2-26.テミスの決断 1
ルドが持ち帰ってきた情報は、テミス達一行を動かすには十分過ぎるものだった。
彼が戻ってきたとき、野営地に漂っていた重苦しい雰囲気が一気に明るくなったのをアレッシアは記憶している。「まさかこんな短時間で本当に……」と誰かが言っていたのを耳にした。
皆の期待を浴びたルドの一言は端的だ。
「いるな」
その言葉が指す意味を察し、ごくりと息を呑むテミスに、ルドは己が見聞きした情報を伝える。
「砦に貴人が囚われているのは確実だろう。少し兵士の盗み聞きをしてきたが、貴人の移送を計画しているようだった」
「では、まだ移送すら……?」
「そうらしい。ただ、近々砦からの撤退が始まる予定らしいから、侵入するなら急いだ方が良い。おそらく一緒に連れて行くつもりだろう」
「俺達にはどのくらいの時間が残されてるでしょうか」
「荷のまとめ方から推察するに、さほどない、と言っておこう」
考え込むテミスの傍らで、アレッシアはほっと息をつく。
「よかった。生きてたんだ……」
最初の段階で姫を助けられなかった理由は告げられていたが、やはり自分を助けたから留まれなかった……そんな想いが強いから、姫が見つかってくれて安堵した。
しかし嬉しいニュースのはずなのに、テミスの顔色は晴れない。
その理由は彼が次に顔をあげたときに判明した。
「ルド様、俺は砦の人員は減ったものとして、できるなら商隊として連中に近づいたところで砦に侵入するつもりでした」
「砦の地図は入手済みか?」
「……いいえ。ですからかなり危うい賭けになったでしょうね」
「オミロス達はそのための斥候か」
二人の会話は早い。その中からアレッシアが察することができるのは、オミロスの情報収集は、砦の内部構造を探るためでもあったらしい。ただ、移送となれば姫はすぐに移されてしまうだろう。調べている時間はない、とテミスは焦ったらしかった。彼はそのまま相談を続ける。
「正直、移送までに充分な計画を立てることは難しいでしょう。これでもかなり危うい賭けなのですが、移送中の隙を狙って姫だけを連れ去ることは……」
「どのみち危険は付きまとうだろうが……」
「承知しています。ルド様の見解をお聞かせ願えませんか」
人狼は腕を組み、しばらく考えた。
「俺の見立てだと、砦に残っている人数はお前の想定より多いだろう。あの人数だと、襲撃場所は相当限られる。そして、向こうもそれは承知のはずだ」
「……砦と移送中、どちらが可能性があると思われますか」
「どちらも一長一短だな。すでに理解しているだろうが、砦は人数が多い代わりに多少敵の気が緩んでいる可能性が。移送中は我々は動きやすく兵の数が制限される代わりに警戒されている」
丁寧な説明はアレッシアのためだ。
テミスは親指の爪を噛み、ひとりごちる。
「移送中の陣形もわからないか」
「必要とあらばまだ調べてくるが、どうする」
「オミロスの帰りを待ちます。それからまた知りたいことがあれば頼むかもしれません」
「承知した。では持ち帰った他の情報を共有した後、しばし休んでいよう」
普通ではありえない短時間で情報を探ってきたルドの存在は、彼らにとってかなりの僥倖だったろう。オミロスの帰りを待ち、彼らが作戦を協議にかける間、アレッシアはあぐらをかいたルドの膝の上に移動する。この時、少し冷え込んでいたために寒かったのだ。
「俺は暖を取るための道具ではないのだがな」
「風邪を引きたくないんだもん」
人狼の外套を包み合わせると、冷たくなってきた指先をあたためながら声を潜めた。
「ルドってさ、やろうと思えばもっと早く情報を持って帰って来られたよね」
「なぜそう思う?」
「私は確認しに来ただけで、怒ってないから素直に話してよ」
返事には少し間を必要とした。
「ああ。やろうと思えばもっと早く行動に移せた」
「……お姫様もルドひとりで助け出せたよね?」
「……そうだな」
主の視線をまっすぐに受け止める人狼とアレッシアは見つめ合う。彼女は何度か声を発しようとして失敗した。
実を言えば、もしかしたらルドが囚われの姫を連れて帰ってくるかもしれないと少しだけ期待していたのだ。
