67 犬養の演説
パラダイスワンから出ると、隔離地区の外から、避難命令の放送がかかっているのが聞こえた。
≪この隔離地区には避難命令が出ています。市民の皆様は、本日午後3時までに必ず隔離地区の外へ退避してください。命令に従わない場合には、命の危険があります。繰り返します。この隔離地区には避難命令が出ています。市民の皆様は、本日午後3時までに必ず……≫
前に聞いた時より、情報が具体的になっている。まるで、脅すような放送だ。
俺は自衛兵団の本拠地がある方角へ向かって歩きながら、スマホで中林先生にたずねた。
「そういえば、先生。治療薬はどれくらいでできそうですか?」
「人手不足がつらいところだ。おまえが助手として使い物になったとしても、数年はかかるだろう」
「数年!? そんなにかかったら、ゾンビを安楽死させる法案が成立しちゃって手遅れになってるよ!」
俺は思わず敬語を忘れてそう言った。
中林先生は俺のタメ語は気にせず言った。……たぶん、この人は俺が常にタメ口をきいてても、そういうことは気にしないと思う。
「法案? 知らないのか? 国会の大クラスターを。あんなところに密集していたんだから、当然だが。国会議員はほとんど感染してゾンビになった。今の国会議事堂は巨大隔離施設だ」
確かにニュースで国会が休会になったと言っていた。
だけど、国会議員はちゃんと感染対策しているものだと思っていた。
「それじゃ、法案はもう成立しないんですか?」
俺は期待をこめて尋ねた。だけど、中林先生の返答は俺が期待したものではなかった。
「法案はな。今は戒厳令が出ている。もう法律なんて関係ない」
「戒厳令?」
「ああ。今朝早く戒厳令が出た。今、実権をもっているのが誰なのかはわからんが。今日からは、法律と関係なく、軍が自由に動くそうだ」
つまり、いつ国防軍がゾンビ掃討作戦を始めてもおかしくないということだ。
「それじゃ、さっきから放送がかかっている避難命令って、本当に国防軍の作戦開始が近いってことですか?」
避難命令に従わなければ命の危険があるというのは、脅しではないのかもしれない。
「だろうな。だが、ここの地上部隊は動けない。すでに感染拡大で半壊している。動くとすれば……」
突然、中林先生の声を遮るように、風にのって拡声器の声が響いてきた。
「先生、ちょっと待ってください」
聞き取れるほどの音量ではなかったから、俺は耳に集音器を装着した。
聞き覚えのある声が響いていた。
「みんな、よく集合してくれた。知っての通り、今日、ついに避難命令が出た。今、ゾンビによって日本は滅亡に瀕している。このままでは日本列島が生産性なき生ける屍に覆いつくされ、我らが祖国が、世界が滅んでしまう。だからこそ我々は一致団結し、ゾンビからこの町を守ってきた」
この声は間違いない。
犬養だ。犬養がどこかで演説をしている。
「予定された避難の時は近づいている。我々は、午後1時にこの隔離地区から避難する。だが、その前に、やらねばならぬことがある。最後に、ここでもう一つだけやることがある」
犬養の奴は演説は上手だ。判断力はおかしいけど。
俺だったら、即刻、全員を避難させる。ゾンビウイルスに感染する危険があるだけじゃなくて、いまや、国防軍の攻撃に巻き込まれる危険すらあるんだから。
犬養の演説は続いた。
「特別な力を持つゾンビ。この地域の大規模クラスターの黒幕。感染爆発を起こしていくゾンビ。永遠に活動を続けるスーパースプレッダー。覚えているだろう、感染爆発で壊滅した我が校を。あいつを放置すれば、日本の感染爆発がとまらない」
ゾンビに特別な力を持った奴なんていない。
犬養の奴は、何を言っているんだ?
うちの高校で感染爆発を引き起こしたのは、たぶん橋本だけど。
あの時、橋本は自分が感染していたこともゾンビウイルスのこともよく知らなかったんだから、責めるのはかわいそうだ。それに橋本は今はもう感染爆発を引き起こしていないはずだ。
犬養の演説は続いた。
「犠牲が出るのはわかっている。昨夜、奴のせいで7名が犠牲になった。申し訳なく思っている。だが、奴だけは、放置できない」
昨夜?
こいつ、ひょっとして……。
「奴のせいで、いまや、この封鎖地区を担当していた国防軍にも感染がひろがった。もう一度言おう。あいつを野放しにすることだけはできない。あの走るゾンビ、木根文亮だけは! 奴は他のゾンビよりも高い知能と運動能力で感染を広げていく、恐るべきゾンビだ。絶対に逃すわけにはいかない!」
やっぱり俺か! 犬養め!
学校での感染爆発は、俺は無関係どころか被害者だ。
それに、昨日の夜だって、黒田達が勝手に俺を追いかけてきて勝手にゾンビウイルスに感染して勝手に互いを殺しあっていただけだ。
別に俺があいつらをわざと誘導して感染させたわけじゃない。
俺がゾンビの巣窟に逃げこんだのは、たしかに、わざとだったけど。
でも、あいつらが俺を追いかけなければ良かっただけだ。
だいたい、感染したら殺すという自衛兵団のルールがなければ、あいつらは死にはしなかった。
むしろ、速川達が死んだのは全部、犬養のせいだ!
国防軍については、当然、1ミリも俺は関与していない。そのおかげで俺は隔離地区の外に出られるようにはなったけど。
実際問題、感染拡大が進んでゾンビのテリトリーが増えれば増えるほど、俺にとって都合が良いのはたしかだ。
でも、だからといって、俺は何もしていない。
犬養は演説を続けていた。
「放っておけば、走るゾンビ木根文亮は感染拡大を進め、日本を滅ぼす。必ず、我々の手で奴を仕留めなければならない。避難する前に、最後に、なんとしてでもあいつを倒すのだ!」
やってられない。
まぁ、あいつらが避難する時刻まで、俺はどこかに隠れていればいいだけの話だ。
それか、隔離地区の外に避難しちゃおうかな。
それがいい気がする。
感染拡大のおかげで、俺が自由に移動できる範囲は広がっている。
敵も自衛兵団だけだから、午後1時まで逃げ切るのは難しくないはずだ。
だけど、犬養の話は続いていた。
「今日、木根文亮は、我らが自衛兵団に裏切りと感染爆発の先兵を送ってきた」
俺は何も送っていない。
まったく、犬養の妄想は激しすぎて、ついていけない。
俺がそう思った時、犬養は言った。
「その者の名は、高木結生。こいつは、人間ではない。ゾンビの仲間だ。本日、正午。この場所、角山公園で、我々はこの人類の裏切り者の処刑を行う。それまで、木根文亮の襲撃に備えよ」




