獣は獣道を行かん⑨
「はっ、狩人! ざまぁねぇな……!」
聞こえた声にレリルはのろのろと顔を上げる。
狼々族のアルカ……彼が階段の柵――等間隔に柱が固定され、その間を上下二本の棒が平行に渡されているものだ――に弓をかけ、血塗れの左腕と足を引っ掛けるようにして外側に身を乗り出しながら矢を射たのだ。
「……アルカ……どうして……ッ」
レリルが叫んだ瞬間、弾かれたように影が飛び出した。
「うおおおぉッ!」
「クロートッ!」
凄まじい速度だった。
クロートはおよそ人とは呼べないほどの一跳びでアルカに肉迫し、その弓を弾き飛ばす。
「なっ……!」
アルカは蒼い双眸を驚愕に見開き、咄嗟に弓を手放したのだが……そうでなければ迷宮の深淵へと叩き落とされていただろう。
「許さない……お前は、絶対に……!」
絶叫するクロート。涙に濡れた瞳は、ぎらぎらとした光を宿していた。
「はっ! 使命を見失うなってんだ! 【迷宮宝箱設置人】クロート!」
アルカは右腕と足だけで体勢を立て直し、高らかに吼える。
「黙れ!」
クロートの叫びとともに薄蒼い光が迷宮の空気を斬り裂いて振り上げられ――レリルは戦慄し、叫んだ。
「クロートッ! 待って――!」
そのときレリルが支えていたレザの腕が、彼女の背中を一度だけぽん、と叩いた。
「……っ、レザ⁉ 駄目、動いちゃ……」
「いてて……大丈夫だよー。俺の防具がなにか忘れたの? ――でも、ごめんね女の子。俺は――『アルテミ』だから」
――魔装具!
レリルははっとして、さっと離れるレザを掴もうと腕を伸ばす。
けれどレザもクロートと同じく人にあるまじき速さで駆け出していて、彼女の手は空を掴むばかり。
彼らの足になにか――見たこともない装具が巻き付いているのに、レリルはようやく気付いた。
填め込まれた核が光っていることから、動きを助けるような道具であるのは間違いないだろう。
「このおおぉっ!」
クロートが剣を振り下ろす、その瞬間。
レザはあっという間に彼の隣に到達し、笑った。
「狩りは俺の領分だよ、『クロート』!」
「レザ⁉」
驚いたクロートが振り下ろす剣とレザが突き出した剣――ふたりの得物が閃いて、逃げようとしていたアルカを捉える。
「ぐ、あアアァっ!」
アルカの右腕が斬り飛ばされ、鮮血が花のように咲いて――その上半身が外側へと振られた。
蒼い目を血走らせたアルカは牙を剥いて耳を伏せ、絶叫する。
「――クソオオォッ! 『行け』えぇッ!」
その声に応えるようにマナが渦巻き、それは急激に形を成した。
「あ、うあ……!」
レリルは己の前に『できあがっていく』その形に、思わず呻く。
――宝箱……でも、黒い、大きな……これは――!
「クロートっ、レザ! 『イミティオ』が――!」
レリルの叫びより先に、ふたりはその状況に気付いていた。
生まれた黒い宝箱が口を開け、生臭さが彼らの鼻を突く。
クロートだけは『甘ったるい臭い』の強さに顔をしかめたが、そんなことを言っている暇はない。
しゅるしゅると音を立てて中から這い出てくる無数の触手、蓋の内側にはびっしりと牙――。
レリルは咄嗟に剣と盾を収束させ、捩れながら向かってくる触手の一本を防いだ。
「やーっ、はァーッ!」
そこに、レザが曲芸のごとく身を捻りながら斬り掛かり、宝箱の蓋を打ち据える。
「たあぁ――っ!」
クロートがそれを追うように、『イミティオ』の胴体部分に傷を穿った。
レリルはそのあいだに立ち上がり、蠢く触手がレザへと伸びるのを盾で防ぎ、剣で斬り払う。
「女の子、ありがと!」
レザは大きく跳ぶと、クロートのすぐ隣に着地した。
「――なあ、あんた! 俺の背中の矢、抜いて!」
「レザ、お前……大丈夫なのか⁉」
クロートの言葉に、レザは金の髪を揺らして頷いてみせる。
「俺も女の子と同じだね。少しだけ刺さってるみたいだけど平気。刺さったままのほうが危ないからさー」
「……っ、わかった!」
クロートはレザの背中の矢を掴むと、問答無用で引き抜いた。
ぎょっとしたレザが、びくんと体を仰け反らせる。
「痛ッ――ちょ、もう少し丁寧にやってよ!」
「そんなに元気なら安心だな、いくぞレザ!」
「はぁー? 人使いが荒いなぁ!」
クロートとレザはどちらからともなく剣と剣をシャンと打ち合わせ、同時に踏み切る。
――最初は足がすくんだけど……もう怯えてばかりはいられないんだ……!
