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赤執事 ~Scarlet's Butler~  作者: 鬼姫
【朱執事】嚆矢濫觴編
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Ep.56 最終回(?)

 はっ、と目を覚ました。

 揺らめくレースが木洩れ日となり、俺の鼻先をくすぶる。何だか体全体までも光で眩しく感じる。


 起き上がって一つ背伸びをした。

 その時にドアが三度鳴る。


「お目覚めでございますか?」

「あ・・・は、はいー!どうぞ!」


 俺は慌てて制服の乱れを整える。


「麟、"また"着替えなさらずにご就寝なさったのですか?」

「申し訳ございません!」


 咲夜さんは眉間にシワを寄せ、冷たい瞳で投げ掛ける。


「・・・でもこのやり取り、ここに来た最初を思い出して懐かしいですね。」


 俺ははにかんだ。


「ふふ、そうですね。」


 彼女も釣られてくすりと笑う。


 燻っていた笑いは、いつしか大きなな笑いに変わった。長い廊下に俺たちの明るい声が響き渡る。

 しばらくは心に任せて笑い続けていたと思う。




「ああ、そうでした。

 俺の制服は返した方がいいですよね?」


 収まりかけの笑いを抑えて彼女に聞いた。


「いえ、それはもうあなたのものです。お嬢様からそのように言伝てをいただきました。」


 予想済みか。さすが運命を操る能力をお持ちのお嬢様だ。


「さて私がここに来たのは、そのレミリアお嬢様からの召集をお伝えしに来たのです。」


 召集・・・ね。



 はて、ここで俺は迷った。

 フランの様子を見に行くか、レミリアの召集に応じるか。

 無論、当日だからと言ってすぐすぐに八雲紫が来るとは限らない。もしかすると、どちらの用も十分に済ませることはできるかもしれない。ただ、早々に彼女が来た場合の事を考えるとどちらを優先すべきか?


「私は先にレミリアお嬢様の召集に応じるべきかと。」


 まあ、そうだよな。一応彼女は紅魔館の主であるし、何より昨日の時点で朝一番にとの要望だったからな。

 それでも、フランへの挨拶はできるだけ遺恨を残さないようにしたいな。まあ、例えレミリアの話の途中や十分にフランへの別れを言えなかったときは、八雲紫に待ってもらおう。それぐらいの余裕はあってしかるべきだ。というよりも、最後の我が儘は通してもらうことにしよう。


「―ええ、そうですね。

 レミリアお嬢様のところに参りましょうか。」




 レミリアの部屋。

 やはり地霊殿の地味さとは違い豪華絢爛の限りを尽くした造りだ。一つ一つの小物の細部にわたるまで丁寧な装飾が施されている。それに、部屋全体の金と紅のコントラストは、脳をくまなく刺激した。


「いらっしゃい、二人とも。」


 レミリア・スカーレットは、高貴そうにカップを掲げて迎えてくれた。

 机の上にはいつにも増して豪華なもてなしがある。いつぞやの八雲紫が来訪した時より、ずっと華やかだ。これほどまでのモノは紅魔館に来て初めてである。


「とりあえず座りなさいな。

 これらはあなたのためだけに紅茶もお菓子も用意したのよ。家族であるあなたとの別れのために―。

 咲夜も一緒に惜しみましょう。」


 見たこともないような優しげな表情で、彼女は進めた。いつもの子供のような風体ではなく、まるで聖母のようだった。


「承知いたしました。」


 咲夜さんは深々と頭を下げる。

 レミリアの顔に驚いていた俺は、慌てて彼女に習い、お辞儀をした。



 丸テーブルを三人で囲む。馴れない顔ぶれで顔を合わせているが、不思議と照れ臭さや気まずさなどと行った感情は丸っきりなかった。逆に、何だかいつもこうして顔を会わせていたような気持ちがした。


