エピローグ②
「ちょっとぉ……! なんなのこの振動っ、どうなってんのぉ⁉」
(ルシエさんっ……!)
抱きついてくるポピアを支えつつ、私は復活した不気味な振動音について思念で尋ねる。
いったい、何が――。
『シーリ⁉ 気付いたかしら……道が、押し潰され始めたわ。想定では、元の世界へ近づいてから扉を開けるまでずいぶん猶予があったのだけど……。次はさっきみたいに次元の穴を安定させるのに時間をかける余裕がない……。接近すると同時に道を開かなければ、後ろから迫る虚無に押し潰されるわ!」
「そ、そんな……どうすれば⁉」
どうやら、向こうの世界へのトンネルをくぐる間に、不測の事態が起きたらしい。
ルシエさんの警告が聞こえ、月映宮に集まった皆に焦りが広がる。
慌ただしく指示を仰ぐ私に、彼女は少し間を開けた後、早口で対策を伝えていった。
『衝突の瞬間は私が伝えるから、あなたたちはこの世界を向こう側に移すことに全力を振り絞って。その際……あちらの世界への大陸の出現位置をなるべく制御するつもりだけれど……地中や海中に埋め込まれないようにするのが精いっぱい。……そらく空中に……投げ……さ……る。なんと……守……から、いい位置に出……祈って――」
(祈れって……)
不測の事態に余裕がなくなったか――ルシエさんの声が途絶え、胸が恐怖で押し潰されそうになる。
だけど、ここで不安がっていても事態はいい方向には進まない。
周りを見渡せば――驚くことに、誰も下は向いていない。必死に自分がこなすべきことを考える皆を見て心が落ち着いた。
ここにいる皆が一緒なら、たとえどんな難局が訪れたって乗り切れる……!
「皆さん、聞いてください! 次元の道の劣化が進んだのか、この空間は長くは保たないみたいです! あちらに最も近づいた一瞬で穴を開き、脱出しないと……。そこで、私の合図に合わせて全力を振るってください! ここにいる皆なら必ずやれるはずです! それと……」
「……こちらは引き受けた。そなたは自分の役割に集中せよ」
「は、はい!」
虚無の在処の作動座標は、もう魔女帝が探ってくれているから任せて大丈夫。
となると、残る問題は……無事に元の世界に通り抜けた後のこと。
周囲の空や海ごと、この大陸があちらの空に出現し、そのまま落下するとすれば……。
事前の想定だと、ルシエさんが元の世界との繋がりを辿り出現位置を……広い海洋の上などの軟着陸できるベストポジションへ誘導してくれるはずだったが、多分そこまで厳密な調整は効かない。
空中のどこかならまだ運がいい、でも万が一……陸地の上でもに出現してしまったら、絶対に助からない。
思わず言葉に詰まってしまうそんな私の肩を叩いたのは……。
「全てを君が背負い込む必要はない。大陸の着床は任せろ、私がやる」
「できるの? メナ」
白い髪の魔女メナ――ルイーゼ様が代弁してくれたその疑問に、間を置かず彼女は頷く。
「やらざるを得ないんだ。どうにかしよう……今日のことを見据えて、私も長い時間ずっと準備をして来た。この蓄えた力を、今度は……もっと違うことのために使いたい」
この三年の時を経ても、メナの瞳はあの時の後悔を映したまま。
でも……かつて死力を尽くして戦った彼女の途方もない力と、その固い決意が今度はこの大地を守ることに向けられたなら、何よりも心強い……!
「信じます……! 他の皆さんも、彼女を助けてあげてください。さあ、皆……衝突に備えて!」
何も終わらせてやるものかと――各々が全力で動き出す。
家族、仲間、故郷……積み重ねた数多の思い出や大事なものを守りきり……ただ未来に手を伸ばすために――!
