2-43.第二の試練はここに
思わぬ言葉にアレッシアははくはくと唇を動かす。
やがて勢いよく叫ぼうとしたが、声をぐっと飲み込んで、その一挙一動を可笑しそうに観察している神へ言った。
「嘘を言ったら許さない」
「お前はアホだな。神は気紛れだが、こういう場じゃ嘘を吐いたりはしないもんだ」
「そんなの知らないし」
「なら知っておけ。そして俺の気が変わる前に……」
「条件は?」
じっとりと睨めつけるアレッシアは、はなから神の言葉を鵜呑みにしていない。
これにロアはことさら嬉しそうに喉を鳴らした。
「馬鹿でも学習能力があるなら多少は救いになるか。まあ、これは父上の言葉を俺なりに解釈した内容なんだが……」
そこでロアが語るのは、主神マグナリスが息子に下した命令だ。
ロアは腕を組みつつ天を指差す。
「ここ百年ほど、父上は増えすぎた人間が気持ち悪いとおっしゃっていてな」
人を虫のように言ってのけるのが、実にあの主神らしい。それを平然と言ってのける戦神にも嫌悪感が先立つが、アレッシアは罵倒を飲み込み、その間にもロアは機嫌よく喋る。
「そんな感じだから、もともといつか手を下すつもりがあったんだと思う。今回の件を冥界から聞かされた途端、ミノアニアという国を滅ぼして人間を減らしてこいとおっしゃってな。ここまで言ってしまえば簡単だと思うんだが……小娘」
「なに戦神」
「これがどういう意味かわかるか?」
「わかんない」
これみよがしに馬鹿にした笑みで息を吐かれると腹が立つものだ。
慈悲を与えてやるといわんばかりに口を開こうとした男へ、アレッシアは両手を伸ばす。
「ちょっと待って」
「もが」
「考える」
こんなときほど思考の先読みなんてできたら格好良いのだろうが、生憎漫画やアニメのように冴えた天才ではない。戦神こそのんびりしているが、ここはテミス達の命がかかっている……としばらく沈思し、やがて「あ」と顔を上げた。
「ミノアニアという国だから、ミノアニアじゃなくなればいい?」
「お? 少しは使えるじゃないか」
「うっさい」
たやすくアレッシアの手を払ったロアは、ナイスアイデアと言わんばかりに破顔する。
「だからまあ、ミノアニアの改名と人間共の誠意によっては、恩情を加えてやってもいい」
「ほんと?」
「ほんとほんと。だからお前はどっちがいい?」
「私?」
「そりゃこの国の人間を助けろーなんて馬鹿げたこと言ってきた言い出しっぺなんだから、お前が決めるに決まってる」
アレッシアは首を傾げる。
「断る理由がなくない?」
「じゃ、助けるか?」
「助ける」
むしろ迷う必要がどこにあるのか。
テミス達が助かるのだと瞳を輝かせるアレッシアだが、ルドやカリトンが瞳を伏せていることには気が付かない。
アレッシアの回答を是と受け取った戦神ロアは、笑顔で人間達を指差した。
「そうかそうか。じゃあ、誰を間引くか決めてくれ」
「え?」
間引く、という言葉をかみ砕くまでの時間は与えられない。
思考停止したアレッシアに、笑顔のロアが腰を曲げ、至近距離まで顔を寄せる。
やや野性味を帯びているが、あの主神の子だけあって整った顔立ちだ。そんな中でもつり上がり気味の目を和らげながらロアは告げる。
「国民はそうだな……まあ、半分だけで勘弁してやる」
「半分? まって、半分って」
「そりゃ俺も仕事だし、半分は狩るさ」
頭が真っ白になった。
それはそうだ。テミスやニキフォロスは誠実な人柄だし、てっきり国の名前を変えれば全員が助かると思ってしまった。確証のない希望に縋ってしまったのだと気付いたが、既に遅い。
ロアは王族の方を見る。
「王族は一人いれば血を遺せるんだろうが、そこの王子二人のどちらかにしてもらおうか」
「な」
「な?」
「なんで!?」
再びロアに掴みかかろうとして、今度は華麗に避けられる。
空手なりバランスを失った身体をルドは支えようとしたが、これはロアの一睨みで止められる。「邪魔をするな」と言いたげな瞳に、人狼は俯いた。
