37 高校生活の思い出話
俺はゾンビカップルのいる305号室から遠く離れた部屋のドアをカードキーで開けて、中に入った。
灯りで中に人がいるのがバレないように、電気はつけなかった。
この部屋はツインルームだった。セミダブルくらいのベッドがふたつあって、長いデスクの上に大きなテレビがある。その他に小さなテーブルとソファチェアがある。広くて立派な部屋だ。
部屋の中に誰もいないことを確認すると、俺は結生を呼び入れ、自分はベッドの上に倒れこんだ。
「あー。疲れた」
ベッドはとても寝心地がいい。しばらく放置されていたから、部屋の中はちょっと埃っぽいけど。
結生は疲れた様子もなく、楽しそうに白杖と手で辺りを探っている。
結生は笑いながら嬉しそうに言った。
「先輩とホテルに泊まったって言ったら、きっとお姉ちゃん、びっくりするだろうな」
あの寧音にそんなことを言ったら、びっくりという言葉で済むとは思えないんだけど。
「そんな誤解を呼びそうな言い方しちゃだめだって。俺は後で別の部屋に行くし」
結生は不思議そうに首をかしげた。
「ツインルームだから、この部屋でよくないですか?」
「え? いや、同じ部屋はまずいだろ……」
俺は男で、しかもゾンビだ。
でも、結生は全く俺を警戒していない。
「変な人達が襲ってきたら怖いから、先輩も一緒にいてください」
「そんなに今日会ったばかりの俺を信用しちゃっていいのか? 俺の方が危ないかもしれないぞ?」
結生はちょっとふてくされた様子で、意外な事実を告げた。
「先輩と会ったのは、今日が初めてじゃありません」
「え? そうだっけ?」
3週間くらいは同じ学校に通っていたから、会ったことがあるのかもしれないけど。俺は全く覚えていない。
「はい。最初に会ったのは、1年以上前です」
「1年も前?」
結生は4月に入学したばかりのはずだ。どこで会ったんだろう。
「お姉ちゃんに忘れ物を届けようと思ったら、道に迷っちゃって。困っていたら、先輩が学校まで案内してくれたんです」
「そういえば……」
昔、白杖を持って立ち尽くしている少女がいて、道案内をしたことが一度あったような気がする。
どこに行くのか聞いたら、目的地は俺の高校だったから連れて行ったんだっけ。
かわいい子で、学校に着いてから加藤にからまれたんだよな。「あの子、誰だよ。おまえの何だよ。手をつないでラブラブオーラ全開で仲良さそうに歩きやがって。裏切り者!」って。さっきそこで会ったばかりの名前すら知らない子を道案内していただけなのに。
……あれが結生だったのか。
「あの時、決めたんです。先輩のいるこの高校に進学しようって」
「高木がいるからじゃなかったのか?」
「お姉ちゃんは同じ高校にきてほしがってたけど。でも……。普通の高校に進学するの、けっこう大変なんです。それに、偏差値も高いから。だから、前は無理だと思ってたんです。でも、こんなに親切でかっこいい人がいるなら、絶対、この高校に入りたいって思ったんです」
なんだか、照れるな。
俺、生まれてはじめてかっこいいとか言われたかも。
あれ? でも……。
俺は謙虚になった。
「たぶん、顔が見えてないからだよ。俺、かっこいいなんて言われたことないぞ」
俺がそう言うと、結生は力強く言った。
「かっこいいかどうかに、顔はどうでもいいんです。声と雰囲気が、かっこよかったんです」
「へぇ」
俺ってイケボだったのか。今度こそ、俺は照れた。
結生はベッドに座り、ベッドのスプリングでちょっと跳ねながら嬉しそうに言った。
「だから、今日、先輩と会えた時は、とてもうれしかったんです。奇跡みたいで」
「たしかに、すごい偶然だな」
あの時、悲鳴を無視しなくてよかった……。
その後で、結生はちょっと眉間にしわをよせながら言った。
「でも、先輩が、あの木根先輩だとは知りませんでした。だって、お姉ちゃんから聞く木根先輩って、全然違う、ひどい人だから」
つまり、結生は「かっこいい先輩」(俺!)の名前を知らなかったから、高木寧音が噂をしていた「木根先輩」とは別人だと思っていたらしい。
「ひどい人? どんなことを聞いてたんだ?」
「お姉ちゃんによると、木根先輩は、ひねくれていて、人を見下していて、嫌なことばかり言う人です」
「ええ!? 俺は高木と会話したことすらないんだぞ? あいつ、俺のことを何も知らないくせにデタラメ言って……」
結生は俺の文句を遮るように、寧音から聞いた話を述べた。
「例えば、木根先輩は、テスト期間中毎日徹夜していた犬養先輩に『俺は昨日は9時には寝たぞ。おまえも徹夜をやめればちょっとは点数が上がるんじゃないか?』とバカにしたように言ったり」
(いやいや、俺はそんな嫌味なことは言わない……)と思ったところで、俺は思い出した。
「それ、誤解だよ。たしかに、『徹夜は脳の機能を下げるから、ちゃんと寝た方が点数が上がる』と言ったことはあるけど。そんな言い方はしてないって」
結生は話し続けた。
