15 隔離地区D43 ゲートB
俺はマンションの外に出た。家の前の通りには、ほとんど人がいなかった。
スーパーに行くため、俺は歩きなれた道を歩いて行った。スーパーに行くには、細い道を進んで3回曲がって大きな道路に出て、しばらくその道を進んだ後で、2回曲がる。
説明すると遠そうだけど、距離はそんなに遠くない。
ところが、広い道に出たところで様子が一変した。
車が道路の両わきにびっしりと駐車している。車には番号札が貼り付けられていた。
そして、向かって左、道路の先は高いフェンスで遮られていた。
フェンス上には、「隔離地区D43 ゲートB」という今まで見たことのない案内表示が掲げられていた。
ロックダウンされたと言葉では聞いていたけど。いつも歩いていた近所の道が封鎖されて、地名の代わりに「隔離地区D43」という標識が出ているのを見ると、やりきれない気持ちになる。
フェンス手前に、たくさんの人が並んでいた。
スーツケースや大きな荷物を持った人が多い。
ここからじゃよく見えないけど、どうやら、あそこに封鎖地区の外に出るためのゲートがあるようだ。
非感染者の人々がここから封鎖地区の外に避難しているらしい。
避難者の長蛇の列の周囲には、何人も警官が立っていて交通整理をしたり周囲を警戒したりしていた。
警官は全員手袋をしてフェイスガード付きのヘルメットをかぶっていた。
警官がしきりに呼びかけている。
「距離を取って並んでください。発熱や倦怠感の症状がある人は列に並ばず、指定避難所の発熱外来にむかってください」
「自動車の鍵は、番号札と一緒にゲート手前で係員にわたしてください。自動車は後で移動します」
列の手前には自動小銃を持った特殊装備の警官もいた。それに、自動小銃を持った警官が、この道路のあちこちをパトロールしている。
俺はそこでようやく自分の過ちに気がついた。
(まずいな。うっかり、こんな危険地帯に出てしまった……)
俺は、もっと注意深く歩かなかったことを後悔した。
数日引きこもっていたのと、いつもの近所の道だという油断で、俺の中から帰宅時の警戒感と緊張感が消えていた。
物音と気配に気をつけて非感染者を避けて移動、というゾンビが生きるための基本を忘れていた。
俺はすぐに来た道を引き返そうと思った。
だけど、すでに俺のすぐ横で、俺の様子を不審そうに見ている警官がいた。
この怪しい格好で急に逃げるような行動を取ったら、怪しまれて追いかけられそうだ。
しかも、警官のひとりが、俺が来た道へとパトロールに入って行った。
とりあえず、進むしかない。
俺は、ゆっくりと広い道路の向こう側に進み、それからゲートとは反対の方向、スーパーのある方に曲がった。
でも、これはこれで怪しい行動かもしれない。
ここにいるみんなは、ゲートの方へと急いでいるんだから。
歩きながら俺は、警官の視線が俺に注がれているのを感じた。
斜め前に停車していた自動車のドアが開き、一家族が車からおりてきた。
一家のお父さんが車の後ろからスーツケースをおろしながらぼやいた。
「あの列じゃ、半日かかりそうだ。ディズニーランドよりすごいよ」
ぼやくお父さんに、小さな子どもがたずねた。
「ここにはゾンビいないね」
(ここにゾンビいるよ)
俺は心の中だけで言った。
一家のお父さんは子どもに言った。
「ここはお巡りさんがパトロールしてくれているから、ゾンビはいないんだよ」
「ゾンビがきたら、おまわりさんが、パンパーンってうってくれるんだね。ゾンビを殺せ、バンバンバン!」
子供は楽しそうに歌いながら、俺の横を通り過ぎていった。
俺はますます冷や汗をかきながら、何気ないふりをして避難中の一家の横を通り抜けて歩き続けた。
でも、その先の歩道橋の前で、俺は警官に呼びとめられた。
「そこのお兄さん」
「はい?」
警官は俺の進路をふさぐように立っている。鋭い目で俺を見ながら。
俺の背中を汗が流れ落ちていった。
「お兄さん。避難ゲートはあっちだよ。こっちは、これ以上行くとゾンビが出てくるから」
「あ、そーですか。それは、こわいですね」
俺は自分でもびっくりな棒読みで返答した。
ゾンビは怖くないから、どうしても心がこもらない。今俺が怖いのは、この警官だ。
(どうする? 言われたとおりに引き返すか? でも引き返してその後どうする?)
