第32話 その殺し屋、腹を括る①
「――でもまあ……今のアンタ、俺はキライじゃないぜ。前のサフィラも揶揄い甲斐があって面白かったけどな」
焔の残光を宿す朱い瞳が、ゆらりとゆらめいた。カーネリアンはせせら笑い、長い睫毛に縁取られた双眸をそっと伏せる。
彼は、今確かに「前のサフィラ」と言った。
冷たい汗が背筋を伝う。以前から、私のことを疑っているのでは? と予感はしていたが、たった今それが確信に変わった。このまま素直に、真実を話すべきなのか。それとも、まだ伏せておくべきなのか。
ルベルとエメルドが、夕方まで帰って来ないとわかった今。私がこの場で掴める希望は、もう目の前の彼しかいない。
(……公爵は夕方に迎えに来ると言っていた。使えるものは使う。迷っている暇なんて、ない)
「……ねぇ、カーネリアン」
呼びかけると、伏せられた睫毛の影が揺れ、朱を帯びた瞳がふっと持ち上がる。
切れ長のフレームは意外そうに見開かれ、期待と好奇がほのかに揺れていた。
その相手をたしなめる表情が、なんとも彼らしい。カーネリアンはきっと、私が何と言葉を紡ぐのかを待っている。
私が知っている彼の最大の長所は、底無しの好奇心だ。
そして短所も、右に同じ。彼には興味を持った対象に、際限なく踏み込むという悪癖がある。
その数少ない弱点。私はそれを、利用させてもらう。
「――そんなに私のことが気になるのだったら、まずは質問に答えてくれる? アナタが聞きたいであろう話は、それからするわ」
カーネリアンは私を疑っている。そんな相手が、私の話を聞いて素直に「協力する」と頷くとは到底思えない。
そして彼が私を疑っているのと同じように、私自身も彼に不信感を抱いている。
(彼が信用に足りる相手なのかどうか。――まずは、疑問を潰す)
これは、彼をこちら側に引きずり込むための布石だ。
〝可能性の糸〟がどんなに先細ったとしても、私はそれを手放す訳にはいかない。
(さて――この釣り針に喰らい付いてくれるか否か)
私は固唾を飲み込み、彼の反応を伺う。するとカーネリアンは、一瞬だけ目を瞬かせた。
「……へぇ、いいね」
それから愉快そうに口角を上げる。
「ようやく、その気になってくれたか。で、俺に聞きたいことって? 答えられる範囲で話してやるよ」
彼の朱い瞳は好奇を宿しながらも、どこか〝観察者〟の色を帯びている。お手並み拝見、と言いたげなその眼差しを一瞥する。
胸の奥で密やかに息を整える。彼の手のひらで転がされ続けるのは、もうごめんだ。今度は、私が〝主導権〟を握る番。
平静を保ったまま、私は言葉を続ける。
「まずは……そう。お茶会事件の時、色々助けてくれたみたいね」
その話題から話し出した途端、カーネリアンは意外そうに少しだけ目を瞬かせた。
「意外な切り口だな。ルベルに聞いたのか?」
「ええ。その件に関して、お礼を言うわ。……ありがとう。でもアナタ、随分事細かに事件の詳細を知っていたみたいだけど、それはどうして?」
問いただす目に、つい力が入ってしまう。しかし、カーネリアンはケロッとした表情で、なんでもないような口調でこう答えた。
「ああ、そのことか? 簡単さ。アンタの後を付けていた」
「えっ!?」
耳を疑い、声が裏返る。
人一倍他者の気配に敏感で、前世の殺し屋時代『魔女の背中を見て生き残った者はいない』とまで言われていた、この私を尾行していたですって!? 嘘でしょ……と言いかけたところで、言葉が止まる。
つい先ほど、彼に背後を取られた際に感じた違和感。そして、東屋を見た際、脳裏に浮かんだ『まるで俺みたいだろう?』と言うカーネリアンの台詞。そうだ。彼には〝アレ〟があったんだ。