「決断は、できたかしら?」


 彼女は低い声で訊ねる。


「正直、どうすればいいか腹を据えかねています。どちらにしても覚悟はできていますが・・・。」

「そう。」


 彼女はその返答を知っていたかのように呟いた。

 そして、俺の目をじっと見る。彼女の顔は確固たる意思を帯びていた。しかし、じっと見るだけで、一言も口にはしない。

 部屋にはただ沈黙が流れるばかりである。

 だが、俺には彼女のその意思ははっきりと理解できた。


「外の世界に帰って生きつづけろ。」


 前に言われた言葉が、視線からひしひしと伝わる。

 彼女たちは何も強要をしない。最終的には俺に任せる。そんな中でも、紅魔館の総意を俺に伝えたのだ。

 俺は目を伏せて彼女に軽く頭を下げる。


「そう・・・。」


 彼女は優しく囁いた。


「残りはゆっくりと紅茶でも傾けましょう?」

「はい。」


 顔を上げると、彼女はケーキを刺したフォークをこちらに向けた。

 いちごの甘い香りが心地よい。


「食べてみて。」


 俺は促されるままにフォークに口をつけた。


「すごく・・・美味しい!」


 香りや見た目に違わず、味も格別だった。今まで食べてきたどんなものよりも、優しくて温かい味がした。


「これ、フランがつくったのよ。

 あなたの為に。」

「フランお嬢様が・・・?」


 驚いた。料理ができたこともだが、何よりも彼女のその「手」でつくったことに、だ。


 彼女は、普段から破壊する能力よりも生み出す能力が欲しい、と言っていた。

 でも・・・・ちゃんとできてるじゃないか・・・。彼女のその手は、破壊するだけではない。ちゃんとすばらしいものを生み出せる能力をもっているじゃないか。


 思わず今まではりつめていた心のひもが、全て緩んでしまった。これだけでもうしあわせだった。


「ふふ、あなたもそんな顔をするのね~。」


 彼女は意地悪そうにフォークを回す。


「あ・・・、はは。」


 緩みきっていた顔を擦って俺は誤魔化した。



 その味を口にしてからは、俺はフランの顔が浮かんで仕方なかった。彼女たちの歓談にも耳が傾かない。

 しばらくそわそわしながらお茶を傾けていると、レミリアが唐突にフォークを止めた。白磁の皿に、ダイヤの装飾のフォークがかちゃりと音がたつ。


「落ち着かないわね―。

 フランのこと気になるんでしょう?行ってらっしゃいな。」

「え、でも・・・。」

「時間もないみたいだし、それに、隣でそわそわされてたら妹のつくったお菓子が楽しめないもの。」

「あ、ごめんなさい。」

「いいのよ。いなくなった分は私がもらっておくから。」


 やれやれちゃっかりしてるな、レミリアは。



 俺は一礼して、彼女の部屋から飛び出すようにフランの元へと駆けていった。

 どこまでも続くような廊下や幾段にも積み重なった階段を振り返らずに蹴飛ばす。途中で出会った妖精たちには目もくれなかった。クスクスと風がささやくのも聞こえない。ただひたすらに、足の向く先に踏み出していく。

