38 自己嫌悪
鋭い眼光で見下ろされ、全身に緊張が走った。
ハルよりもかなり背が高く、体格の良い少年だった。年季の入った外套や肩に背負った荷物からして、都の人間ではなく旅人だろう。だいぶ荒んだ印象を受ける。
――二、三人殺してそうな面構えだな……。
青みがかかった灰色の瞳には、オオカミを思わせる獰猛さが宿っていた。今にも噛みつかれそうな迫力がある。前世も今もここまで強烈な敵意を浴びたことのないハルは、草食動物のごとく震え上がった。
本当に迂闊だった。
慎重を信条にここまで来たというのに、寂しさと不安のあまり声をかけてしまった。おそらく同じ神候補だろう彼と彼女に。
「何黙ってんだよ? テメェから声かけてきたんだろ? ああん? 物乞いか?」
「ルードルフ、柄悪すぎ。やめなさい。都でそのノリは恥ずかしいわよ」
「うるせぇ。お前は黙ってろ」
小柄な少女を遮るように、ルードルフというらしい少年が前に出た。ますます鋭くなる眼光に気圧される。
「あ、えっと……」
すみません、人違いです、と逃げ腰になりかけたものの、ハルは一歩踏みとどまった。ここで彼らを見かけたのも何かの縁。とにかく今は遊戯に関する情報が欲しい。
くすぶっている自分の状況を打破すべく、ハルはこっそりと深呼吸をして顔を上げた。ルードルフの目をまっすぐ見て、問いかける。
「時空の神を、ご存知ですか」
二人の顔色が変わる。
「……テメー、卵か?」
頷きを返すと、少年は舌打ちをした。
「オーラが全然ないから分からなかったぜ。つーか、目立つ場所で声かけやがって……こっちに来い!」
「えぇ! ちょっと!?」
抵抗する間もなく広場の片隅、雑踏から離れた場所に連れてこられた。
改めて顔を合わせる。ルードルフは十四、五歳で、もう一人の少女はハルと同じ十歳前後に見える。雰囲気が違いすぎて兄妹には見えず、首を傾げたくなる取り合わせだ。
声をかけた手前、ハルが一番に名乗った。
「オレはハルチェル。数日前に参加表明をしたばかり……です」
「敬語なんて要らないわよ。年齢なんてあってないようなものでしょう? 私はセーラ。ついさっき“神選びの遊戯”に参加表明したばかりの新人よ。よろしくね、ハル」
セーラは、見た目の年齢とは不釣り合いな大人っぽい口調で名乗った。
長い黒髪は旅人にしては艶やかでサラサラである。念入りに手入れしていることを伺わせる。清楚な美少女である。
「じゃあ、遠慮なくタメ口で。……ちなみに精神年齢は? オレの前世の享年は十八なんだけど」
「……年齢なんてあってないようなものでしょう?」
「し、失礼しましたっ」
セーラの黒い微笑みに思わず背筋が伸びた。なるほど、見た目は当てにならない。
「で、こっちはルードルフ。神の卵歴三年ですって」
「え、そんなに」
「あ!? 馬鹿にしてんのか?」
「してねぇって。なんでそんなに喧嘩腰なんだよ」
「ごめんなさいね。ルードルフはこれまでいろいろあったみたいで、人間不信ぎみなの。初手威嚇が染み付いちゃってるのよね。顔も怖いし」
でも悪い人じゃないから、とセーラは苦笑する。
「私はルードルフのおかげで参加表明できたのよ」
突然前世の記憶を取り戻し、途方に暮れていたセーラを助けてここまで連れてきてくれたらしい。
そう聞くと、硬派で筋の通った不良に思えて怖くなくなる。きっと雨に濡れた子犬を放っておけないタイプだ。
「別にテメェーを助けたわけじゃねぇよ。ついでだ、ついで。俺も都に用があったんだ」
ふいっと目をそらすルードルフ。
「はいはい。でも、しばらくは一緒にいてくれるんでしょう? 神器や神衣のこと、参加表明が終わったら詳しく教えてくれるって約束したもの」
「神器? 神衣? なんだそれ。教えてくれ!」
さっそく有益な情報の予感に、ハルは食いついた。
「セーラ、わざとか!? 初対面の怪しい奴に情報やるんじゃねぇよ!」
「もちろんわざとよ。ハルも何も知らないみたいだし、一緒に面倒みなさいよね」
「何でだよ!?」
セーラはハルを一目見て、肩をすくめた。
「ハルはちっとも怪しくなんてないじゃない。擦れてる感じもしないし。ルードルフは怯えすぎなのよ」
「なんだと?」
「味方は一人でも多く作っておくべきだわ。見捨てて恨まれるなんて愚策もいいところよ? お分かりかしら?」
セーラに鼻で笑われ、目を剥くルードルフ。ハルが口を挟む隙はなかった。
「それに、困ってる人がいたら助ける。頼られたら期待に応える。ヒーローなら当たり前のことだわ。まさか、私が美少女だからって贔屓するつもり? 差別よ」
「はぁっ!?」
ルードルフは怒りと呆れと苦悩が混ぜ合わされた顔で固まり、しばらくして吐き捨てるように言った。
「……テメェーに会ってから厄日続きだ」
「変わった感性ね。私と旅をする以上の幸福がある?」
自信たっぷりに魅力的な笑みを浮かべるセーラ。
強い。セーラは完璧にルードルフを尻に敷いている。
ルードルフと比べてまともそうに見えたセーラだが、なかなか良い性格をしていそうだ。
――神候補に選ばれるくらいだもんな。一風変わった奴ばかりでもおかしくねぇか。