俺は避難者の列には並べない。
「どうしたの? お兄さん?」
警官の声は、あきらかに俺を怪しんでいる。
俺はますます慌ててしまった。俺はもごもごと言った。
「あ、いや、俺は、その、買い物、いや、忘れ物……」
警官は、鋭い目で俺を睨みつけた。フェイスガード越しでも、怖い。
「お兄さん、今、時間あるかな? まずはさ、ちょっと身分証と顔、見せてくれない?」
警官の質問は命令のように聞こえる。断れば、逮捕されそうな調子だ。
でも、顔を見せるわけにはいかない。
ゾンビだとバレてしまう。
ゾンビだとバレたら……バレたら、どうなるんだ?
ここは隔離地区内だから、大丈夫か?
「すみません。俺は酷い日光アレルギーなので……」
俺がそう言いかけたところで、俺の背後から騒ぎの音が聞こえてきた。
俺は後ろを振り返った。
ゲート前の列が乱れ、並んでいた人達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
俺に職務質問をしようとしていた警官も、慌ててゲートの方に走って行った。
列に並んでいた人たちの一部は車に駆けこみ、車が数台、ものすごい勢いで走り出した。
俺は速やかに近くの歩道橋の上にのぼった。
歩道橋の上からゲートの方を観察した。
必死に逃げていく人達の様子を見ると、どうやら列に並んでいた人がひとり、発症したようだ。
ゲート前に人影が1つだけ見える。
周囲に並んでいた人は、すでに逃げ去っている。
ここからだと遠すぎて、よく見えない。わかるのは、あの人影はたぶん男性だろう、ということくらいだ。顔はまったくわからない。
銃を構えた警官が感染を疑われている人を囲み、離れたところで、さっきまで並んでいた人々が事態の推移を見守っていた。
さっきまでこの通りはガヤガヤしていたのに、今は不気味な静寂が漂っていた。
「待て! 俺はゾンビじゃない!」
そう叫ぶ声が聞こえた。声の感じがからすると、年齢はたぶん中年。どこかで聞いたことがある声のような気もする。
まだ症状はごく初期の段階で、頭は正常なようだ。
もしくは、本当に感染者じゃないか。あるいは、俺のようにウイルスに耐性があるか。
「動くな! 動けば撃つ!」
警官はそう命令をしながら、無線で何か連絡を取っているようだった。
警官の一人が、感染が疑われている人の様子をビデオでとっている。
感染を疑われている人は必死な声で訴えていた。
「俺はゾンビじゃない! 避難させてくれ! こんなところで死にたくない! 俺は妻と息子に約束したんだ。おまえ達の分も生きて……」
全部は聞き取れなかった。
数十秒後。
何か指示を受けたらしく、警官はうなずきあった。警官が何と言っていたのかは、聞き取れなかった。
感染を疑われている人の、悲鳴のような叫び声が聞こえた。
「やめろ! やめてくれ! 俺はゾンビじゃない! 撃つな。撃たないでくれ! まだ、死にたくない! 俺にはまだ12歳の娘がいるんだ! 娘にはもう俺の他に家族がいない……」
乾いた発砲音が何発か響いた。
ゾンビ疑いの人は倒れ、地面に横たわった。
自動小銃を構えた警官がひとり、倒れたゾンビ疑いの人に近づき、死亡を確認した。
(ゾンビを殺せ、バンバンバン……)
俺の脳内で、さっき聞いた子どもの無邪気な歌声が響いた。
数秒後、我に返って、俺は歩道橋の上から全力疾走で逃げだした。
ここで誰かにちょっとでも俺の皮膚を見られたら、間違いなく俺は射殺される。
もしも俺があのまま警官に職務質問をされていたら。
もしも、列の中に感染者が見つかって騒ぎにならなかったら。
殺されていたのは、俺だった。