 俺は一つの砲弾になった。



「お嬢様!!」


 俺はノックするのも忘れて、扉をどんと突き飛ばす。鉄の扉は、押し負けていともたやすく道を譲った。


「え、あ!麟!?」


 フランドールはベッドに寝転んで、漫画を読んでいた。

 滅多に・・・いや、もしかしたら初めての突然の訪問だったのかもしれない。彼女は漫画をナイトテーブルにほうって、わさわさと服装を触っていた。

 最後にパッパとスカートの裾を払ってこちらを向いた。


「麟、どうしたの?」

「お嬢様・・・。この一年間、本当にお世話になりました。」


 俺はこれ以上ないほどに深々と頭を下げる。


「・・・うん。」


 彼女の声が小さくなった。


「それで、俺は八雲紫が来たら、外の世界に帰る旨を伝えます。」


 彼女が悲しみと喜びに満ちた、複雑怪奇な顔をした。どうして声をかけたら良いのか、わからなそうだった。


「それでですが・・・一緒に外の世界へ行きませんか、フランドールお嬢様。」


 フランは一瞬何を言われたのかわからなかったようである。

 複雑怪奇は、キョトンとして間の抜けた表情にかわった。


「フランドールお嬢様、あなたは俺に生きていてほしいと言っていました。しかし、俺もあなたには生きていてほしいと願います。

 "家族"と離れ離れにはなってしまいますが、どうか―」


 もう一度頭を下げる。ずっと下げる。彼女の声を聞くまでは。


「うん・・・。でもお姉さまたちが。」


 その時扉が音をたてた。

 俺は懇願をしたままに入り口の方に目をやる。


「フラン、構わないわ。

 あなたはあなたの一番したいことをしなさい。」


 レミリアが開けた扉の枠にもたれかかったまま話している。


「私たちのことは心配しないでちょうだい。

 もし幻想郷に何かあれば、皆を連れて外に出るわ。その時までの別れよ。」

「お姉さま・・・。」


 レミリアは嘘をついた。恐らく出るつもりはない。

 どうして虚言だもわかったのか?彼女が俺に、ここに皆で残ると言ったことが、嘘かもしれないじゃないかと考えるかもしれない。

 しかし、それの余地はなかった。


 レミリアは泣いていたからだ。


「大丈夫だから・・・安心して行ってらっしゃい。」


 そのように泣く泣く述べた後に、見てられなくなったのかすぐに帰っていった。



「何かあったならきっと皆を連れて来る・・・なら安心かな?

 どう思う、麟?」


 彼女は姉の言葉を疑わなかった。いや、心の底ではおかしいなとは思っていたのかもしれない。

 それに対して俺はこう言った。


「大丈夫です、きっとまた会えますよ。」


 俺は希望的な言葉を口にした。しかし、心の底ではそんな気持ちはなかった。

 レミリアはここと共に消滅することを断言していた。それに、それを裏付けするようにして涙を流した。話を聞いたときには、或いは、と思っていたのだが、先程を見て本気であると確信した。

 だから、この時の言葉は、希望でも、哀れみでもない、一種の占有の感情から来たものだと告白しよう。それに気づいて、自分は最低だと思った。




 間もなく、八雲紫は姿をあらわした。

 玄関から悠々とした面持ちでやってきたらしい。彼女はそれから待つことなくフランの部屋に来た。


「やはり、こちらに入らしたのですね、麟。」


 にっこりとした顔で部屋を跨ぐ。


「紫さん、決まりました。」

「そう。」

「俺は俺の世界に帰ります。」

「そう。」


 はじめのそう、とは感情が違っていた。とても哀しそうな、いや、嬉しそうでもあるのか・・・?

 でもやはり、幻想郷の管理者として、一人の妖怪として、世界を失う決断が下されたことに失望しているのだろう。


「それと八雲紫さん、ひとつお願いがあります。

 俺は外の世界に帰ります。それに加えて、彼女・・・フランも一緒に行きたいのですが。

 手配して頂けませんか?」


 彼女はフランの方を一瞥した。

 一瞬だが、怪訝になっていたように覚えている。


「ええ、わかりました。問題ないように手配いたしますわ。」


 先程の一瞬が嘘のような笑顔を浮かべた。


「本当に帰ってしまわれるのですね・・・。」


 そして残念そうな顔をした。


「はい。それで俺たちはいつ頃外に送ってくれますか?」

「今からでもよろしくてよ?」


 今から、か・・・。

 そういえば、幻想郷は後どのぐらいまでもつのだろう?


「既に兆しは現れておりますわ。

 そこで改めて計算したところ、余裕を見てはいますが、ここ1週間で確実に崩壊するでしょう。」


 そこまで危険な状態にあったのか。少し名残惜しさはあったため、時間が許せばもう少しだけこちらに居ようかとは思っていた。しかし、その猶予はなさそうだ。


「それでは今からお願いいたします。」




 俺は紅魔館のエントランスに向かった。

 最後の最後に挨拶をするため、とりあえずレミリアの部屋に向かおうとしていた途中だ。


 エントランスには人だかりができていた。全員が見知った顔、そして、家族だった。

 驚きが隠せなかった。すると急に俺とフランは後ろからその人混みに押し込まれ、その中心に出てしまった。中心にはレミリアがいつもの傲慢な態度で立っていた。

 まわりが夏場の向日葵のような表情で騒がしく見守っている。


 レミリアが一歩前に出る。同時にざわめきは囁きになった。


「いってらっしゃい、フラン、麟。」


 彼女は最後の最後に無垢な笑顔を示すことを選んだ。最愛の妹との別れを一粒の涙を見せることなく、笑顔で見送った。

 俺たちもそれに答える。


「行ってきます。」


 そして、俺たち二人は紅魔館の扉を越えていった。

 




