第61話 帰る場所は、まだある
灰の谷は、少し変わっていた。
焚き火が、一つ増えている。
増えた分だけ、人がいる。
俺が、増やすなと言った場所だ。
リリアは、帳簿の前に座っていた。
立ち上がろうとして、やめた。
やめたのが、正しい。
「……おかえりなさい」
「座ってろ」
俺は、荷を下ろす。
下ろす前に、視た。
(……思ったより、悪い)
細い場所が、また細くなっている。
だが、切れてはいない。
「怒りますか」
彼女が聞いた。
「怒らない」
「三人までと、言われました」
「言った」
「守れませんでした」
「知ってる」
俺は、彼女の隣に座った。
「四人目を、断ったか」
「……断りました」
「断って、そのあと、追いかけました」
俺は、少し笑った。
笑ってから、鍼を出す。
「それは、断ったとは言わない」
「はい」
「だが、断ろうとはした」
「……はい」
「なら、いい」
打つ。
背中に、二本。
彼女の経絡は、細いところで無理をしている。
だが、繋ぎ直す必要はない。
自分で戻る形が、まだ残っている。
ほどくだけでいい。
いちばん楽な治療だ。
いちばん、時間がかかる。
彼女の肩が、落ちた。
あの人と、同じ落ち方だった。
治し方は、体によって違う。
落ち方は、みんな同じだ。
「レン」
「ああ」
「向こうは、どうでしたか」
俺は、少し考えた。
「治療、という言葉がなかった」
「……ない」
「休むことに、名前がなかった」
リリアは、目を伏せた。
「作ってきましたか」
「作れなかった」
俺は、正直に言う。
「名前は、住んでる奴がつける」
夕方、焚き火の数を数えた。
六つ。
一つ多い。
増やした理由を、リリアは説明しなかった。
俺も、聞かなかった。
新しい火の周りに、三人いた。
顔を、知らない。
一人は、腕を吊っている。
視れば、分かる。
王国の兵ではない。
魔族でもない。
境界の村の人間だ。
どこにも属していない者が、ここまで来た。
俺が閉じたはずの門を、
リリアは一つだけ、開け直したことになる。
叱るべきなのだろう。
だが、俺も今日、
白い布を一枚、置いてきた。
人のことは、言えない。
説明を求めれば、それは交渉になる。
この場所の決まりだ。
自分にも、適用する。
夜。
俺は、一人で座っていた。
鍼は、揃っている。
手も、震えていない。
だが、片付いたものは何もない。
戦争は、終わっていない。
王都の軍は、谷の外を見て回っている。
凍結された案は、凍結されたままだ。
王子の病を、誰が仕組んだのかも分からない。
向こう側の窪地には、まだ名前がない。
夜になれば、誰かが来る。
診る者は、いない。
俺は、それを知っていて、ここにいる。
三月後に、また行く。
それまでは、ここだ。
――俺は、まだ選び続けている。
第二部、ここまでお読みくださりありがとうございました。
第一部は「選ぶ責任」の話でした。
第二部は、その責任が誰かを傷つけていたと気づく話でした。
彼は相変わらず英雄になりません。
相変わらず、全員を救いません。
それでも、壊れた者の前に立ち続けています。
この物語は、ここでまた一区切りです。
治療師の朝は、明日も変わらず訪れます。




