Ep.57 朱執事
はっ、と目を覚ました。
揺らめくレースが木洩れ日となり、俺の鼻先をくすぶる。何だか体全体までも光で眩しく感じる。
起き上がって一つ背伸びをした。
その時にドアが三度鳴る。
「お目覚めでございますか?」
「あ・・・は、はいー!どうぞ!」
俺は慌てて制服の乱れを整える。
「麟、"また"着替えなさらずにご就寝なさったのですか?」
「申し訳ございません!」
咲夜さんは眉間にシワを寄せ、冷たい瞳で投げ掛ける。
「・・・でもこのやり取り、ここに来た最初を思い出して懐かしいですね。」
俺はにっこりと笑った。
「ふふ、そうですね。」
彼女も釣られてくすりと笑う。
燻っていた笑いは、いつしか大きなな笑いに変わった。長い廊下に俺たちの明るい声が響き渡る。
しばらくは心に任せて笑い続けていたと思う。こんなに下らないことでも愉快な気持ちになれたことはあまりない。
「ああ、そうでした。
俺の制服は返した方がいいですよね?」
収まりかけの笑いを抑えて彼女に聞いた。
「いえ、それはもうあなたのものです。お嬢様からそのように言伝てをいただきました。」
予想済みか。それではありがたく頂戴しておこう。
「さて私がここに来たのは、そのレミリアお嬢様からの召集をお伝えしに来たのです。」
召集・・・ね。
はて、ここで俺は迷った。
フランの様子を見に行くか、レミリアの召集に応じるか。
無論、当日だからと言ってすぐすぐに八雲紫が来るとは限らない。もしかすると、どちらの用も十分に済ませることはできるかもしれない。ただ、早々に彼女が来た場合の事を考えるとどちらを優先すべきか?
「私は先にレミリアお嬢様の召集に応じるべきかと。」
確かに一般常識的にはそれが正しいな。一応彼女は紅魔館の主であるし、何よりも朝一番との要望だったから。
しかし、その選択で俺は満足か?俺は誰と一番話したい?フランか、レミリアか。最後だ。後悔だけはしたくないんだ。
いや、自問自答するまでもないな。
俺は最も重要なことを忘れてはいけないのだ。俺は冴月麟―紅魔館の、フランドール・スカーレットの執事だ。それ以上でもそれ以下でもない。それだけなのだ。
ならば行くべきところはたった一つだ。
「―咲夜さん、申し訳ないですがレミリアお嬢様の召集には応じません。
俺は、フランドールお嬢様と最後の別れをします。」
フランドールの部屋の前。
レミリアの部屋とも、地霊殿とも違う。まるで牢獄である。
しかし、それはかつての姿だ。今はドアには綺麗なコサージュがかかっている。俺が来たこの1年で全てが変わったのだ。
「失礼いたします、フランドール様。」
花飾りで輝く扉をゆっくりと開ける。部屋はくらい。それでもフランドール・スカーレットの姿はすぐに捉えることができた。どうやらベッドの上でシーツにくるまり、体育座りをしていた。
俺は魔術式のライトのスイッチをいれる。赤黒かった部屋は鮮やかな紅になる。
「麟・・・?お姉様のところに行ったんじゃないの?」
シーツから顔を出してこちらを見る。光に反射した深紅の瞳が美しかった。
「断りました。
それよりも俺はフランお嬢様に挨拶をしたいのです。
御時間いただけますか?」
彼女は驚いた。そして、シーツで顔を隠すようにしながらも、はにかんだ。
「うん・・・!」
声は小さかったが、とても嬉しそうに返してくれた。
俺も笑顔になる。
「それではお茶の準備でも?」
「ええ、ローズティーとケーキを。
ケーキは多分厨房の第一テーブルにあるから、それを持ってきて。」
「承知いたしました。」
俺は少し気取ったように一礼をした。
丸テーブルに二人向かい合わせ。普通はこんなことはないのだが、彼女きっての希望だった。最初は馴れなくてあまり目を会わせられなかったが、いつの間にか照れ臭さや気まずさなどと行った感情はどっかに行ってしまった。
「まず紅茶とケーキをいただきましょう、麟!」
彼女は声を高くして提案する。
「はい!いただきましょう、お嬢様!それにしても、なんだかいつも以上に豪華なケーキですね。」
彼女は嬉しそうに椅子に座りながらぴょんぴょん跳ねる。
「それじゃあ、私、紅茶淹れるね!」
「恐れ多いです。俺が―」
「いいの!いいの!私がしたいんだから。」
彼女は慣れない手つきで俺と自分のカップに注ぐ。
危なっかしかったが、ただ彼女の顔を見守った。
「それじゃあ、いただきまーす!まず麟、ケーキ食べてみてよ。」
「ええ、どれどれ・・・。
―ん!!