それを確かめ合うと、私たちは来たるべき決死行のタイミングに身体を強張らせる。ルシエさんからのテレパシーが復活した。
『――……界の壁……迫って……。シーリ、準備はいい⁉ 秒読みするから、よく聞いて!』
「はい! 皆さん、来ます! 合わせて!」
まるで超音波に晒されているようにびりびりと空気が震え、鼓膜が不快を感じる中。色々と下準備を整えていてくれたルシエさんの声が一際はっきり届く。
カウント……スタート。
十……九……。
「ポ、ポピア。何かあったらオレの後ろへ隠れていろよ」
「大丈夫ですよ殿下……あたしの方がまだ背は高いですし」
八……七……六……。
「陛下……魔女たちに御身の防護態勢を――」
「いらん。民無き王など恥以外の何物か。お前たちも、今ひと時は帝国の臣であることは忘れるがいい。ここに在るひとりの人として、己が望むまま力を振るえ!」
五……四――。
「ひいいぃっ! 室長、なんだかあっちの空から黒いのが押し寄せて来てますぅ!」
「……素晴らしいじゃないかリナ君。なあ。私たちは今この世界の真理に触れている! とはいえ……まだまだ。この世には解き明かさねばならない秘密が山ほど眠ってるんだ。ここでの退場なんて、絶対に御免こうむるねっ!」
「よし……皆、タイミングを合わせますよ! さ~んっ!」
瞬く間に数は減り――私は叫ぶ。
その声に、ここにいる皆もそれぞれの想いを乗せて。
「「「に~……!」」」
それに全体の声が重なった。
周りから心臓の音が聞こえてきそうなくらい、誰もが集中し、空を睨む。
世界書の中のルシエさんも私たちも、この世界に生きる全ての意志も、完全にひとつに重なって――!
『「「「いちっ‼」」」』
ラストカウントはピタリ。
魔女帝の繊細な操作により現れた黒の月目掛け――私たちは、同じタイミングで全力をぶち込んだ。
『「「「いっ……けぇぇぇぇぇぇぇ――っ‼」」」』
もはや、自分の声か他人の声か判別できないほどに、全員が必死に声も力も絞り尽くす。
瞬時に私の両手に前回以上の負荷がかかるが、強引に抗う。
お願い開いて……開け! 早く、もっと早く!
そんな私の両側から……頼もしい力が加わる。
「目の前に立ちはだかる世界への扉を開く……。僕らにおあつらえ向きのいい仕事だ。なあ、デュリス!」
「ああ……兄上。母上から頂いたオレたちの力は、今、この時のために!」
聖王国に延々と受け継がれた特別な王家の血筋……それにより、ティリシャ様から引き継いだ兄弟の奇跡の力が、私の聖魔力と完全に合わさり――。
――閉じられた世界への扉を今一度、解き放つ!
(――抜けた⁉)
腕にかかる負荷が、ふっと軽くなる。月映宮から立ち昇っていた光が徐々に細くなり、後ろでガシャンとなにかが砕ける音がした。ベセルが強大な力の負荷に耐えきれなかったのか。でも――なんとか。
(すごい……)
呆然と目を見開く私。急に、身体を背中からぐんと押されるような感覚に襲われ、その中で見えたのは。
視界の奥に続く……確かに色の違う――空!
「「わぁぁぁぁぁぁぁ――――っ…………っあぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」」
――ついに私たちは元の世界に辿り着いたんだ……。
声にならない奇声が連鎖する。大大、大歓声‼
しかしそのあと、急速に失速し転換。大大大、大悲鳴っ――‼
「「っひ――――!」」
落下系のアトラクションを何倍にもしたかのような、急速な墜落感。
おそらく、どこかの空に放り出された……?
風を突き破る凄まじい轟音が、足の裏を揺らし始め……。
遠くの空では海として周りに存在していた大量の水が流れ落ちた後、大地が風圧で削られ始め、砂塵が大きく上方向に流れていく。自然災害なんてレベルじゃないよ……こんなの!
