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第2話 : 『琴音との共同作業』

 第二話 琴音との共同作業

 

 ……始まった、のだが。

「…………」

「…………」

 時計の秒針の音だけが、やけに大きく聞こえる。

 ダイニングテーブルでは、琴葉がスマホの画面を睨みつけ、その隣で琴音が所在なさげに俯いている。姉妹の間にも、会話はない。

 そして俺は広すぎるソファに、ぽつんと一人。気まずい、という言葉が生ぬるいほどの重たい沈黙がリビングを支配していた。

 テレビから流れる軽快なBGMだけが、この場の空気と全く合っておらず、やけに空々しく響いている。

 俺、天野悠馬は内心で拳を握りしめる。

(目の前にいるのは、金髪ツインテールでいかにも勝ち気そうな姉の琴葉と、銀髪ツインテールで儚げな雰囲気の妹の琴音……!どちらも妹ゲーのヒロインとして完璧なスペックだ。だというのに、俺ときたら……!)

 話しかけられない。攻略の糸口が、全く見えない。

「はぁ……」

 静寂を破ったのは、琴葉の深いため息だった。スマホの画面を眺めるその横顔は、どこか退屈そうで、不機嫌にも見えた。

(うわ、機嫌悪い……。これは完全に『話しかけるなオーラ』が出てる。下手に触れると好感度ダダ下がりでバッドエンド直行のパターンだ。ここは慎重に……)

 俺がどうしたものかと攻略ルートを脳内で検索していると、琴葉はガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。

「ちょっと出かけてくる」

「どこか行くのか?」

「……ここにいても、息が詰まるだけだし」

 そう吐き捨てるように言うと、琴葉は俺たちの方を見ようともせず、さっさと玄関へ向かい、ドアの向こうへと消えていった。

 再び訪れる静寂。だが、今度は二人きりだ。気まずさレベルは、むしろ上がったかもしれない。

 膝の上で手を固く握りしめている琴音が視界の端に入る。なんとかしなければ。コミュニケーションの第一歩として、まずはあれだ。好感度アップの基本、名前呼びイベント。

「あ、あのさ」

「は、はいっ!」

 俺が声をかけると、琴音の肩がビクッと跳ねた。まるで警戒心の強い小動物だ。

「俺のことは悠真でいいんだけど……君のことは、なんて呼べばいいかな?」

「え……あ……」

 琴音は少し戸惑ったように視線を泳がせた後、小さな声で答えた。

「こ、琴音で……大丈夫、です」

「そっか。じゃあ、琴音って呼ばせてもらうな」

「……はい」

 少しだけ、ほんの少しだけ、空気が和らいだ気がした。

(よし、第一段階クリア!)

 俺は心の中でガッツポーズを決める。

「そ、そうだ! 荷物、まだ全部片付いてないんだろ? 手伝うよ。その……今日から、兄貴だしな!」

 我ながらぎこちないセリフだ。顔が熱くなるのが分かる。

「え……でも、悪いです……」

「いーって! 一人じゃ大変だろ?」

 俺がそう言って笑いかけると、琴音は少し戸惑ったように視線を泳がせた後、こくりと小さく頷いた。

 琴音と琴葉の部屋に割り当てられたのは、俺の隣の部屋だった。ドアの前に山積みになった段ボールを、二人で黙々と部屋の中に運び込んでいく。

「……これで、最後かな」

 最後の箱を部屋の隅に置いた時だった。開けっ放しになっていた、とある段ボールの一つから、奇妙なぬいぐるみが顔を覗かせているのが見えた。目が三つある、スライムが合体事故を起こしたような謎の青い生き物だ。

「……なんだ、これ?」

 思わず指をさすと、琴音は「あっ」と顔を真っ赤にして、慌ててそれを両手で隠そうとした。

「こ、これ!見ないでください……!」

「え、あ、悪い……」

 俺が慌てて視線をそらすと、琴音は少しだけ安心したように息をついた。そして、俺が別に馬鹿にするような顔をしていないことに気づいたのか、隠していたぬいぐるみを、おそるおそる、でもどこか誇らしげに胸の前に掲げた。

「……この子、『ミツメラン』って言うんです」

「みつめらん?」

「はい!」

 さっきまでの消え入りそうな声が嘘のように、琴音の瞳がキラキラと輝き始めた。スイッチが入った。

「遠いアオイホシからやってきた王子で、普段は臆病なんですけど、本当は星を救うすごい力を持ってて、この三つの目はそれぞれ過去と現在と未来が見えるんですよ!アニメではまだ明かされてないんですけど、原作だとこの子の涙には浄化の力があって、それで汚染された大地を元に戻すんです!あとこのちょっとバランスの悪いフォルムが絶妙に可愛くて、限定ショップでしか売ってなくて……!」