 気がつくと目が覚めていた。視界は夕日の赤色に染まる世界を捉えていた。頬に石畳の冷たさがやんわりと肌に伝わっていく。寒さはない。もしかしたら、八雲紫は俺がここに来る丁度前、つまりは、神社の石段を踏み外した時のままの時間に送ってくれたのかもしれない。


 しばらく石畳の心地よさを味わう。あたりでは、さわわ、さわ、さわわ、と木々がさわめく。まるで今までのことが夢の中の出来事だったような静けさを感じた。


 その後にゆっくりと起き上がってまわりを見渡した。そして呼び掛ける。


「おーい、フラン?」




 俺はそれから夜が明けるまで、ふらふらと徘徊するように彼女を探した。

 八雲紫のスキマに飛び込んでいくときも、離れないよう、離さないように手をつないでいたのに・・・。

 なぜ?もしかして俺のせいなのか?こちらに来たとき気絶して、手を離してしまったから?

 考えれば考えるだけ血の気が引いていくのがよくわかった。




 しかし、結局、フランドール・スカーレットを探し当てることはできなかった。


 その後の話である。事故の療養という名目でしばらく休学をして、間に色んな所を散策した。大学の周辺はもちろん、県内県外問わず、心当たりのある場所はすべて行った。


 ちょうど一週間経たないかぐらいの時、事件が起きる。始まりを知ったのは朝のテレビニュースだった。その時俺は今日探しにいくところの場所と天気の確認をしていた。


「午前11時3分ごろ××で強い地震がありました。」


 最初は他人事のように思っていた。いや、俺の住んでいるところでも、実家でも大きな影響がなかったから心のどこかで他人事になってしまっているのは間違いない。

 さて、その地震を皮切りにして、各地で連鎖するように地震が起きた。俺の住んでいるところも、実家も影響を受けた。その両方ともひどい状況にはならなかったのは幸いである。

 初めはただの周期的現状だと割りきっていたのだが、連鎖が続くたび、頭の霧が晴れるように一つの結論に行き着いた。


「もしかしたら、幻想郷が壊れたせいかもしれない。」


 それは断言はできない。

 もし、地震の復興作業中に、遺跡の一部だとか神社の破片だとかあれば確証が得られるのだが。





 それから3年の月日が流れる。不運なツキも尽きたかのように、何事もなく過ぎていった。一度は留年をしたのだが、現在は就職も決まり卒業待ちを何とか迎えることができている。

 あれだけ葬式のように落ち込んでいた全国も一応の落ち着きを見せた。地震に関して、政治家が何やらで謝罪したとか、安全危機管理だとか、予想外だとか、何とか運動だとか・・・世間では激しい議論が展開された。現在もされている。しかし、俺にとっての興味関心はそこにはなかった。


 そうはいっても、年を経るごとにフランへの関心も薄れていった。しかし、ここで提言しておくが、心の底では忘れた瞬間はない。

 最初の一年は毎日どこかしらに探しにいっていた。次の一年で一週間に。そして今では月に一度になってしまった。




 そして、今日。卒業の2日前だ。

 俺は、この日を境に積極的に彼女を探すことを止めよう、そう決断した。こちらの生活に戻った俺は、社会の歯車に組み込まれることを拒まなかった。最近気づいたことではあるが、能力も使えなくなっている。幻想郷にいたという証拠は、なくなった片腕だけだ。これが無ければ本当にあれが夢だったと思ってしまうだろう。


 だから、これを最後に幻想郷の住民であったことを忘れることにした。



 俺は電車に揺られる。

 がたんごとん、がたんごとん・・・。一つの系譜を刻むようなリズムで電車は目的地へと運んでくれる。


 今日向かうところは、某県にある白嶺神社だ。


 なぜここに赴くことにしたのか?