「――恐れるな‼」
大勢が耳を塞いでしゃがみ込み、気を失う者も出始める中……一喝したのはメナだ。
「そんな暇があるなら力を貸せ! 今、大地の下を魔法で覗いた! ここは洋上だ……この大陸を浮かすか減速させれば、全員が生き残れる!」
その声で、怯えることしかできなかった皆に意思が戻る。メナが開いた紫のハードカバーから、一斉ににたくさんの黒いページが飛び出していく。
「く……ぅ……」
間をおいて微かな浮遊感。一定範囲の重力を操ったのか、落下速度が減衰し大陸が支えられたことを示す……が、まだまだ安全を確保するには程遠い。
「もっとだ……もっと力を……頼む!」
「メナ……あなた……!」
ルイーゼ様が膝をついた彼女をを支えた。
額には太い血管が浮き出し、その瞳の端や口元からつっと血が零れだす。相当な無茶をしているのは明白で。
その絞り出すような声に近くの魔女たちが駆け寄り、次々と魔力を分け与え始める。彼女に操られていたわだかまりを残す人もいるはずだが、誰も今は躊躇わない。
速度の緩みが少しずつ大きくなる半面、限界を迎えた魔女たちが次々と倒れ伏していく。だが今度はそれを聖女たちがカバーするように、メナの近くに集まり、聖力を分け与え始めた。
(――ああ、すごい……)
呆然と、ただただその光景に見入ってしまう。
メナが手にしていた本がその力を受け取って、空を舞うページも黒から白色へと変わってゆく……。
いや、それは彼女が持つ力が本来の色へと戻っただけなのかもしれなかった。それを表すかのように、肩に刻まれた奪聖痕が剥がれるように消えてゆき……遅まきながら私やポピアも全力で力を貸した。
「長き悠久の刻を見守ってきたこの証も、役目を果たせたか……」
それを見届けた魔女帝が、砕けた虚無の在処から漆黒の桂冠を抜き出して、空へと放り投げる。
それは氷のように儚く砕け、大きな魔力となって、この大陸の上空へと吸い込まれてゆき――。
(……雪?)
ちらほらと振り始めた白いものは、瞬く間に上空で吹雪き出し、大地を避けて真下へと降り注いでいく。
「太古の不溶の雪華を封じたものなり。塵も積もらば……少しばかりは衝突の勢いを殺せよう」
「雪の緩衝材ということか……洒落ている」
魔帝国の国宝を惜しげもなく消費した魔女帝を見て、負けじとメナの放つ聖力が一層増した。隣では、ルイーゼ様が彼女の限界以上の魔力の使用で壊れようとするその身体を癒し、支えている。
ぐんと落下速度が落ち、これまで砂塵と雪で塞がれていた周りの景色が、だんだんと露わになってきた。
「これが……こっちの世界」
さすがに、この高い月映宮からでも眼下に広がる光景を直視することは叶わないけど……。ここから見える地平線の向こうだけでも、世界が果てしなく遠くまで広がってしまったことを感じ取れる。
『帰って……これたのね』
ルシエさんがしわ枯れた声を出した。
聞き取りづらいのは、きっと彼女の感情がこれまでになく大きく揺さぶられているせいだ。無理もない……五百年以上の時を越え、二度と見ることは叶わないはずの故郷へと戻ってこれたのだから。
『あなたたちには……本当に感謝しなくては。やはり私は心のどこかで……ずっと、もう一度この場所に降り立つことを願って、いたんだわ――』
「あ……世界書が……」
ティリシャ様が抱えていた世界書がひとりでに手を離れ――淡く輝くとひとりの老女の姿に戻る。
その姿は、私が夢の中で見たルシエさんそのもので……。
『……どうか謝らせてちょうだい。この計画をシーリに伝えた当初はね……成功の見込みはそう大きくはないと踏んでいたの。不完全な形だとしても、五割……いや、三割ほどの人々をどうにか向こうの大地へ逃がしてあげられれば……。そうすることが、この本の中にあなた方を閉じ込めた私の取るべき責任だと思っていた。……だけど』
