2.目覚め
少女のぬくもりが消えた頃、パキッパキッと音が響く。音は少女が運んだ青年からだった。
青年の乾いた瞼がゆっくりと開く。青年は震えながら少女を抱きしめ、目から涙を一筋流した。
その時、少女の体がどんどん灰色に朽ちてゆく。代わりに青年の体はたちまち生気を取り戻していった。最終的に少女は灰となった。それでも、少女の形をした灰は、笑顔のままである。青年は立ち上がった。
「ア"…ヴァ…」
頭に、見覚えのない記憶が舞い込んでくる。ほとんどが何かは理解できない。唯一わかるのは、髪の長い女がこっちを見ながら
《リタ!》
と言い放つ場面だけ。そうだ、俺は。俺の名前は。
「リ…タ…俺は、リタなんだ…」
急に頭が晴れやかになる。今までナニカの衝動に駆られていた頭にさまざまな感情、知識、記憶が混じってくる。これがニンゲンというものなのだろう。
「リタ…俺は、リタ…」
呪文のようにその名前を繰り返していた。確認するように、納得するように、思い出すように____。
「…行くか」
生まれたての子鹿のような足取りで、当てもなくリタは歩き出した。ペタペタと、素足には向かない瓦礫だらけの街を歩く。
「どこなんだ、ここ…」
空は赤黒く、時間を測ることはできない。しかし月が見えているということは、きっと夜なのだろう。
突如、轟音が鳴り響いた。
「なんだ!?」
視界の先には、自分の数倍はあるだろうか、巨大なヘビがいた。否、これはヘビではない。ヘビの姿を模したバケモノなのだ。
(見つかったら殺される…!)
リタは急いで建物の物陰に隠れた。道路だった場所は、今やバケモノ達の獣道に成り下がっている。道路をゆっくりと練り歩くヘビのバケモノは、舌を出し入れしながら周りの様子を見ている。リタの隠れている建物に差し掛かった瞬間、バケモノは動きを止めた。
「…」
ジッとこちらを見ているが、動きはない。リタは両手を口に当て極力気配を消した。止まらない冷や汗を垂らしながら、魂の鼓動を感じながら。
「…」
バケモノは、ゆっくりと動き始めた。
リタが束の間の安堵を噛み締めていた時、リタは息を飲んだ。
「ヂュウ??」
ネズミの、バケモノ。
小さな鳴き声だった。目の前にいたリタでさえ、ほとんど聞こえない鳴き声。リタはバレてないんじゃないか?という一縷の希望を持ったまま動かなかった。しかし、動きを止めたのはリタだけではない。ヘビのバケモノも動きを止めたのだ。
「っ…」
沈黙を破ったのは、
「シャァァァァァ!!」
バケモノの鳴き声と、突っ込んできたことによる轟音だった。
「だぁー!くっそ!!!」
リタは走った。なりふりなど構わず。
「死にたくない!!…まだ死にたくねぇんだよ!!!」
その一心で、走って走って走り続けた。こんなバケモノに敵うわけもない。リタは、生き延びてみせる。生き残る、死にたくない。そう叫んだ。
建物を破壊しながら追いかけてくるバケモノに、慈悲などなかった。小さくも素早いリタに嫌気がさしたのか、バケモノはしっぽで辺りを振り払った。
ドガァァァンと瓦礫が吹っ飛ばされる。飛んでくる大量の石礫に、リタはなす術などなく被弾した。
「あ"ぁぁぁぁ!!!」
大きな被弾は避けたつもりだった。しかし、左腕に強い痛みが走る。リタは吹き飛ばされ、瓦礫に体を叩きつけられた。
「くそ、が…」
背中から打ち付けられ、全身が痛む。特に左腕が。
ふと左側を見れば、あるはずの腕がそこにはなかった。吹き飛んだ腕は、少し離れたところに転がっている。
ゆっくり、ゆっくりとバケモノが近づいてくる。逃げようにも既に体は動かない。バケモノはリタの腕を見つけると、リタに見せつけるかのように目の前で喰らった。ボキ、メキ、と言った生々しい音を立てながらバケモノの口から黒い液体が滴る。次はお前だ、とでも告げているのだろうか。
「まだ…死にたく、ねえんだよ…」
下手な命乞いなど聞こえるわけがない。相手はニンゲンではないのだから。バケモノがゆっくり口を近づけて来た。
《喰われる》
リタが見たのは、バケモノの口腔だった_____。