31 反転する夜の景色
※残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。
スティナの心が無意識に選び、神器が奏で始めた曲は『ブレイヴ・ペイン』だった。
ラグーザ峠のときはカグヤになり切って歌った。恐怖のあまり誰かを演じないと動けなかったのだ。
――カグヤちゃん……わたし、今度は自分のままで歌うよ。だから一緒に!
神器が伴奏してくれるおかげで、一人で歌っているような気がしなかった。カグヤが紡いだメロディとともに、声が夜空に広がっていく。
不思議だった。真上から魔物の炎が降り注いでも、なんの不安もない。
前世でもこの世界でも、自分は決して一人ではない。それがどれだけ幸せなことかを噛みしめ、スティナは歌に感謝を込めた。
「――――――」
ドムドウッドに住む人々にとって、きっと最悪の夜だろう。
いつ死ぬかも分からない恐怖。大切な人を亡くす悲しみ。今日まで当たり前にあった幸せが崩壊していく喪失感。
きっと大勢の人が神に祈りを捧げている。
――どうか希望を。
もしも自分が神に至るのならば、絶望の淵にいる人々に一縷の望みを与えられる存在になりたい。
偽善や自己満足と呼ばれても構わない。
自分が窮地に陥ったときに、誰かに助けてほしいから、助けてもらって今があるから、自分もこの世界のために何かをしたい。
体の内側から湧き上がってくる衝動に耐えきれず、スティナは笑った。町の惨状を考えれば不謹慎だと咎められないが、どうしても我慢できなかった。
先ほどまで体を支配していた怒りは消え失せ、ドムドウッドを包む絶望や悲しみをはね退け、心のままに歓喜を露わにする。
スティナの感情の爆発とともに、マナの粒が弾けるように世界に溢れた。夜の闇は剥がされ、見渡す限りの光の海となる。
【呪の鎖を解き放つは、風巻の主! 我が呼びかけを導に、来たれ! その無垢なる名は風の精霊王】
ダスクの詠唱により、緑色のマナの粒が螺旋を描くように吹き荒れた。風に木枯らしに似た鳥の鳴き声がスティナの歌に応えるように聞こえてくる。
上空から炎をまき散らしていた鳥の魔物が、突風に絡め取られて吹き飛んだ。他の空飛ぶ魔物たちも次々と四方に飛ばされていく。
そして風は、さらに遠く遠くへ歌を運んだ。
☆
ドムドウッドの郊外、小高い丘の上に町を見下ろす人影があった。
つい先ほどまで町の防御壁に魔物が波となって押し寄せ、門を砕く寸前であった。しかし今ではほとんどの魔物が空を見つめて停止している。
町から溢れたマナの光が歌声とともに風に乗り、魔物たちが暮らしていた山々に積もっていく。
「すっごいねぇ。これはあの子の力を見くびっていたかも」
魔物たちに帰り道を示しているかのように光が尾を引いている。
一体、また一体と、魔物たちが町から離れていく。ほんの少しだけ歌声を惜しむように町を振り返りながら。
ヴィクターはその光景を見て目を細めた。
何者かに操られていた様子の魔物たちを正気に返し、鎮めて見せた。
神技の上書き。単純にスティナの神技の方が勝っているという証拠だ。
「とは言え、一度暴れ出したら止まらない魔物もいるみたいだね。あーあ、魔物同士で食い合ってるし。どうしよっか。ここは僕が一掃しても――」
傍らにいたはずの少年が目にも止まらぬ速さで丘を下っていった。刀が閃く度に魔物の群れが割れる。こちらもなかなか凄まじい光景である。