ルシエさんは、夢であるかのようにぼんやりと彼女を見上げる私たちに対し、惜しみない賞賛の眼差しを送ってくれた。
『脱帽だわ。シーリはもちろん……あなたたちそれぞれの、大切なものに向ける強い想いが、想像以上の結果を生み出した。エクセレント……百点なんてものじゃない、数値では表せられない、最高の結果を。きっとそれが……私たちがそれぞれに持つ特別な力。絶望を希望へと変え、新たな夢を生み出していく力なのよね……』
ゆっくりと、大陸が海面に近づいていく……。
まるで、苦労の末に辿り着いた山頂から朝陽を眺めるような爽快な気分でいた私たちに――ルシエさんは、この世界の名前を教えてくれた。
「ランシルエルト……。それが、かつて生きとし生けるものを生み出してくれたこの世界を讃え、人々が付けた名前だったの。私はそれを忘れまいと……この世界書を司る、奇跡の力を継ぎし者たちの国を、そう名付けた」
ざばぁん――と、地震のような揺らぎと共に、遠くで高波の音が上がった。
どうやら、無事洋上へと降りられたらしい。私たちは周りの人々と身体を支えながら、老女の身体が輪郭だけを残して朧げになる様を見守る。
消えゆく彼女が、最後に優しく私たちに笑いかける。
「心配しなくてもいいわ。この大地は、私がいなくなっても消えたりはしない。元は私が作った紛い物でも、今は違うもの。永き時の間、多くの人の願いが大地へと染み込むことで、土の一粒一粒からゆっくりと本物へと変わっていった。そして周りでも……この大陸のずっと彼方で、まだ見ぬ世界があなたたちを待っている」
不安げに辺りを見回していた私たちをそう諭すと……。
彼女は、笑みをまるで少女のように無邪気なものに変えて。
「この日のことを忘れないで。何百年も互いに支え合い、消滅の危機を乗り越えてこの場所に辿り着いたあなたたちなら、きっとこの先どんなことがあっても、希望を見失わずにいられる。諦めず、たくさんの仲間と手を取り合うことで起こせた、この奇跡を……どうか、いつまでも次の世代に伝えていって」
くるりと背中を向けると、「ただいま」――そう言い残し。
永き時を刻んだこの大地と共に、ずっと私たちを見守ってくれていた原初の聖女の姿が。
家族に迎えられたかのように、陽光の中へと溶けていく……。
――しばらくの間、私たちは誰も口を利かなかった。
言い尽くせない感慨が、胸いっぱいに広がって。ただただ大きなこの世界の空気を吸って、吐いて……ちょっとずつ馴染むだけで精一杯。
でも、いつまでもそうしてはいられない。
ひとり……またひとりと立ち上がると、清々しい表情でそれぞれの功績を称え合う。
力を使い尽くしてぐったりとその場に倒れ込むメナに、介抱するルイーゼ様。
いつの間にか仲良くなった様子のポピアとデュリス殿下を微笑ましく見守る国王夫妻。
魔女帝はすでにラエル兄さんに命じて役割を果たした魔女たちを集めさせ、労いの言葉を掛けている。その後ろではペーレ室長が壊れた虚無の在処の欠片を拾い集めて持ち帰ろうとしており、リナがそれを止めようと羽交い絞めにしていた。マール様とミシェル班長もこれからの聖女会の方針について意見を交わし合っている。
「あっ……シーリ。ほら、綺麗な鳥が飛んでるよ」
私もたくさんの人と健闘を称え合った後、少し気が抜けてぼんやりと立ち竦んでいると……。
――ぽん、とアルベール様が肩を叩き、ある一点を指差す。
東の空から西の空へ、すっと横切っていく一羽の鳥。
あの真っ白な翼の主は、元の世界の鳥なのか……それとも、新たなるこの世界の使者なのか?