「さらに、必死に勉強している犬養先輩に、『学校のテストなんかに必死こいて勉強してどうすんだ? こんなもん、勉強しなくてもできるだろ』って、言い放ったり」
「……それは、いかにも俺が言いそうだな。でも、俺は別に犬養をバカにしたんじゃなくて、単にそう思ってたから言っただけで」
バカにしていたのは学校のテストであって犬養ではない。
結生はため息をついた。
「先輩の嫌なところは、テスト勉強していないくせに犬養先輩と1点しか違わなかったりするところなんだそうです」
事実だろうけど、これ、俺の責任じゃないだろ。犬養の頭が悪いだけで。いや、悪くはないか。あいつは一応、その時は学年1位だったんだから。1点とはいえ勝っているくせに、俺を恨むなよ。
「だいたい、俺は、犬養がテストなんかのためにそんなに必死に勉強してたなんて、知らなかったんだよ」
「先輩、それを言ったらますます犬養先輩が傷つきますよ?」
「どうしろっていうんだよ」
俺には嘆くことしかできない。
しかも、結生の話はまだ終わりじゃなかった。
「まだまだありますよ。木根先輩は、授業中に完璧なノートを取るために頑張っている犬養先輩に、『ノート取るとかバカのやることだろ。俺はノートなんて取ったことないぞ。聞けばわかるし。教科書読めばいいだけだろ』と言ったり」
「俺はそんな言い方はしないけど。教科書読めば全部書いてあるのは事実だろ」
「あと、木根先輩は、体育祭も文化祭も、練習や準備をいつもさぼっていて。犬養先輩が注意をしても、『こんなことに何の意味があるんだ? 俺は意味の理解できないことはやらん。手伝ってほしければ、このイベントの意義を説明しろ』って言って、全然協力しないで」
「俺はああいうイベント、嫌いなんだよ。やりたい奴だけやればいいだろ? なんで犬養の奴は、無理矢理全員に協力させようとするんだよ」
それに、さぼっていたのは俺だけじゃない。加藤はもちろん、結構な人数がさぼっていた。
「ほら。先輩はひどいことばっかり言ってるじゃないですか。ちょっと反省した方がいいですよ?」
結生に諭された。何を反省すればいいんだかわからないけど。
知らないうちに犬養に恨まれていたらしいことはわかった。
結生はちょっと残念そうに言った。
「先輩は本当はとても良い人なのに。お姉ちゃんは木根先輩のこと、学校で一番ひどい人だと思っていますよ?」
「いや、でも、俺は高木には何もしてないし、何も言ってないだろ。犬養に嫌われていた理由はわかったけどさ。なんで俺が高木に恨まれるんだよ」
「お姉ちゃん的には、お姉ちゃんの悪口を言うより、犬養先輩の悪口を言う方が、もっと悪いことなんです」
そういえば、高木寧音は犬養に片想いなんだっけ。めんどくさい奴だ。
それに、今となっては、俺の方が犬養や寧音に大いに恨みがある。
パンデミックが始まってからのあいつらは100倍返し以上にひどいことをやってきた。
その後も結生は、寧音と寧音の友達と犬養の話を色々とした。
俺は適当な相槌を打ちながら聞いていた。
犬養達の本性を告げてやろうかと何度も思ったけど、結局、俺は結生に何も言わなかった。言えなかった。
家族や信頼していた人達が大量殺人(殺ゾンビ)をしているなんて知ったら、俺だったらショックで人間不信から一生立ち直れない。
あいつらをひとかけらだって信じていなかった俺ですら、ショックで打ちのめされたのだ。
結生の話を聞いていて、俺にはわかったことがあった。
犬養は普通の超真面目な高校生だった、ということ。
広瀬は普通のかわいい女子高生だった、ということ。
みんな普通の高校生だった。ゾンビウイルスの感染爆発が起きたあの日までは。
……高木寧音だけは、昔から暴力的だったっぽいけど。寧音は昔から結生に近づく男子を片っ端からぶちのめしていたらしい。小さな頃に結生が乱暴な男子にいじめられたのが原因だと、結生は寧音を擁護していたけど、たぶん、ただの暴力女だ。
寧音の他は、普通の高校生活を送っていた普通の高校生達だった。
そして、その普通の奴らが今行っていること。
俺の脳裏に、犬養に殺されて校庭に倒れるゾンビ生徒達の姿が浮かんだ。
視聴覚室の加藤の死体……。
血だまりの中を血を噴き出しながら蠢く宇野の姿……。
ゾンビ母娘を焼き殺す広瀬の姿……。
「なんで……あんなことが……」
なんであんなことができるんだ?
なんで、普通の高校生が、あんなことを?
平気な顔で人を撃ち殺して焼き殺して。
あいつらはきっとパンデミックが終わって普通の生活がかえってきたら、また何事もなかったように普通の人間として生きていくんだろう。
だとしたら、たぶん、あれが人間の本性……。
「先輩?」
結生が心配そうな顔でこっちを見ていた。
俺は立ちあがり、力なく言った。
「……なんでもない。暗くなる前に、レストランに行って食料を探してくる。中からカギをしめて、開けるなよ」
「はーい」
何も知らない結生は、明るい声で答えた。
その無邪気さに俺は少し苛つきながら、同時にひどく救われるように感じた。