第9話
二〇二号室の前に立ち、インターホンを押す。
反応がない。いつもの彼女ならいそいそと扉を開けたりしてくれたのだが。
「まさか体調が悪いとか……?」
俺は躊躇なく扉を開いた。普段なら躊躇する行為だが緊急時ならば仕方ない。と思ったが、ドアノブをひねった手に違和感。
ひゅっと、糸が切れるような感触と共に風切り音がした。
トラップだ。と思った瞬間にそれは来た。
それは視界いっぱいの飛翔物。これはあれだ、映画とかで観る中国の暗器。暗殺とかでよく使う鉄のハリだ。
もちろんこちらの動体視力をもってすればこんなもの、簡単にキャッチできる。けど、毎度命を狙われる側の気持ちも考えてほしい。
こちらが言葉を発するより前に、目の前で何かが爆発する。匂いから察するにカラシやらなにやらが入った袋を破裂させたのだろう。
普通の人間が相手なら、視界を失い床を転がりまわっていただろうが、俺相手では何の効果もない。
「ハオ……あのな、こういうことは」
と、説教をしようとしたところで己の浅はかさを痛感する。そう、彼女からの攻撃はまだ終わっていなかったのだ。
「──エニシ、覚悟」
声に誘われ上を向くと、この二〇二号室の住民であるハオ・バイバーイが天井に張り付いていた。彼女は俺の鑑定スキルが通じないので年齢は不明だが、十歳くらいの見た目をしている。聞いた話によるとハイロウ帝国の極東に住むシンという一族の末裔だそうな。彼女はぱっつんと切りそろえられた前髪とチャイナドレス(に似ている)を着こんでいて大変可愛らしい姿をしている。俺の命を狙っていることを除けば。
「残念。そこに潜んでいるのは最初からわかってるんだよ、ハオ」
既にスキル『気配探知』のお陰で彼女の居場所は大体把握できていたのだ。
「ちぇ」
むっとしたような声と共にハオが俺に向かって突っ込んでくる。これが普通の少女相手なら可愛らしい情景だが、その手に小ぶりのナイフが握られてるとなれば話が変わる。
「女の子がそんな危ないことをするんじゃない!」
そう叫びつつ俺は冷静にハオの身体をそっとキャッチする。
「また殺せなかった……がっかり」
「なあ、ハオ」
不服そうなハオを地面におろし、真剣な表情を作る。
「いくらお前の部族のしきたりだろうと、人にナイフをぶつけたり、殺そうするのはダメだ」
「でも……」
ハオはいつものように無表情のまま告げる。最初はこの少女のあまりの仏頂面に驚かされたが、こう何度も話している内に彼女の気持ちがなんとなく分かるようになってきた。
「私、結婚したい。エニシと。だから死なない程度に殺さないと、ダメ」
「その気持ちはマジで嬉しいよ。でもハオはまだ子供だしそもそも──って話している内にナイフで刺さないでくれ、それ俺以外の人にしたら大変なことになるから」
シンの一族は先祖代々暗殺業を生業としている集団で、変わった風習を数多く持っているとされている。
その中で特に特殊なのは婚姻についてのならわしだ。と、いうのも自分が好きになった相手に一度暗殺を仕掛け、半殺しにすることで初めて婚姻関係を結ぶ事が出来る。などというとんでもない風習で、彼女もそれが当然であると教えられて育ったという。
「正直、俺のようなおっさんが君みたいな可愛い子に好いてもらうってのは、かなり嬉しい。でも年の差もあるからさ、君と結婚してあげることは出来ないんだよ。前も言ったが」
「やだ。結婚する」
「はっはっは。とりあえずそのナイフをしまおうか」
頑固な子なので中々諦めてくれないというのが現状だ。そして彼女はシンの一族の中でも特に暗殺術の才能を持っており、大層手厚く育て上げられたという。
手厚く、と言っても、『大切』だとか『愛を持って』に育てられたわけではなくて。
「私、知らない。エニシみたいな人。家族も近所の人も逆だから、エニシと」
困惑する様に呟く彼女の肉体には大量の切り傷がある。この事実は偶然知りえたものではあるのだが、それらは全てはハオの親類たちによってつけられたものだという。
暗殺術を教える経過でついたものらしいが、こんな少女に一生消えることのない傷をつけるだなんて、はっきり言って異常な家族だと俺は思う。
「全く呪いだな、家族っていうのは。良いか、子供って言うのは武器を持つんじゃなくてオモチャを持つべきなんだ。人を殺すなんて言うのはもってのほかだ」
「エニシのいた世界だといなかったの? 私みたいなの」
純粋な彼女の問いが返ってきた。一緒に過ごすうえで不都合があるかと思い、俺が異世界から転移してきた件については入居者全員に伝えてあるのだ。
「いーや、残念ながら違う。でも、ここの人達と同じで俺のいた世界には優しい人が沢山いたからな、時間はかかるかも知れないが、きっともっと良くなっていくはずだ」
「そうなんだ。いつか行ってみたい、私も」
「もしかしたらそんなときが来るかもな、でもハオはまず、今いるこの世界を、人生を楽しむべきだ」
会話をしつつ、しれっと俺はハオの手に握られたナイフを奪う。やっぱり子供が武器なんて持つもんじゃない。
「忘れてた。今月のおやちん」
「ああ、ありがとう。毎月律義に払ってくれてるけど本当に貰って良いのか?」
「私、仕事してる。だからお金いっぱい持ってる。それに、いつまでも子供じゃない」
子供から金銭を受け取ることへの遠慮に対し、ハオははっきりと応える。冷静に考えれば甘やかしすぎてしまっても彼女の成長にもならないだろう。
彼女が普通の人間社会に溶け込もうとしているのだ。それを拒否する必要もない。
「分かった、この金は受け取っておく。けど。困ったことや聞きたいことがあったらすぐ俺に言うんだぞ」
「結婚はいつしてくれる? それを聞きたい」
「しない。あ、他の住民から山でハントしてきた動物を軒先に吊るさないでくれってクレームが来てたから気を付けるように」
「……エニシ、冷たい。けっこん」
しょんぼりした様子のハオを残して部屋を出る。半年ほど相手してこうするのが一番、彼女にとってもショックが少ない方法であると気が付いたからだ。
さて、まだ二人目だってのに、だいぶ気疲れしてきたな……。