(後者、かな……ふふっ)
私はアルベール様と頷き合い、大きく手を振った。
これからゆっくりと、この大地と私たちの帰還に気付いた者たちとの出会いが、続々と訪れることになるだろう。
その未来を勝ち取れたことが、今はただ誇らしく――。
「う……ぁ……」
「シーリ?」
「……ひ、ぐっ……うあぁぁぁ~ん!」
気付けば視界がぐしゃぐしゃになり、私はアルベール様の胸に顔を押し付けて泣きじゃくっていた。ずっと不安で仕方なかったのだ、こんな大きな責任を自分なんかがちゃんと果たせるのか。
だって私は、こんな普通の人間なんだもの……。
すると何も言わず……背中にひとつひとつと手が置かれていく。この今こそが、皆で頑張った証なのだと、伝えてくれるように。
その温かさと涙の熱さが。
どうして私たちが隣で手を握ってくれる存在を欲してやまないのか――ひとりきりでは生きてはゆけない理由を、教えてくれた気がしたんだ……。
――その後、ゆっくりと時間が流れ、少しずつ色んなことが変わっていって……。
無事着水できたとしても、大陸全土でやはり多少の被害は免れなかったよう。
特に陸地の外縁部などでは、地形が代わったり、海洋による浸食が進み始めたりと……人が住めるよう整地するにはしばらくかかるとの見込みで……。ルシエさんの指示でそういったことを見越し、民間人を内陸へ避難させていたのが、功を奏した。
そこから一年と少しは、ほぼその修復にかかりきりの日々。聖騎士、聖女共に各地に散らばり、被災した人民の救助、生活支援をこなす時間が続く。
平行して、聖王国と魔帝国では、この大陸に跨る国々の今後について綿密な話し合いが行われた上、ふたつの国を統合することが決まる。
そうして新生したのが、ランシルエルト共和国。この大陸の人々で協力し合い、一丸となって平和を維持する――その意思に周辺国家も次々と賛同を示し……共和国の規模はどんどん膨れ上がっていった。
そして驚くなかれ。その背景には、歓迎すべき事実の発覚が。
なんと、この星に私たち以外の居住者……星の怒りから生き残った人々の存在が確認されたのだ。
その者たちは……遠く外海から、なんと竜に乗って訪れた。大規模な空間変動の後、各大陸に津波が押し寄せ……その原因を調査するためここまでやってきたらしい。
共和国と名を改めたランシルエルト王国は、引き続き統治を続けるガルベ国王の指示で来訪者たちを丁重に王宮へと招き……原初の聖女のことや、数百年に及ぶ歴史の中で何があったかを共有したのだとか。
結果国王陛下は、その使者たちにしばらくの間、この世界に現存する国々との仲立ちを頼むことにしたみたい。
なんでも……こちらに残ったわずかな人類たちは、流星群を避けるために魔法で地下深くに作り上げたシェルターのようなもので、隕石の被害をどうにかやりすごしたのだとか。とはいえ、今はそれが収まって百年少々しか経っておらず、彼らも少しずつ生活基盤を整えている最中らしい。
隕石の落下で多少の変化はあったがと、彼らは私たちにこの世界の古い地図を見せてくれ、本当に驚いた。……だって、私たちのこの大陸のサイズは、本当に世界の数十分の一にも満たないって言うんだから。
現在、この世界における人口はまだまだ多くはないようだけど……これだけ豊かで広大な大地があるのなら、今後爆発的に増えてゆくだろう。これからの共和国は、そういう人とも積極的に交流を計り、国としての地位を高めていく必要が出て来た。それでも、今後数十年は自国の安定に費やす猶予が確保できそうだと……そんな方針が定められたところで……。
――私は、聖女会を退くことにした。
聖女としての仕事が嫌いになったわけじゃない。
でも、私自身……与えられた力が自分で扱い切れる範囲を越えたことに気付いてしまったから。
大きすぎる力は自分も人も狂わせる。そして一旦多くの人が関わる思惑の流れに身を任せると、望まぬことで力を振るう機会も増えるはず。
だから私は、力の大半をアルベール様とデュリス殿下の奇跡で封印してもらった。
今の私は、聖女になって一、二ヶ月くらいの頃の……かろうじて自分の身を守れるくらいの力しか使えない。でも……それでいいんだ。
共和国に危機が迫り、私の大切な人たちが危険な目に遭った時は封印を解いてもらえばいいし……それ以上は、これからの生活にはきっと必要ないもの。
聖女になった一番の目的――元のシーリの母親との再会は、曲がりなりにも達成できたし。後は自分が望むまま、周りと助け合って自由に生きる。それには、きっと大きすぎる力なんて邪魔なだけ。
ちょっと空を飛べて、奇跡を便利に使えたらそれで十分……。
そんなわけで、私は今ランシルエルト共和国の片隅で、こうしてアルベール様と静かに暮らしている。
――聖都では、今も慌ただしい日々が続いているみたい。
聖女会は、マール様が筆頭としてミシェル班長とルイーゼ様とで動かしているみたい。聖女に戻ったメナにも恩赦が下り復会できることになったとか。
彼女は今後、奪聖痕を刻む聖女が現れても大丈夫なように、それを取り除くための研究を法研で取り組むつもりなんだって。そうそう、ラトラとして貧民街で交流していた人々とも再会できたみたいで……今の彼女なら、貧しいながらも助け合い自らの居場所を作ろうとする彼らを優しく見守ってくれることだろう。
その他に、一番のビッグニュースといったら、ポピアが婚約したこと!
