27 訪問者
『多分もう普通の人間には戻れないけど、それでもいいのか』
参加表明前に聞いたアサギの忠告が全てだった。
どうして気づかなかったのだろう。
スティナは神器を用いて歌い出してから、自分の中にエネルギーがどんどん溜まっていくのを感じていた。
卵の孵化にどれくらいエネルギーが必要かは分からないが、そう遠くない未来に雛になれる気がしていた。舐めたことを考えていた自分を殴りたい。
――そんなに簡単なら、きっともうとっくに本選が始まっているよね。
神の雛の数が足りないとニャピは言っていた。スティナよりも先に参加表明をした候補者たちは、未だにエネルギーを溜められていないのか。
違う。彼らは脱落してしまったのだ。
神を目指していたのに、異形の化け物に転じてしまった。
最近従魔の出現が多いというのも納得だ。トーンツァルトの眷属神に加え、新しい神候補たちまでも“禍身”になっていたのだから。
「ど、どうして“禍身”になっちゃうの?」
「確実なことは分かっていない。ただ神の卵に関して言えば、周囲の人間に恵まれていなかったり、神になるのを諦めたり、そういう者が“禍身”になっていたように思う。俺の知る限りだが」
アサギの答えにダスクが顔をしかめた。
「お前が持っていたマナの結晶は、“禍身”化した神の卵を討伐して得たものか?」
「いや、彼らの結晶はいつの間に消えてしまうんだ。元は異世界からきた魂だから、この世界のマナの流れには還れないのかもしれない。ダスクさんに渡した分は旧き神たちの結晶だけだ」
「っどちらにせよ問題だろう! 売ってしまったではないか!」
「古代からマナの結晶は魔法使いの間で取引されていた。今更何が問題なのか分からない」
「それは“禍身”が神のなれの果てだと知らなかったからだ! もし知っていたら……っ!」
ダスクはため息を吐き、スティナを背に庇うように前に出た。
「……まぁ、それは私がどうこう言っても仕方がないか。問題は、お前が神の卵だった者たちを討伐していたことだ。もしや、スティナのことも見張っていたのではあるまいな? いざとなったら斬り捨てるために」
どきりとした。この数か月でアサギとは随分仲良くなった。友達になれたと思っていた。なのに、実は心の奥底でアサギが自分を斬る算段をしていたとしたら、こんなに悲しいことはない。
「斬るためじゃない。俺はスティナを“禍身”にしたくなかった。そのために……いや、同じことか。万が一のときは躊躇わなかったはずだ」
意外なほどにアサギの声が暗くなり、ダスクは面食らって息を詰まらせた。
「ふ、ふん。スティナ本人ではなく、私たちを見張っていたということか」
「まぁ、どちらかと言えばそうだ。だが、すぐにその心配もしなくなった。俺が最も警戒していたのは他の神候補だ。人は……他者を妬んで足を引っ張ることがあるから」
自らの神器に触れ、アサギは目を伏せた。
ほんの少しでも彼を疑ってしまい、スティナは激しい罪悪感に駆られた。
――アサギくんだって好きで、討伐していたわけじゃないよね……。
アサギは今まで各地を旅していろいろな神の卵を見かけたのだろう。そのうちの何人かが“禍身”になってしまい、仕方なく斬った。当然だ。彼らが元人間で同じ神候補だったとしても、放っておくわけにはいかない。
「黙っていてすまない。神の卵が“禍身”になる可能性を知れば、スティナは気に病むと思った」
「うん。分かってるよ。ごめんね。言いたくないこと、話してくれてありがとう」
スティナは弱々しく笑みを返す。
知りたくなかったという気持ちはある。
もしかしたら自分が“禍身”になるかもしれない。
あるいは自分が神の雛になることで、他の誰かが神へ至る道を閉ざされ、“禍身”になるかもしれない。
椅子取りゲームのように空座を巡って、醜い争いになるかもしれない。
アサギが話すのを躊躇っていたくらいだ。既に誰かが誰かを陥れて、悲しい結果になったことがあるのだろう……。
――でも、今のわたしにはどうにもできない。
とりあえず今できることをしよう、と思考放棄したスティナは努めて明るい声を出すが、
「と、とにかく! あれだよね。今考えるべきことは畑の不作の改善! 原因はユンルアーラ様が“禍身”になっちゃったからなんだよね? じゃあ……えっと?」
「かの女神を討伐するしかないのか。あまり気が進まぬな」
ダスクの言葉で再び意気消沈してしまう。
今まで信仰していた神を討つ。なんて畏れ多い。考えただけで罪の意識に苛まれる。
「討伐するなら俺も手を貸すが、正直確実に討ち取れる保証はない」
「え、アサギくんでも難しいの?」
「俺は所詮神の雛に過ぎない。ユンルアーラは地母神とも呼ばれる六大眷属神の一柱で、旧き神の中でも別格の存在だ。“禍身”となっているのなら、厄介極まりない。途方もなく強いだろうし、従魔も数多くいるはずだから」
