53 到着
俺は無我夢中で走り続けた。
苦しい。
息が切れて苦しいのか、ショックで苦しいのかわからない。
俺はとにかく走り続けていた。
(なんで速川が死ななきゃいけないんだ……なんで……)
速川が感染してしまったことに、俺は罪悪感も感じていた。
俺がすぐにゾンビキッズの存在に気がついていれば、あいつは感染しなかったかもしれない。
だけど、速川が死んだのは、結局、俺のせいでもゾンビキッズのせいでもない。
ゾンビになったって、死ぬ必要はない。
ゾンビになったって、死にはしない。
ゾンビになったって、ぼーっとのんびり過ごして、治療薬ができるまで待っていればいいだけだ。
みんなが協力すればゾンビはちゃんと生きていける。
なのに、なんで、速川が殺されないといけないんだ?
黒田は速川の友達じゃなかったのか?
なんであいつらはゾンビになったってだけで人を殺そうとするんだ?
なんでゾンビになった人を受け入れるっていう簡単なことができないんだ?
ゾンビになった飼い主と仲良くすることなら、犬にだってできるのに。
俺は気がついた時には病院の外の道路を走っていた。
いつ非常口から外に出たのか覚えていない。
俺が今いるのは、病院の裏口の傍にある道だった。
「いたぞ!」
どこかから声が聞こえた。
病院の周囲をパトロールしていた自衛兵に見つかってしまったようだ。
俺は近くの路地に駆け込み、傍にあった生け垣の間の隙間から隣の敷地の中に逃げ込んだ。
すぐに俺を追いかけて路地に入ってきた自衛兵達の声が聞こえた。
「どこだ?」
「いない。こっちに走って行ったと思ったんだけどな」
自衛兵達は俺を見失ったようだ。
俺は生け垣と塀に身を隠しながら、なるべく物音をたてないように進んだ。
突然、再び、空と地上が明るくなった。
犬養が照明弾を使用したらしい。
俺は暗視ゴーグルをはずして辺りを見渡した。
今俺がいる場所は、横には生垣や塀があるから道路の方からは見えない。
だけど、高い所から見れば、方角によっては俺の姿が丸見えのはずだ。
(どこか、隠れる場所はないか……?)
俺の目の前には4階建てくらいの白い建物がある。
建物の入り口が見えた。あれが正面玄関みたいだけど、塀や生垣に隠れるようなひっそりとした場所にあった。
入り口の中は暗くて、ここからではよく見えない。
とりあえず、あの中に隠れれば高い所からでも見つからなさそうだ。
俺は身を低くして、一気に建物の入り口に駆けこんだ。
入り口の自動ドアは人一人がやっと通れる程度に開いた状態でとまっていた。
俺はリュックを外し、自動ドアの隙間に体を滑り込ませて、自分が中に入ってからリュックを引きこんだ。
入り口は二重の扉だったようだ。
俺の目の前には非常用シャッターが下りていた。
シャッターの横には金属の非常用扉がある。
俺はそのドアを開けようとした。だけど、カギがかかっていて開かない。
俺は中に入るのをあきらめて、非常用出口の前の隅っこに座り込んだ。
さっきの場所よりは人目につかないけど、自動ドアはガラスだから、入り口の前に立って中を見れば、俺が丸見えだ。
しかも、見つかったら最後、逃げ場はない。
(早く暗くなってくれ)
俺は照明弾の効果が早く切れることを願いながら、非常用扉にもたれかかった。
金属のドアにぶつかった俺の背中が、硬質な音を立てた。
俺はそこで背中に違和感を感じることに気がついて、服の上から背中に手をやった。
銃弾が手にふれた。
逃げるのに夢中で痛みに気がつかなかったけど、防弾チョッキの上から黒田に撃たれていたらしい。
俺は服の中の背中に触った。触れると少し痛みはあるけど、特にケガはなさそうだ。血も出ていない。
辺りはだいぶ暗くなってきた。
だけど、その時、自衛兵の声が聞こえた。
「この辺で見失ったんだよ」
「生垣の向こうかもな。よく探そう」
俺は焦った。
(どうする? ここを出て逃げるか?)
俺は立ちあがりそうになった所で、とまった。
今、下手に動けば見つかる。
慌てて走りだすよりは、ここで身を潜めて見つからないことを願う方がましだろう。辺りはもう暗い。
そう考えて、俺は座りなおした。
この決断が正解なのか、自信がないままに。
自動ドアの外の風景が、懐中電灯の光線に照らしだされた。
自衛兵の捜索隊は、ここに近づいてきている。
逃げ場のないエントランスの中で、俺は不安に襲われた。
(どうする? やっぱり逃げるか?)
もしも発見されたら、俺はあっという間に銃弾でハチの巣にされる。
やっぱり、逃げ出すべきかもしれない。
再び立ち上がろうとしたところで、俺はとまった。
たぶん、もう遅い。
今から逃げ出したら、すぐに見つかって逃げ切れないだろう。
やっぱり、今となっては、自衛兵達がこっちを見ないことを、気がつかれないことを願うしかない。
俺はリュックを前に置き、背を後ろのドアに押し付けるようにして、すみっこでなるべく体を丸めて小さくした。
どうやっても、俺がリュックの影に隠れるなんて無理だけど。
どう考えても、入り口から覗き込まれたら俺は見つかるけど。
懐中電灯の光線が大きくなってきた。自衛兵達がすぐ傍に近づいてきている。
(やっぱり、俺は判断を間違えたかもしれない。さっき逃げ出していれば……)
俺が激しく後悔した時。カチャッという音が聞こえ、突然、俺の背中が後ろから押された。女性の囁くような声が聞こえた。
「早く中に入って」
内側から非常用ドアが開けられていた。
俺は慌ててリュックを片手に持ち、少しだけ開けられたドアから這うように中に入った。
俺が入るとすぐに、非常用ドアは閉められた。
建物の中には、白い防護服姿の人が二人いた。
その内の一人が、渋く低い声で、なのに、まるで遊園地に行くのが待ちきれない子どもみたいにそわそわと嬉しそうに言った。
「遅かったな。木根文亮。待ちくたびれたぞ。さぁ、さっそく検査を始めよう」
それを聞いて俺は初めて気がついた。この男が中林亜覧だということと、ここが恵庭隈研究所だということに。
5章終わりです。ありがとうございました。