胸のうちで熱くなる思いを確かな動力源として。クロートはありったけの力を込め、剣を振り抜いた。
……アルカがそれを創造したという事実はクロートのなかに暗く重い影を落としたが、『イミティオ』が核へと変わるのに時間はそうかからなかった。
******
柵に残された血の痕――アルカがいたという痕跡は、それだけだった。
レリルはまだ底の見えない【ネスメイラ迷宮】をそろそろと覗き込む。
クロートもレザもレリルも『イミティオ』に意識を向けていたため――アルカが落ちたその瞬間を誰も見ていない。
風はなく、静寂が満ちた深い闇がただそこに在るだけだ。
――レリル、自分のせいだって思うだろうな。
片膝を立てて壁際に座り込んだクロートは、そんなレリルに向けていた視線を自分の膝へと落とした。
ふくらはぎのあたりには核を燃料とした馬具――そう、馬が着けていたものだ――が、装着されている。
これはレザが馬を放つときに拝借したもので、まさか人に合うとは思っていなかった。
『やっぱり! 装備できそうだなって思ったんだよねー』
レザは笑いながらそう言ったが、人のために作られていないことがよくわかる。
酷使したクロートの足は、いま、ぴくりとも動かしたくないほどに疲れ果てていた。
しかし、これがなければレリルたちに追い付くことはできなかった――それは間違いない。
「この道具、改良して人用にしてもらいたいなー」
そこにレザが――クロートが道具を見ていたことに気付いているのだろう――やってくる。
あたりの安全を確認してから、レリルが彼の背中の傷と自分の傷を手当てしたのが少し前。
レザはすでに魔装具を纏っており、足の道具は外していた。
「……お前、歩けるのか?」
「いやー、正直、無理ー」
クロートが言うとレザは隣に足を投げ出して座り、へらっと笑う。
クロートはレザの笑顔にふ、と笑うと、狼々族のアルカを斬り伏せるために剣を振り上げた右手を握ったり開いたりした。
――あのときレザは、俺にアルカを斬らせないよう……俺の剣の下に双剣をねじ込んだ……。でも、俺――殺そうとしたんだ、アルカを。
考えて、クロートは首を振る。
アルカは、レリルだけでなくレザをも狙った。
それは明らかだ。躊躇えば全員殺されていたかもしれない。
『使命を見失うなってんだ!』
吼えたアルカの言葉が頭の奥で反芻されて、クロートは思わずこぼした。
「……なあ、レザ」
「なに?」
「俺、お前に裁かれるべきか?」
「……はぁ? アルカを狩ったのは俺だし。それに」
「それに?」
「女の子を守るために動いたことに、後悔はないけど? 俺。それとも――あんたは後悔してんのー?」
クロートはもう一度レリルを見て、唇を噛んだ。
矢が――彼女を射たその瞬間。体が震えたのを……クロートは鮮明に思い出す。
彼は恐かった。彼女が、レザが、目の前で命を落とすことが……どうしようもなく。
――守れるなら何度だって、きっと……。
だからクロートは言い切った。
「いや――後悔はしない。絶対に」
レザは満足そうに目を閉じ頭の後ろで手を組むと、軽やかに言葉を紡いだ。
「なら、まずは女の子と話をしようかー。絶対自分のせいだって思ってるよ、あれ。それに、あんたの躊躇いは人として正しいと思う。アルカは獣道を行った、それだけ。俺と一緒なんだからさ、そういうのは俺に任せちゃいなよー」
クロートはレザの言葉に、ふんと鼻を鳴らした。
「馬鹿言うなよ、言ったろ。お前ひとりに押し付けたりしない。俺は……レリルとお前のために人を殺めようとしたことに――うん。躊躇っても……後悔はしない」
レザはそれを聞くと、脱力したように腕を下ろす。
「あんた、恥ずかしい台詞をすらすら吐くよね……信じられない」
「なんだよ、お互い様だろ」
クロートが反論すると、レザはへらっと笑った。
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