第一回目の話は、「なんで人間は戦争ばかりしてるの?」
「ねえ、カオル君。人間って、どうしてあんなに愚かなの?」
二〇二六年、四月。
代官山の高級マンションの一室。窓の外には、春の柔らかな日差しに包まれた東京の街並みが広がっている。けれど、大型モニターに映し出されているのは、その平穏とは対極にある地獄の光景だった。
坂口美咲(十六歳)は、制服のスカートをなびかせてソファに深く沈み込み、画面を指差した。
ニュース番組は、アメリカによるイランへの大規模な軍事介入を報じている。炎上するテヘランの市街地、逃げ惑う人々。そして画面の下部には、泥沼化するロシア・ウクライナ侵攻の最新状況と、それを受けた日本の自衛隊法改正に向けた議論のテロップが流れていた。
その隣で、カオル(二十八歳)はあくびをしながら、手元のタブレットで暗号資産のチャートをチェックしていた。
彼は、世間一般で言うところの「勝ち組ニート」だ。数年前、親から軍資金として譲り受けた百万円を、独自の相場観と冷徹な損切り、そして狂気じみたレバレッジで株と仮想通貨に投じ、いまやその資産は四千万円を超えている。
「愚か、か。美咲ちゃんにしては、随分と道徳的な感想だね」
カオルは視線をタブレットに向けたまま、淡々と答えた。
「だってそうでしょう? 二〇二六年も過ぎて、人類はまだ火遊びを続けてる。ウクライナだけじゃなくて、今度はイラン。日本だって、自衛隊をもっと『軍隊』に近づけようとしてる。戦場なんて、ただの地獄じゃない」
「そうだね、地獄だ。間違いなくね」
カオルは不敵な笑みを浮かべ、ようやく顔を上げた。
「でもさ、美咲ちゃん。君は今、その『地獄』のおかげで、その高いパフェを食べられてるんだよ」
美咲はテーブルの上に置かれた、千五百円もするストロベリーパフェを見つめた。
「……どういう意味?」
「戦争が起きる。中東の緊張が高まる。するとどうなる? 原油価格が跳ね上がる。物流が混乱する。投資家たちは安全資産を求めてゴールドや、皮肉なことに非中央集権的なビットコインに資金を逃がす。僕の資産が昨日から今日にかけて五百万円増えたのは、あの大爆発のおかげなんだよ。戦争は究極の公共事業であり、究極のマネーゲームなんだ」
美咲は、急にパフェが砂の味になったような気がして、スプーンを置いた。
「最低。カオル君って、本当に血も涙もないんだね」
「血は流れているよ。モニターの向こう側でね。僕はただ、流れた血を数字に変換して、自分の口座に保存しているだけだ。感情で世界を見ても、一円にもならないよ。それより美咲ちゃん、質問に答えてあげようか。――『人間はなぜ争うのか』」
カオルは立ち上がり、窓の外を見下ろした。
「答えはシンプルだ。人間が『自分だけは特別だ』と思いたい生き物だからだよ」
「……特別?」
「そう。自分たちの宗教、自分たちの国、自分たちの正義、自分たちの種族。それを守るために、他者を排除する。あるいは、他者から奪うことで自分を豊かにしようとする。結局、人間は生物学的な『欠乏』から逃げられないんだ。生存圏の確保、エネルギーの奪い合い、そしてプライドという名のマウント。これらはすべて、DNAに刻まれた生存本能のバグみたいなものさ」
「バグなら、修正できないの? 私たちは教育を受けて、知性を持っているのに」
「知性なんて、欲望を正当化するための言い訳にすぎないよ」
カオルは冷ややかに笑った。
「美咲ちゃん。君が通っている女子高だって、一種の戦場でしょ? 誰が可愛いか、誰が金持ちか、誰がインスタでフォロワーが多いか。小さなコミュニティで、常に誰かを蹴落として優位に立とうとしている。国と国がやってることは、その巨大化したスケール版にすぎない」
美咲は黙り込んだ。
確かに、教室の中には見えない階級がある。誰かを標的にして、自分たちの結束を固めるような空気。それは、国境という線を引いて、向こう側を「敵」と呼ぶ行為と、本質的には同じなのかもしれない。
「でも……」
美咲は声を絞り出した。
「それでも、殺し合うのは違うよ。地獄を知りながら、そこに突っ込んでいくなんて、やっぱり狂ってる」
「狂ってるね。でもね、美咲ちゃん。日本ももう、他人事じゃいられないフェーズに来ている。アメリカがイランに本腰を入れた。ロシアは止まらない。そうなれば、東アジアのバランスは崩れる。自衛隊の進化……つまり『自分の身を自分で守る力』を求める声が強くなるのは、生存本能として極めて正しい判断だ」
「カオル君は、日本も戦争をすればいいって思ってるの?」
「まさか。戦争ほどコストパフォーマンスの悪い投資はないよ。僕は平和主義者だ。だって、平和じゃないと株も暗号資産も、安心して取引できないからね。ただ、言いたいのは……『どう生きればいいか』という君の問いに対して、一つの答えを提示できるってことだ」
カオルは美咲の前に座り直し、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「世界が狂い、争いが絶えない中で、僕たちはどう生きればいいのか。それはね、『観客』であり続けることだよ」
「観客?」
「そう。当事者になってはいけない。情熱や正義感に流されて、誰かの描いたシナリオの上で踊らされるな。戦場に行くのは、いつも『自分にはこれしかない』と思い込まされた人々だ。美咲ちゃん、君は知性を、自分を独立させるために使いなさい。誰にも依存せず、何処にも属さず、自分だけの価値基準で生きる。資産を持ち、情報を持ち、自分の頭で考える。それが、この狂った世界で唯一、地獄に落ちずに済む方法だ」
美咲は、カオルの言葉に冷たい刃のような鋭さを感じた。
それは、一見すると合理的で、究極に孤独な生き方だった。
「それって、すごく寂しい生き方じゃない?」
「寂しさと自由はセットだよ。群れて安心を得る代わりに、誰かのために死ぬ権利を差し出すか。孤独を引き受けて、自分の命を自分のためだけに使い切るか。……僕は後者を選んだ。百万円を四千万円にしたのは、ただの数字遊びじゃない。自由を買い戻すための戦闘機を作っていたのさ」
モニターの中では、まだ火の手が上がっている。
美咲は再びパフェを一口食べた。今度は、少しだけ甘さが戻っていた。
「……私は、まだカオル君みたいには割り切れないよ」
「それでいい。君はまだ十六歳だ。地獄を見て心を痛める優しさを、今は持っていていい。でもね、いつか世界が君を戦場に引きずり込もうとしたとき、僕のこの冷めた言葉を思い出してほしい」
カオルは再びタブレットを手に取った。チャートは、さらに上昇を続けている。
「さあ、美咲ちゃん。パフェを食べ終わったら、勉強しなよ。英語でも、経済でも、プログラミングでもいい。この狂った時代を生き抜くための武器を、自分で鍛えるんだ。戦争は、武器を持たない者から順に、絶望という名の地獄へ叩き落とすからね」
窓の外の東京は、相変わらず穏やかで、眩しい。
けれどその光の裏側には、確実に濃い影が忍び寄っている。
二〇二六年。
女子高生の美咲と、ニートのカオル。
二人の対話は、解答のない問いを抱えたまま、春の午後に溶けていった。
争うことをやめない人類の歴史の中で、彼らができるのは、ただ、明日もこの部屋で、冷めたパフェを食べ続けられるように、自分だけの「平和」を武装することだけだった。




