2-49.ただもう一度、君と会うために
テミス、と呼ばれた男は何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
泣くまいと我慢を続けるアレッシアへ、やがて諦めたかのようなため息を吐き、目を伏せる。
「そうかぁ。気付いちゃったか」
「ばか。なんで気付かないと思ったの」
「だって、こんなおじさんだよ? あの頃よりも人相は変わってしまったし、髪だって染めてる」
「でも、目は変わってない」
真っ先に感づいたのは目だ。
昔からアレッシアを知っているような、少年の頃と同じ眼差しからはじまって、次に微かな面影を見出した。リベルトは変わったと言ったが、アレッシアにしてみれば連想に至るには充分な余地がある。
だが、リベルトは笑った。
「……いやぁ、それは君の勘が鋭いだけだよ。私は結構な人殺しだから、若い頃みたいに誰かを慮るような優しさはない。レアにもそう言われたし……普通は気付かないさ」
その言い様に腹が立って、両手で思い切り中年の頬をつねる。
痛い、とリベルトは笑うが、そのどこか嬉しそうな表情に、アレッシアはいっそう腹を立てた。
ぼろぼろに泣きながら頬を引っ張るアレッシアを、リベルトは抵抗もせず受け入れる。
指が手が疲れて力を維持できなくなったところで手を離すと、アレッシアは両手をわななかせながら無言で涙を零す。
「泣かないでよ」
「うるさい」
まるで少年の頃そのままのような問いに、ぶっきらぼうに返す。
好きで泣いているわけではない。
だが、このリベルトは間違いなくアレッシアの友人であり、大勢を殺し、仲間に先立たれた少年だった事実に感情の行き場がない。
鼻水を垂らしはじめる有様に、リベルトは苦笑しながら立ち上がろうと膝に手を当てる。
俯き加減になりながら言った。
「ずっと君に会いたかったんだ」
アレッシアを見下ろしてくる顔は柔らかい。
「ほら、別れ際の君は、心配事がありますって感じだったからさ。君は私の夢を叶えてくれて、私は満足しているのに、どうしていつまでも心配そうなんだと気になってた」
「……夢?」
「私はずっと王冠が欲しかったから」
リベルトはポーチからハンカチを取り出し、アレッシアに手渡す。
そして彼女では知る由のない、テミスとしての本心を語った。
「テミスは、苦労知らずのお坊ちゃんが奴隷を兄と呼んで慕ってくるのが憎かった。私達を疎んじた父や、母を墓に埋めようと提案した王妃をいつか殺すつもりで、ニキフォロスにとって都合のいい道具を演じた」
「道具、って」
「感情を殺せば、面白いほどに私を信頼したよ。いつか兄弟として盃を交わしたいと言いながら、兄を命すら危うい危険地帯に送り出してね」
たしかに、テミスがアレッシアを助けたときも少人数の任務だった。
タダムからリンヴェを取り返すのも、アレッシア達がいなくては死んでもおかしくない状況だったから、ニキフォロスの「信頼」を否定できない。
でも、と、アレッシアは喘ぐような声を漏らす。
「でも、ニキフォロスはテミスが好きだったのに……」
「あれがミノアニアの王族なんだろう。それを否定するつもりはないが、無意識に放たれる傲慢が私は嫌いだったし、王族を殺す大義名分にはならない」
「……殺人、に、大義名分なんて、使っちゃ駄目だと思う」
苦しそうなアレッシアに、リベルトは嬉しそうだ。
「君はそれでいい。でも私は、テミスは違った。どうにかして彼から継承権を奪いたかった。私という人間を世界に認めさせてやりたかった」
ミノアニアという国を見たからわかる。
あの国では、いくらテミスが王の子だからといっても、奴隷が王族になるなど、よほど特殊な事例がない限りは許されない世界だ。
しかし、その事例をアレッシアが作った。
だからテミスは、弟を手に掛けることもなく、正当な王冠を与えてくれたアレッシアに感謝したという。テミスとニキフォロスの仲を知っているだけに絶望したくなる告白だが、リベルトはほんの少しだけ、アレッシアに救いの手を差し伸べた。
「でも、それはあの時の感情だ。いまにすれば、ニキフォロスを直接手に掛けていたら、私は誰かを信用したり、優しくすることはできなかった。まともに治世を敷けなかったと思うんだ」
「……結局、どういうこと?」
「憎いと言うほど、ニキフォロスを嫌いじゃなかったんだと思う」
無論、気付けたのは大人になってからの話だが、と寂しそうに笑って。
「私はケルテラとリンヴェを殺した」
青ざめるアレッシアへ、やはり苦笑を続けたまま、彼は続ける。
「彼女達に裏切られて、殺すべきではない人々に火を点けた。八つ当たり気味に一つの国を滅ぼしたことで、レアとオミロスは私を非難し、責任を取ると言って自ら命を絶った」
女神に見せられたテミスの未来だ。
問いの答えを返されているようなアレッシアへ、他にもリベルトは自らの行いを告げる。
テミス王は多くを殺した。
侵略した国に反逆の兆しがあれば磔に、作物が不足すれば大量の口減らしを、政に逆らいそうな芽は女子供であろうと淡々と摘んだ。
人々にテミス王を知らしめ、ミノアニアという国の熱狂で視界を麻痺させるために、彼はあらゆる手を尽くした。ロアの言っていた、人間世界における「テミスは多くの血を流した」と述べるのに相応しい所業と残忍さだ。
それは晩年、リンヴェの遺した忘れ形見、すなわち自身の子に命を奪われるまで続いた。
テミスは死した後、冥界に行く直前で女神に召し上げられた。
