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22 アサギの神技

 


 神技を使うのは毎回疲れる。しかしだいぶその疲労感にも慣れてきた。

 熱唱するのを控えてお行儀よく歌えば、そこまで激しく消耗することはない。二日目ともなれば、スティナも効率よく森のマナを活性化できた。


 スティナが歌っている間、アサギは木にもたれて座り、目を閉じていた。睡眠が足りなかったのだろう。


 ――自由だなぁ……。


 不愉快ではなかった。しかし美少年の寝顔――完璧に眠っているわけではなさそうだが――を見つめるのは心臓に悪く、スティナはアサギに背を向け、できるだけ睡眠の邪魔にならないような選曲に変えた。

 スローテンポの曲を中心に歌い、アップテンポな曲もバラードっぽく歌う。今まで原曲準拠のテンポで歌っていたが、よく考えればアカペラならゆっくり歌った方がいい。


 ――カグヤちゃん、ごめんね。許して。


 カグヤの作る楽曲は全て緻密な計算の上で成り立っている。勝手にアレンジを変えたり、カグヤのパートを歌ったりしているのが少々後ろめたかった。


 夜。食事を終えて明日の準備を整えた頃、アサギが薪を火に放りながら言った。


「スティナはもう眠った方がいい。明日か明後日には、従魔に遭遇するから」


 アサギは小さなたき火の前から動かない。昨日よりも冷え込みが強く、スティナの歌に集まる精霊の数が少なかった。森の奥に進むにつれ、徐々に異常が現れている。


「やっぱりいるんだ……アサギくんは寝ないの?」


「寒いし、従魔が気になるから。俺のことは気にしないでいい。三日くらい寝なくても支障はない」


 たき火を消したくないので、このまま見張りをするという。

 明るいうちから薪をたくさん拾っていたと思ったら、最初から今夜は寝ずの番をするつもりだったようだ。

 一人だけ眠るのが後ろめたく感じ、スティナはストレッチをしつつ、アサギに話しかけた。


「わたしももうちょっと起きてる。……ねぇ、アサギくん。わたしの神器、どういう形がいいかな? なんかイメージが沸かなくて」


 自分の神器についてずっと考えていた。けれど自分が戦う姿が全然想像できず、創れる気がしないのだ。

 神器創りの旅に出る前にダスクから精霊魔法を習っておけば、もう少しイメージしやすかったかもしれない。


「スティナの神技は戦闘向きじゃないから、分かりやすい武器の形じゃないと思う」


「うん?」


 神にも色々な種類がいるだろう、とアサギは言う。


「俺は多分、戦神のタイプだ。俺の神技は……戦闘向きのものだから。でも、スティナは戦いとは無縁の、もっと穏やかな神だと思う。文化とか、豊作とか、平和なものを司るような……それこそ音楽の女神になるかもしれないし」


「え!? それはないよ! 恐れ多い!」


 スティナの思い描く音楽の女神、それはカグヤに他ならない。自分が彼女と同格になれるとは思えない。

 しかしアサギの言う通り、戦闘的なことよりも文化的なことの方が自分には向いている。


 ――戦う神様のアサギくんの神器が刀なら、わたしは……。


 なんとなくイメージができた気がして、スティナは一人で笑った。明日から歌うときにイメージしてみようと心に決める。


「スティナは、どうして遊戯に参加したんだ?」


 アサギから尋ねてくるのは珍しかった。

 他人に全く興味がないのではないかと思うほど、アサギの対応は淡泊だ。それでいて時折翳りのある繊細な表情を見せるので、無遠慮に彼のテリトリーには侵入できないでいた。

 最近彼の警戒が緩み、少しずつ歩み寄れている。スティナは嬉しくて仕方がなかった。


「えっとね……最初は、前世の記憶を失くしたくなかったから。あと、同じ世界から転生したハルっていう男の子と約束したの。絶対にまた会って前世のお話をしようって」


 スティナは正直に話すことにした。

 ハルが自分のファンだったこと。でもみすぼらしい姿にがっかりさせたくなくて、どうしても言い出せなかったこと。

 再会できた暁には、本当のことを話して謝って、ずっと応援してくれたお礼を言いたい。


「参加表明をしたときは、この世界を救いたいって願ったよ。優しい人がたくさんいるから、このまま滅んでほしくない。他人任せにしたくない。それで世界を救う神様になることを決めたの。それで今は、救世系アイドルを目指してる。それならわたしにもできるかもしれないって」