なんだろう!すごく優しくて温かい味ですね。」
ほんのりと香るイチゴに、柔らかな舌触りのクリーム。そして温かいスポンジ。
たった一口で俺のはりつめていた心の糸はまるっきり緩んでしまった。固まっていた複雑な心もケーキの温かさの前では成すすべもなくとろけていく。
「もしかして、このケーキはフランお嬢様お手製ですか?」
彼女はまた気恥ずかしそうにして、うつむいた。
「できるじゃないですか・・・。お嬢様は破壊するだけじゃない、ちゃんと"生み"出していますよ。」
かつて彼女は、自分の能力が生み出す能力だったらいいな、と言っていた。
しかし、八雲ではないが、能力というものなんかはただのきっかけなのだ。フランだって同じだ。誰だって同じなのだ。
何を願い、何を努力し、何を知るのか・・・。それだけでヒトは変われる。
彼女のように・・・。
「ありがとう・・・私、変われたのかな?」
「フランお嬢様、ちゃんとあなたは変われていますよ。
そして、これからも変わっていくのです。波の行く先のように。」
「麟・・・、それって。」
「ええ、決まりました。俺のするべきことが―。」
間もなく、八雲紫は姿をあらわした。
玄関から悠々とした面持ちでやってきたらしい。彼女はそれから待つことなくフランの部屋に来た。
「やはり、こちらに入らしたのですね、麟。」
にっこりとした顔で部屋を跨ぐ。
「紫さん、決まりました。」
「そう。」
「俺はこのセカイを守ります。」
「そう。」
はじめのそう、とは感情が違っていた。とても嬉しそうに、いや、哀しそうでもあるのか・・・?
でもやはり、幻想郷の管理者として、一人の妖怪として、世界が救われる決断が下されたことに歓喜しているのだろう。
「麟。承知いたしました。
これから参るということでもよろしいかしら?」
俺はフランの方を一瞥した。
彼女は、一気に不安そうな泣きそうな顔をしている。
「ええ、ただ、最後の最後にみんなに挨拶をしたい。それまで待っていただけますか?」
彼女は笑顔を浮かべた。
「構いませんわ。最期に後悔のないように私は協力いたします。」
ありがたい。
何せレミリアとの約束をすっぽかしてフランと会ったわけだからな。無駄だとしても、召集の贖罪はできなくとも、謝罪くらいはしなければならないだろう。
家族だしな。
そういえば、幻想郷は後どのぐらいまでもつのだろうか?
「既に兆しは現れておりますわ。
そこで改めて計算したところ、余裕を見たとしても、ここ1週間で確実に崩壊するでしょう。
現に結界の一部は陥落し始めています。遅くなればなるほど、幻想郷に後遺症が残るでしょう。」
そこまで危険な状態にあったのか。少し名残惜しさはあったため、時間が許せばもう少しだけこちらに居ようかとは思っていた。しかし、その猶予はなさそうだ。
「でも、もう大丈夫ですね、紫さん。
―何故なら俺がセカイを守るからです。」
柄でもないことを言った俺は、最期の身支度をして、紅魔館のエントランスに向かった。
挨拶をするためとりあえずレミリアの部屋に向かおうとしていた途中だ。
だが、エントランスには人だかりができていた。全員が見知った顔、そして、"仲間"だった。
驚きが隠せなかった。すると急に後ろからその人混みに押し込まれ、その中心に出てしまった。中心にはレミリアとフランが立っていた。
まわりが夏場の向日葵のような表情で騒がしく見守っている。
レミリアとフランが共に一歩前に出る。同時にざわめきは囁きになった。
「いってらっしゃい、麟。」
彼女たちは最後の最後に無垢な笑顔を示すことを選んだ。召集を無視したこととか、結局は死ぬ道を選んだこととか、ある程度は怒られるかなと思っていた
少し戸惑いながらも、それに答える。
「行ってきます。」
そして、俺は紅魔館の扉を越えていった。
◆
「麟、彼女との別れは終わったの?」
外で待っていた八雲紫は心配そうな顔で聴いてくる。
「・・・いいんですよ。
居すぎると決心が鈍りそうですから。」
特にフランのあからさまに空元気である顔を見てると、考え直しをしてしまうかもしれない。
それにもっと話したかったのも事実だ。
