば良かったのだが、あいにく書くものがなかった。仕方なく、別れ道や壁に印をつけて先に進んだ。記憶力に自信があったハルでも、覚えきることはできなかった。
トンネルは行き止まりに辿り着くことなく、どこまでも続いていた。これでは正解も不正解も分からない。
何度か引き返して別の道を選び直してみた。
しかし、印をつけたはずの壁は見当たらない。誰かが消しているのか、自動で消えているのか。
セーラのネズミ型ゴーレムが何かを見つけ出すこともなかった。
どれだけ歩いただろう。
どれだけ時間が経っただろう。
時折聞こえてくる呻き声。悲鳴に似た風の音。気が狂いそうだった。
光晶石のおかげで光だけは確保できたが、食料と水はわずかだ。
不思議なことに、トンネルのあちこちに場違いな小さな箱が設置されており、中にパンや果物、瓶詰の水が入っていた。
まるでゲームでダンジョンを探索しているかのようだ。宝箱の中身はいささか現実的過ぎたが。
しかし、三人で分け合えばあっという間になくなってしまう量では、焼け石に水であった。
「……セーラ。俺の分もやる。神技を使って疲れてんだろ」
「いいわよ。そういうの。ルードルフの方が体が大きいんだから、たくさん食べないと」
相変わらず、ルードルフとセーラの会話はぎこちない。何日も笑顔を見ていなかった。
昼も夜も感じられない空間だ。三人は交代で眠った。しかし徐々に、徐々に、眠れなくなっていく。目をつむるのが怖くて、叫び出したくなる。
心も体も削り取られていくようだった。
どんどん苦しくなる。
誰もが最悪の展開を考え、口にしないようにしていた。
最初はよく見かけていた子どもの足跡も、今はもう見かけない。
死体がないことが唯一の希望だった。願はくは、出口を見つけて逃げ出していてほしい。
『無駄ですよ。みんな揃ってここから出ることはできません。生き残れるのは、たった一人だけですからねぇ』
不意の出来事だった。
広い空間に出たとき、見覚えのある子どもが立っていた。ハルと一緒にウルデンから旅立った子だ。
「リック、無事だったのかっ? 今までどうしてた? 他のみんなは――」
「ハル! 待て、様子が変だ」
リックがにやりと子どもらしからぬ不気味な笑みを浮かべた瞬間、頬の皮膚がぼろぼろと落ちた。
――ゴーレム? 違う。これは……。
リックの瞳は濁り切っていた。よくよく見れば腹部が真っ黒に染まっている。
『すみませんねぇ。ろくな死体が残ってないんですよ。あなたたちがここに落ちる前に、ほとんどの子どもは食料を奪い合って殺しあってしまって……それはそれは惨たらしい光景でしたよ。安心してくださいねぇ。可哀想だったので、ちゃんと埋葬はしました。地母神への生贄ですがね』
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「リックじゃない……誰だ、お前」
『なんとなく分かっているでしょう? 私は“死神”の雛です。あなたたちには、それ以上名乗る気はしませんねぇ。最後に生き残った一人にだけ、改めて挨拶することにしましょう』
その雛は愛おしいものを見るようにハルたちの顔を眺めた。
『生き残れるのは一人だけ。出口なんてありませんよ。ここは、ユンルアーラの神域ですから』
「な、ユンルアーラ……? 一体どういう――」
『早くここから出たいのなら、生き残りの子どもを見つけ出して、一人ずつ丁寧に息を止めてくださいね。そして最後は三人で殺し合うのです。ああ、死ななくとも、“禍身”に転じて下さるのならいいですよ。三人仲良く過ごすには、それが一番の方法でしょうか?』
リックの体が少しずつ崩れ、地面に飲み込まれていく。
「ふざけんな!」
『抗うのなら、どうぞご自由に。ユンルアーラを超える力を見せてくださるのなら、それはそれで都合がいい。誰がヒトの形を保っていられるのか、楽しみにしています。では』
雛の姿が消え、ハルたちは呆然と立ち尽くした。
どこにも希望はなかった。