彼女は私が聖女会を去った翌年に白薔薇の聖女に昇級し、なななんと、デュリス殿下と婚約してしまったのだ……!
すごいというか、なんだか無茶苦茶嬉しい。彼女もまた聖女会の出世頭というもんで、実家も貴族としての籍をいただくことになったようで、今は慣れない妃教育とかいうやつで混乱しているんだって。
でも、ポピアなら持ち前の明るさで、きっと周りの人々や国民たちの気持ちを掴む、素晴らしい王妃様になってくれるはずだ。ふふふ……案外オレ様なデュリス殿下をうまくお尻に敷いて、うまくあしらっちゃったりしてね。戴冠の時が楽しみ。
それから、元魔帝国側の統治に関しては、引き続き魔女帝改め魔大公となったヴァシリーサ様の支配下にある。今後少しずつ、聖王国側に権利を委譲し、共和国の一地方へと形を変えていくことになるのだろう。彼女も本当は自分の後釜にメナを据えたかったらしいのだけど、聖王国に戻る彼女を引き留められず、悔しがっていたとか。
ラエル兄さんは、そんな彼女の後継者を見つけるために、日々魔帝国内を奔走中だそうな。そういえば、一時アンジェリカが扇動した、堕ちた聖女たちに魔帝国脱出計画が実行に移されたらしいけど……見事失敗。取り押さえられ、拘留期間まで延長されて……帝国内のあちこちで未だ鉱山や森林開発などの重労働に従事させられているとか。ちょっとかわいそうだけど、まあ元気そうでよかったと思っておくことにする。
それから今法研では、ペーレさん主導で外海へ探索に赴くための大型聖力船の建造計画が始められたらしい。竜に乗って空飛ぶ人たちもいるくらいのこの世界だ……。こちらも後年に備え、他国と友好を築くにしろ国交を鎖すにしろ、色々と準備が必要になる。世界進出の日も近そうだし、ぜひ、円満で平和な未来を目指して欲しい。
後、孤児院の皆もそれぞれ順調みたい。
リオンは十六歳で共和国軍の騎士団編入試験を受け、無事合格。今は騎士見習いとして聖都で訓練に明け暮れているそうな。アミは、街の拡大に伴い町長が誘致した学者さんの下で手伝いをして、教師としての経験を積んでいる。
実はそんな近況を手紙で教えてくれたのはロロで……。彼女もすっかり、孤児院の子供たちのまとめ役に成長したらしく、よちよち歩きだった頃の面影はもう見られない。年頃らしくお菓子作に興味が出て来て、色々練習中なんだとか。
ちなみに、シスター・ラミニは少し足が悪くなってきたみたいだ。でもインケンさはまだまだ健在で、彼女についての愚痴が手紙の文末に添えられるのは恒例である。
こうして並べてみても、皆それぞれ人生の行く先はばらばらで……。
でも……心のどこかでは誰かのことを気にしながら生きていて……。
寂しくなった時は、ふと立ち止まり周りを見渡せば……これまでの記憶が眩い道標となって、私たちを再び近くへと引き寄せてくれるはずだ。
そうすれば、いつかのように楽しく笑い合うことだってできる……。
だから……この先も――。
(うん……大体こんなところかな。ここまでのお話は……)
食後ゆっくりと休憩がてら誰にも見せない秘密のノートを広げていた私は……筆のインクを拭ってペン立てに戻し、午後の畑作業に戻ろうと立ち上がる。ポピアとの騒がしい寮生活もずいぶん楽しかったけれど、こうして自分だけの部屋があるっていうのも、またいいもの。
階下に降りてゆくと、ゆったりとテンポよく流れていた牧歌的な演奏が止まり、アルベール様が顔を上げた。
「そろそろ行くかい?」
「はい。ありがとうございます、手伝ってもらって」
リビングの椅子で彼が弾いていたのは、鮮やかなブルーのハープ。
私のイメージだと女性が弾いている場面が多い気がするこの楽器も、絶世の美男子である彼が扱えば少しの違和感もなく。
