over the rainbow
「ホント、サイアク……!」
突然の夕立に降られて、私はとあるビルの軒先に駆け込んだ。
「あーあ。しまったなぁ……でも、そっか、あれから5年かぁ」
天気予報を見ていなかった自分を呪って、思わず出たあの時と同じ文句。ふっと自嘲気味な笑みが漏れる。
社会人1年目の今は、あの日のように、ただ雨に甘えていられた頃とは違う。
「早くこの雨が止んでくれないと、明日の仕事に響いてしまう」なんて事ばかりが頭に浮かぶのが、少しだけ淋しくも、大人になったとも感じる。
そんなことをぼんやり考えていた時、すぐ隣に、大きな影が滑り込んできた。
「うわ、すっげえ降ってきたな……」
濡れた前髪をかき上げながら、ネクタイを緩める横顔。
その声その横顔に、私の記憶と心臓が反応する。
「……あれ? もしかして」
「……え?」
見つめ合った数秒の間。
それは、一瞬で何年もの時間を飛び越えた。
「懐かしいな、全然変わってない」
嘘のない、こっちも釣られてしまいそうになる笑い顔。あの頃、私の世界を一日中明るくしてくれた笑顔がそこにあった。
「久しぶり……! 相変わらず、元気そうだね」
「あはは、確かに。今何してんの?」
並んで雨宿りをしながら、私たちはお互いの近況を話し合った。
彼の声を聞くうちに、胸の奥から、あの日の記憶が、あの時の感情が、ゆっくりと形を持って戻ってくるのが分かった。
でも。
私の心を占めているのは、あの日私を締め付けたような苦しい痛みではなかった。
ほんの少しの痛みと共に浮かんで来るのは、時間を経て少しだけセピア色に染まった、あの花屋の軒先で見たサンカヨウの、透明な美しさ。それは、あの時の痛みが今の私を作ってくれたのだと思えるような愛しさを感じるもの。
(懐かしい……。けど、もう昔の話になっちゃったんだね)
胸の奥で、何かが静かに透明になっていくのを感じる。私はそっと自分の胸に手をあてた。
気がつけば、あれほど降っていた雨の勢いが弱まってきていた。雲の隙間から、夕暮れの柔らかい光が差し込み始めている。
「雨、上がったな」
「そうだね」
「じゃ、俺行くわ」
彼が柔らかな笑顔を浮かべて手を挙げ、歩き出そうとする。私はあの日の私の肩をそっと抱きしめながら、悪戯っ子ぽく笑って声をかけた。
「ねえ。知ってた? あの頃の私、君の事が好きだったんだよ?」
彼は一瞬だけ驚いたように目を見張った。それから、昔と変わらない、少し照れたような、でも嘘のない真面目な顔で笑った。
「そっか。もったいないこと、したんだな」
「もう遅いけどね」
「あの時の俺に教えてやりたいよ」
じゃあまたな、と大きく手を振って雑踏に消えていく彼の後ろ姿を、私はただ、真っ直ぐに見送った。今度は逃げ出すためじゃなく、ちゃんと微笑みながら。
あの日の私へ。
今の私は、笑って話すことができているよ。
私は傘を鞄にしまい、深呼吸を一つして、軒先を出た。見上げた空には、洗い流されたような青空と夕日のグラデーション。
そこには、大きな二つの虹が鮮やかにかかっていた。




