68 準備
犬養の演説が終わった後、俺は建物の影に身を隠し、中林先生に尋ねた。
「先生、角山公園の様子はどうなっていますか?」
犬養はさっき、はっきりと結生を処刑する場所は角山公園だと言っていた。
そして今は誰かが移動しながら「角山公園で走るゾンビの仲間を処刑する」と拡声器で言いふらしている。
俺を誘き出すためだろう。
結生の処刑は明らかに俺を狙った罠だ。
だとしても、結生を救けないという選択肢は浮かばなかった。
中林先生は淡々と状況を教えてくれた。
「あの公園に、しばらく前から赤い腕章の青少年が集まっている。集会をしていたようだ。あの公園は奴らの本拠地のすぐ傍だ。あの付近のゾンビは大分前に奴らに一掃されてしまった」
たしか、角山公園にはイベントやコンサートが開催される屋外ステージがあった。
俺の頭の中に、あのステージに立ってご満悦に演説している犬養の姿が浮かんできた。
「それと、おまえの友達は角山公園に移動されていた。公園近くのカメラの画像に映っているのを、今さっき発見した」
犬養が角山公園で罠を張るのは間違いなさそうだ。
公園は屋外だから侵入はどこからでもできる。
だけど、たしかステージ付近は芝生の広場で、身を隠す場所がない。
俺がただ突っこんで行けば、あっというまに待ち構える自衛兵の銃弾で蜂の巣にされるだろう。
幸い、正午までまだ時間がある。
俺は少し考え、中林先生にたずねた。
「先生は監視カメラのハッキングの他に、何ができますか?」
「もっと具体的に言え。インフラの大半をのっとる準備はできている。ゾンビウイルスが海外で確認された時点で、いつでも乗っ取れるように準備をしておいたからな」
ゾンビウイルスが海外で確認された時点……って、国内では流行していない時だ。その時点でインフラのハッキング準備をしていたら、ただの犯罪準備でしかない気がするけど。
とにかく、中林先生は頼りになりそうだ。
俺は先生にたずねた。
「じゃあ、たとえば、自動運転バスは動かせますか?」
「問題ない。少し時間は必要だが」
「1時間以内にできますか?」
「15分あればできるだろう」
「早っ。えーっと、あと、今、駅前大通り付近の様子はわかりますか? 昨日は警察がブルーシート内でゾンビを焼き殺していたんですが、今はどうなっていますか?」
先生が神取さんに指示を出す声が聞こえた。
「神取。そっちのパソコンで映像を確認してくれ。操作方法はさっき言ったとおりだ」
「はいはい」
神取さんの嫌そうな返事が聞こえた。
映像を確認している気配があって、十秒後くらいに返事があった。
「トラックがとまっているけど、付近に人の気配はないわ」
その後で中林先生の声が聞こえた。
「だろうな。警察はもうこの隔離地区にはいないはずだ」
「トラックの様子はどんな感じですか? 周囲にコンテナは?」
俺がたずねると、神取さんが少し詳しく教えてくれた。
「トラックは後部が開いていて、コンテナが、トラックの傍に置いてある……。コンテナを開けようとしたところで、放置したみたいに見えるけど」
俺が期待した通りの状態かもしれない。
「じゃ、俺は大通りに向かいます。先生、自動運転バスを大通りに移動してください」
「承知した。神取、監視カメラで文亮の付近に赤い腕章の奴らがいないか確認してくれ。あいつらに貴重な研究材料を奪われてはたまらん」
「だ、そうよ。文亮君。近くに赤い腕章の子達がいたら教えるから、逃げて」
「ありがとうございます」
貴重な研究材料である俺は、神取さんに礼を言って、足早に歩きだした。
20分くらい後。俺は大通りにいた。
大通りにはトラックが停車したまま放置されていた。近くに大きなコンテナも放置されている。
警察はかなり慌ててここを立ち去ったようだ。
路上にはライオットシールドなんかも落ちていた。
広場で、はがれかけたブルーシートが風にあおられてバタバタ鳴っていた。
ブルーシートの内側には、焼け焦げた遺体が山積みになった檻が並んでいる。
昨日俺が目撃した時に、焼き殺されかけていた人達かもしれない。
火はとっくに消えていて、鉄の檻は冷たい。
建ち並ぶ檻の真ん中の地面には大きな穴があり、骨と炭、炭化した肉塊が大量に入っていた。
昨日、あの檻の中にいた人達を助けるために、俺には何かできることがあったんじゃないか?
そう思うと、どうしようもなく胸が苦しくなってきた。
俺はトラックのところに行き、コンテナを開けた。
コンテナの中には檻が入っていた。
檻の中には拘束されたゾンビ達がすし詰めだった。思った通りだ。
警察は、運ばれてきたゾンビ達を焼き殺す前に、放置して逃げ去っていた。
周囲に非感染者はいないので、ゾンビ達は静かだけど、みんな疲れ切った顔や恨めし気な顔をしている。
車の音に気がついて俺が振り返ると、小型の自動運転バスがこちらに向かって走ってきた。
「先生、ありがとうございます。バスをこの檻の前にとめてください。あと、できたら、もう数台こっちによこしてください。できれば、何か食べ物や飲み物ものせて」
「問題ない。だが、バスを何台も動かしていると、赤い腕章の奴らが気づくかもしれない。奴らは高所から偵察している」
「用事が終わったら、俺はすぐに立ち去ります。お願いします」
自動運転バスはコンテナのすぐ前に停車し、バスの乗降口が開いた。
運転席にはペッポー君が座っていた。
自動運転バスに運転手は必要ないから、ペッポー君が乗っている意味はないけど。
ペッポー君は俺に手をふって言った。
「ボクにできることがあったら、なんでも言ってね?」
「じゃ、ペッポー君はバスの入り口の横に立ってて。今、お客さん達を連れて行くから」
「まかせて。お客様を、おもてなし。おもてなし」
俺はゾンビの檻を開けた。
檻は動物用みたいで、バーを回転させたり引き抜いたりするだけで開けることができた。
ゾンビ達の拘束具も簡単に外せたので、俺はゾンビ達を一人ずつ檻から出し拘束具を外していった。
そして、片端からゾンビをバスに乗せていった。
ゾンビのほとんどは、大人しく俺とペッポー君の誘導に従ってバスに乗った。
一部のゾンビ達は、勝手に公園の方に行って、ゆっくり体操を始めたけど、俺は放っておいた。
バスに乗らない方が、彼らのためだから。
俺は実はゾンビ達を危険にさらそうとしている。
じきに、さらに数台の自動運転バスが到着した。
ゾンビ達をバスに詰め込んだ後、俺はすみやかに広場を立ち去った。
バスの中でペッポー君がゾンビのお客さん達に飲み物と軽食を配っているのを見ながら、俺は広場を離れ、他に必要な物を入手するため、今度はデパートに向かった。