ヴィクターは肩を揺らした。
「あは、急いで戻ってきた甲斐があったねぇ。あんな必死なアサギくんが見られるなんて。さて、せっかくだから僕も遊ばせてもらおうかな」
スティナの力に感服はしたし、小さくて可愛い少女という点ではぜひとも仲良くしたいが、安易に肩入れするつもりはない。恩を売ろうという魂胆もないし、頼まれてもいないのに見知らぬ町を救おうなどといった正義感も持ち合わせていない。
それでもヴィクターは自らの神器に意識を傾ける。
単純に、自分もぱぁっと暴れたい気分だったからだ。
――祭りは見物するよりも積極的に参加した方が楽しいからね。
町中では誰かが派手に精霊魔法を行使しているようだ。飛行する魔物たちが一網打尽にされているのを見て、素直に尊敬する。よくあれほどの威力を出せるものだ。
この世界の魔法は一通りかじったが、どうにも使い勝手が良くない。こちらの世界の魔法が劣っているというよりも、自分とは相性が悪い。よってヴィクターは前世の知識を活用している。
今夜は実に気分が良い。新しい可能性に出会う度に心が躍り、創造力がかきたてられる。
感情の昂ぶりが脳みそを揺らし、心地よい酩酊とともに閃きの火花が散る。
【闇を駆ける光の英知よ、彼方の果てまで祝福の道を拓きたまえ!】
無数の光線が四方から魔物たちに突き刺さる。
威力、範囲ともにこの世界の魔法使いが一生をかけて編み出すような超上級魔法である。ただし、完全なものではない。
「うんうん。実現率は六十パーセントってところかな。上出来じゃん」
ヴィクターの神技が生み出した魔法、その一部はまやかしに過ぎない。それでも闇夜を貫く光線に怯え、地上と上空の両方の魔物が逃げるように町を離れていく。
魔物の包囲網が完全に千切れ、防御壁の上から兵士たちの歓声が上がった。
ヴィクターは満足げに頷く。そんなつもりはなかったとはいえ、誰かを喜ばせるのは気分が良い。
「さて、このまま終幕となるのかな? それとももう一波乱来る?」
唐突に、スティナの歌が途切れて消えた。
☆
一言でいうのなら、奇跡。
スティナの歌がドムドウッドの町に響くとともにマナの光が溢れ、強大な風の精霊王が顕現して猛威を振るい、突如現れた光線が魔物たちを蹴散らしていった。
それだけではない。魔物の襲来に逃げ惑っていた住民たちは、多かれ少なかれ怪我を負い、苦しみ呻いていた。
しかし。
「痛みが引いてる……?」
歌声から生まれた温かい光に触れた途端、血が止まり、腫れが引き、折れた骨や焼けた肌が癒えていく。
完治には至らない微々たる回復であったが、絶望の淵に沈みこんでいた人々の心を奮い立たせるには十分だった。
ただの治癒魔法とは違う。心の底から温かくなるような安心感を得て、人々は顔を上げる。
「ああ、神よ。希望の光を遣わせてくれたことを感謝します」
「魔物は退散したらしいわ。もう大丈夫よ……!」
「瓦礫をどけよう! 怪我人を運び出せ!」
奇跡が、希望が、自分たちを守ってくれている。この歌声が響く限り大丈夫。もう何も恐れることはない。
そんな空気が周囲に満ち、人々の顔に生気が戻った。
――なによ、これ……っ! 気持ち悪い!
この騒動を引き起こした少女は、町の様子を見て頬を引き攣らせた。
兵士に取り押さえられ、地面にひれ伏した状態で、少女は皆の歓声を受けるスティナを睨みつけた。
――私は認めない! こんなの反則よ!
