50 噓つきゾンビ
病室の入り口には、小さな懐中電灯と大きな自動小銃をもった人影があった。
自動小銃の銃口は俺に向けられている。
赤い腕章をつけた自衛兵だ。
俺は息を飲んだ。
だけど、なぜか自衛兵は引き金を引かず、ただ入り口にぼーっと幽霊のように立っていた。
(なんで銃を撃たないんだ?)
撃たないということは、俺が「走るゾンビ」だと気がついていないということだ。たぶん。
俺が顔に包帯のように巻いたシーツがずれていなければ、きっとゾンビマークは見えていない。だから、気がつかないのかも。
俺は動かず、自衛兵の様子を観察した。
制服は俺と同じ高校のもの。
花粉症用のゴーグルと簡易的なフェイスガード、マスクをつけているから、誰だか判別するのが難しい。
だけど、会ったことがある気がする。
たぶん、速川のような気がする。
「速川?」
速川は俺を見た。
入り口に立っていたのは、速川だった。
でも、速川は自動小銃の銃口を俺に向けたまま、無言で戸口のところに立っている。
「よ、よぉ。速川。久しぶり」
俺はがんばって愛想よく挨拶をした。
がんばって明るい感じで挨拶をしたけど、俺の背筋には冷や汗が流れている。速川はちょっと指を動かすだけで俺を穴だらけにできるアサルトライフルを持っているのだから。
「誰だ……?」
「俺だよ、俺。木根文亮だよ。同じ学校の……」
俺が盗み聞きした自衛兵達の会話には、「走るゾンビ」の本名は一度も出てこなかった。
速川は走るゾンビの正体を知らないはずだ。……知らないと信じるしかない。俺はもう名乗ってしまったのだから。
速川はぼーっとした様子で俺に問い返した。
「……木根?」
「そう、そう。木根だよ、木根。去年、同じクラスだったろ? 忘れてないよな? 存在感ない感じで部屋の隅で自習している感じの知的な陰キャだよ? ほら、クラスにいただろ?」
俺は必死に訴えた。
「木根のことはおぼえてるよ。たしかに陰キャっぽいけど、変な奴で存在感があるから、忘れないよ」
速川はつぶやくように言った。
若干、俺の自己評価と速川の認識にずれがあるけど、そんなどうでもいいことを気にしている暇はない。
「そうそう。その木根だよ。俺とおまえは友達っていうほど仲良くないけど。正直、会話した記憶がないけど。でも、同級生ってもう友達だよな?」
俺は必死に友達アピールをした。撃たれなくないから。
速川は俺にたずねた。
「その顔どうしたんだ? 包帯ぐるぐるで。入院してたのか?」
俺は少しほっとしながら言った。
「この包帯はミイラ男ごっこ……じゃなくて、感染防止用に巻いたんだよ。近頃ニキビがひどいから。返り血がニキビについて感染したら、シャレにならないだろ?」
速川は自動小銃ごと小さなライトを動かし、俺の姿をよく見ようとしていた。
「あいかわらず、変なやつ……。でも、おまえ、なんだか、走るゾンビと同じ格好だな……」
俺の背中を汗がだらだらと流れていく。今にも俺の正体がバレそうだ。
「は、走るゾンビ……? そういえば、俺、近頃よくゾンビと間違われるんだよなー。そのゾンビが俺と同じような格好をしているせいだったのかー」
我ながら、白々しいウソだ。しかも、超棒読み。怪しいにもほどがある。
なのに、俺はさらに怪しすぎるウソをさらなる棒読みでつけたしてしまった。
「そういえば、さっき廊下を何かが走っていったなー」
俺は自分の噓の下手さに絶望しながら、速川の反応を観察した。
「へぇ……」
速川は、なんだか心配になるくらいに反応が薄い。
速川の構えるアサルトライフルの銃口が下がった。
なんと速川は、俺の怪しすぎる説明を信じたようだ。
速川はくたびれはてた様子で、ドアを閉めて壁にもたれた。
「速川、だいじょうぶか?」
速川は答えなかった。俺はすすめてみた。
「走るゾンビを追いかけるなら、ここにいるより廊下に出た方がいいんじゃないか?」
