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11/11

11・消えない罪




走ってもいないのに息が苦しい。

歩道を行き交う人たちに倒されてしまいそうだ。


歩いているのか止まっているのかわからないぐらい要《かなめ》の歩みは遅かった。



光里《ひかり》は探していたのだ。

逃げるように姿を消した自分のことを。


終わらせることなどできないことも重々承知だ。


でももう…



「蘭《らん》…」



思わず声になった蘭の名前。

要は道の端によって立ち止まり、目を閉じた。


夜の冷たい風が要にぶつかってから通り過ぎていく。

まるでここにいたら邪魔だ、と言われているみたいに。



せっかくみんなと話せるようになったのにな。

偶然だったけど、蘭にまた会えたのに…



要の心の声は誰にも届かない。

冷えた肩を震える手で抱きしめた。


ふと、手が温かくなった。


閉じていた目を開けて要は温かくなった自分の手を見つめた。



「山岡《やまおか》」


「…」



一瞬、心の声が届いたのかと思った。


自分の手の上に重ねられていたのは…

温かさの正体は蘭の手だったのだ。



「山岡。一緒に来て」


「佐伯《さえき》、俺、」


「いいから」



もう俺に関わらないでくれ。


そう言わなければいけないのに、声にならない。


蘭に手を掴まれて要は立ち上がった。


タクシーを拾って二人で乗り込む。

要は今にもあふれてしまいそうになる涙をこらえるのが精一杯だった。



着いたのは蘭のマンションの前だった。


以前、酔った蘭を送ってから来たことはなかったが要の記憶に深く刻まれている場所。


蘭は足を止めてしまった要の手を再び掴んで

自分の部屋に連れて行った。



「ごめん」



二人で床に座った途端

いきなり謝った蘭に、要は下を向いていた顔を上げた。



「聞いてたんだろ?」


「…」


「理由なんてわかんないけど、あの人を…

篠塚《しのづか》さんを山岡に会わせたくなかった」



要が目を丸くした。


何から話していいかわからない蘭は、肩で息を

しながら言葉を探していた。



置き時計のコチコチという音がやたらと大きく

聞こえる。


蘭は探し当てた言葉をそのまま要にぶつける

ことにした。



「話したくなかったら話さなくてもいい。

でも、山岡が…こんなにつらそうにしてるの、

見てられない」


「佐伯…」


「どうしたらいい?俺になにかできる?」



蘭の真っ直ぐな眼差しは要の瞳から涙をこぼさせた。


止まらない涙を拭うこともせず、要はゆっくりと

首を横に振った。



「大丈夫。佐伯は何もしなくていい」


「でも、」


「辞めるよ。俺が全部悪いんだ。

みんなと仲良くなろうとした…俺が」



気づいたら蘭は要を抱きしめていた。


要の体が大きく揺れる。

しゃくりあげていた声はすぐに嗚咽に変わった。



「辞めないでよ。ダメだよ。好きなんだろ?

今の仕事」


「う、う、うっ」


「元のお前に戻ってほしいとかじゃない。

今…これから…お前が楽しかったらそれでいいんだよ」



抱きしめた腕の中から要が涙まみれの顔を上げて蘭を見つめる。


蘭も何度も頷いて要を見つめた。



「力にならせてよ。俺たちもう仲間だろ?