「そう、か」


 どこか腑に落ちない様子でアサギは頷いた。

 今ならもしかして、とスティナは思い切って一歩踏み込む。


「アサギくんは? どうして遊戯に参加しているの?」


 ぱちり、と薪が弾けた。アサギは火に魅入られたように動かなかった。


「俺は……知りたかったから。どうして自分が神候補に選ばれているのか。俺は、こういう役にふさわしくない」


 納得できないんだ、とアサギは呟く。


「それを言ったらわたしもだよ。わたしを神候補に推した神様は頭おかしいと思う」


 ナチュラルに失礼な発言をするスティナに対し、アサギは首を横に振った。


「スティナが選ばれるのは分かる。ダスクさんのような気難しい人が力を貸してくれて、ムトンシェに着いてすぐにたくさんの人に可愛がられて、歌で人を幸せにすることができて、善性の塊みたいな精神をしている。なかなかいない」


「え? そんな風に思ってたの? なんか恥ずかしい……」


 過大評価されている感じは否めないが、嫌な気はしない。調子に乗ってしまいそうな心を叱咤し、冷静になる。


「わたし、そんなに良い子じゃないよ。基本的に自己中だし、自意識過剰で目立ちたがり屋だし、人に頼ってばかりだし……」


 自分で言って凹みそうになり、スティナは首を横に振る。そもそも今は自分のことはどうでもいい。


「アサギくんは、自分が選ばれた理由がどうしても気になるんだね」


「ああ。遊戯に参加して神になれば、自分を推薦した神に会うこともできるかもしれない。あるいは他の参加者の顔ぶれを見れば、納得できるかもしれない」


 スティナからすれば、アサギは強く正しく美しい、人を超越した存在に見える。神候補に選ばれても全く不自然ではない。


「五年経って、何か分かった?」


「あまり。だが、いろいろな神の卵を見ていたら、自然と神の雛になれる者とそうでない者が分かるようになってきた。……スティナは神の雛になれる」


 意外な言葉にスティナは目を丸くする。


「え? 嬉しいけど、どうして分かるの?」


「……神の雛になった者は、大体、俺の予測を超える行動をする。スティナもそうだ」


 それは喜んでいいのかな、とスティナは唸る。

 アサギの知る神の雛は、聞いた限り変な人ばかりだった。


 ――個性が強い人の方が雛になりやすいってことかな?


 キャラが濃いという点はアイドルとしては喜ばしいことだが、社会においては紙一重である。あまり突拍子のないことばかりしていると、ただの空気読めないウザい人になってしまう。

 気をつけよう、とスティナは自戒を深く心に刻んだ。


 アサギの話を聞いていて思い出した。


「あのね、ハルが前に言っていたんだ。神候補に多様性を持たせたいから、いろいろな人を選んだんじゃないかって。偉いとか賢いとか優しいとか関係ないみたいだよ。わたしはそれでとりあえず納得した」


 だから悩んでも仕方ないよ、と言いかけてやめた。

 アサギだってそれくらい分かっているだろう。アサギにとって、自分が選ばれた理由を知ることが何よりも大切なのかもしれない。


「いつかアサギくんの納得できる答えが見つかるといいね。わたしにできることがあったら言って」


「ああ。……ありがとう」


 もう寝るように言われ、スティナは蔦のテントに入って横になった。


 ――アサギくんにも悩みがあるんだ。何か手伝えるといいけど。


 その夜、アサギのことがまた少しだけ身近な存在になった。






 森の様子が明らかに変わったのは、三日目の夕方のことだった。

 マナの循環が完全に途絶え、植物たちが凍りついたように死んでいるのが分かった。ラグーザ峠と同じものを感じ取り、スティナは息を飲む。


「もう少し奥に従魔の気配がある。夜になる前に討伐したい」


 前方に木々がなく、ぽっかりと開けた空間があった。元は花畑であっただろうに、枯れた草花が横たわれるぬかるみになっていた。夕日の朱と混じりあって、不気味な雰囲気が漂っている。