アサギに倒せないのならば、どうしようもない。
無意識に彼に頼る気満々だったことを反省しつつ、スティナはできる範囲で行動することにした。
このまま何もしないわけにもいかない。ひとまずユンルアーラの降臨していそうな場所を探す。
王国内で特に不作がひどい場所はないか、マナが広範囲で死んでいる地域はないか、従魔が集中して出現していないか、引き続き出張ライブをしながら情報収集をした。
相変わらず畑への歌の効果は芳しくない。
打つ手を模索して思い悩む日々は、きつかった。
自分が“禍身”になってしまったときのことを想像すると、眠れない。ダスクやミントたちを傷つけるのも、アサギに剣を向けられるのも怖い。
今度“禍身”や従魔と遭遇したとき、直視する自信がなかった。
――ハルは大丈夫かな……。
さらに心配なのは再会の約束をした友達のことだ。
ダスクがインプレット夫人に手紙でハルの消息を尋ねてから、もう随分経つ。
実は一度、返事が来た。なんでも引き取った子どもの数が多いので、「ハルチェル」という少年の特定に時間がかかるとのことだ。
『奇妙だな。十歳でレベル5の魔力を持つ少年などめったにいないのだぞ。他の子どもとは異なる扱いをしていそうなものだが』
追加の返事を待つ間、痺れを切らしたダスクが王国内の魔法学校に問い合わせたが、ハルらしき子どもが入学したという話はないらしい。
ハルの行方が分からない状況に、嫌な想像をしてしまう。
前世の記憶を失っているのではないか、“禍身”になっているのではないか、他の神候補に絡まれて厄介ごとに巻き込まれているのではないか。
もしかしたら、もう会えないかもしれない。
「っ!」
ネガティブな考えを振り切る。
引き続き情報を集めつつも、ハルと再会するためにスティナにできることは一つ。
――ドッペルワンダーの歌を歌って、わたしが有名になればきっと会いに来てくれる。
少々自意識過剰だが、ハルはステラのことを本気で応援してくれていた。ライブやスティナの名前がもっと浸透していけば、必ず反応するはずだ。歌を聞けば絶対に接触してくるはず。
不安を打ち消すようにスティナはライブに集中した。
一つの町を中心に周囲でライブを行っていたある日、拠点にしていた宿屋に伝言が残されていた。
「『歌の聖女様に会いたい』ってさ。かなり若い男だったけど、鳥のバッジをつけていたから身元は確かだと思うよ」
宿のおかみさんの話では、その青年は自分のことを「雛鳥の一人」と名乗ったそうだ。魔法使いの階級を表すバッジが鳥を模しているため、おかみさんは「未熟な魔法使い」という意味に受け取ったようだが、スティナにとって雛と言えば神の雛である。十中八九他の神候補だろう。
「もしかしてハル!?」
魔力量が多く、魔法の才能がある彼ならば魔法使いになっていてもおかしくない。神の雛となって神衣を得れば年を取ることができる。訪問者がハルの可能性も十分にあった。
「徽章……バッジの色は何色だったのだ?」
「確か、黒だった。初めて見る色だったよ」
「なに!?」
徽章は魔法協会が実施する試験に合格した者にのみ支給される。ジュージのように中級魔法を使えても、協会に認定されていなければもらえない。魔力を込めると鳥が実体化する特殊な魔法がかかっており、複製は不可能である。
しかしスティナが学んだ限り、魔法使いの階級は上級・中級・初級で、徽章の色は順に金銀銅である。
「ダスク様、黒なんてあるんですか?」
「黒は特別な色だ。魔法協会の幹部や、この世に二つとないユニーク魔法の使い手などが持つと言われている。カダールカ王国にはいないはずだが……しかし、そうだな。スティナの歌も協会に申請すれば、黒が与えられる可能性がある」
スティナとダスクは同じことを考えていた。
神技をユニーク魔法だと認定され、黒バッジを与えられたのだろう。やはり相手は神候補に間違いない。
アサギから“禍身”の正体を教わって以来、スティナは他の神候補に会うことを恐れていた。しかしハルの可能性があるのなら会わないという選択肢はないし、アサギのように協力的な者もいる。
「会いに行っても大丈夫だよね?」
スティナの問いにアサギは頷く。
「派手に活動している分、こういう接触は避けられない。俺も行こう。ダスクさんは待っていてほしい。あまり意味がないかもしれないが、顔を覚えられない方がいい」
「ふむ……分かった。十分に気をつけろ」
おかみさんにその魔法使いが待っているという場所を聞き、スティナとアサギの二人で向かうことになった。
「あは、やっぱりアサギくんがついてきた。久しぶり。相変わらず芸術品のように美しいね。男にしておくのが惜しいよ」
この町で最も高級な宿のロビーにその青年はいた。
