44 病院1階
病院の中は真っ暗だ。でも、立ちどまっている暇はない。
俺が会計や受付があるロビーらしき場所を走りながら暗視ゴーグルをつけようとしていると、突然、何かと正面衝突した。
抗議の声があがった。
「うー!」
「すみません」
「うぅ~うう~」
何か文句を言っているっぽいゾンビに謝りながら、俺は暗視ゴーグルを装着した。
暗視ゴーグルをつけると、たくさんの人影が見えた。
この受付ロビーはけっこう混んでいる。
高齢者が多いから、一見ただの待ちくたびれた患者が沢山いる待合室に見えるけど。たぶん、全員ゾンビだ。
ゾンビ達は辺りを徘徊したり、椅子や床で寝ている。
(よし。思った通りゾンビだらけだ)
なんとなく、ここにはゾンビがいそうな気がしていた。
病院がゾンビの巣窟になっていることを期待して、俺はここに逃げこんだのだ。町の中をただ走っているだけじゃ、自衛兵団から逃げ切れるはずがないから。
俺が助かるためには、隠れる場所がたくさんあって、かつ非感染者が自由に動けない場所、つまりゾンビであふれている場所に逃げこむしかない。
病院の入り口の方から、懐中電灯の強い光が射しこんできた。
俺は急いで横に曲がり通路へ駆けこんだ。
そこは診察室が並ぶ外来の廊下だった。
俺は振り返って、総合受付のあるロビーの様子をうかがった。自衛兵の懐中電灯の光が揺れ動いてソファーやゾンビを照らしだしていた。
俺がエントランスの様子をうかがっていると、俺のすぐ近くにナース服のゾンビがやってきて、「うぅ?」と何かたずねてきた。
若い女性ナースゾンビの胸もとは大きく開いている。暗がりでゾンビマークがわからないせいもあって、色っぽい。しかも、足首にレースの下着っぽいものが引っかかっているように見えるのは、気のせいか……。
ともかく、今はそんなことを気にしている場合ではない。
俺はナースゾンビのことを無視して、耳をすました。
自衛兵達の声が聞こえた。
「げっ。ゾンビがいるぞ!」
「すげぇいっぱいいるじゃん。早くその扉しめろよ。これ以上近づくと、あいつら襲ってくるぜ」
声が小さくなった。入り口のドアを閉めていったん距離を取ったらしい。
俺は耳に集音器をつけようとした。
そこで、突然俺の腕が引っ張られた。ナースゾンビが俺の腕をつかんで勝手に袖をまくっている。そして、ナースゾンビは注射器を取り出した。
俺は声を出さないように口パクで「やめろ!」と叫んで、ナースゾンビの手を振り払った。
「うぅ~」
不満そうなナースゾンビから逃げながら、俺は集音器を耳につけた。
病院の外の声が聞こえるようになった。
「おい、どうした?」
「あ、黒田先輩。走るゾンビっぽい奴がここに逃げこんだんです」
「でも、中はゾンビだらけなんです」
「どうしたらいいっすか?」
俺は心の中で叫んだ。
(帰れ! お願いだから帰って寝てくれ。こんなゾンビだらけの危ないところに入っても、何もいいことないぞ!)
でも、俺の願いは通じなかった。
「ゾンビの巣窟に逃げこんだ走る奴……。走るゾンビで間違いない。うちの隊は全員集まってるな? やろう」
「おいっす」
「よっし、俺達、黒田隊で走るゾンビごと病院のゾンビをまとめて駆除しようぜ!」
「俺達の町をゾンビから守らないとな!」
「ゾンビを倒して、安心安全な町にしよう!」
自衛兵たちはノリノリでやる気に満ちている。
「アサルトライフルを持っている奴が前衛だ。後衛は拳銃を構えながら懐中電灯で前方を照らせ」
黒田が指示を出す声を聞き、俺はため息をついて耳から集音器をはずした。
あれだけのゾンビにもひるまず、突入してくるつもりらしい。
一方、俺の横では。
「うぅ~っ」
「うーう!」
いつのまにかナースゾンビが一人増えていた。大量の注射器を持っているベテランナースっぽいゾンビが加わっていた。
なんだか知らないけど、ナースゾンビ達はやたらと俺に注射を打ちたがっている!
おばさんナースゾンビの太い腕で捕まえられそうになった俺は、あわてて逃げた。
ゾンビにブスブス注射なんてされたら、なんかよくわからないけど大変なことになりそうだ。
俺が逃げると、ナースゾンビ達はウーウー文句を言いながら、廊下に座っている別のゾンビのもとへと向かった。
入り口ホールから激しい銃声が響いてきた。
アサルトライフルの銃声の中に、大勢のゾンビ達の唸り声と、いろんなものが破壊されていく音が響いた。
俺は心の中で、永遠に終わらない会計を待ち続けてきたロビーのゾンビ達に謝った。
この病院のゾンビ達は、俺のせいで自衛兵団に襲われることになってしまった。
銃声に紛れるように、俺は外来の廊下を走って進んで行った。
それぞれの診療科の診察室前には待合室があって、あちらこちらに患者ゾンビの姿があった。
たぶん、どこかに非常口があるだろう。俺は非常口のマークを探しながら、長い廊下を走り続けた。
廊下の突き当りに階段があった。非常口のマークも出ている。
あすこから出れば、とりあえず追っ手をまくことができそうだ。
ところが、俺が非常口に駆け寄った時、突然、待合室側の窓から明るい光がさしこんだ。
窓の外の光景がはっきり見える。窓から差し込む光で病院内は暗視ゴーグルが不要なぐらいに明るくなった。
俺は心の中で舌打ちをした。どうやら犬養が再び上空に照明弾を打ち上げさせたらしい。
俺は非常口を開けた。
外は明るい。
この状態で外に出るのは危ないかもしれない。またすぐに見つかってしまう。
だったら、病院内に隠れるべきか? だけど、ロビーで鳴り響いていた銃声はすでにやんでいる。
黒田達がロビーにいたゾンビを殺しつくしたってことだ。じきに自衛兵がこっちにやってくる。
どうする? 外に出るか? 隠れるか?
俺は出ることに決めた。どちらがいいかはわからないけど、この病院は気色が悪くて、長居したくなかったから。
だけど、俺が外へ飛び出そうとしたところで、外から声が聞こえた。
「あの建物から、銃声が聞こえてたよな?」
「ターゲットを見つけたのかも?」
「あ、ドアが開いてる。裏口か?」
俺は出口から離れ、とっさにそこにある階段を駆け上がった。