陛下、殿下
エッセイジャンルが今、熱い。…と聞いて!
このエッセイ、連載にしたのはいいけど、そんなにホイホイとネタが湧くわけでもないので、一年以上ほったらかしになっておりました。不定期ではありますが、時々、気が向いたら投稿するのでよろしくお願いします。
今回は、「陛下」「殿下」を取り上げてみたいと思います。
国王は、「陛下」。王太子は、「殿下」。では、国王陛下の奥さん、王妃様は? 陛下? 殿下?
実はだいぶ以前に、感想欄で「王妃陛下はおかしい! 王妃殿下だ!」というのを見かけたのが、今回のエッセイのきっかけです。私自身は、西洋風の王国であれば、王妃陛下でよくて、自作でもそのように書いています。なぜなら、西洋風の王族に対する「陛下」「殿下」というのは、「Your Majesty」「Your Royal Highness」の訳語ですから。王妃は英語ではQueen Consort、敬称も「Your/Her Majesty」ですから、「王妃陛下」でいいはずです。
ただし、最近亡くなられたイギリスの王配フィリップ殿下。この方の正式な称号はPrinceで、敬称もHis Royal Highness(殿下)でした。ので、ここから国君の配偶者は「殿下」であるべき、と言い張るならまだ、理屈は通ります。
ただし、ヨーロッパの王室でも国王の配偶者は Queen Consort、敬称も「Your/Her Majesty」なのが一般的なようです。女王の配偶者でも King Consort として王と同様の待遇を与えられる場合もあるし、Prince Consort として共同統治者と遇される場合もあります。フィリップ殿下はPrince Consort の称号を貰えなくて恨んでいたという話ですから、要するに場合によりけりってことです。王妃や王配が「陛下」と呼ばれることも十分、あり得るのです。
このエッセイは「中国古典学から見た」というコンセプトですので、中華世界の状況も見ておきましょう。
「陛下」についての古い解説文として、後漢末、蔡邕の『独断』という書籍には、以下のようにあります。(『独断』の電子テキストはwikisourceから引いています)
陛下者,陛階也,所由升堂也。天子必有近臣執兵陳於陛側以戒不虞。謂之陛下者,羣臣與天子言,不敢指斥天子,故呼在陛下者而告之,因卑達尊之意也。上書亦如之。及羣臣士庶相與言曰殿下閣下執事之屬,皆此類也。
陛下なる者は、陛、階なり。由りて堂に升る所なり。天子は必ず近臣の兵を執りて陛側に陳なりて以て不虞を戒むること有り。之を陛下と謂える者は、群臣天子と言うに、敢えて天子を指斥せず、故に陛下に在る者を呼びて之を告げ、卑しき因り尊きに達するの意なり。書を上るも亦た之くの如し。及び群臣・士庶の相い与に言いて曰く、殿下・閣下・執事の属、皆な此の類なり。
(訳)陛下とは、陛とは、階である。ここから堂の上に上る所である。天子には必ず近臣が武器を手に陛の側に並んで不測の事態を警戒する者がいる。天子を指して陛下と言うのは、群臣は天子と語る際に、敢えて「天子」を直接に指さない。だから階の下にいる者を呼んでそうして、天子に言葉を告げてもらう。卑しい者から尊い者に徐々に達するという意味を示す。文書で奉る時も同様である。さらに、群臣や普通の人々がお互いに呼びかける時に、「殿下」「閣下」「執事」というのも、すべて同様である。
天子は尊すぎて、敢えて「天子!」などと呼びかけることができないので、階の下で並んでいる警備の人に言伝てして、言葉を伝えてもらう。だから直接呼ばないで「陛下(の人々)」と言う。――つまり、「陛下」とは天子(つまり天下で一番偉い君主)を直接呼びかけるのが失礼だから、婉曲に呼んだ言葉、本来は尊称ではなく、婉曲表現なのです。