明るい茶色い髪に濃紺の瞳。ただのアクセサリーか、神器か魔法のアイテムなのかは分からないが、じゃらじゃらとしたネックレスや腕輪の装飾品が目についた。胸元には黒い鳥の徽章。
身なりはチャラいが、陽気で爽やかな雰囲気の青年だった。
――ハルじゃなかった……。
がっかりしつつも気になることがあった。
彼の親しげな言葉に、アサギが小さく息を吐く。
「ヴィクター……お前だったのか」
「アサギくんの知り合い? ということは!」
三択である。
大量破壊兵器の看守長、被虐趣味、幼女趣味……。
「最高!」
ヴィクターと呼ばれた青年は、スティナを一目見て瞳を潤ませ、頬を紅潮させた。
背筋にぞくりと悪寒が走る。
「いいね、いいねぇ! 可愛いじゃん。やっぱりさ、女の子は六歳から十二歳くらいが一番だよ。スティナちゃんだっけ? 神衣を手に入れてもそのままの姿でいてね! 永遠に!」
「ひ!」
ロリコンだった。
にっこにこのヴィクターに、スティナは第一印象を取り繕うのも忘れ、アサギの後ろに隠れた。本格的な身の危険を覚えたのだ。
「あっれー、恥ずかしがり屋さんなのかな? ふふ、じゃあ親睦を深めるためにも、これから僕と二人でショコラでも食べに――」
「ヴィクター。落ち着いてほしい。スティナが本気で怖がっている」
アサギが心なしか呆れたように言うと、ヴィクターは肩をすくめた。
「うーん、そうだねぇ。口説くのはじっくりゆっくりやるとして、先に用件を話しちゃおうかな。僕もどうしてアサギくんが彼女と一緒にいるか気になるし。どうぞ。人払いはしてあるから」
ロビーの奥のサロンに案内され、二人と一人は向かい合わせのソファーに腰かけた。スティナが恐る恐るヴィクターの顔を窺うと、満面の笑みが返ってきた。
「改めまして、僕はヴィクター・デュイス。神の雛の一人で、アサギくんとはクッキール大監獄で知り合ったんだ。お互いに不幸な行き違いで投獄されちゃってさぁ」
「貴族の令嬢に手を出そうとして捕まった男と一緒にしないでほしい」
「えー? そういうこと言っちゃう? 神器を解放してあげたのに。あ、スティナちゃん、誤解しないでね。そのお嬢様とはちゃんと紳士的なお付き合いをしていたんだよ。それを周りがおかしな風に騒ぎ立てたんだ」
嘆くように目を瞑るヴィクター。その芝居がかった仕草に、スティナは苦笑した。
――嘘を吐いているのか、分からないな……。
多彩な表情と身振り手振りで自分の本心を隠すタイプと見た。
感情の発露が少ないために考えが読みにくいアサギとは違い、わざとやっている分、厄介な相手だ。
「脱獄のときに助けてくれたのは感謝している。……それで、スティナに何の用だ? それとも俺に用があったのか?」
「両方だね。巷で噂の聖女様、新しい神候補に会っておこうと思って。うん、スティナちゃんは真っ当な感じがしていいね。エネルギーもだいぶ溜まっている感じ。このままいけば、近いうちに孵化できるんじゃないかなぁ」
ヴィクターは満足げに頷いた。
「これでまた一つ空座が埋まる。可愛い女の子が増えるのは喜ばしいねぇ。“星”の誕生だ」
「す、スター? え、えっと、嬉しいですけど、スターは言い過ぎです」
本物のスターはカグヤのようなアイドルを指す言葉だ。スティナはもじもじと照れた。
「うん? ごめん。何か言葉の齟齬があったかな。そのブレスレット、神器だよね? それを見る限り、スティナちゃんは“星”だと思うんだけど……」
ヴィクターが視線を向けると、アサギは一つ頷いた。
「そう言えば、まだ話していなかったな。神器を創れたら話すと約束をしていたのに、あの後いろいろあって忘れていた。すまない」
「え? なんだっけ……あ、雛の人数の話?」
思い出した。神器を創りに森に行ったとき、アサギが「神の雛は二十人ちょっと」だと推測していた。その根拠を後で教えてくれることになっていたのだ。スティナも聞くのをすっかり忘れていた。
「“神選びの遊戯”の本選に参加できるのは、おそらく二十二名。どうやらそれぞれ役割が違う。なぜ“それ”に当てはめるのかは知らないが、この世界にはない概念が設定されている」
「ちなみに僕は“魔術師”だよ。分かるかな?」
二人の言葉にスティナは首を傾げた。
「魔術師? 魔法使いじゃなくて……?」
「ピンとこない? もしかしてスティナちゃんは前世で関わらなかったのかな? 女の子なのに珍しい」
ヴィクター曰く、遊戯参加者の前世には、必ず“それ”が存在していたらしい。
「俺は“吊るされた男”だ。これで分からないのなら、詳しくないんだろうな」
スティナは「ああ……」と声を漏らした。
星、魔術師、そして吊るされた男とくれば、占いを好む女子は閃くだろう。
「二十二枚の大アルカナ……タロットカード……?」
映画で占い師役をやったことのあるスティナには、その知識があった。