正直、速川に早く立ち去ってほしい。この調子だと、俺は勝手にボロをぼろぼろ出しまくって正体がバレそうだから。
でも、速川は全く立ち去る気配なく、つぶやくように言った。
「走るゾンビ……。もういいんだ、そんなの。今さら倒したって、もう遅いんだ……」
自衛兵団は走るゾンビを追いかけてきたはずなのに、速川はすっかりやる気を失っている。どころか、打ちのめされているように見える。
「ま、まぁ、どうでもいいよな。走るゾンビなんて。ゾンビなんて関わってもいいことないし、ゾンビはほっとくのが一番だ」
速川の携帯が鳴った。でも、速川は出なかった。
しばらくして、速川は、俺の顔を見てぽつりと言った。
「おまえの顔のそれ、なんだ?」
俺は一瞬ぎくっとした。だけど、速川はゾンビマークに気がついたわけではなさそうだ。
「これか? 暗視ゴーグルだよ」
俺は暗視ゴーグルを触りながら教えた。
「国防軍からもらったの?」
「いや。これは、父親からもらったんだ」
「へぇ。親……。俺も、家族に会いたいな」
速川は力なく切実な声でそうつぶやいた。
俺は、せっかくだからこの機会に速川に忠告しておくことにした。
「そうだ、速川、早く避難しろよ。こんな隔離地区にいたっていいことないぞ。自分は感染しないとか思ったら大間違いだからな。今まで大丈夫だからって明日も大丈夫とは限らないんだ。みんなが言うことが正しいとは限らないし、感染したら大変なんだから……」
速川は、突然苛ついたようになって怒鳴った。
「わかってるよ! お前に言われなくたって!」
俺が速川の怒りにびっくりして無言になると、速川は力なく俺に謝った。
「……わるい。八つ当たりして。木根の言う通りだよ。早く避難するべきだったんだ。みんなで……」
「いや、気にするなよ。俺もいらんお節介言って悪かった」
速川があんまりしょんぼりしているので、俺はなんだか申し訳なくなってしまった。
速川はうつむいて独り言のように言った。
「わかってたって、どうしようもなかったんだ。わかってたって、できないことってあるだろ?」
「そうだな。正しいと思うことをいつもできる人間なんて、いないよな」
俺もとっさの判断はよく間違えるし。後から考えれば、ああすれば良かったって思っても、その時にできることには限りがある。人間は、完璧じゃないから。
速川はぽつりと言った。
「……俺はもう避難する。俺は明日の朝、避難する」
「そうそう。それが一番。俺だって……」
速川は俺を見た。
「木根も避難するの?」
俺はぎくっとした。「俺は避難できないよ。ゾンビだから」なんて正直に言っちゃったら大変だ。
「いやー、俺にはもうちょっとやることがあってー……」
このまま会話を続けたら、俺は見事に墓穴を掘って正体がバレてしまいそうだ。だから、俺は言った。
「なぁ、速川。俺は外に出たいんだけど」
「じゃ、一緒に行こう。俺も、もう外に出たいんだ。もうこんなところにいたくない」
俺は一緒じゃなくていいんだけどな。速川は一人で行動できない奴なのか……。
ついさっきやたらと友達アピールをした手前、断るのも怪しまれそうだから、俺も一緒に行くしかない。
病院を出たところで、すぐにさわやかにバイバイと言えば大丈夫だろう。
戸をあけながら、速川は言った。
「ここで木根に会えてよかったよ」
「そうか?」
俺としては全然よかったと思えないけど。
「頭の中が真っ白だったけど、木根と話してたら、ちょっと現実に戻ってきた感じがする。ありがとう」
「いや、礼には及ばない。俺は何もしてないから」
速川は意外と素直でいい奴のようだ。友達になれそうな雰囲気だけど。あんまり速川の頭がクリアになって、俺の怪しさに気がつかれるとまずいから、速やかに外に脱出して別れないと。
俺は速川の後について廊下に出た。