アルベール様の話によると、どうも子どもの頃に少し習ったきり……王宮暮らしで楽器を手放してしまったらしく。自由にできる時間が増えた今、骨董品屋で掘り出し物を探してきて、自分で弦を張り替えてみたんだそうな。
その上達の早さったらすごいもので。最近では近所の酒場でも、ちょくちょく演奏を依頼されたりするようになったとか。子供時代は満足にできなかったことに取り組む彼の姿を見ていると、私もなんだか楽しくって。
(ふふっ……いずれ、こちらに戻る前のことを物語にして、彼に吟遊詩人みたいに語ってもらっちゃうのも、面白いかもね)
そんなことを考えながらも微かに胸が痛んだのは……多分、時の移ろいを実感したから。
月日の流れが否応なく私たちを終わりへと近づけてゆく中、この幸せをいつまで保ち続けることができるのかな……と。
「――大丈夫、どこへも行かないから」
立ち止まった目の前でアルベール様が笑い、玄関のドアを開いてくれた。
光がすっと差し込んで、私たちの姿を優しく照らす。
そうだ、彼はこんな私の傍にいるって、言ってくれたから。
だから、きっと……新たな幸せがこの先でも待ってるって、そう信じられる。
活躍の場が、華やかな都から静かな街に変わろうとも――彼の心の奥底はきっと変わっていない。
変えようとせずに、私のことを待っていくれている。
変わらないものと、変わりゆくもの……。
そのふたつの狭間で揺れ動きながら、私は次の歩みをどちらへ向けようか……?
「あの……」
「ん、なんだい?」
おそるおそる私は……この手をアルベール様に向かって差し出した。
ようやく、変われそうだと……一歩踏み出す勇気が胸に宿ったから。
「たまには……手でも繋いでみませんか?」
ほんのささやかな私からのアプローチ。すると彼ったら――。
「――ああ‼」
空から大粒のキャンディでも降ってきたみたいな顔で。
嬉しそうに破顔し、こちらの一回り小さな手をしっかりと握ってくれる。
この気持ちは、触れ合いたいとか愛されたい……まだそこまでには育っていないかもしれない――でも。
今心は、微かにスキップするような高揚を感じていて――。
(変わっても、大丈夫)
そう思えたことが、私にとっては何にも代えがたい大きな収穫。
緩く繋げた手を前後しながら、仲の良い幼馴染のようにふたり畑に続く遊歩道を並んで歩いていると……。
子ども心に親を思っていた、あの頃の気持ちが……。
「いつか、きっと迎えに来てくれる」――優しい期待で包んで誤魔化した外側がふわりと解け。
「みんな、私のことなんかどうでもいいんだ」――開いた傷から零れ落ち、消えてしまった中身が……新しい、別のなにかで満たされていく。
「……ありがとうございます」
「ん? ……こっちこそ、いつもありがとう」
これからも、幾度ともなく告げるであろう感謝の言葉。
おかしがりながらも、同じ言葉を返してくれる彼と微笑み合っていると。
さらり――風が心地よく頭を撫で、私は目を閉じてそれを迎え入れる。
(ずっと……この人が側に居てくれますように)
その事実さえあれば……私はどうしようもなかった昔のことも、きっとしっかり受け止められる。そして……この先のひとつひとつのことを愛しながら過ごしていけるような気がする。
だから、大切にしよう。この人の隣にいられる今を、目一杯に。
そして、祈ろう……。
これからも起こる数限りない奇跡を――当たり前にしてしまわないようにと、願って。
(おしまい)
シーリたちのこれからに幸あれ……ということで、以上で本作は完結となります。
お時間を割いてここまで付き合ってくださった読者様、ありがとうございました……!
引き続きブクマや評価なども受付けております。作者が喜ぶだけですが……この作品を気に入ったとか、少しでも何か感じてもらえたんだな、というのがそれでわかりますので、応援していただけたら嬉しいです。




