第28話 その殺し屋、家族と晩餐①
公爵の帰還から、一夜が明けた。
私の体調が落ち着いたこともあり、今夜の夕食は、家族三人水入らずの晩餐会となった。
食台に並べられた、琥珀色の澄んだスープに、彩り豊かな旬野菜のマリネ。そして、丁寧に骨が処理された白身魚の香草焼き。どれも見目麗しく、香りも申し分ない。
けれど、この穏やかな光景の中で、私は息苦しさを感じていた。
スープの温度も、香草の豊かな香りも、どういう訳か遠くに感じる。口に入れるたび、まるで霞を噛んでいるような気分になってしまう。……それはきっと、斜め隣に座るこの人物のせいだ。
その人物は、洗練された所作でナイフとフォークを操り、食器の音ひとつ立てずに料理を口に運んでいる。
その姿は、まるで完璧なお手本のよう。だが、隙のないその完璧さこそが、男の不気味さをいっそう際立たせていた。
パパラチア公爵。――私の父親。
公爵は、クォーツラントと諸外国を繋ぐ外務卿を務めており、この国の外交の〝要〟として知られている。
お母様の話によれば、一年の殆どを国外で過ごし、屋敷に戻ってくるのは年に数回。それも、ほんのわずかな滞在期間に過ぎないという。今回は、一体どれほど留まるつもりなのだろうか。
「うむ……。変わらず、見事な味わいだ! 後ほど料理長に、感謝の意を伝えねばならないね」
公爵は、ナプキンで口元を拭い、ゆっくりと頷いた。
「畏まりました。後ほど私より申し伝えておきます」
朗らかに微笑み、低いしゃがれ声で返すのは老執事のジルだ。彼はパパラチア家の使用人頭で、昨日公爵と共に、私の部屋を訪れたもう一人の人物である。
白髪に整えられた口髭と、単眼鏡が印象的な老紳士。
アメリア曰く、彼は先代公爵――つまり私の祖父の代からこの家に仕えているらしい。使用人頭という肩書きなだけあって、この屋敷で最古参の執事だ。
挨拶は何度か交わしたことがあるが、直接何かをしてもらったことはない。温厚そうには見えるが、佇むだけで場の空気を締めるような、不思議な威厳を感じてしまう。
「おや、サフィラお嬢様。グラスが空になっておりますね。この爺めが、お注ぎいたしましょう」
そう言ってジルは、銀色の水差しを静かに持ち上げると、私のグラスへと音もなく注いだ。年齢を感じさせぬほど無駄のない動作。それでいて、どこまでも品がよく、隙がない。
「……ありがとう」
私がお礼を言うと、「滅相もございません」と静かに頭を下げた。
「……それにしても、昨日は夜にご帰還と聞いていましたのに、まさかお昼過ぎのご到着になるだなんて。アナタらしいですわね」
そう言ったのはお母様だった。その声音は、相変わらず気品に満ちているのに、心なしかいつもより弾んでいるように聞こえる。公爵は、その声に応えるようにふわりと目元を緩めた。
「はは、早く君たちに会いたくてね。でも、まさかサフィラが体調を崩していただなんて! 最初に話を聞いた時は、血の気が引いたよ。……元気になってくれて、本当に良かった。それもきっと、女神様のお導きに違いない!」
公爵は胸に手を当て、まるで祈るような仕草でそう語る。そして、私の方へ視線を向けては、目配せを送ってきた。何を考えているのか、底が見えない眼に寒気を覚えるが、小さく頷いて見せる。
「……それにしても、体調不良が続くのは心配だ。神聖のゆらぎについて、大公殿にも相談したのだがね。こればかりは、本人の体質によるものらしい。経過観察をして、自然と快癒を待つしかないそうだよ」
(大公殿……)
公爵の口からその名が出て、息を呑む。
彼が語るその人物は、間違いなくウパラ公国大公のことであろう。大公は公爵と並んで、カルブンクルス王家の転覆を目論む〈アルカナ∽クォーツ〉のもう一人の黒幕だ。
パパラチア公爵とウパラ大公。この頃から、両者の間には接点があったということか。そうなると、陰謀の種火はもう既に焚べられている可能性が高い。
ゲーム本編で描かれた争いが始まるのは、サフィラが十九歳の時。――あと六年も先のことだ。
けれど、争いに発展するまでの間にも、小さな事件がいくつも起きていた……そんな記録や描写がゲーム内にもあった筈。
(……今の彼らが何を企んでいるのかはわからないけれど、気を付けた方がいいのかも)
魚料理の皿が下げられたあと、口直しのソルベが運ばれてきた。
花弁を模した飾り片があしらわれ、見た目にも華やか。スプーンを差し入れると、ほのかな薔薇の香りが立ちのぼる。
ひと口含むと、ひんやりとした甘酸っぱさが舌の上でほどけ、口いっぱいに広がった。思った通り、薔薇が練り込まれているようで、かすかにラズベリーの風味も混じっている。
薔薇――そういえば、もうすぐルベルが言っていた緋冠祭の時期だ。もしかすると、それに因んだレシピなのかもしれない。
数秒の沈黙が、食卓を包んだ。公爵はグラス越しに視線を上げ、ゆったりとワインを口に含む。すると、お母様が「あの、アナタ」といつになく、真剣な面持ちで口を開いた。
「……ご相談したいことがございますの。サフィラのお呼ばれについてなのですが――先日、ルベル殿下主催のお茶会に出席した折にも、体調を崩してしまったそうなのです」
真剣な面差しで、そう語るお母様。丁度ソルベの二口目を口に運ぼうとしていた私は、思わずむせ返りそうになる。
(……えっ!? このタイミングで、その話!?)
私が転生して間もない頃に起こった、ルベルトラウマイベント――もとい地下倉庫監禁事件。
ルベルとカーネリアンの根回しのおかげで、私は〝お茶会の最中に誤って地下倉庫へ迷い込んだ〟ことになっている。
そして、その説明をもとに騎士団とアメリアが協議を行い、公爵家には〝お茶会の途中で体調を崩した〟という報告がなされていた。
お母様にはそれで通じていたはず。けれど――公爵には、一体どこまで伝わっているのだろう。
そもそも、お茶会での事件を仕組んだのはこの男だ。私は、速くなる鼓動を抑えながら、そっと息を潜める。
「ああ……その話は聞いているよ」
グラスを軽く傾けながら、公爵は神妙な顔で頷く。
「第三王子殿下が突如、行方不明になったんだろう? 繊細なサフィラには、ショックが大きかったんだろうね」
公爵が「第三王子殿下」と口にしたとき、声の調子がわずかに沈んだ。語気の端に、重々しさが滲む。
「……実はね、あの時サフィラにちょっとした〝お使い〟をお願いしていたんだ」
「まあ、そうでしたの?」
お母様が、驚いたように目を瞬かせる。
公爵の言う〝お使い〟――それは、ルベルを地下倉庫に誘導するようにと書かれた、あの手紙のことだ。
(まさか、ここでその話をするつもりなの…?)




