25 反省とパワーアップ
カダールカ王国東部の小さな農村、ムトンシェ。
かつては精霊が集い、霊菜の産地として有名だったこの地に今、世にも不思議な音楽が鳴り響いていた。
「――――――」
スティナは少し大きくなった舞台で飛び跳ね、ピンクのドレスをふわりと揺らした。
その歌声はどこまでも伸び広がっていく。
どこからか聞こえてくる伴奏に驚く観客を見て、スティナは悪戯っぽく笑う。
森から帰還して一か月が経った。
今日は神器を用いての初ライブである。
星形のブレスレットは歌い出すと同時に手首を離れ、複数の星形の物体となって空中に浮かぶ。スティナの声を拾い、さらに前世の記憶のバックミュージックを加えた状態で、大音量で響き渡った。
神器“星楽団”はマイク兼スピーカー、スティナ専用のカラオケセットであった。
前よりも声が届く範囲が広がり、マナの活性化が捗る。効果は村全体の畑に及び、一斉に作物が淡く輝き出す。
どよめきの中で、スティナは気を引き締める。
――やっぱりまだ弾かれる……!
森の中とは違い、村の大地からは反発を受ける。
神器を得る前よりは幾分か和らいだが、やはり思うように作物が成長しない。
しかし慌てず、焦らず、神技を暴発させないように、スティナは丁寧に歌い続けた。
――畑はこれ以上無理かな。でも、みんなにはもっと楽しんでもらわないと!
スティナは歌の合間に小声で詠唱した。「来たれ、風の小人」と。
マナの粒が小さな人型に変化した。
「あ! 精霊……!?」
ミシェルが空を指差して目を輝かせる。
精霊は村に風を吹かせ、スティナの周りでひとしきり踊ってから、森の方に散っていった。
特に意味はない。ただの賑やかしである。
ダスクが「精霊を意味もなく呼ぶなど……」と頭痛を堪えるような顔をしているが、スティナは気づかないふりをした。
「ありがとうございました!」
一曲歌い終えると、拍手と歓声が鳴り響いた。
「すげーな! 嬢ちゃん!」
「ありがたや、ありがたや」
「奇跡の歌だ……」
理解を超えた現象に、村人たちは以前にも増して興奮していた。開き直って適応したのかもしれない。
スティナは確かな手応えを感じ、ガッツポーズを作った。
「いや、驚きました。これは新しい精霊魔法なのでしょうか」
「詠唱を歌で行っているのかい?」
「我々は精霊魔法については門外漢なのだ。説明してくれ」
「というか、あの歌は一体――」
今日はムトンシェの住民以外にも観客がいた。ダスクが周辺の貴族にスティナの存在を伝え、興味を持った家の使者が視察に来たのだ。
飛び交う疑問に対し、スティナはにっこりと笑顔を浮かべて首を傾げた。幼い子ども相手に問い詰めるのを諦めて、使者たちはダスクの元に殺到した。ダスクは硬い表情でそれに応じる。
「詳しいことはまだ分かっておりませんし、彼女の力は発展途上。しかし必ずや王国の役に立つ能力です。どうか実験に協力していただきたい。データを集めたいのです」
「ふむ……我らの領土で今の歌を?」
「ええ。今のところ、我がムトンシェに特に害はありません。それどころか――」
ダスクがこっそりと「さっさと行け」と手を振ったので、スティナは心の中でお礼を言って墓穴を掘る前に逃げ出した。子どものフリは便利である。
「お疲れ様」
途中でフードを被ったアサギが合流した。
「あ、アサギくん。観ていてくれ――」
ひやりとした彼の手が頬と首筋に当てられる。そのまま顔を覗き込まれ、スティナは言葉を失った。
「熱はもう……いや、熱いな」
「そ、それは、歌って踊ったからだよ! あははっ!」
「今まさにどんどん体温が上がっているようだが」
「少し休めば大丈夫!」
スティナはさりげなくアサギの手を顔から剥がした。誰のせいで体温が上がっていると思っているのやら。
――でもわたし、前科があるから怒れない。心配させちゃってるんだもんね……。
前科とはもちろん、神器創りの旅でのことだ。思い出すだけでますます体温が上がる。
あの旅の後半、神器がカラオケセットだと分かると、スティナは興奮のまま歌い続けた。また、星の浮遊体は大きさを自由自在に変えたり、短時間ならば乗って空を飛んだり、いろいろなことができたために試行錯誤して夢中で遊んでしまった。
それがいけなかった。
アサギに止められた頃には既にヘロヘロになっており、間の悪いことに大雨に見舞われ、雨宿り先を見つけた頃には全身ずぶ濡れになっていた。
日没とともに下がっていく気温、火を起こすスペースも薪もない洞窟、疲労困憊の冷え切った体、そして、極度の寒がりの同行者。