俺の世界のこと、俺の好きなもの、彼女の好きなもの。でも、俺たちは話さなかった。結局お互いのことをあまり知らないままになってしまった。
でも、本当に大切なことは、今を守ることではない。彼女が笑顔になるという未来を守ることなのだ。
かつては牢獄のような部屋に、今は紅魔館に籠っている。俺が出来るのはその殻をいつしか破って空へ飛び立っていくまでの時間、そして、もっとその先のセカイを確保してやることだけなのだ。
「そう・・・なら何も言うことはないわ。
―冴月麟、幻想郷をよろしくお願いいたします。」
彼女は丁寧に頭を下げ続けた。
「一つだけこちらからお願いしてもいいですか?」
「何でしょうか?」
「外の世界のこと、うまくやっておいてください。一応家族とか大学とか、突然失踪したら色々大変な所もありますので。」
「わかりました。手配しておきます。」
彼女はもう一度深々と礼をした。
妖怪である彼女にできることは、こうして感謝の言葉を述べることと、後処理をすることだけだった。
「八雲紫さん、それでは参りましょう。」
彼女が繋げたスキマの中を進んでいく。
ぐねぐねとネジ曲がった空間の中に散らばっている目のようなものが、無数にこちらを覗きこんでいる。
不気味だ。
俺にもスキマを操る能力はあるが、こんなに怖くはない。むしろ淡白と評することができる。ほぼ真っ白だしな。
「紫さん、どれくらい歩いたら着きますか?」
彼女はちらりとこちらを見た。その顔には色がなかった。
「30分、くらいかしら?」
「それまで少しお話ししませんか?何だか黙ったままだと怖いので・・・。」
彼女は苦笑いをする。
「ふふ。・・・怖い、ですか?」
不味かったかな?能力は使う人そのものだ。スキマが怖いということは、八雲紫が怖いと言っているようなものだ。
「良いのです。
妖怪は恐れられる必要がありますから。逆に、あなたにそう言ってもらえるなんて光栄ですわ。」
光栄ですわ、か。
やっぱり人間と妖怪は違うのだな。俺なら、怖いと言われたら少なからず傷つく。
「こちらからも質問いいかしら?」
「なんでしょう?」
「あなたが見た幻想郷はどうでした?」
どうだったか、ね・・・。
色んな出来事が脳裏を駆け巡る。
楽しかった・・・ばっかりではなかった。むしろ辛いことの方が多いかったような気がする。右腕のことも、これから死ぬことも。
でも・・・でもだ。大切なことを学べた。
外の世界では知らなかったことだ。それも一言では言えない。ただひとつ言えることは、俺がフランの殻を破るきっかけを作ったのと同時に、彼女は俺が変わるきっかけを与えてくれたということだ。
―・・・はぁ、何だかこう言っていて、学べたというよりもノロケみたいになってるな。
ま、いいさ、それで。それだけで満足だ。
「そう。あなたの幻想郷は輝いていたのね?」
「そんな大層なものではありませんよ。一人の普通の人間が、一人のこもり姫とが出会った。たったそれだけの話です。」
俺は彼女と並んだ。
そして、一歩踏み出す。
先には開けた亜空間が現れた。
いよいよ到着・・・か。
◆
近未来のような、四次元ポケットのようなイメージの亜空間だ。規則的に並んでいそうで、規則的に並んでいない、広いようで狭いような、あべこべな空間だ。
でも、ここも一応幻想郷何だよな・・・。長居してると発狂しそうだ。
「麟くん!」
横から声をかけてくる者がいた。
「銭谷さん!?何でこんなところに?」
間違いなく、人里の銭谷十兵衛である。
「俺だけじゃないぜ。」
後ろの方を見た。
そこには、アリス・マーガトロイド、多々良小傘、上白沢慧音、ルーミアが立っている。
「あなたたちまで・・・。」
「君との最期に立ち会わせてほしいと、私たちが八雲紫にお願いしたのだ。
お願いの代償は少々高かったけれど。」
上白沢さんが俺の手を持つ。
「―しかし、そんな代償は取るに足らない。今まで君はそれだけのことをしてくれた。最期に立ち会うだけの価値を私たちは君に見いだしている。
だから、これは何もできない私たちができる感謝の気持ちだ。してきてくれたことを思うと、そして、これからしてくれることを思うと、釣り合わないけれど・・・。」
俺は呆気にとられた。
代償を支払ってまで、ただ会いに来てくれるなんて・・・。