これは神の世界において稀にある話だ。
人間が歴史的な偉業を成したと神が認めれば、魂から肉体を構築し、神のために働く権利を与えられる。英雄ゆえに多くの命を奪った罪を償う苦行に処される代わりに、神への奉仕で罪が許されるシステム。
リベルトは、新たな肉体に執着はなかった。
「神の名の下に、自分が何をしてきたか自覚はある。罰を受けるつもりだったし、いまさら新しい命を与えられるといっても、どうでもよかったけど……」
だが、運命の女神の姿を見たテミスは気付いた。
「運命の女神に君の面影を見た。その時に、もう一度、あの時の女の子に会えるんじゃないかと思ったんだ」
そうして彼は、自身の運命を変えるきっかけとなった少女と再会するために「リベルト」となった。いつか己の生涯が再選択されるであろうと女神に神託されたとき、アレッシアと会えると確信した。本物が謁見の間に姿を現したとき、迷わずディオゲネスを捨て己の心に殉じた。
すべてを聞いたアレッシアはくしゃりと顔を歪ませる。
「……私が現れるって知ってたの?」
「そうだね。ずっと待ってた」
「あなたが亡くなったのは、どのくらい前?」
「三百年。でも、君にまた会えるかもと思ったら、待つ時間も楽しかった」
「運命を変えるって、あなたを選ばなかったかもしれないじゃない。ニキフォロスを選んでたら、リベルトが消える可能性があったのはわかってるよね」
再選択とはそういうことだ。
リベルトは己が消えるかもと知っておきながら、笑顔でアレッシアを見送った。
けれど、リベルトは「だから?」と言う。
「君が選んだのなら、それでいい。そのテミスがいなくなるとしても、いまここにいる私の、君への気持ちがなくなるわけじゃない」
二人の間にはすでに年の差がある。
リベルトの顔すら、首が痛くなるくらい持ち上げねば見られなくなった。
それでも男は嬉しそうにアレッシアに手を差し出し、手を重ねられたことに嬉しそうだ。
「でもごめん。いい兄になれなくても、大事な人達を失っても、たくさんの無関係な人を死なせても、自分が悪い王様だとしても、俺は王であったことを一度も悔いていないんだ」
それがテミスの、アレッシアへの返答。
悔いが残っていたとしたら、それはテミスにとって中途半端なお別れとなった、生涯において一度も再会の叶わなかった少女だ。
彼はただアレッシアのためだけに死後を生きた。
悔やんでいないと聞いたアレッシアは、鼻水を垂らしながらリベルトの肩に顔を埋め、彼はその華奢な体を抱き留めると背中を優しく叩きながら、片眉を器用に持ち上げて同僚に尋ねた。
「私の本性は、ザカリアは気付いてたんじゃないかな。仲の良い君は聞いていなかった?」
もしアレッシアがルドを見ていたなら、思い当たることがありそうな様相だったと気付くだろう。しかし質問は無視され、短い嘆息で返された。
「元々お前の素性は疑っていた」
「おや」
「調べる限り、リベルトという人間の記録はこの神世に存在しなかった。しかしお前には神の加護を感じるし、ならば他の階層から召し上げられた英雄のはずだが、それすらも該当する人間が見当たらん」
「疑ってた割に、よく何も言わなかったね」
「女神の決定だ。それに、お前のアレッシアに対する過剰な忠誠心は疑っていない」
「邪竜殺しに認めてもらえるのは嬉しいよ」
偽る必要もなくなったリベルトは、ルドに対しても壁を取り払ったような親しさがある。
ルドの方にはまだ愚痴があるのか、まったく、とこめかみを揉み解す。
「こちらに戻ってきてから、不明瞭だったお前の加護がはっきりと形を持ったのはそういうことだな」
「ロア神が御前にいるときは焦ってたさ。運命の女神に誤魔化してもらっていたが、流石に我が神の前じゃ気付かれる可能性もあった」
この間にもアレッシアの声は大きくなる一方だ。
戦神はリベルトの発言に、うんざりした様子で手を振った。
「我が神とかやめろ面倒くさい。お前は運命に召し上げられたんだし、いまさら俺に尻尾を振るなよ」
「私なりに貴方にも感謝してますがね。加護は取り上げますか?」
問いに戦神は間を置いた。
彼の視線は、従者の服が濡れるのも構わず泣くアレッシアを注視し、なんとも言えぬ表情で舌打ちを零す。
「……いい。好きにしろ」
「よろしいのですか。誤魔化す必要がなくなった以上、私は貴方様の名と力を借りますよ」
「いいよもう。大体なんだかんだでお前は大陸を栄えさせたし、その功績は神々も認めてるんだから」
戦神に認められたリベルトはアレッシアが落ち着くまで肩を抱き続ける。
主人を慈しむ眼差しは、いつまでもこの時間を刻みたかったのかもしれないが、やがて涙を止めたアレッシアの肩を掴み、言いきかせる。
「アレッシア。君が「テミス」のことを知ったのなら、ひとつ伝えておきたいことがあるんだ」
「……なに?」
真っ赤になった目元には心を痛めるように渋い表情になるも、女神候補の従者として腹を決めたように、怖すぎるほど真剣な様相でアレッシアと目を合わせる。
「今回のやり直しを想定した試練、君は本来、私ではなくニキフォロスと出会う手筈になっていたと言ったら、信じてくれるだろうか」
12/25に角川文庫から「あやかし憑きの許嫁」という本を出します。
明治時代あたりがモデルの和風ファンタジー(恋愛)小説です。
カバーが出たら改めて詳細をお知らせしますが、心に留めていただけると嬉しいです。




