第33話 その殺し屋、はじめてのワープ
「ルベルの事件の実行犯も、ウパラ人だったしな。……その一件から、王宮内での警備はさらに強まってるよ」
カーネリアンは低い声で、言葉を続けた。
卓上で組まれた腕越しに覗く朱赤の瞳には、先ほどとは違う、神妙な色が宿っていた。
「それに、王立植物公苑でのスリ事件。……あれ、一件や二件どころじゃないそうだぞ。その影響で、公苑内に配置されている兵士の数も、常時の倍になっている」
「つまり、警備の抜かりはないと」
私が確認すると、彼は無言で頷いた。
「ベリロスのおっさんは、用心深いからな。こう立て続けに、王宮周辺でウパラ絡みの事件が起きりゃあ、緋冠祭で何が起きてもおかしくない。そう思うのは、当然だよ」
肩を竦め、なんて事ないように話す。だが、言葉の端々には王族としての冷静な観察と責任感。そしてヘリオドール卿への信頼の色が滲んでいた。
「にしても、民間の義勇団か。確かに、そんな組織が至る所で活動をしていると言う話は聞いたことがあるが。……動きが活発、ね」
「ねえ、カーネリアン。その義勇団に心当たりってある?」
問いかけると、彼は目を伏せ一度だけ息を吐いてから答えた。
「……ないな。いや、逆か。ありすぎて、どいつが騒ぎを起こそうとしているのか割り出せない」
低く落ちたその声には、先ほどの冗談めいた響きは一切ない。
「そう言う輩が、目に見えて増えているそうだ。しかも、どいつもこいつも動機も目的もバラバラ。正義気取って突っ走る奴らほど扱いづらいものはないよ」
私は、なるほど――と思う。こういう組織は決して一枚岩ではない。正義を掲げる者もいれば、ただ暴れたいだけの者もいる。これはどの世界でも、きっと同じだ。
民間による 〝独自制裁〟の危うさ。権力の外側にある集団の動きこそ、最も制御が難しい。
「――てな訳で、だ」
「?」
カーネリアンは椅子から腰を上げると、ちらりと視線を逸らした。彼の視線のずっと先には、柔らかな陽光に照らされた白亜の大聖堂が聳え立っていた。
「あの人の祈祷が終わるのが昼過ぎ。んで、ニヤケ親父はそっから暫くは捕まる。迎えが来るのは……恐らく日暮れ前だな」
早口で独り言をつぶやきながら、カーネリアンは再び視線を遠くに向ける。そして、合点が付いたのかポン、と手を叩いた。
「よし。――ならば問題ない」
「え……? 何が?」
急に話が進んだような気がして、戸惑って聞き返す。すると彼は口角を上げ、当たり前のようにこう言い放った。
「その義勇団とやらの実態、確かめに行こうぜ」
「はっ!? た、確かめるってどういう……!?」
驚きに押されるように、思わず私も椅子から立ち上がってしまう。カーネリアンはそんな反応が面白かったのか、無邪気に笑みを綻ばせた。
「言葉のまんまの意味だよ。ほら、時間も限られてるんだ。急ぐぞ」
そう言うと、懐から手のひらサイズの輝石を取り出す。紫を基調としたその石は、つるんとした表面をしており、角度が変わるたびに、内側から虹色の閃光を弾き返していた。その光が揺らぐたびに、空気の密度がわずかに変わる。
「え、これ何――って、わっ!?」
私が言葉を言い終える前に、カーネリアンが突然私の手首を掴む。
「説明は後だ後。体験した方が、速い」
体験って、一体何を!? と叫ぶよりも早く、カーネリアンは輝石を天に向かって掲げる。
すると、石の奥底で眠っていた閃光が一気に溢れ出し、澄んだ音を響かせる。――胸の奥がきゅっと掴まれるような妙に生々しい感覚。空気が静かに、しかし確実に〝反転〟していく。
「何これ、ねぇ! ちょっと……!」
感じたことのない感覚に、不安が一気に押し寄せる。恐怖のあまり狼狽えていると、カーネリアンはちらりとこちらを見やり――
「怖かったら目、閉じてな」
いつもの軽さとは違う、ほんの一瞬だけ真剣な声音でそう囁いた。彼に言われるがまま目を瞑ると――途端に、身体がふっと軽くなった。
足元の感触が遠ざかり、浮き上がるような、不思議な浮遊感。
以前、エメルドが使った風の輝石による魔法とはまた違う。もっと、夢と現実の境目を歩いているような……。
すると、耳の奥で微かな震えが広がる。空気が薄くなっていき、光でも闇でもない〝何か〟が、まぶたの裏で脈を打った。
同時に――キンッと金属同士がぶつかり合うような音が、頭の内側で弾けた。その瞬間、身体の輪郭がほどけ、足元の世界がふっと抜け落ちる。
何かに吸い込まれるような、落下とも浮上ともつかない感覚が押し寄せる。
音も匂いもカーネリアンが掴んでいる筈の手首の温度も、何もかも、全部――遠ざかっていった。
◇
輪郭が馴染むと同時に、膝がふらりと揺れた。
