第37話 その殺し屋、屋台の味を噛み締める
私のお腹が情けない音を立てた直後。
カーネリアンに連れて来られたのは、先ほどまでいた通りよりもずっと賑やかな一角であった。
人の数が段違いに多く、行き交う肩が触れ合うたび、活気が肌に伝わってくる。そして何よりも、この――鼻をくすぐる、香ばしい匂い。
焼いた肉の匂い、油の弾ける音。甘辛いソースとスパイスが混ざった、ぺこぺこのお腹を直撃する香りが、そこかしこから立ち上っていた。
「わあ、すごい……!」
「だろ? ソルディアで一番活気がある場所だからな」
少し得意げに言うカーネリアンの横顔を眺めながら、私は視線を忙しなく巡らせた。串焼きの屋台、湯気を立てるスープの鍋に、きらきらと宝石みたいに輝く飴細工。
食べ物以外にも、装飾品や雑貨、生鮮食品。あらゆる出店が、通りの一面に立ち並んでいる。
王立植物公苑に行った、あの日。アメリアに止められ、叶わなかったその願いが、ここで一気に溢れ出す。
「んで、何か食べたいものでもあるのか?」
「え、ええっと……」
急に聞かれて、言葉に詰まってしまう。
私はこの世界の屋台料理をロクに知らないし、何より目に入るもの全てが魅力的に見えて、どれか一つを選ぶだなんて至難の業である。
(あっちの串焼きも美味しそうだし、でもスープも気になる。あと、あのお店に吊るされた動物の姿焼きだって……)
どうしようと、頭を悩ませていた時だ。
「ソルディア名物! ソルディア焼きだよ~!」
威勢のいい声と共に、香ばしいスパイスと甘辛いソースの匂いが、ふっと鼻腔を掠めた。
反射的に視線を向けると、とある屋台の前で恰幅の良い、肝っ玉母さん然とした女性が声を張り上げている。
ソルディア焼き。その名前を聞いた途端、記憶の奥に眠っていた何かが、ぱちりと弾ける。
(……ソルディア焼き! ゲームにも出てきたやつだ!)
ソルディアの下町名物で、ポピュラーな屋台料理。
『揚げパンなのに、なぜかソルディア〝焼き〟』……NPCのキャラクターが、そのネーミングに疑問を抱き、ボヤいていたセリフが蘇る。
「ああ、ソルディア焼きか。俺もスキなやつだ。それにしよう」
カーネリアンの提案に、私は小さく頷いた。
屋台に近づくと、油の弾ける音が一層大きくなった。その軽快な破裂音が芳しい香りと相まって、食欲が否応なく刺激される。
ゴクリと、口内に溜まったよだれを飲み込んでいると、カーネリアンが一歩前に乗り出す。
「よっ。おかみさん、ソルディア焼き二つおくれ」
そう言って、随分と慣れた調子で先ほどの女性に声を掛ける。
女性は一瞬だけ目を細めたが――声を掛けた主が誰だかわかると、にっと豪快に笑った。
「はいよ! ……って、あれ? 誰かと思ったら〝セド〟じゃないか! アンタ、影が薄いから全然気付かなかったよ」
(……セド?)
「珍しいねえ。……お友達かい?」
向けられた視線に、ドキリと胸が跳ねる。私は反射的に、ぺこりと頭を下げた。
「そんなところさ。今日の市場、随分混んでるね。どう? 繁盛してる?」
さらりと返すカーネリアンに、おかみさんは朗らかに笑いながら頷いた。
「そりゃあね。緋冠祭までもう一週間だろ? 外国のお客様も増えてるしさ。……ああ、そうだセド」
彼女は一瞬だけ周囲の様子を伺っては、声のトーンを落とし、続ける。
「……アンタも知っていると思うけど、最近この辺りで、パラキリ狩りを目的にした連中が幅きかせてるんだ」
「らしいね。義勇団の連中だろ? 俺たちだけじゃなく、観光客のウパラ人もやられてるんだってね」
「ああ。悪いヤツら懲らしめるなら、まだしも。でっかい声で怒鳴り散らすわ、誰ふり構わず暴力振るうわで。……全く、迷惑な話だよ。いいかい? いつも以上に帽子、しっかり被っとくんだよ」
カーネリアンは、おかみさんの言葉に頷き「わかったよ」と言って小さく笑う。
ちょうどその時だ。屋台の奥からじゅう、と油の弾ける音が一段と強く響いた。揚げ上がったソルディア焼きが引き上げられ、手早く油が切られる気配がする。
