55* 結生2
「高木さん、おはよう」
結生がホテルのロビーに立っていると、同級生の山下真護が少し緊張した様子で結生に話しかけてきた。
寧音は向こうで美羽と話している。
「おはよう、山下君」
「高木さんが無事でよかった……。昨日はごめんね。守れなくて。不良達とゾンビが同時に襲ってきたせいで」
「全然気にしなくていいよ」
申し訳なさそうな山下に結生は本音でそう言った。
山下は力強く言った。
「今日は絶対に僕らが守るから、安心して」
「ありがとう」
そこで美羽が全員に声をかけた。
「出発前の確認するよー。集合♪」
みんなは地図を見ながら目的の避難ゲートまでのルートを確認した。結生は仲間に加われず離れて会話を聞いていた。
「ここから、ここまで。すぐだよ。この辺りのゾンビの数は少ないから、昨日みたいに不良軍団に襲われなければ全然、大丈夫♪」
美羽のけっこうアバウトな説明の後、結生の知らない男子生徒達が発言した。一人はゴンゴンと呼ばれていて、もう一人はアベッチと呼ばれている。みんな山下と同じ中学出身の高校1年生らしい。
「昨日の『パラダイス』の奴ら。マジでウザいっす」
「あいつら、女の子達をたくさん誘拐して監禁してるんですよね?」
美羽は二人に同意した。
「そうだよー。許せないよねー」
「マジで許せないっすよ。うちなんてマトモな女子はほとんどいないのに」
ゴンゴンと呼ばれている生徒が力強く言い、美羽はいつもの明るい口調で反応した。
「えー? それ、わたしにケンカ売ってるのー?」
美羽の口調はのんびり明るく可愛らしいが、それが上辺だけなのがはっきりしているので、場の空気が凍りついた。
失言癖のあるゴンゴンは、即座に必死に謝った。
「すんません。マジすんません。隊長は数少ないマトモ女子っす。一見、外面は。実は誰よりもクレイジーですっげぇヤバいけど……あ、いや、でも、パラダイスの奴ら、マジでぶっつぶしたいっす!」
「あいつら悪運強いからねー。他の犯罪者集団は贈り物作戦やゾンビハニートラップ作戦で簡単に潰せたのに。でも、一昨日、志願者が出たから、今度こそ潰せたかも。今日は大丈夫じゃないかなー」
美羽は明るい調子でそう言って笑っていたが、なぜか他の生徒達は不気味に沈黙した。
「さ、出発しよー♪」
ホテルを出ると、さわやかな風が吹いていた。
肌に当たる日差しも心地よい。
そう思ったところで、結生はふと気がついた。
(あ、日焼け止め忘れちゃった)
朝の街は静かだった。
たまに、どこかから、目覚めて背伸びでもしてそうな、のんびりとした唸り声が聞こえることがあった。でも、結生はあえて誰にも、ゾンビっぽい唸り声のことは言わなかった。
しばらく歩いた後、大きな建物の影らしき場所で皆は立ちどまった。
「到着♪ じゃ、見送りはここまでねー。こっそりもらった国防軍の装備、警察にはあんまり見られちゃいけないから」
「ああ。ありがとう、美羽」
寧音が広瀬美羽に礼を言っている横で、山下真護は少し寂しそうに結生に別れの挨拶をした。
「さようなら、高木さん。お元気で」
「うん。山下君たちも元気でね。また、学校が始まったら会おうね」
「うん。絶対、また会おう」
山下達に別れを告げ、結生は寧音と二人だけで歩き出した。
歩き出してからも、結生の耳には美羽たちの会話が聞こえていた。
「へんだな~。普段はこの近くまで警察の人がパトロールしているのに」
美羽がつぶやくと、ゴンゴンとアベッチが口々に言った。
「避難者がいないからパトロールはやめたんじゃないっすか? 体が不自由な人も、ほとんどみんな先週避難したっすから」
「以前かかってた放送だと、今日までに避難を完了させるようにって話でしたよね?」
ふたりの言葉に美羽は同意した。
「うん。わたし達も早く避難しないとねー。なんだか噂だと、予定より早く国防軍が動き出すらしいよ。だけど、団長、「予定変更、しばらく残る」とか、言いそうでやだなー。避難しないと危ないのに」
「走るゾンビ、逃がしちゃったらしいっすもんね」
「あんなキネキネ・ゾンビどうでもいいのにね。犬養君は頑固で執着心強すぎなんだよ~。あ、これ内緒ね。誰にも言っちゃだめだよ♪」