「……理由はわかりきってるけど、一応聞いておく」
「俺達が手を出すべき問題ではない。重ねて言っておこう。俺の功績になってしまってはテミス達に立つ瀬がない。なにより軽い気持ちで人から外れたことをやってしまえば、俺は連中の期待により、お前の従者でいることを許さなくなる」
「…………うん、だよね」
アレッシアの中では二つの感情が渦巻いている。
ひとつは助けられる人を見捨ててこのままで良いのかという想いと、もうひとつは自分たちが軽率に関わるべきではないというものだ。ルドの言い分は既に何度も言い聞かされ、また自分でも都度注意しているものだから、彼の判断は妥当である。
ニキフォロスを助けたときも同じように理解していたはず。まして自分たちは“部外者”なのだ。
……そう理解しているはずなのに、救えたはずの命があったとわかると、胸の内に深い霧がかかってもどかしい。
わかっていても、自分が関わったばかりに救えるチャンスを逃してしまった人だと思った途端、どうにも苛立ってしまうのだ。
ただ、こんなところでルドに怒るのは違うともアレッシアは知っている。
ゆえに彼女は目を閉じた。外套を握りしめる手に力を入れ、背中から伝わる体温に身を委ねる。
「……まだお姫様は生きている。だから、大丈夫だね」
ひとりごちると、身体から力を抜いた。
相変わらず野宿には慣れていない。疲れも蓄積しているせいでクタクタだったから、いつの間にか微睡みに溺れ眠りに就いていた。
その眠りを妨げたのは会話だ。
「では、決めたのか」
ルドの声に、アレッシアはパチリと目を覚ました。
いつの間にか全身から力を抜いていたアレッシアを支えていたのは、人狼のたくましい腕だ。普通の男の人であれば痺れて身動きを取ってしまうところを、身一つ揺るがさずに座り続けている。
アレッシアの目の前には闇夜に揺れる木のざわめき以外、なにもない。
どうやら横並びでテミスと話しているらしかった。
「正直なところ、まだ情報を集め慎重に行きたいのが本音です。オミロスの話では、商人達も入り口までしか砦に入ったことがない。いつもなら買収か、人を送るなりして内部を調べるところですが、そんな金も足りないし時間がありません」
「襲撃の方が対峙する人間は少なくなるぞ」
「警戒態勢は上がっているでしょうし、追っ手をかけられては犠牲が増えると判断しました。それにオミロスの話だと、タダムの軍勢はミノアニアからの救援がないことと、帰国前で気が緩みがちだそうです」
アレッシアが身を動かすと少年は驚いたようだが、自らが下した決断を声に出した。
「闇夜に乗じ、砦から姫を救い出します。ルド様には引き続き斥候、並びに俺達の先導役として一緒に着いてきていただきたいのです」
一拍置いて、ルドはこう返した。
「お前の策は俺の夜目が利くことを頼りにした前提としたものだな」
「貴方はご自分頼りの作戦を好まれないご様子ですが……俺はあくまで今回の斥候と同じように、貴方の能力を使うだけです。決してお一人だけに負担を強いる気はありません」
別に構わないんじゃないかな……とアレッシアは思うのだが、ルドは簡単に了解をしない。
「心がけは問題ない。だが、もう一度改めて伝えておこう」
人狼がアレッシアを解放する手つきは丁寧で、その肌を傷つけまいとする繊細な力加減が見て取れる。だが、彼がこんな風に気を遣うのは一人だけだ。
彼は淡々とテミスに言った。
「もし砦でお前達が下手を打った場合、俺はアレッシアだけを連れて砦を離れる。砦の内部では求められた役割には期待に応えると約束するが、俺からは決して助言はしない。それでもいいなら先導役を引き受けよう」
「……すべて俺次第というわけですね。少し、頼りたい気持ちに釘を刺されたようです」
「だろうな。短時間で斥候の役割を終えた俺を、お前達は期待に満ちた眼差しで見ていた。頭ではわかっていても、簡単に理解しきれんというやつだ……アレッシアがよくやっている」
「ふぁっ。いまそれ言う!?」
看破されていたことに慌てるアレッシアである。
テミスは手の平を握りしめて拳をつくった。決意に満ちた目が、これから命を賭ける作戦に従事することを示していたのだった。