 言葉が次から次へと溢れ出してくるように、夢中で語り続ける琴音。その姿は、さっきまでのおどおどした小動物ではなく、自分の“好き”を熱く語る、一人の少女の顔をしていた。

 俺がそのマシンガントークにただただ圧倒されてポカンとしていると、琴音は俺の表情を見て、はっと我に返った。

「…………っ!」

 次の瞬間、彼女の顔はリンゴみたいに真っ赤に染まり、ぶんぶんと効果音がつきそうな勢いで首を横に振った。

「ご、ご、ごめんなさい!わ、私、変なことばっかり言って……!き、気持ち悪いですよね……忘れてください……!」

 そう言って、再びミツメランをぎゅっと胸に抱いて隠してしまう。

(……なんだ今の)

 俺は、あまりの衝撃に思考停止していたが、目の前で彼女が本気で落ち込んでいるのを見て、はっと我に返った。

「ちょ、待て待て!」

 慌てて両手をぶんぶん振る。

「ぜ、全然気持ち悪くなんかないから!むしろ、好きなもののこと、夢中で話せるのはすげーいいことだと思うぞ。……その、俺もゲームの話になると止まんなくなるし、人のこと言えねえって」

 俺がそう言って頭を掻くと、琴音は俯いたまま、おそるおそる顔を上げた。潤んだ瞳でじっと俺を見つめてくる。

「……ほんと、ですか?」

「ああ、本当だって」

 俺が頷くと、琴音は少しだけ安心したように表情を緩め、そしてまた、耳まで真っ赤にして俯いてしまった。

 荷物を運び終え、俺が部屋を出ようとした、その時だった。

 琴音が意を決したように口を開いた。

「あの、悠真くん。手伝ってくれてありがとうございました。その……もしよかったらお礼に、何か作りたいなって……き、キッチン、お借りしてもいいですか?」

 上目遣いで尋ねるその姿は、小動物のようで庇護欲をそそる。

(お礼イベント発生!キタコレ!)

「え? ああ、もちろん! 好きに使ってくれ」

 俺がそう言うと、琴音は「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑み、キッチンへと向かった。


 さて、と。俺は自分の部屋に戻り、ベッドにダイブした。

(いきなり急展開すぎるだろ……)

 天井を眺めながら、今日起きた出来事を反芻する。新しい家族、ツンツンした義姉、そして……意外な一面を持つ、天使みたいな義妹。情報量が多すぎて、脳の処理が追いつかない。

 そんなことを考えていると、階下から微かな物音が聞こえ始めた。


 ガチャガチャ、コツン、ドサッ!


 なんだかやけに不穏な音だ。まるでゴブリンの群れが台所で暴れているような……。

 気になって部屋を出て、そっとリビングを覗き込むと、そこにはエプロン姿の琴音が、計量スプーンと格闘している姿があった。ボウルに入れた卵には小さな殻が大量に混入しているし、小麦粉を測る手は小刻みに震え、床には白い粉が飛び散っている。

 その一生懸命な姿は、なんとも庇護欲をそそるが、それ以上に心配になる。

 俺は咳払いを1つして、キッチンに入った。

「な、何か手伝おうか?」

「ひゃっ!? ゆ、悠真くん……」

 琴音はビクッと肩を揺らし、慌てて惨状と化したボウルを隠した。

「だ、大丈夫です! 一人でできますから!」

「ははっ、まあそう言うなって。一人より二人の方が早いし、楽しいだろ?」

 俺がそう言って、ボウルに混入した卵の殻を指先で器用につまみ出すと、琴音は「すごい……」と驚いたように目を見開いた。

「……ところで、これは何を作ってるんだ?クッキーか?」

 俺がそう尋ねると、琴音はこくりと頷いた。

「……その、お菓子作り、好きなんです。でも……とっても下手で……」

 彼女の健気な言葉に、俺の頭は完全にフリーズした。

(やばい、どうする!?こういう時、なんて返すのが正解なんだ!?)

「い、いや、別にいいだろ、下手でも。……その、なんだ。気持ちが大事なんだって、よく言うし……」

 絞り出したのは、そんな月並みな、どこかで聞いたようなセリフだけだった。

 琴音は俯いたまま、消え入りそうな声で「……はい」とだけ答えた。その小さな肩が、なんだか少しだけ寂しそうに見える。

(しまった!もっとマシな言葉はなかったのか、俺!今のじゃ全然フォローになってないだろ!)