そう考えて、自分を顧みる。誰がどう見ても人畜無害で平凡で平均的な人間だ。嬉しいような悲しいような複雑な気分に陥った。
とはいえ、まともであろうとする心を放棄するつもりはない。筋は通すべきだ。
「ルードルフ。オレ、まだ神技も目覚めてないんだ。これからやっていけるか不安で……少しでいいからレクチャーしてくれねぇか。もらった情報の分、絶対に恩は返す。だから頼む!」
ハルは深々と頭を下げた。
ルードルフにハルを助ける義理はない。ニャピから聞いた話から推測するに、“神選びの遊戯”では参加表明した全員が神になれるわけではない。定員がある。
他の神候補をライバルとみなし、足を引っ張り合うのが普通だ。もちろんセーラのように恩を売って味方を作る戦法は有用だが、相手の人柄も分からない状態から手を組むのはリスクが大きい。
――ぶっちゃけ、オレだってこの二人のこと信じてるわけじゃねぇ。でも、根っからの悪人って感じはしない。
信頼を得るためにも、相手を信じなければ始まらない。
「顔上げて質問に答えろ。テメェーは聖堂で何してた? 他の神候補を見つけるためか?」
ルードルフは冷たい眼光を携えてハルを見下ろしていた。値踏みされている。
「それもある。けど一番の理由は……友達を待ってるんだ。神の卵の」
「? はぐれたのかよ」
「いや、そうじゃない」
ハルは簡潔に話した。遊戯開始時に一緒だった少女のことを。魔力持ちのハルとは違い、彼女は貴族の獣車に乗れなかった。
だから再会の約束をして仕方なく別れた。彼女のためにも絶対に神になりたい。
気づいたときには、ルードルフは眉間に皺を寄せていた。
「気に入らねぇ」
「え?」
「ようするに、見捨てたんだろ。薄情な奴だ」
ハルは虚を突かれて固まった。
「ルードルフ、言い方が悪いわよ。仕方ないことじゃない」
「ああ、そうだな。足手まといを切り捨てるのは仕方ねぇ。俺が気に入らねぇのは、こいつがその女を友達っつったことだ」
よく友達を名乗れるものだ。図々しい。
ルードルフはそう言って鼻を鳴らした。
「やっぱり信用ならねぇ。恨むなら好きにしろ。情報がほしいなら他を当たるんだな。俺はテメェーには神になってほしくない」
行くぞ、とセーラに告げて、ルードルフはあっさりとハルに背を向けた。
「ちょっと! ……もう、困った人ね」
セーラはため息を吐いて、ハルに向けて苦笑した。
「私はあなたのこと、薄情だとは思わないわ。ただ、ルードルフと相性が悪かっただけ」
説得してみるけど、あまり期待しないで。彼は頑固だから。ごめんね。
セーラは早口でそう述べてルードルフの背を追いかけていった。
ハルは呼び止めることも、返事をすることもできなかった。
のろのろと大聖堂に戻る。
――オレは、スティナを見捨てたのか?
そんなつもりはなかった。
ハルだってできれば一緒にいたかった。せっかく仲良くなったのに、離れたくなかった。大体、貴族の誘いを蹴って残ろうとしたハルを止めたのはスティナの方だ。
『まだ諦めないよ。他の方法を探して、遊戯に参加できるように頑張るから。だから、ハルは先に行っていて』
スティナは晴れ晴れとした笑顔でハルを見送ってくれた。
彼女の言葉に甘え、ハルは一人で旅立ったのだ。責められるようなことはしていない。
しかしルードルフの指摘で心が痛んだ。それが何よりの答えだった。
――オレが同じ立場だったら、スティナと同じ決断をする。それは『足手まといになりたくないから』だ。
それはつまり、スティナのことを足手まといと判断したと同義ではないか。無意識に彼女のことを見下していた。
二人で共倒れるよりも、一人でも生き残ってもう片方を助けた方がいい。それは合理的な考え方であり、感情を容易く抑制できる冷たい思考だった。
今もそうだ。本当にスティナを心配して再会を願っているのなら、なりふり構わず捜しに行けばいい。神官とは顔見知りになったのだ。言付けを頼むことだってできる。
やみくもに動くのは効率が悪いから。
そう考えて都に留まっている面もある。
スティナが既に神技に目覚めていると聞いて、心のどこかでまだ会いたくないと思ってしまったのかもしれない。
遅れている自分を見せたくない。
そんな下らない見栄やプライドが行動を邪魔した。
――ルードルフに信じてもらえねぇのも無理ないな……。
何が物語の主人公だ。自分には何もかもが足りない。
強烈な自己嫌悪を抱き、ハルは静かに項垂れた。
結局、期限を過ぎてもスティナは現れなかった。施設の人間に近々王都の魔法学校に入学試験を受けに行くことを知らされ、ハルは決断を迫られる。
――バックレるなら今のうちだ。
神技も魔法も使えない、金もツテもない子どもの自分にどこまでできるのか。不安だらけだ。
それでもハルは、もうじっとしていられなかった。
夜。何一つ持たず、ハルは施設を抜け出すべく行動を始めた。
こんな無謀なこと、初めてだ。
しかし、自分にだってやればできるんだということを証明したかった。
しかし――。
「……何しにここへ? まさか、泥棒?」
「それはこっちのセリフだっ」
施設の裏口を開けたところで、いきなり冒険は頓挫した。
ルードルフとセーラが目を丸くして立っていたのだ。




