23 死の列車
延々と続く地下鉄の線路上を歩き続けた。
かわり映えのしない地下の灰色の景色がずっと続く。
変化といえば、たまに、ゾンビとすれ違うくらいだ。でも、ゾンビも退屈そうで、俺に構うわけでもない。
楽しくはない道のりだけど、危なそうな感じはしない。
俺は、ぼーっと歩き続けた。
かなりの時間がたったところで、突然声が響いた。
「危険ですから、線路内に立ち入らないでください」
俺は驚きでびくっと跳びあがりかけた後、慌てた。
ゾンビは言葉をしゃべらない。
ということは、非感染者の人間だ。
俺はとっさに懐中電灯を消し、自分の帽子やネックウォーマーがちゃんと皮膚を隠していることを確認した。
もう一度、声が響いた。
「危険ですから、線路内に立ち入らないでください」
「すみません」
謝りながら、俺は懐中電灯をつけ、辺りを照らした。
線路の先に制服姿のやせた男が一人、立っているのが見えた。
(警察?)
でも、銃は手にしていない。
緊張で心臓がバクバクする中、俺は制服姿の人影をよく観察した。
たぶん、武器は何も持っていない。制帽の下はフェイスシールドもつけていない。今まで見た警察は、軽装でもヘルメットや防護ベストを装備していたのに。
10秒くらい後、俺は気がついた。
警察ではなく、駅員だ。
制服が似ているから、錯覚してしまった。
俺は、少しだけほっとし、駅員の方に向かって歩きながら、もう一度謝った。
「すみません。その先の駅で、すぐにホームにあがります」
「危険ですから、線路内に立ち入らないでください」
「すみません」
俺はさらに謝った。謝る以外にどうしようもない。応援を呼ばれたら大変だ。
なんとかやりすごそうと思いながら、俺は駅員の様子を観察した。
俺の懐中電灯の光は、駅員をはっきりと照らしだしていた。
たぶん、俺とほとんど年齢のかわらない若い駅員だ。
駅員の頬はげっそりとこけ、目はくぼんでいる。ずっと何も食べていないのか、骸骨みたいだ。
そして、顔の皮膚にはゾンビマークが浮かんでいた。
(ゾンビが、しゃべっている……?)
駅員ゾンビの風貌は、感染初期とは思えない。
しゃべっているということは、俺と同じように、外見だけゾンビで無症状なのだろうか?
だったら、仲間になれるかもしれない。
俺は、駅員の顔をじっと見た。
駅員の目は虚ろで焦点があっていない。ゾンビっぽい顔だ。
……実は俺もあんな顔をしているのかもしれないけど。
それに、まともな判断力と運動能力があるなら、こんな場所、すぐに立ち去ろうとするはずだ。
……ものすごい鉄道好きで離れたくないのかもしれないけど。
「危険ですから、線路内に立ち入らないでください」
駅員ゾンビは、同じアナウンスを繰り返した。
見ていても分からないので、俺は確認するためにたずねた。
「すみません。ここからホームまで、どれくらいの距離ですか?」
「危険ですから、線路内に立ち入らないでください」
「この先の駅は、何駅ですか?」
「危険ですから、線路内に立ち入らないでください」
駅員ゾンビは、ただ同じ言葉を繰り返している。会話は成り立たない。
ということは、残念だけど、ほぼ完全ゾンビだ。
駅員ゾンビは、決まった言葉、たぶん、ゾンビになる前に言い続けていた言葉だけを、しゃべっているようだ。
俺は駅員ゾンビの横を通り過ぎた。
駅員ゾンビは、俺の方に顔だけを回転させた。
「危険ですから、線路内に立ち入らないでください」
もう一度その言葉が響き、それきり駅員ゾンビは静かになった。
駅員ゾンビのそばを通り抜けると、すぐに駅のホームが見えた。
俺はホーム上に懐中電灯を置き、上がろうとした。
だけど、ホームは高くて、俺の腕力ではすぐには上がれなかった。
どこかに梯子がないか、と思った時。
俺は轟音が響くのに気がついた。
電車がやってくる音だ。
トンネル内に駅員ゾンビの声が響いた。
「まもなく電車がまいります。危険ですから黄色い線の内側までおさがりください」
俺は、一瞬、パニックになりかけた。なんとかしてホームに上がろうとしたけど、上がれない。
電車の目のような2つのヘッドライトが見えた。
まずい。
死ぬかもしれない。
そう思った時、俺は急に思い出して、ホームから手を離した。
そして急いでしゃがみこみ、壁ぎわにへばりつく。
即座に猛烈な風と音が襲ってきた。
狭い退避スペースの中で、必死に壁にへばりつきながら俺は電車が通り過ぎるのを待った。
やがて爆風がやわらぎ、電車の轟音が一気に小さくなって、しだいに消えていった。
俺はバクバクする胸をなでおろし、ほっと溜息をついた。
(俺はバカか! ホームから転落したら、退避スペースに避難だろ!)
俺はとっさの判断力が乏しいかも、というのを実感した。
命が危険にさらされた状態で冷静にパニックにならずに判断を下すっていうのは、けっこう難しい。
そう反省したところで、俺は思い出した。
電車が走り去っていた、あの先にいたはずの、駅員ゾンビを。
電車が通り過ぎ去った後、辺りは静かだ。
駅員ゾンビの声は、もう聞こえない。
俺は、ホームの上に置きっぱなしにしていた懐中電灯を手にとり、駅員ゾンビがいた方角を照らした。
ぽっかりと、トンネルの暗闇だけが広がっていた。
俺は、線路上を探すことはせず、懐中電灯の向きをホームへ変えた。
答えを知りたくなかったから。
駅員ゾンビが退避スペースに逃れていたことを祈りながら、たぶん、そんなことはできなかったと思いながら、俺はホームに上がるための梯子を探した。
俺はホームの端に短い梯子を見つけ、ホームに上がった。
ホームに上がってほっとしたところで、俺は冷静になって考えた。
あの電車は、たぶん、あの先ずっと、俺が今日見たゾンビ達を撥ねて進んで行ったんだろう。
ちょっと前まで地獄のような地下を彷徨っていたゾンビ達のほとんどが、たぶん、今はもうこの世にいない。
だけど、なんで封鎖地区内を電車が走っているんだ?
電車は封鎖地区の手前で折り返し運転をしているはずだった。
封鎖地区内での運行を再開したんだろうか?
そうとは思えない。
線路内にはゾンビがうろうろしていた。こんな場所を、乗客を乗せて走るとは思えない。
ある考えに至って、俺に震えが走った。
たぶん、さっきの列車は地下鉄線路内のゾンビを一掃するために走っていたのだ。
試運転をしたら、ゾンビを撥ねてしまっただけ。ただの人身事故です。
そう言い訳のできるゾンビ掃討作戦。
ゾンビの安楽死を可能にする特措法は、正式にはまだ成立していない。
だけど、すでに、ゾンビ狩りは始まっている。




