第15話 その殺し屋、疑われていた
静かだった。音も光も、匂いも色もない。
ただずっと、真っ暗で、感覚が鈍い。
まるで、何かに引っ張られているかのように、私はその真っ暗闇に落ちている。
『……これは、夢?』
ぐわん、と頭の奥で反響するような、自分の声。自分の口から発された筈なのに、まるで海底から聞こえてくるように、ひどく遠い。
私はここに居るのに、ずっと遠くから自分を見ているみたい。どこまでが私で、どこまでが私ではないのか、その境界が曖昧だった。
『もし、このまま聖女になれなかったら……あれを、回避できる可能性があるってこと?それってつまり……私は、』
また遠くから私の声がする。
けれど、今の私は何も喋っていない。
この声は間違いなく私のものなのに、まるで誰かが私の思考を読み上げているみたいだった。
奇妙な感覚だ。頭の中と、声の主がずれている。それが、どうしようもなく気味が悪い。
その時だ。誰もいないはずなのに、誰かの気配がして、心臓が一度だけ強く高鳴った。
「つまり、私は――犠牲にならない、ってこと」
耳元で、――私の声がした。
瞬間、真っ暗闇が硝子の様に砕けて、極彩色の光が、洪水のように押し寄せてきた。
砕け散った暗闇が、色とりどりの宝石の粒に代わり、視界も思考もまるごと、全部塗り潰していく。
目が焼けてしまいそうな程、眩しい。けれども今、私の目の前に誰かが、確かに、居る。
少女の様な、どこか懐かしいシルエット。
(笑っているの……?)
いや、泣いているのかもしれない。私は、その少女に向かって手を伸ばし、その頬を撫でようとした瞬間、
『――誰!?』
何かが近づいてくる気配を感じた。煌びやかな光の中で、それがこちらへ手を伸ばしてくる感触。
私は反射的に、―――手刀を繰り出していた。
「―――ハッ!!!!!!」
繰り出した手刀は、虚しくも空を切り裂いた。
窓から入る日差しはすっかり高い位置にあり、部屋の床に淡く長い影を落としている。
ほんの少しの休憩のつもりだったのに、随分と長い時間、夢の世界を彷徨っていたようだ。
けれど、目覚めの余韻に浸る暇はないようで、
「あっっぶな……」
放った手刀の先に、ほんの紙一重でそれを躱したと思わしき人物の影がある。
パチクりと瞬きを一つすると、大きく見開かれた朱い双眸が目の前に飛び込んできた。
「な、な、な、なななな、なななななッ、」
そこには、昨日会った黒髪褐色肌の少年――カーネリアンの姿があった。
彼は私の顔を見下ろしながら、眉をひとつ吊り上げる。
「ななななな何でいるの!?!?!?!?」
私は叫びながら椅子から飛び降り、反射的に身を引く。
突然のカーネリアン登場で、動揺と困惑のあまり心臓のリズムが乱れ、不規則に打ち鳴っている。
どうして!? 何で!? パパラチア邸のセキュリティどうなってるの!?
「……他に言うこと、あるだろうが」
カーネリアンは静かに、しかしあからさまに不機嫌そうな顔で言った。
よく見ると額に汗をにじませており、左肩が僅かに揺れている。先程の手刀は本当にギリギリで避けたようだ。内心、やるなと思ってしまう。
(じゃなくて!!)
「寝ぼけていたとは言え、手刀を向けたのは謝る。けど、どうしてここに居るの?」
私が睨みながらそう言うと、カーネリアンは、ため息を一つ吐いてはやれやれと言いたげに肩を竦めて見せる。
「ほら、昨日また会おうぜって言っただろ? 約束を果たしに来たまでだよ」
確かにそんなことを、帰り間際に言われていたような。とは言え、勝手に人の部屋に侵入する理由にはなっていない。
「いやいや、そうじゃなくって」
「……喋り方」
「へ?」
カーネリアンは、低くぼそりと呟いた。
その朱赤の瞳が、じりじりと私を射抜くように細められていく。だが、その口調は軽く飄々としていた。
「俺が知ってるサフィラは、そう言う喋り方じゃあなかったんだけどな。……さっき黒髪眼鏡のメイドから、記憶が戻りつつあるって聞いたんだけど、違ったのか?」
そう言って、ジロリと私の顔を覗き込む。
(……もしかしてだけど、カーネリアンは私のことを疑っているの?)