 実はネットで東方projectに関わることを調べているときに、とあるサイトの「博麗神社のモデルは実在した!」という見出しを見つけたのだ。気にしてみなければ気付かない小さなサイトだ。

 この3年間気づかなかったのは迂闊ではあるが、知らなくても仕方はない。俺はそこまでのコアなファンではないからな。


 さて、そういうことで某県某市に向かっている。そこに行くのならばある程度新幹線で移動した方が明らかに早く着く。しかし、俺はずっと在来線に揺られることにした。

 ゆっくりと揺られる窓の景色からは、震災の生々しい傷跡が飛び込んでいる。その姿は様々だ。

 都市部では瓦礫になったビルの山が一所に集められたりしている。

 地方では今だ整備されないひび割れた道路や、地肌が露になった山々。

 そうまでして景色を見たいのか?非効率だ、不経済だと罵られるかもしれない。しかし、俺はこの道を行くことで、社会というものの守られた内側から現代社会に対して、最後の提起をしようと暗に思ったのだ。これから社会に入ろうとしている若者の一つの言葉に表せられない"疑問"という小石を、大きな海へと投じているのだ。



 朝早くに出発したのについてみれば、既に夕方だった。一応こうなることはわかっていたので宿をとっている。

 調べたところによれば、白嶺神社は山中にひっそりとあるらしい。日が暮れて以降の来訪は危険を伴う。行くならば明日の朝からがいいだろう、と判断した。



「こんばんは!

 予約していた冴月という者ですが。」


 旅館の入り口を開けてみてもしばらく誰も来なかったので、少し声を張ってみた。きちんとした旅館だが、山間に位置しているうえに、民宿のようなひっそりとした小さな建物である。それでも経営はある程度上手くいっているようではあった。

 声が通ったのか、待たずして奥の方から二人の着物の女性がやってきた。

 まずは初老の女性が仰々しくお辞儀をする。


「お待たせして失礼いたしました、当旅館女将の山波と申します。」


 続いて未成年と思わしき女性が頭を下げる。

 その青々しい美白の顔は以前一度見たことがあるような気がした。


「私はハクレイレイムと申します。

 若輩者ですが、こんばんはよろしくお願いいたします。」


 レイム?それにハクレイ・・・!?


 まさか博麗霊夢は生きていたのか?いや、もしかしたら他人の空似ということもある。

 いやいや、ダメだ!!どうも他人とは思えない。どう見ても一年前に紅魔館で出会ったあの顔だ。


「お部屋にご案内いたします。」


 衝撃を受けたまま、二人に連れられて一番奥の左の部屋に入った。小さな旅館とはいったが、一人旅には十分すぎる広さだ。


「私どもは失礼いたします。

 それと、ご夕食はもうすぐ準備できます。次第お部屋にお持ちいたしますので、それまでごゆるりと。」


 彼女たちは去っていった。

 驚きと一筋の希望のせいで、なにも聞くことができなかった。色々聞きたいことや話したいことがあるのに何も聞けなかった。

 しかし、聞くだけならば夕食の時にでも、明日にでも、いつでも聞ける。今は、3年間探し続けていたフランに会えるかもしれない、そう思えただけで十分過ぎた。


「最後の最後に諦めなくて良かった・・・。」


 俺一人だけになってから、知らぬうちにそう口にしていた。



 夕食は本当に十分と待つことはなかった。レイムという少女のあまりの早い登場に、ここでも驚かされてしまった。

 運ばれてきた盆には、ごはん、味噌汁、鮭、おひたし、金平、冷奴と豪華に盛られていた。

 しかし、ごはんだけに目をとられてはいけなかった。やるべきことをしなければないない。

 さっと立ち去ろうとするレイムを呼び止めた。


「いかがいたしましたか?」


 焦った上に驚いた表情だった俺の異様な出で立ちは、彼女に不審な思いをさせたのだろう。あからさまに早く戻りたいという顔だった。


「ハクレイレイムさんですね?

 俺を覚えていますか?」

「は?いえ・・・、どこかでお会いいたしましたか?」


 覚えていない?