だって、直接呼ぶのが恐れ多いから「陛下」って呼ぶのに、「皇帝陛下」って呼んじゃったら意味ないですもんね。
ですから、この手の呼びかけは本来は、「陛下」「殿下」を単独で使うのが正しいのだと思われます。
例えば、『史記』秦始皇本紀・二世皇帝三年条、二世皇帝が閻楽という刺客に殺されるシーン。
閻樂前即二世數曰:「足下驕恣,誅殺無道,天下共畔足下,足下其自為計。」
閻楽前みて二世に即きて数えて曰く、「足下は驕恣にして、誅殺無道なれば、天下共に足下に畔く、足下其れ自ら為に計れ」と。
この部分、「足下」という呼びかけについて、『史記集解』は「蔡邕曰く、群臣士庶 相い与に言うに、殿下・閣下・足下・侍者・執事と曰うは、皆な謙の類」という注を付けています。蔡邕以下の部分、少しく字句に異同がありますが、『独断』から引いているとみて間違いないでしょう。「足下」はそのまま、単独で呼びかけに使っています。本来は(二世皇帝ですから)「陛下」であるべきところ、滅亡寸前の秦で、もはや皇帝として認められない、というのを示すために、敢えて「足下」と呼びかけているのです。
ただし、婉曲表現から一種の尊称、敬称への変化は、前漢の最初期には起きていました。
『漢書』高帝紀・漢五年春正月、群臣が漢王劉邦に皇帝の尊号を奉る場面ですが、
於是諸侯上疏曰:「楚王韓信、韓王信、淮南王英布、梁王彭越、故衡山王吳芮、趙王張敖、燕王臧荼昧死再拜言,大王陛下:先時秦為亡道,天下誅之。大王先得秦王,定關中,於天下功最多。……
是に於いて諸侯 上疏して曰く、「楚王韓信・韓王信・淮南王英布・梁王彭越・故衡山王吳芮・趙王張敖・燕王臧荼 昧死して再拜して大王陛下に言す。先時、秦 亡道を為し、天下之を誅す。大王 先に秦王を得、關中を定め、天下に於いて功 最も多し。……
ここの「陛下」については、やはり後漢末の應劭が、
陛者,升堂之陛。王者必有執兵陳於階陛之側,羣臣與至尊言,不敢指斥,故呼在陛下者而告之,因卑以達尊之意也。若今稱殿下、閣下、侍者、執事,皆此類也。
陛なる者は、堂を升るの陛なり。王者は必ず兵を執りて階陛の側に陳ぬる有り、羣臣 至尊と言うに、敢えて指斥せず、故に陛下に在る者を呼びて之に告げ、卑に因りて以て尊に達する意なり。今の殿下・閣下・侍者・執事と称するが若きは、皆な此の類なり。
と述べていて、『独断』と非常によく似ています。應劭の方が十年ほど長生きのようですが、ほぼ同時代の人で、共通の元ネタがあったのかもしれません。当時(西暦200年前後)は後漢王朝の終わりが見えていて、應劭も蔡邕も漢王朝の有職故実を記録しておくという意図があったのでしょう。
『漢書』高帝紀の「陛下」に戻ると、最初にわざわざ「大王陛下」と述べておきながら、次に出てくるときはただ「大王」となっている(陛下が残るならともかく)のが、敢えて指斥されまくりで笑っちゃうのですけど、皇帝制度そのものが、生まれたばかりのこの時代、婉曲に「陛下」だなんて呼びかけるような礼儀作法もまだ、整備されていなかったのでしょう。何しろ劉邦政権はごろつきの集まりです。叔孫通という儒者が礼儀作法を定め、高祖劉邦が、「俺は初めて皇帝が偉いってのがわかったよ」と言ったという、有名な話もあります。
さて、では皇帝以外の人はどう呼びかけられていたのか。
まず、皇太后には「陛下」と呼びかけている例があります。皇太后は「臨朝称制」と言って、皇帝の代行をすることがありますから。一方、皇后は?
