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30 星の瞬き

 

 びし、という音とともに、夜空に再び結界が張られた。町の魔法使いが奮闘しているようだ。


 鳥の魔物の攻撃を一時的にしのぐことができ、周囲に安堵のため息が漏れる。

 早く避難を始めなければ、と火の海を見て途方に暮れる中、現われた少女の人差し指に導かれるように、町の人々の視線がスティナに集中した。


「何を言っているんだ? どうしてあんな子どもが魔物を……?」

「あ! あの子! 知っているぜ! 最近現れたっていう奇跡の歌の子じゃないか!」

「ドムドウッドにも来ていたのね」


 スティナは息を飲んだ。間違いない。先日のライブで石を投げてきた少女だ。今日は顔を隠しておらず、手には鈴のついた杖を持っていた。

 彼女がこのタイミングで現れ、自分を糾弾するセリフを吐いた。嫌な予感しかしない。


「おかしいと思わない? 今までこんな大規模な魔物の襲撃はなかった。そいつが来たからおかしくなったのよ。きっと歌が自然界の魔物を刺激したに違いないわ! とんだ疫病神ね!」


 ちりん、と杖の鈴が鳴る。その瞬間、スティナの体に悪寒が走った。

 少女が言っているのは何の根拠もない言葉だ。前世のマスコミが同じことを口にすれば、事務所に訴えられるレベルの事実無根の中傷。

 しかし、不自然なほど胸がズキズキと痛んだ。自分が何か間違いを犯したのではないか。もしかしたら本当に少女の言う通り、歌で魔物を呼んでしまったのかもしれない。

 そんなはずはないのに、不安に駆られて仕方がない。


 少女は高貴な顔立ちをしており、品の良い服に身を包んでいた。見るからに貴族という雰囲気に加え、何を言われても揺るがないという自信に溢れた表情。

 極限状態の中、いかにも頼もしい者の発言はいとも容易く場を支配する。

 相対するスティナは何も言わず、青い顔をしているだけ。

 周囲のざわめきが大きくなり、徐々に空気が変わっていく。


「まさか。奇跡の歌を聞くとみんな幸せになれるんじゃなかったの?」

「だが、言われてみると確かに」

「この町が今、魔物に襲われているのは、その子のせいなのか……!」


 焦燥と混乱のせいか、人々は流れるように少女の意見に同調した。ダスクたちは口を動かそうとしているが、なぜか一言も発しないままその場に突っ立っている。その体は震えているように見えた。

 ふとスティナは気づく。


 ――何? この匂い……火事で変なものが燃えているの?


 枯草にハチミツをかけたような何とも言えない独特な匂いに、スティナは口と鼻を押さえる。意識した途端、吐き気がして頭も痛くなってくる。苦しい。

 涙目で体をふらつかせるスティナを見て、少女がにやりと笑った。整った顔立ちが不気味なほどに崩れ、ざまぁみろ、と暗い目が言っている。

 その瞬間、全てを理解した。


 ――この人、まさか……!


 あの杖は神器で、この奇妙な香りは神技由来のものに違いない。この状況を作ったのも、人々の意識を誘導しているのも、ダスクたちが動けないのも、全て少女の仕業。

 スティナは嵌められたのだ。


「お仲間が何も言わないってことは、その程度の関係だったということね。今日だけで何十、何百人もの人が死ぬ。町が滅べばもっとたくさん。これも全部お前のせいだ。お前が、余計なことをしたから!」


 まるで「私の不興を買ったからこうなったのよ」とでも言いたげであった。

 人々は少女の個人的な感情に気づかず、義憤に駆られたようにスティナに憎悪を向けた。男たちの何人かが手に武器や木の棒を持つ。


「そうだ! お前のせいだ!」

「なんてことをしてくれたのよ!」

「町をめちゃくちゃにしやがって、絶対に許さねぇ!」


 少女の笑みがますます深くなる。集団を導く女王のように少女は杖を掲げ、スティナを示した。


「さぁ、そいつを嬲り殺しなさい! 屍を町の外に捨てれば、きっと魔物たちは去っていくわ!」


 生死の狭間で追い詰められた人々に、まともな判断などできなかった。

 誰かが石を投げつけた。それを皮切りに男たちが武器を振り上げ、スティナに襲い掛かる。

 火の海の中で狂気が爆発した。


「ふざけないで」


 前世を含め、初めてだった。怒りで体が震えるのは。

 スティナの気持ちに反応するかのように、手首に連なる星々が膨れ上がり、男たちの攻撃を防いで弾き飛ばした。


「わたしを嫌うのも、攻撃するのも、それはまだ許せる。世界を滅ぼしたいと願うのも、あなたが出した結論なら仕方がないって思える。そこに文句を言うつもりはないよ。わたしはあなたが今までどうやって生きてきたか知らない。理解する時間も機会もなかった」