「当たり前でしょう?私や十兵衛がこうして仲良くしていられるのもあなたのおかげだもの。」
アリスと若頭も俺の手を握る。
「うまくいっているようで何よりです。これからも睦まじく。」
多々良小傘はいきなり傘を突きつけてきた。
「この傘、私の命!麟君が守ってくれたもの!覚えてるよね、もちろん?」
「ああ。」
俺の顔を見て、彼女は泣きそうな顔をする。
「もし、君の身代わりになれるものなら、今すぐにでもなりたいよ・・・。でも、私は雨からぐらいしかヒトを守ることはできない。」
「雨ぐらい、って卑下しなくてもいいと思うぞ。俺のお嬢様は雨が弱点なんだ。だから、それだけで命が助かるのだから。
それで、もしよかったら、これからたまにフランの所に顔を出しに行ってくれないか?きっと喜ぶよ。」
彼女は二つ返事に、笑顔を見せた。
「わかった!ぜっっったいにフランちゃんを一人にしない!!」
「ああ、頼んだ。」
ルーミアはとことこと愉快にやって来た。こいつはいつも通りだな、そう思って少し笑ってしまった。
「麟君、君が守るセカイを私たち妖怪も引き継ごう。この世界が終わらないように、命を懸けよう。
そして―辛い役目を背負わせてしまって、すまない。私から言える謝罪はこれだけだ。」
彼女の低い声に一瞬どきりとした。
多分、他のヒトもビックリはしていただろう。
「それじゃあ、バイバイ。」
彼女たちの言葉を受けた俺は、それだけを言って手を離した。
そして、数歩下がって様子を見ていた八雲紫の所へ、ゆっくりと踏みしめるように歩いていった。
後ろですすり泣く声がする。
多分、上白沢さんだ。
本当に良く泣く先生だな。そんなのじゃあ、生徒に笑われるぞ?
ばっさばっさと何かを振る音がした。
小傘だな。
その本体二度と無くさないようにな。でも、無くしてもきっと上白沢さんが見つけるのを手伝ってくれるよな。
小さくわはー、とか呟いているやつがいた。
ルーミアである。
最後の最後にふざけたって気分は盛り上がらないぜ・・・。しかも、いつもののんき過ぎる調子とは全然違って暗いし・・・。
何も言わずに見送ってくれるヒトたちがいる。
アリスと十兵衛だ。
一度きりの出会いだったけど、その仲を取り持つことができてよかった。そして、もうひとつ思うことがある。リア充爆発しろ!・・・なんてな。ただ、本当にアリスの人形で誤爆しないよう気を付けろよ、若頭さん。
もう一歩で八雲紫に届く範囲まで来た。
その時に後ろから大声が聞こえた。
「麟!!!」
振り返ると、ぜぇぜぇと息を切らした少女がいた。赤い服に、金髪のサイドテール、虹色の宝石の羽根の少女―フランドール・スカーレットだった。
「待って、麟!!!」
「お嬢様、どこから・・・?」
ふっと辺りを見回すと、俺たちの入ってきたスキマがまだ残っているのが見えた。
もしかして、わざとか、八雲紫?
「そんなことより、私、あなたに伝えたいことあるの!!」
「・・・なんでしょう?」
「えっと・・・うんと・・・ね?」
彼女は突然にもじもじし始める。
俺は少女に歩み寄った。
「言いたいこと、言わないと後悔しますよ?」
うつむいていた彼女の顔を見るために、膝まづいた。
悲しそうな顔をする彼女に向けて、俺は満足そうな笑顔をみせる。
「フランドールお嬢様、ケーキおいしかったです。きっとあなたは、どんなパティシエよりも優しいものを作れますよ。」
その言葉を聞いて、何かを決心したように目を会わせた。その目は、恐ろしいほどに情熱的に燃え上がっている。
「麟、ちょっと痛いかも知れないけどごめん!!」
彼女は右のポケットから何かを取り出して、俺の心臓に目掛けて思いっきり手を突っ込んだ。
訳のわからない激痛が脳裏を走る。
「がぁ!!!フ、フ、フラン!!何を!!?」
あまりの痛さに耐えきれず、痙攣するようにもがいた。
「―――――――――――――――――――――!!!」
認識しきれない痛みが脳を陵辱する。しかし、彼女はびくともせずに俺の心臓を探った。
「くぅ・・・!!お願い、はまって!!」
暴れる体に耐えきれなくなった彼女の細い腕が、鈍い音をたててS字にへし折れる。彼女の前腕からは白い枝のようなものが突き出ていた。
「!!!
