マナリムは牙を剥かん⑩
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「マナを循環させる――だと?」
アーケインがこぼした言葉は、思いのほか困惑に満ちていたと私は思う。
無理もないか。彼は己の使命に惹かれていたのだから。
「生物を魔物に喰わせるため……それが【迷宮宝箱設置人】……」
普段は感情を表に出さないアーケインが難しい顔をするのは、新鮮ではある。
だからといって、この逸材がここで身を引いてしまうのは忍びない。
私は彼が辞めるというのなら、あらゆる言葉を並べて止めようとしただろう。
「――世界は危険な状態なのか」
静かに問う大柄な男は、鍛え抜かれた色黒の肉体と煉瓦色の髪からしても優しい風貌ではなかった。
しかし、灰色の双眸はなぜか引き込まれるような感覚をもたらす不思議な強さを湛え、落ち着いた低い声は思わず耳を傾ける価値があるとさえ感じる。
「そうだの……すでに、きわどいところまで来ていよう」
ハイアルム様はアーケインを窺うように、右手を顎に沿えソファの上で笑みを浮かべていた。
「……そうか」
ところが、アーケインはそれだけ応えると踵を返してしまう。
私は思わず眉をひそめたに違いない。
このときの自分の行動があやふやになるほど、それは唐突であり、衝撃であった。
「む。アーケイン、もういいのかの?」
ハイアルム様が訝しげに――彼女がそのような顔をするのも、非常に珍しい――問うが、アーケインはちらりと視線を投げただけで、歩みを止めることはなかった。
「世界のために死ねというのは納得がいかない。だが、死ぬか死なぬのかは己次第。冨や名声を我が物にできるというのなら、そこに命を賭ける意味もあるだろう。どうなろうともそれは変わらない――つまり俺のやることも変わらない。それが生きるということだからな」
すたすたと歩き去るアーケインに向け、我らが主――『ノーティティア』を統べる者はすっと双眸を細める。
「世界は、このままでは牙を剥くぞ?」
「望むところだ。それまでに俺も決めておこう。どのように動くのかを――な」
「ふむ……それもまた選択か」
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クロートは本を閉じると、少し考えるような仕草を見せた。
隣で一緒に本を読んでいたレリルはクロートをそっとしておいて、本棚に本を戻すために梯子を登る。
彼女の腰のあたりに巻かれた先端が二股に分かれた布が揺れるのを眺めながら、クロートはぽつんとこぼした。
「――なんか、このモウリス……俺の思うモウリスより熱い」
「うん? 熱いって?」
レリルが本を戻しながら、訝しげな顔でクロートを振り返る。
「んー……だってさ。モウリスなら納得いかないなんて言わずに、『マナを循環させるには必要なことだ』とか言いそうじゃないか?」
「あ、それは確かに――」
クロートは唸りながら、さらに言葉を発した。
「まだ、このときのモウリスは……俺たちの知ってるモウリスじゃないのかもな」
「…………」
レリルは黙ったまま梯子から下りると、囁くような声で言った。
「なにかあったのかも……しれないね」
「……」
今度は、クロートが黙る番だった。
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ハイアルムに再び会いに行くのはレリルが物語を綴ってからに決め、彼らは一度部屋へと戻った。
レザはまだ戻っておらず、大きく開け放たれた窓から柔らかい風がふわりと入ってくる。
広がる空は茜色に染まり、王都の喧騒が微かに聞こえていて、それはいつもと変わらない日常のようでもあった。
――でも……迷宮ではマナレイドが起こってるんだな。
クロートはガルムから貰った魔装具の柄に触れると、ふーっと息を吐く。
――どこにいるのかはわからないけど、俺が行くまでは頑張ってもらわないと。
言うまでもなくガルムのことだが、クロートはすぐに気持ちを切り替えた。
――アルやアルテミの皆のこと、まだ痛いけど……ここで動かないと駄目なんだ。
「よし、レリル。ちょっと稽古しよう!」
「かまわないけど……自分が三日も眠ってたこと忘れないでね?」
レリルはぴしゃりと言うと、苦虫を噛み潰したような顔をするクロートの背中をぽんと叩いた。
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「やーッ、はァーッ!」
「……」
クロートは目を疑った。
やってきた屋上で、なにやら双剣を振るう場違いな奴がいたからだ。
――ここ、『ノーティティア』だよな……?
心の底から湧き上がる違和感に、クロートは眉を寄せる。
しかもその場違いな奴を相手にしているのは、派手なピンク色の鎧で全身を包んだピンク頭のエルフだった。
「……く、クランベルさん……?」
レリルが困惑しきった表情で呟いた瞬間、場違いな奴――レザが反応し、くるりと振り返った。
「あっ、女の子ー! おかえり、遅かったね!」
「遅かったねって……そもそもお前が戻ってないんだろ!」
クロートが怒鳴ると、レザは双剣をくるくると器用に回しながらへらっと笑う。
「ちゃんと戻ったけど、女の子もあんたも、まだいなかったからさー!」
「クランベルさん……あんたもなにしてんだよ……。こいつ『アルテミ』だぞ⁉」
レザを無視して、クロートはクランベルに食ってかかる。
クランベルは練習用の木刀をざくりと地面に突き立て、わざとらしく額の汗を拭う――まったく汗はかいていないようだが――と、きらきらした笑顔を見せた。
「あらー、クロートじゃない! レリルもー!」
「あらー、じゃないって……」
がっくりと肩を落とすクロートだったが、クランベルは内心ほっとしていた。
――よかった。帰ってきたときは魂抜かれたみたいな顔してたもの……。
彼女は、クロートたちを見守り必要あれば助けになるよう、ハイアルムの指示で『ノーティティア』本部に残っていた。
世界が牙を剥き、クロートとレリル、そしてレザは心に大きくて深い傷を負ったはずだ。
クランベルはそれを心配していたが、どうやら彼らはそれを乗り越えようとしているらしい。
しかしガルムの行方は定かではなく、現状、彼らが頼れる場所はそう多くはない。
――しばらくは、私がその場所にならないとね。
心の奥、クランベルは静かにそう誓うのであった。
昨日分です!
ちょっと過ぎてしまいました、よろしくお願いします!