おかみさんは、揚げ上がったそれをトングで掴み、流れるような動作で薄紙に包む。そして、鉄板に並べられていた串焼きを二本手に取って、私たちに差し出した。
「はい、ソルディア焼き二つ! それと、これはおまけ。お友達と仲良く食べな」
私は差し出された料理を受け取り、隣でカーネリアンも同じように手を伸ばす。
「お、気前がいいねえ! ありがとう」
「どういたしまして! ドライトさんにも、よろしく言っといておくれ!」
代金を支払い屋台を後にすると、おかみさんはブンブンと手を振って見送ってくれた。
熱々のソルディア焼きと、良い香りのする串焼きを両手に持ちながら、私は先ほど感じた疑問をカーネリアンに投げ掛ける。
「ねえ、セドって……?」
「俺、街じゃあ〝カルセドニー〟って名前で通ってるんだ。一応、ドライトのところで世話になってるパラキリの孤児って設定」
「なるほど、偽名……って訳ね」
「そういうこと。ほら、冷めないうちに食べなよ。腹、減ってんだろ?」
カーネリアンに促され、私は右手に握ったソルディア焼きに顔を近付ける。
揚げた衣の匂いと、微かな小麦の香りが広がるそれに、一思いにかぶり付く。
――カリッ。
「~~ッ!」
声にならない声が、喉から漏れた。
歯を立てた瞬間、衣の香ばしさとともに、じゅわりと甘辛いソースが溢れ出す。
揚げパン特有の軽い歯触りの奥から、もちっとした生地の感触が追いかけてきて――遅れて、スパイスの効いた餡の旨味が舌の上に広がった。
(お、おいしい……!)
一口、もう一口と頬張るのが止まらない。
思っていた以上に、ずっしりと満足感のある味だ。
ほんのり甘みのある生地に、香辛料の効いた餡。その中に混ざった刻み肉の食感が、噛むたびに存在感を主張してくる。
そして何より、中心に仕込まれた半熟の卵。熱でとろりと溶けた黄身が、餡と絡み合い、全体をまろやかにまとめ上げていた。
「ははっ、美味いか? って聞く間でもないな」
くすり、と笑う声がして顔を上げると、カーネリアンが苦笑いを浮かべてこちらを見ていた。
私はコクコクと頷き、それに応える。
これまで口にしていた、貴族向けの味とはまるで違う。
良い意味で荒削りで、少し乱暴。けれども、なんだか懐かしくて、心に染み渡る味だ。
「ほら、さっきおかみさんから貰ったおまけをさ、餡と卵を絡めてみな」
カーネリアンはそう言いながら、おまけの串焼きに自身のソルディア焼きの餡をたっぷりと塗した。
言われた通りに私は、見様見真似で串に刺さった肉を、ソルディア焼きの切り口にそっと押し当てる。
黄身と、スパイスの効いた餡が絡みつき、とろりと艶やかに光ったそれを、半信半疑のまま口に運び――。
「……っ!」
思わず、目を見開いた。
塩気の効いた香草焼きの肉に、甘辛い餡と卵のまろやかさが重なり合い、先ほどとはまた違う旨味が弾ける。
(うう~、庶民の味、最高…!)
なんて考えながら噛み締めていると、ふと視界の端に木樽を並べた酒の屋台が映り込んだ。
泡立つ琥珀色の液体。それを手にした客たちの、どこか楽しげな表情。
(……あれって、もしかしてビール?)
よりにもよって、このタイミングで目の前に現れるだなんて…!
この濃い味付けに、あれを流し込みたい衝動で、喉の奥がきゅっと鳴った。
「ん? 酒か」
カーネリアンに、酒の屋台を見ていたことがバレたようで、ぎくりと肩が跳ねた。
「え、そんな訳ないじゃない! たまたま視界に入っただけで……」
私が誤魔化そうとすると、カーネリアンはジトっとした目をして、ニヤリと口の端を上げる。
「ふぅん、そうなのか? 俺には心底物欲しそうな目をして見つめてたように見えたぜ? ……でも、こればかりは無理だな。この国じゃあ、十八にならないと酒は飲めないよ」
十八、と言うことは、つまりあと五年は待たないといけないことになる。
異世界なのだから、もう少し融通が利いてもいいのでは、なんて思ったけれど――現実はそう甘くないようだ。
「へ、へぇ……そうだったわね」
私は、カーネリアンに悟られないように軽く落胆の息を吐いては、ビールに思いを馳せながら、残ったソルディア焼きを胃の中に収めるのであった。




