2-39.悪とはなにか
生き埋めと聞いた時、アレッシアはどう反応を返したら良いのかわからなかった。
彼女がいまの自分になってからは、フィクションでしか縁のなかったものをたくさん見た。神をはじめとして、空を飛んだり巨大化する獣や、人狼、魔法、人を斬りつける刃物に、最近では竜。神の教えを主とする生活なんかも初めて触れた。神世では神と人の差を、この第三層では王侯貴族と民を隔てる壁の高さを知った。実は「馴染めるかな?」と抱いていた不安は、皆の優しさか、多少風変わりでも受け入れてもらえて、たからこそアレッシアもその環境に馴染めた……のだが。
「なんでそんな酷いことをするの」
だがこれは無理だ。受け入れられるわけがない。
彼の言葉はそのまま人の上に土を被せ、息絶えるまで放置するという拷問。強ばった表情で固まるアレッシアに、テミスはさらに聞きたくもない話をする。
「今朝、先贈りとして三十人埋められた」
「えっ」
「全員を埋めた後に建物を建てるから、基礎となる杙に括り付けられたんだよ。一年後に壊すから、俺にとっては意味なんてないんだけど」
よくよく下を観察すれば、掘り返されたくぼみのあちこちから太い柱が飛び出ている。額にじわりと浮かぶ汗を夜風が撫でるが、先ほどまで清々しいと感じていた風が、まるで刺すように冷たく、土に埋められた者達の悲鳴を運んでくるようで彼女に声を失わせようとする。
茫然自失とならずに済んだのは、かつて目の前で人が潰されたり、森の中で殺されかけたりして、理不尽に奪われる命へ耐性ができていたためだろう。
無論、死に慣れるなど良いことではないが、それでもこの神々が生きる世界においては欠かせない感覚だ。
「これ……誰、を悼むの」
「リンヴェ様のご両親」
砦から救い出した少女の母が、国王の妹だったらしい。ミノアニアから外れた人間ではあったが、王妃の進言で葬送の儀と称される葬儀を決定したようだ。
埋められる人々は納税を怠った平民や、それ以外は奴隷だ。奴隷においては全員、自分で進んで埋まっていった……表向きはそうなっているが、実際はただの徴集だ。女子供も関係なく、彼らは平等に埋められる。
そして、彼女が見たばかりの土の下にも……。
アレッシアは吐きそうだった。
「ねえ、それってリンヴェやニキフォロスも承知してるってことなの?」
「もちろん承知の上だよ。これは彼らにとって伝統的な行事だから、昔から行われてきたことだ」
「嘘でしょう?」
愚かかもしれないが、聞き返さずにはいられない。アレッシアから見た王子や姫君は、心優しい善良な人々だ。まして捕らえられ、虐げられる傷みをしっているはずのリンヴェが承知の上だと知って混乱を抑えられない。目に見えて狼狽えるアレッシアを、テミスは眩しいものをみるように眼を細めた。
「レアの両親は彼女の代わりに自ら志願して、オミロスは不在中に妻を連行された」
「……は?」
「前国王の葬送の儀だよ。俺は名誉の人柱を命じられたところを、母が代わりになった。普通は許されないけど、国王が父だから許された」
少年の言葉が何を意味するのか、わからないアレッシアではない。
それは彼らの家族が、こんな信じられない慣習によって奪われたという証言で、かつ事実であると語っている。
レアが自嘲気味に笑った。
「あんたみたいに奴隷でもない子が、そんな顔するってことはやっぱりこれっておかしいんだ」
笑っているのに、いまにも泣き出しそうな表情がアレッシアの心を切り裂く。葬送の儀をおかしいと思う人は様々いるのだろうが、国にとって当たり前になってしまったのだろう。レアの震える声には歪んだ慣習が人々に根付いていることを感じさせ、アレッシアは拳を震わせる。
「これは、ただの生贄っていうんだよ。それも全然良くない方の」
その瞬間、思いだしたのは王城で宛がわれた部屋で聞いた、不可解な悲鳴だ。泣き叫んでいたあの声は、きっと生贄として白羽の矢を立てられたのだ。
いま埋まっている人達は息をしているのだろうか。アレッシアはわけもない焦燥感に駆られる。
わけもなく死ぬなんていやだ、と思ったからだが……。
こめかみがズキリと痛む。
「い……」
倒れてしまいそうなほどの傷みは一瞬だが、その瞬間だけ、彼女の視界は変じた。
知らない光景を見た。
石で作られた、蔦を纏う祭壇の上に女がいる。顔は見えないが、胸の前で手を組んで横たわっているのだ。彼女の手の甲に、柔い腹に、足に手を置くのは、女性よりも一回り小さい少女達の手だった。
