獣は獣道を行かん⑧
「――ッ!」
しかし。
無情にも、矢は轟いた声にはっとして目を見開いたレリルの胸元へと一気に飛んでいき――そのまま射貫く。
彼女は反動で後ろへと弾き飛ばされ、階段へと倒れ伏した。
「馬鹿……! いまのじゃ、楽には死ねない……」
アルカは言いかけた瞬間、左腕に感じた鋭い痛みにびくんと体を跳ねさせた。
「うぐ……ッ⁉」
それは獣さながらの本能。
咄嗟に身を捻ったアルカの脇を、閃光が走る。
「……よくも……」
同時に、空気を凍らせるほどに冷たい声を発した金髪の少年がアルカの横にすたりと着地した。
閃いたのはこの少年が振り抜いた双剣だとアルカが気付くのに時間はかからない。
斬り裂かれたらしい左腕は、激痛とともに鮮血を撒き散らしていた。
「ま、待て――お前ら、一体……!」
慌てたアルカは、まだ核になっていないレリルに視線を走らせ、階段の縁、手摺りのそばまで飛び離れて首を振る。
「違う! そいつは『魔物』だ! 倒すのはあっちで、俺は……!」
「黙れよ! レリルは魔物じゃない!」
「なっ……」
しかし……濡羽色に艶めく黒髪の少年が鋭く発した言葉にアルカは息を呑んだ。
倒れ伏すレリルに駆け寄って膝を突き、抱き起こした彼の怒りに燃える翠の瞳が――アルカを真っ直ぐに見詰めて逃がさない。
――こいつ……いまレリルと言ったか? まさか……いや、追い付けるはずがないだろ⁉ 俺は獣道を来たんだから……!
アルカは己の思考を否定しながらも、左腕を押さえて呻いた。
かなり深くやられたらしく、弓は引けそうにない。
指の隙間からは真っ赤な血が滴って、彼の服を汚しながら階段へと散っていく。
「お前ら……まさか、クロートとレザか……?」
「そうだとして、あんたはなにを話すつもりだよ――」
黒髪の少年が、ぎりっと歯を軋ませるほどに噛み締める。
レリルの胸の中央あたり――革鎧に矢が突き立っており、彼女は黒髪の少年の左腕に抱えられたまま小さく呻いた。
アルカは痛みに脂汗を滲ませながら笑みを作る。
「は……なら、わかるだろ? その矢は革鎧程度、簡単に射貫いちまうぜ……楽に死なせてやれよ! 使命があるんだよ、俺たちには! お前はレリルを殺すのを躊躇っただけ――そうなんだろ⁉」
「……違う!」
黒髪の少年――クロートはそう叫ぶと、左腕でレリルを抱えたまま、右腕で薄蒼く光って見える剣を構えた。
その隣に金髪の少年――レザが並ぶ。
「もういいよ『クロート』。――ねえ、あんたは『レリル』を殺そうとした――狩りの理由はそれだけで十分だ」
「…………狩り? ちょっと待て――お前、なにを……」
アルカはレザの冷たい目に、蒼い双眸を見開きその場にへたり込んだ。
最近『ノーティティア』に出入りする狩人がいる――その噂を、アルカは知っている。
「狩りって――まさか、お前……『アルテミ』……?」
レザはその言葉に驚くほど残忍な笑みを浮かべると、双剣を胸元で構える。
「――楽には死なせないよ? 魔物との戦闘以外にも矢を放った痕跡があった……あんた、女の子をいたぶっただろ?」
アルカは震える体を律し、必死で首を振った。
「……は、は……死ぬことを選んだのはレリルだぜ?」
そこにクロートが苦しそうな声を上げる。
「……レザ」
「止めても無駄だよ。俺、こういう奴、大嫌いなんだよね――」
「――いや。……お前ひとりに押し付けない。けど、いまは早くレリルを手当て……しないと……」
クロートの声が震えていて、レザはぎゅっと唇を結ぶ。
矢がレリルの心臓を逸れたのは間違いない。
しかし、ここでは手当てなどできるはずがなかった。
どういうつもりかはわからないがアルカが最初に呟いたとおりだ――楽には死ねないだろう。
それでも言葉くらいは交わせるかもしれない。彼はそう考えたのだ。