「忘れたのか? それとも知らなかったのなら、教えてやるよ。俺の特技……いや、所謂〝スキル〟ってやつだな」
その言葉を聞いた瞬間、予感は確信に変わった。彼が続きの言葉を口にするよりも早く、私はかすかに息を吸い、その名を告げる。
「………『隠密』」
カーネリアンは一瞬だけ目を瞬かせ、面白がるように笑みを深めた。
「なんだ、知ってたのか」
『隠密』――それは、カーネリアンの固有スキルの一つだ。
サフィラが『神聖』『輝石の祝福』と言ったスキルを持っていたように、彼にも特別な力が備わっている。
ゲームでのカーネリアンの兵種は、弓兵。
HPも力も伸びが弱い代わりに、回避・命中、そしてクリティカル率が高い。いわゆる〝当てて避けるタイプ〟のユニット。
中でもカーネリアンは、固有スキルの恩恵でその回避とクリティカル率が群を抜いていた。そのチート級の回避の根源が『隠密』と言うスキルである。
まさか、こんな形でこのスキルの洗礼を受けるだなんて。
ゲームでは『回避率+◯%』と表記されていただけの能力が、気配そのものを掻き消す異能だとは思いもしなかった。
魔法を初めて体感した時にも痛感したが、この世界の〝現実〟は、私のこれまでの常識が通用しない。
(……異能、恐るべし)
「おーい、話続けても大丈夫か?」
ハッと我に返ると、カーネリアンが手のひらを私の眼前に向けヒラヒラと振っていた。
「ご、ごめん。アナタが私を付けていたことはわかった。……一体どこからどこまで見ていたの?」
「そうだな――アンタが走り出して、地下倉庫の階段を降りて……賊と素手でやり合ってたところまでは見てたな。その間に騎士団へ援護要請を飛ばしたり、色々と忙しかったんだぜ?」
「ちょ、ちょっと待って。つまり、最初から全部じゃない!?」
思わず椅子から腰が浮く。あの時の自分を全部――見られていた?
しかし、カーネリアンは特に気にした様子もなく、肩を竦めて首を横に振った。
「ああでも、流石に最後までは見れなかったよ。騎士たちに指示を出したり、他にも仕事が山ほどあったからな」
何事もないように口にするカーネリアンに、思わず息を呑む。この歳で騎士団、つまりヘリオドール卿たちに指示を出すなんて。驚愕しつつも、これまでの彼を見てきた身としては、妙に納得もしてしまう。
そして同時に、これまでの疑問が晴れていく。つまり、カーネリアンは最初から全部知っていたのだ。
私がルベルを探して、地下へ走ったことも。鍵をヘアピンで開けたことも。賊と戦ったことも。何から何まで。
あの時の私を見られたとなると、私が〝サフィラではない別の誰か〟だと疑うのも、無理はない。
むしろ私の方こそ、そこまで見られておいて誤魔化し続ける方が難しい。これはもう、腹を括るしかないのかもしれない。
「で? 聞きたいこと、まだあるんだろう?」
カーネリアンがテーブルに肘をつき、私の顔を覗き込む。
朱い瞳が細められ、反応を窺うように射抜いてくる。その視線を正面から受け止め、私は息を整えた。
「あとは……私と公爵――父の来訪を、どうして知っていたの? それから私を彼から離し、ここへ連れてきたのはどういう意図?」
私の言葉に、カーネリアンはほんの一瞬だけ視線を泳がせる。何か思い当たることがある、そんな間だった。
「ああ、それはだな。……アンタ、俺の母親の事は知っているか?」
母親。彼がそう口にした瞬間、息を呑む。
先ほど、公爵とカーネリアンが言葉を交わしていた際にも、何度か彼女の影がちらついていた。
「……フレイヤ様」
恐る恐るその名を口にすると、カーネリアンは皮肉めいた笑みを浮かべた。