「"博麗神社"の巫女をしていませんでしたか?」


 その瞬間に彼女は着物の袖から細身の刀を抜刀し、俺の首目掛けて刃を飛ばす。

 どこにそんなものを隠していたのか。違う、隠してなどいない。これは、幻想郷でみた「不思議な力」だ。

 まさか幻想郷の住民が生きていたとは!


 そう思ったのは後のことだ。この時は生命の危機に瀕していてそれどころではない。


「ひっ!?」


 俺は反応できないまま固まってしまった。

 幸い彼女は斬るつもりはなかったようで、切っ先は首筋数ミリのところで止まった。


「あんた、何者?」

「レイムさんと同じく、最近まで幻想郷に居たものです。

 よろしければお話を伺いたいのですが。」



 俺はここまでの経緯を一方的に伝えた。幻想郷で何をしていたこと、幻想郷を見捨てたこと、そして、白嶺神社に来たのはフランを探すためだということ・・・。

 刀を納めた彼女はふむふむと頷くこともなく、目を瞑ったまま黙って聴いた。


「なるほどね、わかったわ・・・―わかりました。」


 そう言って袖を捲り、1つ分俺に近づいた。

 そして、拳を思いっきり振りゆく。


 バコン!


 殴られた顔と共に、体は吹き飛ばされた。

 少し頬の痺れに唸っていると、口のなかから鉄の味がした。


 彼女は直ぐに元のように座り直している。俺を見る目が、不審なから冷たい怒りに変わる。


「わかっています。あなたに殴られるのは承知の上です。」


 俺は痛みを噛み締めながら向き合った。


 彼女は一度ゆっくりと目を閉じて開く。その時には憤慨した熱を帯びた目はなく、ただただ冷たくなっていた。


「ひとつ、あなたは間違っている。

 あなたの知っている幻想郷と私の幻想郷は違うわ。」


 ・・・どういうことだ?


「話を聞いてもほとんどピンと来ない。あなたの世界で起こったことは私の世界では起こったことがない。

 幻想郷だとか、人物だとか、建物だとか、共通しているところはあるようだけれどそれだけよ。」


 つまりは平行世界・・・?

 そういうことは、もしかしてここも平行世界なのか?


「平行世界、ね。確かにそうでしょう。

 でも、恐らくだけれど外の世界はお互い共通だと思うわ。あなたの話を聞いている限り、こちらに帰ってきて現実の齟齬だとかあったものがなかったり、なかったものがあったりとかないみたいだし。