昨日彼に、「アンタ、誰だ?」と聞かれたことを思い出す。
あの時は咄嗟に言われた動揺もあって、考えなしに「サフィラですけど…?」と答えてしまった。今思うとあの時点でもう疑われていたのかもしれない。
流石はカーネリアン・フォン・カルブンクルス。疑り深い性格は、少年期でも変わらないようだ。
ルベルとカーネリアン。ふたりは〈カナ∽クォ〉のメインヒーローではあるけれど、持っている性質は全く持って真逆だ。
ルベルは、他者を思いやり仲間に寄り添うタイプ。
一方でカーネリアンは、猜疑心が強く、相手が誰であろうと腹の中を読ませないタイプで、他人と接する際も言葉よりも行間を読み、表情よりも声の揺らぎを気にするような男だ。
思考と観察眼が鋭く、ゆえに物事の変化に誰よりも早く気が付く。
(いや、流石ではあるけど怖すぎる…! まさかサフィラの中身が〝別人〟だなんて、そんな突飛な想像、普通ならしないでしょ!?)
実際、前世の記憶が戻ってからというもの、私は〝以前のサフィラ〟の記憶をまるで持っていない。
口調も立ち振る舞いも、ゲームで知っている彼女とはまるで違うという自覚はあった。
寄せようと思えば寄せられたかもしれない。けれど――前世でただの殺し屋だった私が急に〝お嬢様らしく〟なんて、無理がある。
喋り方くらいならまだしも、所作や雰囲気は生き様の蓄積。謂わば習慣によるものだ。付け焼き刃で演じても、きっとすぐにボロが出る。……下手に取り繕えば、むしろ墓穴を掘るだけだ。
ここはもう、このまま〝私らしく〟押し通すしかない。
「……へえ、随分と私のこと、気に掛けてくれてたのね。ありがとう。まさか、貴方がそんなに優しい人だったなんて、知らなかったわ」
私の切り返しに、カーネリアンはほんの一瞬だけ目元を緩める。
そのまま何かを計るようにじっとこちらを見て、ふいに口の端をわずかに持ち上げる。
「……及第点、だな」
低くそう呟いたその声には、からかいと試すような色が混じっていて、同時にどこか楽しそうでもあった。
「どうして俺がここに居るのかは、いずれわかるだろうよ。今はそんなに気にすんな。今日お邪魔したのは、これを届けに来たんだ」
カーネリアンはそう言って、どこからか一通の封筒を取り出すと、それを私の前に差し出した。
「手紙?」
受け取ったその封筒は、昨日の公爵からのものにも引けを取らない位、上質な紙で出来ている。
そして封蝋には、剣と鳳凰を思わせる尾羽の長い鳥を模した紋章――王家のエンブレムだ。
「おっと。最初に言っておくが、俺からじゃないからな。……デートのお誘い、だとよ」
「は!? デ、デデデデート!?!?」
想定外過ぎる返答に、思わず変な声が出てしまった。その様子を見たカーネリアンは、また面白そうにせせら笑う。
「じゃあ仕事も済んだことだし、俺はこれで。……俺の大切な弟を、しっかり楽しませてやってくれよな」
そう言い残して、カーネリアンは悪戯っぽい笑みを残し、あっさりと背を向けた。
「弟……って、え!? ねぇ、それって…!? えっ」
「では、また今度。失礼いたしました~っと」
昨日のように、ひらひらと手を振りながら、カーネリアンは優雅に去っていった。
パタン、と扉が閉じる。静寂だけが残され、私はその場にぽつんと取り残された。
手の中には、あの〝彼〟からの手紙。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びていくのを感じながら、私は震える指先でペーパーナイフを握り、ゆっくりと、封を切り裂いた。