 神器を発動させたためか、周囲に充満していた香りが消え去り、スティナは落ち着きを取り戻した。

 はっきりと分かった。この匂いが人々の心を乱し、扇動しているのだと。

 でなけば、ダスクたちが何も言わないのはおかしい。スティナは彼らに心の底から信頼を寄せていた。簡単に裏切ったり見捨てたりする人たちではない。自分が何か間違えたことをすれば、きっと一番に叱ってくれる。そういう人たちだ。


「わたしが許せないのは、みんなの心を操っていること。わたしを陥れるためにたくさんの人を巻き込んで傷つけていること。こんな方法、最低だよ」


 スティナが真正面から見据えると、少女の頬が引きつった。予期せぬ反応に動揺しているようだった。きっとなすすべなくスティナが撲殺されると思っていたのだろう。


 たくさんの人々に憎悪を向けられ、恐ろしくないわけではなかった。しかしスティナは凛然と立つ。

 この場に満ちている感情は、全て少女に作られたもの。意図的にスティナを誤解させて発生したもの。いわば偽物だ。


 例えば完全なスティナの落ち度で人々が傷つき憎まれたら、死にたくなるだろう。ダスクたちにあっさりと見捨てられたら、きっと立ち直れない。

 でも今は違う。だから、大丈夫。


「わたしはあなたの思い通りにはならない。これ以上、思い通りにはさせない」


 星の神器の先端が鋭さを増し、少女を威嚇するように宙に浮かぶ。これが直撃したらただでは済まない。


 ――どんな人が相手でも戦うのは嫌。神器をこんな風に使いたくない。だけど、みんなを守るために、今度はわたしも戦わなくちゃ!


 ラグーザ峠でダスクたちが必死でスティナを逃がし、助けようとしたように、今度は自分がみんなを守る。

 手を汚すことになっても、みんなを失う方がずっと嫌だった。


「はぁ? 何? これが私のせいだって言うの? どこにそんな証拠があるのよ。自分の罪を人に押し付けないで! 私は悪くない!」


 少女は嘲笑混じりの声で叫んだ。神技が発せられたのが肌で分かり、スティナは浮遊する星に意識を傾けて集中する。


「このガキ、本性を現したわよ! 早く始末しなさい! きっと意図的に魔物を呼んだんだわ! 罪人に死を――」


『出でよ、風の詩人』


 重低音の詠唱とともに、場に風が吹き荒れた。風が直撃した少女は尻餅をつき、周囲の人々も髪や服を押さえて悲鳴を上げ、炎が煽られたように大きくなった。

 気づけば、ダスクが場の中心に歩み出て、ミントがスティナを庇うように背に隠した。ザミーノは油断なく弓を少女に向けて構えている。


「ミントさん、だ、大丈夫なんですか?」


「先程までなぜか声も出せないほどの恐怖に駆られていましたが、今はもうなんともありません。目が覚めました。私には世界一頼もしい、小さな神がいますから」


 スティナが戸惑っている間に、ダスクが少女に向かって言い放つ。


「スティナに罪などない。あるものか。彼女が起こしてきた奇跡は人々が望んだからこそ生まれた。何より、もしもこの魔物の襲来がスティナの歌が原因だったとしても、責めを負うべきは保護者の私だ」


 ダスクは周囲で呆然としている人々をも怒鳴りつけた。


「恥を知れ。子ども一人に対し、お前たちは何をした。決して許されぬぞ」


 その言葉で殴り掛かってきた男たちが我に返った。慌てて武器を捨て、頭を抱える。批難の言葉を口にしていた者も、自分が信じられないといったように口を手で覆った。

 少女が口惜しそうに唇を噛みしめている。


 ――神技の効果が切れた……?


