第三回 人間関係の作り方 (なぜ下がついてくるのか?)
「人間関係の作り方、か……。なんだか、大人への階段を一段飛ばしで登るみたいなテーマだね」
西新宿にある、トオルさんの経営する運送会社の事務所。
無骨なスチールデスクの上には、不釣り合いなほど美味しそうな高級洋菓子が並んでいる。
坂口美咲は、冷えた麦茶を啜りながら、正面に座る二人の男を見つめた。
一人は、従兄のカオル。28歳、職業・勝ち組ニート。
親から譲り受けた100万円を、株と仮想通貨で4000万円にまで増やしたという。
今はその資産を転がしながら、悠々自適に暮らしている「頭のいい変人」だ。
もう一人は、島田トオル。40歳。
軽貨物運送会社の社長で、20人の従業員を束ねている。
「安全第一、ルール厳守」を地で行く、現場叩き上げの熱い男。
「美咲ちゃん、学校の部活でも委員会でも、後輩ってのは勝手についてくるもんじゃないんだよ」
トオルさんが、日焼けした顔を綻ばせながら言った。
「ついてくる……。私、まだ16歳だし、後輩なんて部活に数人いる程度ですけど……」
「いいや、今のうちに『人の動かし方』の本質を知っておくのは損じゃない」
カオルが、スマホのチャートを横目で見ながら口を挟む。
「トオルさんは、いわば『実戦のリーダー』。僕は『観察のニート』。視点は違うけど、言いたいことはたぶん同じだよ」
トオルさんが大きく頷き、指を一本立てた。
「いいかい。まず言葉遊びから始めよう。後輩が自分に従うことを『したがう』って言うだろう? あれはな……」
トオルさんはニヤリと笑って、ホワイトボードに大きく書いた。
『従う』は『下が、合う』。
「……また始まった、トオルさんのオヤジギャグ」
美咲が苦笑いすると、トオルさんは真顔で返した。
「いや、これ真面目な話なんだよ。下が自分に『合って』くれるからこそ、組織は動く。じゃあ、どうすれば下が自分に合わせてくれるか? それは、こっちが先に『下(後輩)』を可愛がって、徹底的に教え込むからなんだ」
1. ギブ・アンド・ギブの精神
「可愛がる、ですか?」
美咲は、少し首を傾げた。
「そう。俺たちの仕事で言えば、新入りのドライバーにはまず、最短ルートの走り方、荷崩れしない積み方、それから理不尽な客へのあしらい方を徹底的に教える。出し惜しみはしない。俺が持ってる技術は全部タダでくれてやるんだ」
「それって、トオルさんの仕事が減るだけじゃないんですか?」
「逆だよ、美咲ちゃん。教えられた後輩は、そこに『恩』を感じる。あ、この人は自分を一人前にしようとしてくれてるんだ、って気づく。そうなると人間、感謝するもんなんだよ。すると、今度は俺が困った時に『社長、手伝いますよ』って向こうから言ってくれるようになる」
カオルが、手元のタブレットを置き、美咲を見た。
「トオルさんの言ってることは、投資の世界で言う『先行投資』に近いね。信頼という名の資本を先に相手に渡すんだ。美咲、学校で勉強を教えてあげた友達から、後でお菓子をもらったり、ノートを貸してもらったりしたことない?」
「あ……あります。テスト前に数学を教えたら、世界史のプリントを整理してくれた子がいました」
「それだよ。教えることは、奪われることじゃない。自分の『派閥』や『仲間』を作るための、最も効率的な手段なんだ」
2. 「スジ」を通すのがリーダーの絶対条件
「でもね、トオルさん」
美咲は少し気になっていたことを口にした。
「ただ優しいだけの人とか、教えるのが上手な人なら他にもいます。どうしてトオルさんの下には、あんなに怖そうなドライバーさんたちがずっと残ってるんですか?」
トオルさんの表情が、一瞬で引き締まった。
「それは、俺が『スジの通らないこと』を絶対に言わないからだ」
「スジ……?」
「俺は交通ルールにうるさい。従業員が一時停止を無視したり、路駐で近所に迷惑をかけたりしたら、身内だろうが容赦なく怒鳴りつける。でも、逆に荷主から理不尽な文句を言われた時は、体を張って部下を守る」
「昨日と言ってることが違う、人によって態度が変わる……そんなリーダーに誰がついてくる?」
トオルさんは拳を机にトントンと当てた。
「一貫性だよ。俺は『ルールは守る。その代わり仲間は守る』というスジを一本通している。これがブレると、下は迷う。迷うと、不信感が生まれる」
カオルが補足する。
「暗号資産のマーケットも似てるよ。アルゴリズムがガタガタなコインには誰も投資しない。ルールが明確で、一貫性があるからこそ、人はそこに価値(信頼)を感じるんだ」
3. 「派閥」は自然に、強固にできていく
「可愛がって、教えて、一貫性を見せる。そうするとね、美咲ちゃん。気づけば周りに『トオルさんのためなら』って奴が集まってくる。これが『派閥』のポジティブな形だ」
トオルさんは、誇らしげに従業員たちの写真が貼られた掲示板を指差した。
「派閥っていうと悪いイメージがあるかもしれないけど、要は『相互扶助のコミュニティ』なんだよ。俺が彼らを助け、彼らが俺を助ける。これができてくると、仕事はめちゃくちゃ楽になるし、何より楽しくなる」
美咲は、自分の学校生活を振り返った。
いつも一人で頑張ろうとして、パンクしそうになっていた自分。
後輩に頼むのが申し訳なくて、結局全部自分でやってしまっていた文化祭の準備。
「私……後輩に教えるのを、どこかで『面倒なこと』だと思ってました。でも、そうじゃないんですね。後輩を一人前にすることは、未来の自分を助ける仲間を作ることなんだ……」
「正解!」
トオルさんがガハハと笑った。
「さあ、お勉強はここまで。美咲ちゃん、そのケーキ食べなよ。それは俺が一番信頼してる後輩のドライバーが、『社長の姪っ子さんが来るなら』ってわざわざ評判の店で買ってきたやつなんだから」
美咲は、イチゴの乗ったショートケーキを一口運んだ。
甘さが口いっぱいに広がる。
これもきっと、トオルさんが「スジを通して」部下を可愛がってきた結果の、一つの形なのだ。
「……トオルさん、カオルくん。私、明日の部活で、一年生にテニスのサーブのコツ、全部教えてみることにするよ」
「お、いいね。ただし、教える時は『上から目線』じゃなくて『横から並走』だぞ?」
「わかってるってば!」
西新宿の小さな事務所に、三人の笑い声が響いた。
美咲の心の中に、新しい「人間関係の地図」が少しずつ描かれ始めていた。