全部、神技の性能のせいだ。自分は悪くないし、弱くない。絶対に負けを認めてなるものか。
未だに少女は自分の非を認めていなかった。
目覚めた神技の相性や、周囲の人間に恵まれたかどうかの違いがこの結末を生んだのだ。単純に運のせいであり、自分とスティナに差はない。
そう信じて疑わなかった。
不意に少女とスティナの視線が交錯する。
「…………」
スティナは少女を見て一瞬悲しそうに目を伏せたが、次の瞬間にはにこりと笑い、手を差し出しながら高らかに歌い続けた。
彼女に他人を見下す傲慢さや嘲りはない。自分を陥れた者への怒りすらなかった。
あなたにも希望を。
そんな慈愛と親愛のこもった微笑みに、少女は震撼した。
ほんの少し前に自分が受けた仕打ちを忘れてしまったかのような、善悪も貧富の差もなく全ての人々に救いを与えようとでも言いたげな、悪意の欠片もない佇まい。
「…………っ」
たった一瞬で、少女の心は折れた。
勝てない。敵わない。レベルが違った。
体が震え出すと同時に、今まで胸につかえていた疑問が解消した。
――私が、神になれるはずがなかった……。
元より転生した異世界人がこの世界で神になるなど、おかしな話だったのだ。普通の人間、否、少し優れている程度の人間が神になったところで何もできやしない。
人間を超越した何か――スティナのような異常な存在でなければ、神など務まるはずがないのだ。
体からふっと力が抜ける。少女は身の程を思い知った。
これまで歯を食いしばって頑張ってきた年月はなんだったのだろう。馬鹿みたいだ。
――でも、もう頑張らなくてもいいのね……終わりにできる。
神になることを諦めた途端、少女は自分の体の内側がぐつぐつと泡立ち、反転するような感覚を覚えた。
直感的に理解する。このまま自分は“禍身”になるのだろう。スティナによって救われかけた町が再び破滅の道を辿る。それはそれでいい気味だ。
そう思いながらも、少女は自らの舌に歯を当てた。
――どうせ死ぬのなら、私は私のままがいい。
スティナが再び窮地に陥ったとしても、自分が“禍身”と化してその様を認識することできないのなら意味がない。それに、あんな醜い化け物になるのはどうしても嫌だった。惨めすぎる。
『おやおや、がっかりですねぇ。もう少しガッツを見せてほしかったのですが』
少女が自らの舌を噛み切ろうと顎に力を入れたとき、不気味な声が聞こえた。声量に統一感がなく、耳に不快感を与えるガタガタの声。
その声の主は瓦礫の下から這い出てきた。
「何者だ!?」
「ひっ」
周囲の人々がざわめく。
現われた男を見てスティナも目も見開き、歌うのをやめた。
『まぁ、あなたは所詮その程度ですよ。ははっ、全く、使えない』
男は明らかな致命傷を頭に負っていた。大量の血が顔にこびりついて固まっており、既に脈がないことを示していた。しかし男は不自然に折れ曲がった腕を腹に当て、笑い声を上げた。どうして男が動き、笑っていられるのか、その場にいる誰にも理解できなかった。
異形な姿に人々は呆然と男を見つめる。純粋な恐怖が場を支配した。
『初めまして。私はピリオド――“死神”の雛、と言えば通じますか? こんな姿ですみませんねぇ。他に素敵な死体がなくって』
男の口が三日月のように歪む。
少女は戦慄を覚えた。ピリオドを名乗った神の雛は、かつて自分を褒め称えいろいろと援助をしてくれた者だった。そのときは若い女の姿だったが、今思い出すと死人のように肌が土色だった。
――こいつ……死体に乗り移って操る神技を……?
あまりにもおぞましい能力だった。
男の登場にスティナが生み出した希望があっという間に無に帰る。
『期待して損しました。雛にはなれずとも、便利な駒くらいにはなってくれると思っていたのに』
ピリオドは凍りついた空気を意に返さず、少女に向かって足を踏み出した。
兵士たちが濃密な死の恐怖に腰を抜かしたため拘束は解けていたが、少女は動けない。騙されていた。利用されていた。その事実が頭を真っ白にする。
『自殺なんて、つまらないことはなさらないで下さい。命を大切にできない方は、死者の国で肩身が狭いですよ?』
「な……」
『さぁ、世界に示しましょう。あなたの最期の輝きを。美しい夜を台無しにした無粋な“星”を、憎悪で真っ黒に塗りつぶすのです』
芝居がかった口調で男が手をかざした瞬間、少女の内側で燻っていたものが爆発した。
「っ!」
その瞬間、少女はヒトの形を喪った。