・・・はまった!!!」
それと同時に、引き剥がすように八雲紫が傘でフランを殴り飛ばした。見事腕はすっぽりと抜けてお互いに吹き飛ぶ。
「この小娘が、何をした!!!」
八雲紫は激を飛ばし、踞る少女を傘が原型をとどめないほど打ちのめした。
「ま、まってください、紫さん・・・。」
直ぐ様起きあがった俺は、心臓を押さえながら必死になって彼女の足を掴んだ。手が入っていたところからは血が出てない。傷すらもなかった。多分、吸血鬼の透過能力(物質をすり抜ける能力)ということだろう。
安易に殺したりするような行為に及ぼうとした訳ではないことくらいは、わかっていた。
その途端に、ネジでも切れたかのように八雲紫は動かなくなった。
「お嬢様、一体・・・何を?」
フランはうずくまったまま唸っていた。
折れた腕や紫に打たれた傷は、見える速度で治っていっている。それでも、今はしゃべれないようだ。
「フランちゃん、まさか私の作った指輪を!?」
そう言って愕然としていた多々良小傘はフランに近寄ってきた。
「指輪・・・?指輪ってフランお嬢様が、人里から帰るときに貰っていた?」
「そうだよ、ヒヒイロカネの指輪。」
そう言って、フランが片手をついて上半身を起こした。
「そして、指輪に・・・魔術を施したの。」
痛そうな声を上げながら説明する。
「あなたの心臓の動脈に引っかけた指輪には、2つの超強力な禁忌の魔術を施してあるわ。
1つは"はめている者の能力を飛躍させる魔法"、もう1つは"術者と必ず生きて再会できるおまじない"を・・・。」
「そのような魔術・・・代償が大きかったのでは?」
「もちろんよ。
指輪をもらったときから、パチュリ―と共同でこっそり研究していたの。術式が完成してからは二人の魔力では足りないことがわかりきっていたの。
―だから、私は皆に頼んで毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日!!力を注いで貰っていたのよ!さっきも最後のお願いをして、ギリギリまで力を込めていたの!!
今傷の治りが遅いのも、私の力をほぼそれに注入したからみたい・・・。」
彼女は赤ん坊がなにかを求めて泣き叫ぶように声を張り上げた。
エントランスに集まっていたのは、ただ見送るだけではなかったのだった。そこに気づかない俺は、やっぱり愚かだった。
「それでも十分に魔力があるのか、ちゃんと発動するかどうかわからない!」
「そこまでして・・・なんで?」
「あなたもわかっているでしょ!!
私はあなたともっとお話がしたい!一緒に紅茶を飲みたい!一緒にケーキをつくりたい!一緒にお外に遊びにいきたい!
あなたと共に歩みたい!!私を一人にしないで!!」
彼女は大粒の涙をこぼす。
その涙を見ずとも、俺にも込み上げてくるものは、当たり前のようにあった。
俺は涙でぐしゃぐしゃの彼女を優しく抱きしめた。
「俺、ずっと帰りたかったんです。
最初、あなたに『執事として、これから続いていくフランドールを知る人として、共に歩みたい』、そう言ったのだって生き残るための弁解のようなものだったのかもしれないです。」
かつてはそうだったかもしれない。しかし、今のこの俺の気持ちだけは、正真正銘嘘偽りのないモノだ。
「今の俺は、紅の執事です。あなたと共に歩んでいきます。
きっと帰ってきます。必ず帰ってきます。その時には受け入れていただけますか?」
俺は両手で彼女の顔を包みこんだ。真っ赤な瞳と漆黒の瞳がからみあう。
彼女は俺の手の甲を握りしめた。
「よろこんで。」
そして続ける。
「私からも・・・。
―私は会った頃から今もずっとあなたの主です。あなたと共に歩んでいきます。
きっと待ってます。必ず待ってます。その時には受け入れていただけますか?」
「もちろん、よろこんで―。」
二人で抱擁しあった。
誰も邪魔することのない、二人だけの時間が流れていく。
「それでは、お嬢様。
行って参ります。」
「いってらっしゃい。」
そして、俺は世界に溶けていった。
朱執事たる俺の物語は、ここで幕を閉じる。