 平行世界ならばそういうことあるのではないかなと思うのだけれど。今の私たちみたいに。

 ・・・まあ、でもこっちに関しては確証はないわ。」


 なるほど。


「とすると、あなたのいた幻想郷は・・・?」

「帰れなくなったわ。

 あなたがこちらに帰ってきて一週間くらい後に、私は用事でやって来た。目的を達成した後、すぐ帰るつもりだったけれど、気がつけば幻想郷の気配すらなくなっていた。

 どうしようもなくなった私は山波さんに拾われて、養子になり、ここで働いている。」


 俺は覚悟をしてはいたが、この話を聞いてさっと血の気が引いた。

 俺がしたことの重大さの認識が、甘かったのだ。そのところをきっと八雲紫は知っていたはずだ。


「あなたが壊した世界は1つじゃない。あなたは無限にある幻想郷を全て残らず蹂躙していったのよ。」


 怒りを押し込めた声で投げ掛ける。それを避けることはできたが、俺は逃げなかった。


「明日、ここの業務の一貫で白嶺神社を見に行くわ。

 一応見に行くのでしょう?その・・・フランドールだったけ?―その子を探すために。」

「はい。」

「許可するわ。

 ただし、それが終わったら直ぐに帰って。そして二度とここには来ないでちょうだい。」



 いつの間にか食事は覚めていた。

 それを俺はモソモソと食べる。まずいだとか、血の味がするだとかは思わなかった。ただなにかを食べている。その感触だけが舌にあるだけだった。

 食べ終えたら、お風呂に入り、布団に入り眠った。―何も考えることなく。考え始めたら、その分辛くなりそうだったからだ。



 翌朝。

 昨日のこともあってか、朝食が運ばれて来る頃には目が冴えていた。この時は初老の女性が配膳してくれた。


「冴月様、うちの靈夢から聴いたのですが、白嶺(しろみね)神社にお行きなさるのですね?」

「しろみね、神社・・・?」

「おや、勘違いでございましたか?白嶺神社は山の方にひっそりとある神社でして・・・。」

「あ、白嶺神社!てっきり読みはハクレイかと思ってました。」

「ほほほ、仕方ありません。私どもも正確な名称は知りませんのよ。ただ、子供のときから周りのものが、"しろみね"と言っておりましたので。

 本当にこの読みが正しいのか誰も知らぬのです。

 ですが、あの漢字をハクレイだと最初から言ったのは、あの子とあなたぐらいでございます。これも何かの運命かしらね?

 ほほほ。」


 こちらの神社の名前を知っていたわけではない。

 俺たち幻想郷にいた者としては、しろみねよりも、ハクレイという名の方がしっくり来ただけだと思った。


「それでは、支度が出来次第お声がけしてくださいまし。」




 支度・・・と言われるくらいのものは持ち合わせていない。何せ目的は決まっていたし、長居できるほどの余裕もなかったからな。

 すぐに荷物をまとめて山に出発させてもらった。隣には、巫女装束と雑具を手にもった博麗靈夢がいた。

 道のりは山中深々とはしていた。しかし、獣道のような細さの道には、朽ちかけているが、ちゃんとした石造りの階段がちらほらあった。


「着いたわ、ここよ。」


 一瞬目を疑った。まだ山中と思わしき場所でいきなり声をあげるのだから。でも確かにちいさな鳥居とこれまた小さな社はあった。

 まさかこれが白嶺神社なのか?彼女の復讐のために、別のところに連れていかれたのではないのかとも思った。

 しかし、社の中へと入っていく彼女の真剣な横顔を見て、疑いの霧は晴れた。


「これが白嶺神社・・・。」


 あまりにもみすぼらしい。そして、悲しい。

 実際の博麗神社の方をみたわけではないが、俺の知っている神社の中でこれほどはなかった。ちっぽけな場所で朽ちていくのを待つだだひとつの骸のようだった。


 彼女が出てくるまでの間、辺りの散策を済ませておこうと草むらをかきわける。


「なんだあれ?」


 一つ踏み入れたとき、少し向こうの方の木の根本に赤っぽい塊があるのが薄ぼんやりと見えた。

 すぐさま駆け寄る。


 しかしこの行動は間違いだった。

 その木に到着したとき、塊が死体だということに気づいた。既に白骨化しているところを見ると、1年以上は経過しているはずだ。さらには、泥や植物の緑が白い骨を汚している。

 


 それに、死体には見覚えがあった。

 少女ほどの大きさで、赤いスカート、それの周りには虹色の宝石のようなものが散らばっている。


「フラン・・・?」


 絶望に満たされた声で呟く。返事は返ってこない。

 俺はへたり、と力なく座りこんだ。踏み倒された草から虫どもがさささと退散していく。


「フラン・・・?」


 もう一度呼び掛ける。

 それでもやはり返ってくるものはない。


 四つん這いになって骸に這い寄っていく。

 そして、転がっていたナイトキャップを拾い上げた。いつも真新しく手入れされていた木地は、今となっては薄汚れている。



「こんなところで何をしてるの・・・―。

 ・・・もしかして、それがあなたの探していた子?」


 靈夢が後ろからやって来て、覗きこむ。

 俺ははっと現実に戻る。


「なんで・・・こんな・・・。」


 ぎゅっと帽子を胸で握りしめる。


「嘘だ・・・あれだけ離さないように手を握っていたのに。」


 頭を泥につける。

 嗚咽や吐き気が込み上げる。

 押し込めようとして塞き止められなくなった感情の波が、俺を流していった。



 もう何が何やらわからなくなった。

 声も思考も感覚も、全てが爆発した。頭も体も白い波しぶきのように弾けて散っていく。


 そして、その小さな小さな飛沫は、次第にセカイと互いに連鎖し始める。


 弾けてぶつかって弾けて・・・、いつしか思考もセカイも白に塗りつぶされた。

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