 十分な広さがあり、アサギが刀を振るっても木の枝に邪魔されなさそうだ。

 アサギは荷物を木の根元に降ろし、朝からずっと着込んでいた防寒服も脱ぐ。


「ここで歌ってみてほしい。大丈夫?」


「う、うん! 従魔をおびき出すんだよね? 任せて!」


「できれば、初めて会ったときに歌っていた曲がいい」


「えっと……『ブレイヴ・ペイン』のこと?」


「ああ、多分それ」


 アサギの苦手な曲だと思い、あれ以来一度も歌っていない。大丈夫なのかなと訝しみながらも、スティナは歌い始めた。

 いつものような勢いはないが、僅かにマナが生まれてくる。


「――――――」


 前方の茂みから黒い瘴気が漂ってくると同時に、どんどん周囲の気温が下がっていく。がさがさと気味の悪い音が聞こえ、鉄錆のような嫌な臭いが漂い始める。

 身構えるスティナの前に出て、アサギが静かに刀を抜いた。


「スティナ、歌いながら聞いて。二人で旅をしようって誘ったのは、他の人間に見られたくないことがあったからなんだ」


 アサギはスティナに背を向け、従魔が近づいてくる方向を向く。


「今から俺の神技を見せる。ついでに“神衣”も。俺ばかりスティナのことを知っているのはフェアじゃないから」


 スティナは「“神衣”って何?」と疑問を抱きながら歌い続けた。


「スティナは、自分の情報をなんでもぺらぺら喋るだろう? もっと俺のことを警戒すべきだ。隙がありすぎて危なっかしい」


 遠まわしに馬鹿だと叱られている気がして、スティナは若干落ち込んだ。確かに考えなしだったかもしれない。

 アサギと仲良くなりたくて、少し舞い上がっていた。ハルと一緒にいたときに本当のことを話せず苦しかったので、その反動もあるかもしれない。


「でも少し……いや、とても嬉しかった。信頼されているのが分かって。俺もきみに少しでも信頼を返したい。だから、スティナ。見ていて」


 振り向いて淡く微笑むアサギ。

 朱色が森の奥に沈み、紫色の闇が周囲に広がる。

 夕闇の中に佇む少年は、今にも消えてしまいそうなほど儚く、美しい。しかしその余韻に浸る間もなく、赤黒い巨体が茂みから飛び出てきた。


「! 危ないっ!」


 思わず歌うのをやめて叫んでいた。

 澄んだ金属音が響く。アサギはあっさりと従魔を弾き返していた。


 ――うっ、グロい。


 現われた従魔はラグーザ峠で見た巨人とは違い、四足歩行の獣型だった。一見豹のように見えるが、見れば見るほど化け物じみている。


 体の割に不自然に頭が大きい。瞳には赤い炎が宿り、口からサーベルタイガーのような凶悪な牙が零れている。

 ごつい顔面とは裏腹に体はしなやかで、赤黒い鱗に覆われていた。長い尻尾の先には棘付きの黒い鉄球がぶらさがっている。人間の頭をかち割るために存在しているような凶器である。


 異形の怪物が作り出す恐怖を塗り潰すかのように、淡い光が周囲をぼかした。


「え……アサギくん……?」


 アサギの体から青白い光が溢れ、気づいたときには彼の服装が変わっていた。


 騎士のように華美ではなく、学生服のように凡庸ではない、軍人の服。

 灰色の衣装に黒い外套と軍帽を身につけた少年が、冴え冴えとした白刃を従魔に向けていた。どこか雅な和のテイストが混じり、大正ロマンを思わせる。

 世界にただ一つ、彼のためにある衣装といっても過言ではない。


 ――こ、神々しい……。


 スティナは思わず口元を両手で押さえた。心臓が飛び出てきそうだった。


「これが“神衣”。神の正装姿、みたいなものらしい」


 従魔は目の前の若き神に対し、怯えて惑い、無我夢中で攻撃を仕掛けた。牙と爪、そして尾の鉄球が宙を走り、白い火花を散らす。全て刀に防がれているのだ。


 アサギはその場から一歩も動かず、飛びかかってくる従魔を軽くあしらっている。しかしなかなか攻撃に転じない。まるで何かを待っているようだった。


 薄く広がった闇の中、徐々に光を増すものがあった。アサギの持つ刀だ。


「俺の神技はスティナのものと比べると地味で、使い勝手も最悪だ。固有神技名“受難の反逆者”。敵の攻撃を極限まで耐え忍ぶことで使うことができる。神器“吊来丸ツルギマル”で受けた攻撃エネルギーを蓄積、それを一撃にして返すだけ」


 淡々と説明するアサギ。息一つ乱していない。

 一方スティナは固唾を飲んでその一瞬を待つ。鼓動が高鳴り、体温が上がっていく。血が沸騰しそうだった。


 刀が明滅を繰り返し、やがて一際強い光を放った。その瞬間、アサギが従魔に向かって一歩踏み込み、


「――――」


 静かに一閃。


 アサギの外套が翻るとともに黒い瘴気が弾ける。

 スティナのまばたきの隙に従魔は姿を消し、不浄の空気は下から吹き上がる風とともに夜空に吸い込まれていった。


 濃紺の空に浮かぶ、白い満月。

 その下に立つ麗しい神の雛。


 完全に見惚れてしまっていた。夢を見ているような気分になり、ふわふわと落ち着かない。スティナは言葉を発し方も忘れ、ただ熱を帯びた瞳をアサギに向ける。

 軍帽の位置を直すふりをして、アサギは照れたように俯いた。


「みんなには内緒にして」


 


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