前編
アキッリ伯爵家三男のフィリッポの婚約者は格上のスティヴァレッティ侯爵家の長女デルフィーナだ。フィリッポは将来従属爵位を得て分家を創設するデルフィーナに婿入りする予定になっている。
それがフィリッポは不満だった。何故なら、デルフィーナは2人姉妹の長女で、妹のチェレステは病弱だからだ。普通なら、健康なデルフィーナが侯爵家を継ぎ、婿の自分が侯爵となるのが妥当だろうに。なのに、既に将来はチェレステが侯爵家を継ぎ侯爵となると決まっているのだという。
確かにこの国では男女ともに家督相続兼及び爵位継承が可能だが、一般的には男が爵位を継承することのほうが多い。男子がいれば長子の女子よりも男子を優先する家が多いし、女子に家督を継がせても爵位は婿が名乗ることのほうが多い。これは政治の世界が男性社会だからだ。飽くまでも当主は血筋を継ぐ直系の妻で、夫は一時的に爵位を借りるという形になる。
だから、フィリッポとしては健康で優秀なデルフィーナが家督を継ぎ、爵位は夫である自分が継ぐのが妥当だと思うのだ。何故病弱で子を生せるかも判らない次女に家督を継がせ剰え爵位も渡すのか。フィリッポは全く納得がいかなかった。
スティヴァレッティ侯爵家は病弱なチェレステに甘い。だから嫁に出さず実家で安楽に暮らせるように、独身でも負い目を持たずに過ごせるように名ばかりの当主の地位と爵位を与えて体裁を整えるのだろう。そして、健康で有能なデルフィーナ夫婦に実際の侯爵家の運営を任せるつもりなのだろう。だからデルフィーナには従属爵位を与えて領地なしの伯爵として自分とデルフィーナを飼殺すつもりなのだ。
自分で思うほど有能ではないフィリッポは自分の狭い視野と了見でそう決めつけた。そして更に愚かなことを考えた。だったら、自分がチェレステの夫になってもいいのではないかと。
有能な自分であれば、爵位は与えられずとも当主代理として実権は握れるだろう。姉が分家を興すよりも夫が代理となるほうが自然だ。それに爵位が譲られるまでに自分の有能さを見せつければ、自分が侯爵になれるかもしれない。
侯爵家の姉妹は二人とも美しい。
デルフィーナは月の女神に例えられる銀糸の髪と夜空色の瞳、怜悧な美貌を持つ女性で、男を虜にする魅惑的な肢体をも持つ。何処か硬質な冷たさを感じさせる雰囲気も月の女神の異名に相応しい。
一方のチェレステは春の妖精に例えられる蜂蜜色の髪に新緑の瞳を持つ、ふわりと柔らかな雰囲気を持つ愛らしい美少女だ。幼いころから体の弱かったチェレステは体の線が細く、薄い。まだ幼いゆえに将来に期待だとフィリッポは思っている。チェレステがどう成長しようがフィリッポには無関係のはずだが。
デルフィーナは約1年後にデビュタントとなる17歳、チェレステは14歳。共にまだ社交界デビューはしておらず、病弱なチェレステは12歳以上の貴族子女の社交の場にも出ていない。
なお、フィリッポはデルフィーナと同じく17歳だ。15歳からは男女の社交の場が分かれるので、フィリッポがデルフィーナをエスコートすることもまだない。二人が婚約したのは1年前だった。
二人の交流は主に両家でのお茶会とスティヴァレッティ侯爵家での領地経営に関する勉強だ。飽くまでも補佐役としての勉強でしかないが。ついでに言えばフィリッポに施される教育は補佐の補佐だ。
尤も、フィリッポはそれを理解しておらず、侯爵家の当主教育だと思っている。チェレステが当主となっても実務は何もできないお飾りだと思い込んでいるので、自分が当主代理になるのだと勘違いしているのだ。
ならば、姉の夫として当主代理となるよりも、当主の夫として当主代理になるほうが自然ではないか。そう考えたフィリッポは早速行動に移すことにした。まずはチェレステと仲良くなることからだ。
これまでもチェレステは自分に好意的だった。自分に対して憧れのような視線を向けてきた。正直なところ、フィリッポは怜悧な美貌のデルフィーナよりも愛らしいチェレステのほうが好みだ。
どうせ同じ当主代理になるなら、より好みの女性であるチェレステのほうがよい。賢しらぶって自分に従順ではないデルフィーナよりも、素直で愛らしいチェレステのほうが自分の自由に出来る範囲も広がるだろう。
そんな計算ともいえない打算をしたフィリッポはチェレステと会うために侯爵家を訪れた。
「これはアキッリ伯爵令息。如何なさいましたか? 御訪問の先触れはなかったようですが」
デルフィーナとのお茶会でも当主補佐補佐教育の日でもなく、突然訪れたフィリッポにスティヴァレッティ侯爵家王都別邸の執事は慇懃に尋ねる。だが、フィリッポはそんな使用人の態度には気づかなかった。これまでにも先触れなしの訪問はしているし、一度も咎められたことはない。将来は彼らの実質的な主になるのだから何も問題はないとフィリッポは思っていた。
「街を散策していたら美しい花を見つけてね。是非デルフィーナに贈りたくなったんだ。彼女の喜ぶ顔を見るためにも直接手渡したくてね」
いきなりチェレステのお見舞いに来たといっても不審がられるだろう。これまでデルフィーナと同席の見舞いしかしてこなかったのだから。だから、デルフィーナが茶会のために不在であることを知らぬふりをして侯爵家を訪れた。婚約者を思っての訪問だと言えば使用人たちは訝しむことなく受け入れてくれた。デルフィーナが不在であることを詫びながら。
尤も、快く受け入れられたと思っているのはフィリッポだけで、使用人たちは何度言っても態度が改まらないフィリッポに呆れているのだが。実は毎回侯爵家の執事からアキッリ伯爵家には先触れのない訪問についての苦情は入れているのだ。だが、伯爵夫妻は詫びはするものの息子を窘めなかった。デルフィーナが望んだから結ばれた婚約であり、デルフィーナは息子にべた惚れなのだから問題ないと思っているのだ。
「さようでございますか。しかしながらデルフィーナお嬢様は本日サヴォナローラ公爵家でのお茶会に招かれてご不在でございます」
執事が『だから帰れ』という前にフィリッポは急いで言葉を挟んだ。ここで追い返されては意味がない。
「ああ、それなら、是非チェレステのお見舞いをさせてもらおう。折角来たのだし、チェレステも美しい花を見れば心慰められるのではないかな」
いくら姉の婚約者とはいえチェレステを敬称なしに呼び捨てにするフィリッポの無礼さに執事や周囲の使用人は呆れる。追い返したいところだが、一応相手は令嬢の婿候補だから無下にも出来ない。更に主からもチェレステからもフィリッポが来たら通してもよいと言われている。
使用人の一人がチェレステにお伺いを立てるために部屋に向かった。当然、当主夫妻にも連絡が行く。フィリッポは短くない時間を玄関ホールのカウチで待たされることになった。更に持ってきた花は萎れてはいけないので花瓶に生けたうえでチェレステに届けるとメイドに奪われてしまった。直接渡してチェレステの好感度アップを狙っていたフィリッポは少しばかり面白くなかった。