……そもそも、中国の皇后が、群臣から呼びかけられる場面というのが滅多にないのですよね。
皇太后や皇后の場合、住んでいる宮殿の名前を以て、婉曲表現に代えていた場合が多いです。
前漢であれば皇太后は長信宮に住んでいたので、「長信宮」と呼ばれました。前漢の皇后は未央宮の中ほどにある椒房殿に住んでいたので、「中宮」と呼ばれることが多いです。日本の平安時代でも、皇后のことを「中宮」と呼びますね。おそらくはここからきているのです。後漢になると皇太后は「長楽宮」、皇后は「長秋宮」と呼ぶのが定着します。ただし、そういう名前の宮殿があって、皇后、皇太后になるとそこに引っ越すのか、もともと別の名前の宮殿だったのが、その住人が皇后、皇太后になると名前を変えたのかは、わかりません。後漢洛陽宮の宮殿配置はさっぱり謎だからです。
源氏物語でも、「桐壺の更衣」とか「弘徽殿の女御」とか、住んでいる殿舎の名前で呼ばれるように、中華の後宮でも名前や役職よりも住んでいる宮殿や殿舎の名前で呼ぶ方が、いっそう雅でそれっぽい感じがするかもしれません。中華後宮ドラマでも「~妃」とか「~皇后」よりも、「坤寧宮」とか「仁寿宮」とか呼んでいました。
閑話休題。
陛下と殿下の話でした……。
調べてみると、明代の皇后に対しては、「皇后殿下」と呼びかけるのが正式であるようです(『明史』に見える)。『旧五代史』の後唐の明宗(李嗣源)が、長興元年に皇后を冊立したときに「百官は上奏文中で『皇后殿下』と称せよ、後宮内ではただ『殿下』と呼ぶべき」という意見に対し、「ただ殿下だけだと、皇太子と区別がつかない」云々のやり取りがあるので、五代十国時代には「皇太子」⇒「殿下」は定着していたものの、「皇后殿下」はそれほどなじんでいなかったのでは、と思われます。唐代の後半、皇后は長く空位が続きましたから、皇后への尊称が定着しなかったのかもしれません。
これが、皇太后になると「皇太后陛下」とする用例が前漢から六朝、そして明まで広く見えるので、やはり皇太后になると「陛下」だったのでしょう。
中華風の称号の問題は、陛下と殿下だけではありません。
王妃か、王后か、あるいは皇妃か、皇后か。
これは以前の「側妃」の項目ですでにお話しましたが、皇帝の正妻であれば「皇后」一択です。天子の正妻は「后」なのです。
ですから始皇帝が皇帝号を発明する以前の、周から戦国時代の王の正妻は「王后」でした。
「側妃」の項目でも述べた通り、もともと配偶者と言う意味であった「妃」が、漢代に「后」に次ぐランクの位階として定着し、皇帝に次ぐ皇太子の正妻の号は皇太子妃となります。前漢時代は諸侯王の正妻も「王后」でしたが、後漢時代に「王妃」に格下げされます。
ですので、六朝から唐代以後の後宮では皇后の下に三人もしくは四人の「妃」が置かれる形が定着します。そして明清時代の後宮の序列では、皇后>>皇貴妃>>貴妃>>妃……となりますが、やはり「后」>>>「妃」なのは変わりません。
つまり何が言いたいのかと言うと、ナーロッパ風の後宮で皇帝の正妻が皇妃なのは翻訳の問題として処理できるのですが、中華後宮で皇帝の正妻が皇妃なのは、正直ちょっといただけない感じなのであります。
そして漢以後の中華世界では、皇帝>>>>>王です。王は皇帝の息子が封建される爵位であり、中華に臣従する属国の君主の号です。彼らの称号は「殿下」です。
例えば朝鮮国王。国王ですが敬称は「殿下」で、正妻は「王妃」。この朝鮮王妃の敬称は当然、「殿下」もしくはそれ以下しかあり得ません。国王だから必ず「陛下」なわけでも、「王妃」なら問答無用に「殿下」なわけでもない。その社会全体の身分制度の中で、称号の整合性が保たれていなければならないのです。
というわけでダラダラ書いてきましたが、「陛下」と「殿下」。
欧州風の世界観設定の場合、「陛下」⇒Your Majesty 「殿下」⇒Your Royal Highness の訳語。ついでに言えば王妃も女王も英語ではqueenだから。王女も王子妃もともにprincessなのと同じ。配偶者を同等と見る考え方が、アジアよりも強いのです。でも、架空世界の国として、国王や皇帝がとびぬけて偉いのよ、という世界を表現したいなら、夫婦間で称号に差別を設けるのももちろんあり。あくまでその世界観における身分制度を示すためのものだから。
中華世界には皇帝>>王、后>>妃の厳格な序列があるので、それを踏まえた上での「陛下」「殿下」の序列になります。架空の世界だから多少は自由度があっていいとは思うけれど、あんまり適当過ぎると中華っぽさがなくなってしまうのが難しいところかも。