美羽は明るく言ったが、即座にアベッチとゴンゴンの真剣な声が響いた。
「言えるわけないですよ。俺達全員、吊るし上げられちゃうじゃないですか」
「隊長、問題発言マジやめてください。団長は近頃絶対的カリスマなんすから」
だけど、美羽は笑いをかみ殺すような調子で言った。
「そこに違和感感じちゃうんだけどね~♪ だって犬養君だよ?」
「「だよ?」って俺たちに言われても……」
結生の後方の会話の声はしだいに小さくなっていき、前方に人の気配を感じるようになってきた。
前方から少ししゃがれた低い声が聞こえた。
「はい、こっちですよー。こっちきて」
ゲートの係の人だろうか。なんとなく嫌な感じの声だ。
結生は声から人の性格を判断することが多い。ただの直感だが、結生の判断は当たることが多い。
音と気配から、この場には二人いるのがわかる。
声をかけてきた人はこっちに近づいてきている。
寧音は声のした方向に向かって歩いて行き、結生も寧音に従った。
係の人に近づくにつれ、結生はどこかから血の臭いを感じた。
昨日、町の中を彷徨っている時に何度も嗅いだ腐臭とは少し違う臭いだ。たぶん、新しい血の臭いだ。
結生は寧音の袖を引っ張った。
「お姉ちゃん」
「どうした?」
「この辺に大ケガをしている人いる?」
「いや?」
男の低い声が響いた。
「はいはい、お嬢ちゃん達、早くこっち来て」
その男の声に結生はやっぱり嫌な響きを感じた。欲望にまみれた汚い声、そんな感じがする。
でも、寧音は何も気がつかず指示に従おうとしている。
「お姉ちゃん……」
「どうした?」
「……なんでもない」
なんとなく嫌な人だから、という理由にならない理由で寧音を止めるわけにもいかない。
結生は従うしかなかった。
その時、結生のスマホが鳴った。
「ゾンビ先輩から着信です」と、結生のスマホが告げた。
即座に寧音が立ちどまって叫んだ。
「ゾンビ先輩!? ひょっとして木根か!」
(先輩、変な名前で登録しないでください……)
心の中で文句を言いながら、結生は応答した。
通話が開始されたとたん、木根文亮の声が響いた。
「逃げろ! その兵士達はゾンビだ!」
寧音の気配が一瞬で変化した。
「ゾンビ?」
兵士の苛ついた声が響いた。
「なにを言ってるんだ。俺達はゾンビじゃない。国防軍の者だ」
別の方角からもう一人の男の、ろれつの回らない声が聞こえた。
「おんいああいうー!」
その声を聞き、確信した寧音の叫び声が響いた。
「結生、逃げろ!」
だが、瞬時に野太い声とともに銃声が響いた。
「動くな!」
結生の足はすくんだ。
いやらしい低い声が響いた。
「さぁ、お嬢ちゃん達。死にたくなかったら、おとなしく従うんだ。まずは服を脱いでもらおうか。どうせすぐ死ぬんだ。もうルールも規律もあったもんじゃねぇ。最後に思う存分楽しもうぜ!」
そう言って男は下卑た笑い声をあげた。離れたところから、もう一人の男の楽しそうな声が響いた。
「ううおうえー! ううおうえー!」
寧音が悔し気につぶやいた。
「感染初期のゾンビどもめ。ぬかった……」
兵士の下卑た声が聞こえた。
「早くしないと、痛い目にあうぜ。まずは足を撃ち抜いて……」
その時、結生の背後から、山下の声が聞こえた。
「高木さん! 伏せて!」
結生は伏せた。
銃声が後ろから響いた。
即座にすぐ近くの兵士の方から、そして別の方角からも、銃声が轟いた。
銃声の間に兵士達の怒声が響いていた。
「チクショウ。ドシロウトのクソガキが! クソッ!」
「うー! うー! うー! うー!」
激しい銃声が轟き続けていた。地面に伏せている結生の手を寧音が掴んだ。
「結生、こっちだ。這ったまま進め」
結生は寧音に従い、地面を這うように進みだした。
ゲートの方から激しく銃声が響き続ける中、後方からの銃声がやんだ。
苦し気なうめき声が一度だけ聞こえた。
「山下君?」
返事はない。何が起こっているのかはわからない。ただ、銃声が響き続けていた。
今までとは別の方角からも、新たに銃声が響いていた。
美羽の声が聞こえた。
「寧音、こっち!」
「結生。走るぞ」
寧音の指示に従い、結生は身を低くしたまま走りだした。