足元に触れたのは、乾いた石畳のひんやりした感触。どうやら――室内だ。真っ先に鼻先を掠めたのは、金属と薬品と石の混ざった独特の匂い。
目を開けた瞬間、部屋のあちこちに転がる輝石が光を反射し、眩い閃きが視界を焼いた。
「……ッッ!!」
思わず顔を顰めたその時、じわりと遅れて先ほどまで掴まれていた手首の感触が蘇る。
感覚が戻ってきた。音も匂いも光も、漸く〝自分のもの〟として理解できる。失われていたはずの五感が、やっと世界に噛み合った。
「着いたぜ。ほら、言ったろ? 体験した方が速いって」
声のする方を向くと、カーネリアンがあっけらかんとした顔で立っていた。胸の奥に溜まっていた不安、恐怖、そして怒りがわなわなとこみ上がる。
「カーネリアン、アナタねぇ……」
「ん?」
小首を傾げる仕草。なんてことないと言いたげな、その無責任な態度を見た瞬間、これまで張り詰めていた感情が、一気に――爆ぜた。
「……何が、〝体験した方が速い〟よ!? 怖かったんだけど!? 本気で身体がバラバラになるかと思ったんだけど!?!?」
怒鳴り声が喉から勝手に飛び出す。
堰を切ったように不満が噴き上がり、気付けば彼のこめかみに向かって拳を放っていた。
「うわっ、危なっ――! おい、本気で殴るなよ!!」
カーネリアンが紙一重で身をひねる。空気を裂く音が残り、私の拳は虚空を切った。……ちっ、すばしっこい! その鬼みたいな回避力に、余計にイライラが募る。
「さっきのは一体なんなの!? あの輝石は何!? ちゃんと説明をして!」
怒りが収まらぬまま詰め寄ると、カーネリアンはバツが悪そうに頭を掻いては、気まずげな苦笑いを浮かべた。
「説明をしなかったことは謝る。悪かった。さっきのはな――転移魔法だよ。知らないだなんて、想定外だな」
「転移、魔法?」
転移魔法って、確かゲームで主人公ラピスが使っていたファストトラベル用の魔法のこと? でもそれって、使える人が限られている特別な魔法の筈だ。
「まあ、その名の通り一瞬で目的地に〝空間転移〟が出来る魔法だよ。本来なら、高位の魔法士や魔女クラスじゃないと使えない代物だしな。驚くのも無理はないか」
やや呆れ気味の声でそう言うと、懐から先ほど天に掲げていた輝石を取り出す。
「コイツは、ちょっと特別製でさ。パッと見はただの輝石だが、転移魔法の術式を応用した魔道具なんだ」
そう言って、カーネリアンは指先で石を軽く弾いた。虹色の光が一度だけ揺らめく。
そして同時に、先ほど転移する際に感じた空気の歪みのようなものを感じてしまい、身構えてしまう。私のその様子を見て、カーネリアンは薄く笑った。
「二つで一組になっていてな。対になる片割れが置かれている場所――そこへだけ転移できる。本物の転移魔法みたいに、好き勝手どこへでも飛べる訳じゃあない。あくまで〝つがいの石がある場所〟にだけ行けるって寸法だ。……便利だろ?」
「え、じゃあ……今いる場所って、その片方が置いてある場所ってこと?」
私の問いかけに、深く頷くカーネリアン。
「そういうこと。俺が外に出る時は、いつもここを経由する。あぁ、そうだ。帰り用の片割れもちゃんとあるぜ。そっちは俺の部屋に置いてある。だから、安心してくれよな?」
なるほど、そういうことだったのか。詳しい仕組みはよく理解出来なかったけど、腹には落ちた。
まさか……ゲームで〝ワープボタン感覚〟で使っていたファストトラベルが、こんな恐怖体験を伴う魔法だっただなんて。カーネリアンの様子を見るに、使い慣れている人にとっては、どうってことないのかも知れないけど、思い出すだけで眩暈がしそうだ。
って、ちょっと待って。また、帰りもアレを経験しなきゃなの!? もう二度とごめんなんだけど!? 叫びそうになったその瞬間――ふと、周囲の〝異様さ〟に気が付いた。
見渡せば、壁一面に並ぶ棚。ところ狭しと積まれた奇妙な器具、開きっぱなしの魔道書。そして、床に散らばる大小の輝石。先ほどまでいた王宮周辺とは、空気の色そのものが違っていた。
「……ねぇ。そう言えば、ここって一体どこなの?」
「ああ、それはだな……」
彼が答えようとしたその瞬間――
「おい! カーネリアン、うるせーぞ!!」
扉の向こうから怒鳴り声が飛んできた。その少しだけ癖のある、渋めの声には聞き覚えがあった。私が声の主を当てるよりも速く、その扉が勢いよく開かれる。
「――さっきから何騒いでんだよ!? それに、ヤケに可愛い声がした気がしたんだが……まさかお前、女とか連れ込んでん、じゃ……!?」
目が合った。
灰色掛かった、薄水色の髪。クタクタの白衣に、無精髭。色素の薄い瞳が見開かれ、私も思わず固まる。
「わああああああ!!!!?」
「ひゃああああああ!!!!!」
ほぼ同時に、二人の叫びが室内に響いた。