薄いベールで頭から覆われた少女達は祈っている。
声はないが、女のために捧げられる清らかで美しい、ひたむきな想い。しかし少女達の手は、女に触れた指先から赤黒く、肉が盛り上がるように膨れ上がり――。
「なに、これ、知らない――!」
パチンと弾けるように現実に意識が戻る。頭の中はぐちゃぐちゃだが、すべては一瞬の出来事だ。アレッシアがテラスの手すりに手を掛けたとき、彼女の肩を掴んだのはカリトンだった。
「何をしようとしている」
アレッシアの弾んでいた息は、カリトンの顔を見て落ち着いていった。あの孤児院を守ってくれていた女神の戦士は顔なじみ。決して裏切ることのない、真実彼女の味方だと認識すると、頭の痛みはスウッと引いて行く。ただ、その直前彼女にあった何かに、カリトンは気付いたようだ。
「アレッシア……?」
まるで知らない人を見たような顔つきと声で、直前までの行動も思い出せた。
彼はアレッシアを止めようとして肩を掴んだのだ。先ほどの幻のような光景を頭から追い払うように、威勢良く反論する。
「何をって、まだなにもしてません」
「か……考えていることくらいわかる。だが、お前の行動はテミスのためにはならない」
「そんなの……」
掘り返してみなければわからない。階段を使うのも惜しくて、ルドに頼み、直接降りて馬鹿げた慣習を止めさせようとしたが、高速で動かされたカリトンの中指がアレッシアの額を弾いた。大分手加減された威力だったが、彼女を涙目にするのは簡単だ。
カリトンはまるで無知を厭うように、冷ややかにアレッシアを見下ろす。
「心から望み命令するというなら止めることはできない。だが、仮に生きていたとして、お前は彼らの命に責任を取れるのか」
「……う」
「まさか全員を召し抱える、なんてふざけたことを言うつもりじゃないだろう」
大人の記憶があるというのは、こんなときが厄介だ。
問われた瞬間、アレッシアはすぐさま彼の言葉の意味を理解してしまった。もし生きていた人を助けたとして、その後の保証ができるのだろうか。客人に過ぎない彼女がミノアニアの文化を侮辱し、為政者相手に立ち回る責を負えるのかと聞いている。
さらにいえば、彼女の行動はテミスの責任問題に関わる。
同じ命でたとえるなら巫女トリュファイナやテミス一行を救いもしたが、トリュファイナは結果論で、テミス一行やリンヴェは背後に国という味方がいた。国から「死ね」と命じられた人々を庇うだけの財力や権威なんてアレッシアにはないし、これはまた状況が違う。
さらにいえば、まっすぐに彼女を見つめてくるカリトンの目を直視できない。この時点で自分に後ろめたさがあることを自覚せざるを得ず、アレッシアは手すりから手を離した。
きっとテミス達からは考えなしの愚かな行動と取られるだろう。顔を下げて俯いていると、少年の手が伸び、アレッシアの手を掴んだのが視界に入った。
「俺の考えは間違ってないってわかったから、それだけで嬉しかったよ」
洟を啜ってしまったから、テミスの考えがどんなものなのか聞くことはできなかったが、悲しそうな、それでいて晴れ晴れとしたような彼の表情に少し違和感を覚えたのは否めない。
悲しくないの? と聞けば、彼は困ったように言った。
「言っても、どうにもならない。反逆罪で次に埋められるまで地下牢に捕らえられるだけだ。俺が死ぬのは、俺を助けるために抱きしめてくれた母に申し訳ないよ」
瞳には喪った人を悼む悲しみがある。酷い理不尽だ。酷い国だ。そう思ってもこの広すぎる王城でアレッシアに差し伸べられる手はなく、ただ無力感を味わうだけだ。彼らは王城に戻ってから、彼女を部屋に送るとこう言った。
「君が王とやり合うってことは、人死にが出てしまうってことだ。民のためにも、それは勧められない。君はなにもしなくて正解だったんだよ」
「あたしは弔い終わってるから、変な気をおこすんじゃないよ」
念を押したのはレアで、オミロスは何も言わなかったが、無言でアレッシアの頭を撫でた。無骨な手にかかわらず優しい手つきに、不意に思い出す。
そういえば昔、こんな風に誰かに頭を撫でてもらったことがあった。
「……あれは誰だったっけ」
顔はまるで思い出せないが、性別はわかる。女だ。それも雰囲気は祭壇に横たわっていた女に似ていた気がする。
それから朝日が昇るまで、いつまでもぼうっと考えに耽るアレッシアを訪ねたのは、ニキフォロスとリンヴェだった。