「――許さないよ、俺。あとでズタズタにしてやるから」
レザは一瞬だけじろりとアルカを睨み付け、剣を収めるとクロートと一緒にレリルを覗き込んだ。
******
「……レリル」
「女の子……聞こえる?」
懐かしくさえ感じる声が聞こえて、レリルはちかちかしていた頭のなかが明瞭になっていくのを感じた。
衝撃でひっくり返り後頭部を強打したために、一瞬意識が飛んだようだ。
それだけではなく胸の少し上、胸骨のあたりに鋭い痛みも感じる。
「……クロート、レザ……?」
涙の滲む瞳が覗き込んでいるふたりを映したとき、まだレリルの視界にはちかちかと光が瞬いていた。
――アルカの矢が放たれる瞬間にクロートが見えた気がしたけど……幻じゃなかったんだ……。
クロートの瞳は濡れて、宝石のように煌めいている。
レザは穏やかに……優しい顔でレリルを見ていた。
レリルは二度と会えないと思っていた彼らにもう一度会えたことに、心から感謝した。
「……私、まだ生きてるんだね……」
アルカは一撃で心臓を射貫くつもりだったはずだ。
矢が逸れたからクロートたちと話す時間ができたのだろう。
レリルはそう思い、痛みを堪えながら胸元に手をやって矢に触れ……ごくりと息を呑んだ。
矢は手に触れているし、確かに痛む――のだが。
「……えっ、と……レザ……これ、抜いてもらってもいい?」
レザはそれを聞いて、目を大きく見開いた。
「……えっ?」
「レリル……?」
そこでクロートも訝しげな顔をする。
当のレリルもよくわからないような顔で呻いた。
「鎧は貫通してると思う……でも、痛っ……うう、体にはちょっと刺さってるだけ……みたい……?」
そこでクロートは、ぽろりと涙を落とすと同時に気付く。
「! 白薔薇の……核……が」
レリルの胸元にあるはずのものが、ない。その革紐だけが首に残っていたのである。
――守ってくれたんだ。世界の加護が、レリルを……。
クロートは堪らなくなって、唇を噛み締める。
ぽろぽろと零れてくる涙を隠す余裕はなかった。
――こんなことになるなら、俺が話しておけばよかったんだ。それで死ぬのは認めないって……怒ってやればよかったんだ。
もう大丈夫だと言ってやりたいのに、視界がぼやけて息苦しくて、クロートはなにも言えずに俯く。
「……クロート……」
レリルは彼の様子に気付き、自分で体を起こす。
……彼女は、己の行動が間違っていたのだと認めざるをえなかった。
――私、クロートにそんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
レザはそんなクロートを横目に、レリルの革鎧に刺さった矢にそっと手をかける。
「……俺、こんな奇跡みたいなの信じたことないや……。女の子までいなくなったら、自分のことすら信じられなくなってたかもー……」
いつものようにへらっと笑おうとするレザの頬が引き攣ったことに、レリルは思わず息を詰まらせた。
――レザはアルさんや『アルテミ』の皆を失った……その傷は癒えていないのに……私……。
「……ちょっとだけ痛むよ」
「……っ」
レザはレリルが身構える間もなく矢を一気に引き抜くと、すぐに矢と革鎧の状態を確かめる。
「これなら……ちょっと痕になるかもしれないけど平気だ。女の子、あとでちゃんと説明してもらうからねー? 俺たち、すごく心配したんだからさ……」
「レザ――うん。ごめ――」
瞬間。
「……ッ、く」
どっ、と。
レザの体が衝撃に揺れた。
クロートが目を見開き、レリルが倒れ込むレザを咄嗟に受け止める。
彼女はその背を見て、ひっ、と悲鳴を上げた。
『矢が刺さって』いたのだ。
「れ、レザ――!」
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