 俺は自分の不甲斐なさに、ガシガシと頭を掻いた。

「さて、と……じゃあ、まずこの粉を混ぜるとこから始めるか」

 俺がヘラを差し出すと、琴音はまだ少し緊張した面持ちでそれを受け取った。その手つきは硬く、見ているこっちが力んでしまいそうだ。

「……こうですか?」

「うん、そんな感じ。あ、ちょっと待って、ボウル押さえていてやるよ」

 俺がボウルに手を添えると、琴音の肩がまたピクリと跳ねた。近い。意識せずにはいられない距離だ。甘い小麦粉の香りに、彼女のシャンプーの香りが混じって、頭がクラクラする。

 ぎこちないながらも、二人で協力して粉を混ぜていく。白い粉の中に、少しずつ黄色が溶けていく。その単調な作業が、不思議と心地よかった。

「よし、次は生地をこねて、型抜きだな」

「……はい」

 生地を丸め、麺棒で伸ばす。その作業もどこかおぼつかない琴音に、「貸してみろって」と俺が手本を見せる。

「ほら、こうやって……」

 俺の手の中で、生地が綺麗に伸びていく。それを見ていた琴音が「わぁ……」と小さく声を漏らした。

 満足げに型抜きを渡すと、琴音は嬉しそうに星形の型を生地に押し当てた。だが、生地が柔らかすぎたのか、出来上がったのはなんとも言えないぐにゃりとした物体だった。

「あ……」

 しょんぼりと肩を落とす琴音。

 それを見た俺は、思わず吹き出してしまった。

「ははっ! なんだこれ、アメーバか?」

「……アメーバ……」

 俺の言葉に、琴音は自分の作った物体を見て、ぷっと吹き出した。それは、今日初めて見た、彼女の心からの笑顔だった。

 その笑顔につられるように、場の空気がふわりと軽くなる。

「よし、このアメーバくんも焼いてやろうぜ。きっと美味いって」

「……ふふっ、はい」

 さっきよりもずっと自然な返事が返ってきた。

 それからは、時々失敗しては二人で笑い合いながら、たくさんの(不格好な)クッキーを作った。作業が進むにつれて、琴音の人見知りの壁が、少しずつ、でも確実に溶けていくのを感じた。

 そして出来上がったのは、たくさんの星と、少しのアメーバたち。

 二人でテーブルに向かい合って、おそるおそる一口、俺は一番不格好なアメーバのやつを口に放り込んだ。

 もぐもぐと咀嚼しながら、俺は思わず目を見開いた。

「……ん、なんだこれ」

 その、感情の読めない俺の第一声に、琴音の肩がびくりと震える。

「……ご、ごめんなさい……やっぱり、美味しく、ないですよね……?」

 俯いて、今にも泣き出しそうな声で、琴音が呟いた。

(違う、そうじゃない……!)

 俺は、彼女の想像とは全く逆のことを考えていた。

 見た目は不格好で、少し焦げている。でも、口の中に広がるのは手作りでしか味わえない、素朴でどこまでも優しい甘さだった。なんだこれ、魂に直接訴えかけてくるような味だ……!

「……いや」

 俺は、もう1つ、星形のクッキーを口に運びながら、ゆっくりと続けた。

「うますぎる」

「え……?」

「いや、見た目は、まあ、なんだ、独創的だけど……」

 俺は、気の利いた言葉が出てこない自分に少し苛立ちながら、もう1つ、星形のクッキーに手を伸ばした。

「……なんていうか、すごく実直な味がする。作った奴の人の良さが全部出てる、みたいな」

 琴音はぱちぱちと瞬きを繰り返した後、「……! ほんと、ですか……?」と花が咲くように、嬉しそうに笑った。

「琴音も食べてみろって」

 俺が促すと、彼女はおそるおそる、一番形の良い星形のクッキーを手に取った。

 小さな口で、サクッ、とかじる。

 彼女の青い瞳が、驚いたように、少しだけ大きく見開かれた。

「……おいしい、です」

 そう言って、今度こそ、心の底から嬉しそうに、花が咲くように笑った。

「あの、悠真くん」

「ん?」

「今日は、その……ありがとうございました」

 はっきりと、でも少しだけ照れくさそうに紡がれた感謝の言葉。

 その言葉に、なんだかこっちが照れてしまう。俺は視線を少しそらしながら、テーブルの上にあるクッキーに手を伸ばした。

「お、おう……どういたしまして」

 その後、俺たちの間に会話はなかった。

 ただ、二人でテーブルに向かい、不格好なクッキーをかじる音だけが、静かなリビングに響いていた。

 しかしながら不思議と、もう気まずさは感じなかった。

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