一方で、地面にべしゃりと倒れたアレッシアは、四つん這いになりながら身を起こす。
まだ状況を掴めない様子に、戦神は聞き分けのない子どもを諭すように、しかし面白がるように言う。
「ここで間引くのは神の決定だ。全員助かるなんて夢見事はやめろ?」
「だって、一人選べって、それって、テミスかニキフォロスを」
「優しいだろ」
信じられないことに、ロアは本気で自身が慈悲深い決断をしていると言っている。それがわかってしまうからこそ、アレッシアは唇を噛み、そして王子達を見る。
人間達は、二人とも厳しい表情だ。
無理はない。さっきまで普通に過ごしていたのに、安全な場所で生きていたのに、神が降臨したかと思えば勝手に自分たちの生死を決めているのだ。塵蟻のように扱われた父母の亡骸と同じザマになるのか……ニキフォロスは怯えた様子で固く口を閉じている。テミスは苦しい人生を歩んできただけあって動揺を表に出すことはしないが、一途にアレッシアを見つめていた。
アレッシアは思う。
ロアは一人と言った。つまり、生かせるのはテミスかニキフォロスのどちらかだけだ。
「な」
「次に「なんで」なんて言ったら、俺はこの件を父上に上奏する」
もしかしたら度重なる問答を、ロアは疎んでいたのかもしれない。
反論を許さない絶対の圧は、生き物それ自体に逆らうことを許さない命令だ。
神を知っていても、否、むしろその恐怖を身を以て体験しているだけに、彼の言葉は嘘ではないと知っているアレッシアは黙った。
なぜならマグナリスへの上奏は、それこそミノアニアの民という民が全滅する。たった一度しか会ったことのない神でも、そのくらいはわかる。
焦りが全身に押し寄せ、アレッシアの鼓動を早くする。全身で嫌な汗をかきながら、王子達を見つめる。
どちらを助けても、どちらかが死ぬなら救いがない。
ルドやカリトンの助言は得られない。
彼らの言葉を介して罪悪感を和らげる方法もない。
「は……」
――つまり罪を背負いたくないのだ。
思い返すのはこの世界に来てからの思い出ばかり。決して楽ではなかったが、善意によって助けてもらった日々は悪いものではなかった。悪い人もたくさんいたけれど、だからといって彼らや関係ない人々まで死んでいいとは思えない。
おまけに王子を助けても、国民の半数が死ぬという。
アレッシアはぺたんと座りながら、片手を握りしめるように、胸の中でぎゅっと抱きしめる。
声は知らず震えている。
「わ、たし……」
「あの感覚」で言うならばテミスを助けるべきなのかもしれないが……どうしてこんな大事な場面で、無限の万能感は宿ってくれないのだろう。
まるで決められた選択を選んでいるだけの感覚があれば、自分が決めたわけじゃないと言えるのに、アレッシアを襲うのは恐怖だけだ。
だが決めねばならない。
頭上では黙ったアレッシアに業を煮やしたロアが声を高らかにする。
「じゅーう、きゅーう」
楽しげに言うものだから、もしこの青年の息の根を止められるなら、是非ともそうしてやりたいと思ったくらいだ。
しかし現実の時間は無慈悲にも通り過ぎるばかり。
カウントダウンが「一」になったところで、アレッシアはぎゅっと目を瞑り、息を吸った。
「テ……」
その瞬間、この場にいるはずのない女の声が響く。
「それでよいのですか?」
「はえ」
ぱちりと目を開ければ、白い床が目に飛び込む。
途端にお尻や足が冷たくなったのは、床が石造りの構造になっているためだろう。全体的にひんやりと肌寒い空間で、彫りの入った立派な石柱が高い天井を支えている。
「ここって……」
目を見張ったのは、そこが覚えのある空間だったためだ。
それは第三層に送り出される寸前にいた場所で、運命の女神の神殿だとはっきり覚えている。そして目の前に立つのは、出発する直前に見た光景そのもの。
金の蛇と植物が絡みつく杖を持つのは、艶やかな長い髪に蔦と白い花を絡みつかせた女だ。
均整の取れた顔立ちに、感情のない表情を持つ女神はアレッシアを見下ろす。
「試練の時です。貴女の選択を示しなさい」