塔太《とうた》や菜々(なな)さんや桜《さくら》ちゃんも同じ気持ちなんだよ」


「…やっぱり…覚えててくれたんだよな」



要が涙を流しながら微笑むと今度は蘭が目を丸くした。



「え、山岡…俺のこと…覚えてたの?」



生徒会長で友達が多くて。

一度ぶつかっただけなのに、10年経った今も

要が覚えていてくれた。


高校の時の親友の武市《たけち》から、要が蘭のことを気に入っていると聞いたがそんなことはもう忘れているはず。


10年だ。長い長い年月だ。


しかし要は蘭の予想に反して覚えていてくれた。



「覚えてる。アトリエピーチの初出勤の日も

すぐに…蘭だってわかった」


「言ってよ。俺だってすぐにわかってたよ」



高校の時と雰囲気が逆でおとなしそうだったが

すぐに要だとわかった。


1日たりとも忘れたことなどない人だ。

当然といえば当然なのかもしれない。



「蘭が、俺のことなんて覚えてるわけないって

思ってたから」


「まんま俺のセリフだよ。要…と絡んだのなんて一回だけだし。

まあ、覚えてないと思うけど、」


「生徒会室の前でぶつかったとき、だろ?」



10年前なのに二人の脳裏にはあの時の記憶が

一瞬で蘇った。

表情も声も、ぶつかった体の感触も。



「待って。さっきやっぱりって言ったよな?」


「うん。前に、酔った蘭をここに送ったじゃん。

その時に、蘭が覚えてる的なことを言ってたから」



うれしかった。そしてこれ以上関われないことが悲しくて辛かった。


ずっと思い続けたきた人に偶然会えて、

しかも覚えていてもらえたのに…


しかし出会わなかった方が良かったとは

どうしても思えなかった。



「マジ?恥っ」


「…ありがとう。蘭。会えて良かった」


「ダメだぞ。これで終わりみたいな言い方すんな。

みんないるんだ。あの、アトリエピーチの

デザイン室が要の居場所なんだよ」



また一つ、要の目から涙が落ちたが

口元は微笑んでいる。


優しいその表情に蘭の胸はざわざわと音を立てた。



「俺は、人と関わったらいけないんだ。

一人で孤独に生きていかなければならない」


「…なんで」



すう、と要が大きく息を吸った。


そして心配そうな顔をしている蘭にもう一度

微笑んだ。



「俺は、人殺しだ」


「…」


「今日来てた篠塚光里《しのづかひかり》。

彼女の姉の篠塚明里《しのづかあかり》を

俺が自殺に追い込んだ」





大学の時、同じゼミで仲が良かった明里《あかり》から告白された。


要は友人としてしか見ていなかったし

明里もそんなそぶりを全く見せていなかった。


仲の良い友人だったので丁寧に断ったつもりだ。


しかし…




言葉にするのも苦しい。


大きく吸った息に手伝ってもらって要はそう

蘭に話した。



「告白された時、高校の時からずっと好きな人がいるからって言って断ったんだ。

明里はそっか、ってそれはしょうがないよね、って言ってたのに…」



明里は要の異性の友人の中では自分が一番

仲が良いと自負していたのだろう。


だからこそ彼女のいない要に断られるなど

思いもしなかったのかもしれない。



「それから学校で全く会わなくなって。

ゼミにも来ないし。変だなって思い始めて

先生に聞いたら…辞めたって」



辞めた理由までは教えてもらえなかった。


明里を見かけなくなったのは告白された次の日

からだったことから、要は日に日に自分のせいで明里が大学を辞めたのかもしれないと思うようになった。



「明里が辞めたことを知ってから一ヶ月ぐらい

経った日、思い切って電話してみたんだ」



明里は友人としては本当に良い人だった。

なんとかして話ができないものか。


そう考えた要はいてもたってもいられなかった。



「でも、電話に出たのは…さっき来てた妹の

光里《ひかり》さんだった」












明里の携帯に電話をしたのに出たのは妹の光里。


なぜ?と思ったが、たまたまだろうと考えて

要は同じ大学の友人の山岡、と名乗った。



「よく電話なんてしてきましたね」



当時まだ高校生だった光里は、まだ幼さの残る声でそう言い放った。


光里のその一言で、要は自分の予想が的中した

ことを知る。

やはり明里は要にフラれたことによって傷心し、大学を辞めたのだ。



「…お姉さんに変わっていただけますか」



明里が出たところで何を話したらいいのか

正直わからなかった。

しかし要はなにか自分にできることはあるはずだと信じていた。



「変われません」


「…」


「姉は亡くなりました」



脳天から一気に体が崩れていくみたいな

気持ち悪い感覚。

かろうじて握っていた携帯が痛いぐらい

冷たく感じる。


明里が亡くなった。


その前の光里の冷たい声や言葉から、亡くなった理由はフラれたことだったのだろう。


要にはそうとしか思えなかった。



急に喉がくっつくほど乾く。


そんな環境で声など出るはずもなく、要は自分の冷たくなった手を握りしめた。



「姉によく話を聞いていました。

姉は…本当に山岡さんのことが好きで。

大学ではいつも一緒にいたんでしょ?

フラれるなんて夢にも思ってなかったんですよ」



返事のできない要を放っておいて、妹の光里は

淡々と話をした。


確かに光里の言う通りかもしれない。

一番仲が良かった明里とはいつも一緒に行動していた。


しかしそういう感情が自分には全くなかったからなのか、明里からも感じることはなかった。


要には高校の時からずっと好きな人がいた。

だからなおさらだったのだろう。



しかし明里はそうじゃなかった。

その想いは強く大きなものだったのだ。



「ひどい」


「…ごめん、ごめんなさい」



光里に聞こえただろうか。

今にも消え入りそうな要の声は涙に変わった。



明里がもうこの世にいない。

そしてそれは自分のせいだ。


少なからず思わせぶりな態度をとっていたのかもしれない。

誰とでも同じように接していたつもりだったのに。



「山岡さんのこと許さない」



光里のその一言で通話が切れた。



真っ黒になった携帯の画面。

要はその場に突っ伏して叫ぶように泣いた。







要の手がガクガクと震えている。

蘭は慌ててその手を両手で包んだ。



「蘭も知ってると思うけど、俺はいろんな人と

話すのが好きで…その人たちが喜ぶことをするのが好きで…

でも、それが…ダメだったんだ」



明里が誤解するような行動や言動があったのだ。

要にそのつもりはなくとも。


そんな自分が人一人の命を奪った。

許されることではない。



「だから俺はもう、人と関わらない方がいいってわかったんだ。

今までの自分は間違いだった」


「要…」



なんて大きなことを抱えているのだろう。


要になにかあったことはわかっていたが、こんなにも抱え切れないほど大きなことだったなんて。



適当なことは言えない。

しかし蘭にはどう考えても要が悪いとは思えない。


明里も深く傷ついただろう。それゆえ命を絶ったのだ。


しかしそれを受けた要はもっともっと心をえぐられるほどに傷ついている。


明るくて誰とでも仲良くなれた過去の自分を

封印してしまうほどに、傷は深いのだ。



「要は悪いことしたの?」



要は濡れたまつ毛を小刻みに揺らしながら

蘭の目を見つめた。



「…俺が…明里をフッたから…」


「だって好きじゃないんだろ?

普通、好きでもない人と付き合わないだろ」


「そうだけど…」


「先に言っとくけど別に慰めるとかじゃないから。

疑問に思ってること聞いてるだけだから。

要は悪いことしたのか?」



ぎゅっと力を込めて要の手を握る。


蘭の言っていることを要は何度も口の中で

呟いていた。






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