 そのとき、道を塞いでいた炎の一部が、強烈な水の魔法によって掻き消された。


「何をしているの! 結界が再び破られる前に早く避難するのよ!」


 現れたのは魔法使いを従えたライグラだった。町中を駆けまわっていたのか、領主らしくないボロボロの姿であった。

 領主が救援に現われたことで、暗かった空気ががらりと変わる。


「え、ダスクちゃん? これは……一体何があったの?」


 ダスクが端的に状況を説明すると、ライグラの顔がみるみるうちに真っ赤になった。


「なんてこと! この非常時にそんな下らない虚言に惑わされるなんて! スティナちゃんが今までどれだけの人々を救ってきたのか! ドムドウッドも一度救われているのよ!」


 人々の間にどよめきが起こる。


「どうして……」


「あの歌の噂を耳にすれば、さすがにピンとくるわよ。おかしいと思っていたのよね。たった十数人で従魔を倒したなんて……でも、ダスクちゃんの精霊魔法なら話は別。きっと何か事情があって話せなかったんでしょ?」


 どうやらバレていたらしい。

 スティナとダスクはどんな顔をすればいいのか分からず、居心地の悪い思いをした。あの頃はまだ歌の力を隠し通す方針だったため、ライグラに本当のことを話せなかったのだ。


「だんな、契約魔法を一度破棄してくれ。俺から話したい。もう我慢できねぇ」


 ザミーノの言葉にダスクはげんなりとしていたが、頷いた。ザミーノの体が一瞬光り、契約の魔法が解除された。


「オレは豪嵐傭兵団団長、ザミーノだ! ラグーザ峠の従魔を討伐したのはオレたちじゃねぇ! ダスクのだんなとスティナ嬢ちゃんだ! 嬢ちゃんの歌でマナを生み、だんなが地の精霊王を召喚した! あの歌の奇跡がなければ、従魔は倒せなかっただろうぜ!」


 ザミーノは言う。

 自分たちの手柄になっていたのは、スティナの力が周知されれば奪い合いになる可能性があったから。体制が整うまでは危険は冒せなかったのだ。

 しかし今、スティナは危険を承知で巡業を行い、人々に奇跡を届けている。


「嬢ちゃんは、オレたち傭兵団にとって命の恩人だ! こんな小さな体で従魔に立ち向かい、何の見返りも求めず、見知らぬ村々のために身を削って歌うような子だぞ! それを何も知らない奴らが無責任に悪く言うのは許せねぇ! オレは嬢ちゃんの頑張りをずっと見てきたんだ!」


 スティナは泣きそうだった。ダスクが、ミントが、ザミーノが、自分を庇ってくれる。信じてくれる。

 嬉しくて、なんと礼を言ったら分からない。涙をこらえるので精いっぱいだった。


 完全に流れは変わった。人々は申し訳なさそうな顔でスティナを見て、一方で扇動した少女を睨みつける。

 少女は顔を真っ赤にして立ち上がった。


「何よ! 峠の従魔のことがなんだっていうの!? そいつが疫病神なことには変わりないじゃない ! そいつが行く先々で災いが起こるんだから!」


 この期に及んでまだ少女の心は折れていなかった。徹底してスティナを排除しようとする。

 しかし、もう少女の言葉は何一つ効かなかった。白けた空気が漂う。


「スティナが疫病神? ……だとしても構わぬ。信仰する神は自分で選ぶ」


 ダスクがスティナに歩み寄り、浮遊する神器を見て鼻を鳴らした。


「なんだ、あの鋭利な物体は。らしくない。手を汚すのは外野に任せておけばよい」


「ダスク様、でもわたし……」


「よく知らぬが、アイドルとやらが暴力沙汰はまずいのではないか?」


「う。そ、それは、その……」


 ダスクはスティナの肩を叩いた。


「お前は戦場の端で歌っていればいい。それが皆の希望になる」 


 空が赤く光った。再び結界に亀裂が入り、鳥の魔物が町を攻撃しようとしている。ライグラが兵士に命じ、民を安全な場所へ誘導し始めた。

 ぱりん、と結界が割れて消失すると、鳥が旋回する音が迫り、人々が恐慌状態に陥る。


「そうです。スティナにはどんなときでも笑顔で歌っていてほしいです」


 ミントに背中を押され、スティナは目尻に浮かんだ涙を拭き、弱々しく笑った。

 神器が丸みを帯びた星形になり、明滅する。スティナの気持ちに呼応するようにイントロが鳴り始めた。


 あのとき、峠で従魔に立ち向かえたのは、先にみんなの雄姿を見たからだ。

 自分一人では震えて殺されるのを待つだけだった。


 ――地上は明るいな……キラキラして見える。


 なら、暗い空にはこの星を。

 スティナが願うと星型の神器が宙へと舞い上がり、煌々と夜空を照らした。

 突然の閃光に鳥の魔物が怯み、挙動がおかしくなる。


「――――――」


 絶望の夜に、希望の歌声が響く。




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