結果、スティナはアサギに……。
『泣くほど嫌?』
『ううん、ごめん。滅相もない。自業自得だもん……でも、でもね、恥ずかしすぎてっ。もうお嫁に行けない……ていうか、こんなのアイドル失格だよ……』
膝の上で抱きかかえてもらい、密着して暖を取り合うことで九死に一生を得た。
着替えまで雨で濡らしてしまったスティナは下着同然の格好で、アサギの神衣の外套に包まれた。神衣って便利だな、早く欲しい、と現実逃避しつつも、恥ずかしさと情けなさで涙が止まらなかった。
ラブコメでお約束ともいえる展開を、まさか自分が体験することになるとは思わなかった。男性側が全く意識していないのは稀有なケースだろうが。
『誰にも見られていないし、俺は誰にも話さない。だから、大丈夫だ』
雨や涙で頬に張り付いていたスティナの髪を指ですくい、アサギはそのまま頭を撫でた。くらりとくる行動である。
極限状態に置かれ、スティナの思考は徐々におかしくなっていった。
よく考えれば、今のこの状況はそんなに悪いことではない。
アサギのような美少年に抱きしめられて、嘆くのは失礼だ。むしろ喜ぶべきではないか。
恋とまでいかなくとも異性として意識している相手だし、触れられていても全く嫌悪感はない。
幸か不幸かどうやら貞操の心配もしなくていいし、誰にも見られていないし、前世みたいにスキャンダルになることもないだろう。
とにかくスティナは冷静ではなかった。
前世では、お芝居でも家族以外の異性に抱きしめられたことはなかった。興味がないと言えば嘘になる。
スティナは意識しないようにわざと鈍らせていた感覚器官を解放した。
彼の神衣は極上の絹のように滑らかで、肌触りは最高だ。布越しに感じる体温は温かく、ほのかに良い匂いがする。程よく筋肉のついた体は、体重をかけても大丈夫だという安心感があった。
さっきまで見苦しく泣いていたスティナが、いつの間にか頬を緩めてリラックスしているのを不思議そうに見ながら、アサギはアサギで「人肌って温かいんだな……」と返答に困る呟きを漏らした。
それから雨が止むまでの長い間、二人はいつものように他愛のない話をして過ごした。
途中からスティナの意識は朦朧とし始め、口数が少なくなってくると、アサギが躊躇いがちに前世のことを話し始めた。
『俺は前世で人間じゃなかったんだ』
救いのない悲しい物語を聞いてスティナはとめどなく涙を流し、とうとう高熱を出して行動不能になった。
その後、雨が止むと同時にアサギがスティナを背負い、ムトンシェに帰還するに至ったのだった。
熱自体は一晩で下がったが、ダスクにはこっぴどく叱られ、ミントたちには申し訳なくなるほど心配をかけた。
アサギも責任を感じたらしく、以来少し過保護になった。
『スティナは弱いし、要領が悪い。鍛えないとすぐに死んでしまう。それを再確認した』
と言っても、甘やかしてくれることはなく、他のみんなと同様に「スティナ強化プログラム」に積極的に協力するようになった。
この一か月はみっちりとみんなから教えを受けた。
読み書き、計算、魔力コントロール、精霊魔法、初級魔法、体力作り、筋トレ、護身術、受け身の取り方、神器の使い方、などなど。
休憩や食事の時間はきっちりと確保されていたが、ほとんどの時間を学んで過ごした。スティナ専用のカリキュラムが組まれ、以前にも増して教官たちは厳しくハードだった。何よりも、歌の練習をする時間がほとんどなかったことが辛かった。
しかし自分のために時間を割いて教えてくれているのだ。逃げ出せるはずがない。隠れて歌って、また倒れるわけにもいかない。
――うん。わたし、頑張ったよね……。
今日は久しぶりにがっつり歌えたし、この前のようにあぜ道の雑草を成長させることもなかった。自分の中では満足のいく出来である。
そうなると気になるのは他人の評価だ。
「アサギくん……今日のライブ、どうだった?」
「神器をちゃんと使いこなせているようだ。畑も前より成長していたな」
「うん。えっと、それもだけど、歌はどうだった? 楽しんでもらえた?」
アサギは一瞬考え、小さく笑った。
「歌の良し悪しは俺にはよく分からない。自分が楽しめたのかも曖昧だ。だが……スティナの歌で皆が喜んでいるのを観るのは好きだ」
「!」
アサギがやけに遠くで観ているなとは思った。自分の存在を村人や使者たちから隠したいという理由だけではなく、ライブ全体を視界に入れたかったかららしい。
「そっか。じゃあ良かった」
今日のライブは大成功だ。頑張った甲斐があった。
スティナは俯いて、満面の笑みを隠した。




