幕間 王子の場合2
フィリップ王子視点です。
マーガレット様が王都を発たれてから、1週間が過ぎようとしている。
王都は平和そのものだ。都は活気に満ち溢れ、どこか浮足立った雰囲気が人々の間に流れている。
それもそのはず、今王都には、大司教と盾の聖女が来訪しているのだ。
伝説の聖女。それは、ここ王都においても人気の種である。
ただし聖都でのそれとは、少々質は異なるかもしれない。何しろロベール王国の中心である都。そこに住まう人々は、都人の特性だろうか、粋なモノが大の好物だ。
今回の聖女召喚も、彼らにとっては格好の話のネタだった。何しろ建国以来の伝説が、自分の生きているときに再現されるのである。「俺らは伝説の再来を目に出来るんだ!」という興奮が、都だけではなく王宮にまで伝わってくるのがわかった。
だから、その聖女様が王都にやってくるとなった時には、もう凄い騒ぎだった。まず、矛の聖女であるマーガレット様の凱旋。パレードは盛栄を極めた。人々は一目でも伝説の聖女様を見ようと、大通りに詰めかけ花吹雪をまき散らす。
マーガレット様もまた、伝説の矛の聖女に相応しい御姿だった。遠目からも分かる美貌と堂々たる威厳。その御姿は、民に「これぞ伝説の再来である」という感動を大いに与えたに違いない。
その後から、レオとマリア様が来られた。もうここまでくると、王都民の興奮も最高潮だ。なにせ聖女2人に大司教、そして王宮には王族たちが揃っている。「奇跡の時代の幕開けだ!」と騒ぐ人々が続出するのも、頷ける。
「しかし、レオやマリア様が来て1週間でこれか」
私がこう呟いたのにも、理由がある。
というのも、彼らが王都に到着してから、王都での聖女ブームは物凄いことになっているからだ。
マーガレット様は、矛の聖女という立場からか、あまり多くの者に姿を見せることを良しとしていない感じがする。自分の役割を理解し、威光を放つその姿勢は、世話役を仕った自分や大司教であるレオでなければ、お声を掛けることは躊躇われるだろう。
一方マリア様は、最初の印象通り、大変親しみやすい方だった。できるだけたくさんの人々と話すことを欲し、にこにこと笑顔を絶やさない。
王宮にて挨拶したときには、その天真爛漫さから少々ひやひやもしたが、下働きの者にまで声をかけているところを見ると、全体としては良い印象が広まっているだろう。
特に、庶民層に人気がある。これは王子である自分にとって、都合のいいことだった。為政者は貴族だけをまとめれば良いわけではない。力を持たないとはいえ、下級市民たちはこの国の7割以上を占めるのだ。数だけ見れば、庶民たちの支持も侮れない。
だから、庶民層に人気のあるマリアと、次期王である自分が良好な関係を築いている、というパフォーマンスをするのは、とても大事なことなのだ。
「あ、フィリップさん!」
王宮の廊下を歩いていると、マリア様とレオが向かいからやってきた。ちょうど訓練が終わったところらしい。
「これは、マリア様。本日も御機嫌麗しゅう。レオもお勤めご苦労」
「フィリップ殿も、ご政務お疲れ様です」
「フィリップさんは今日もお仕事ですか?」
「はい、少々雑事を。マリア様は昼の訓練を終えられたところでしょうか」
「はい!これからレオとお茶の時間なんです!あっ、せっかくだし、フィリップさんも一緒にどうですか?」
「ああいえ、私は少し野暮用が…。マリア様も、レオと2人の方が気が置けないでしょう」
「え?そんなことないですよ!むしろレオと仲が良いって聞いてるし、フィリップさんとも仲良くなりたいなって思ってたんです!ねっ、レオ」
マリア様が、無邪気そうな笑顔を浮かべてレオに同意を求める。レオは柔らかく微笑みながら、相槌を打っている。
どうするかな。実はこのあと、貴族令嬢たちとのティーサロンがあるんだが…。
しかし正直、元々気が乗らない用事だった。令嬢たちとのお茶会とはつまり、婚約者候補の選抜大会を意味している。自分にはまだ、正式な婚約者が立っていない。父王はまだまだ健在とはいえ、25歳、しかも第1王子ともなれば、とうに婚約者がいておかしくないのだ。
普通なら公爵もしくは侯爵あたりの、親王派かつ強権過ぎない家から、適当な年頃の娘を見繕られる。実際まだ祖父が存命だった頃、婚約の話がまとまりかけていたことはあった。
だが父王に代替わりしたことで、貴族間の権力構造が変動し、結局その話は立ち消えになってしまった。全く面倒なことだ。
それ以来、婚約の打診をされては他派閥の貴族に邪魔をされの繰り返しで、まともに話がまとまった試しがない。元より個人の感情で決めることではないのは知っているが、今の状態は最早貴族同士のつばぜり合いだ。私の意見なんて、どこにも反映されない。
だから、今回のティーサロンも、面倒くさいとしか思っていなかった。断る口実があるのであれば、是非にでも欠席したい。というか、多分自分がいなくても問題ない気がする。
…ああ、聖女様のお誘いとあれば、十分理由になるじゃないか。
「そうですか、誠にありがたいお言葉。でしたら私め、お言葉に甘えまして聖女様のお誘いをお受けしたく存じます」
「ほんとですか?!やったー!じゃあ今日はレオとフィリップさんと、3人でお茶だね!」
楽しそうなマリア様の声が、廊下に響いた。
無事令嬢との茶会を断り、マリア様とレオとテラスでティータイムを過ごす。やれやれ、今日はどうにか難を逃れたが、今度埋め合わせをしなきゃなあ…。
「そういえばフィリップさん、用事あるって言ってた気がするけど、何があったんですか?」
「ああ、どうせいつものあれだろう?」
レオが苦笑しながらこちらを見る。
彼は大司教であり、普段俗世間からは離れた生活をしている。しかし、兄弟のように育った時期があるからか、私の事情は多少知っていた。
「ん?いつものあれって?」
「貴族のご令嬢方との、大変優雅なプティパーティーだよ」
「ええっ何それ!」
「おいおい、優雅なパーティーとは、随分な皮肉だな」
「そんな皮肉だなんて、私がそんなこと言うはずないじゃないですか」
レオがくすくす笑いながら茶化してくる。全く、こいつも言うようになったなあ。
事情が分かっていないマリア様だけ、不思議そうに首を傾げていた。
「え?きれいなお嬢様に囲まれてうはうはな感じじゃないんですか?」
「ははは!うはうはって!マリアは面白いこと言うなあ」
「おい、面白がっているのはお前だけだぞ。こっちは毎度のごとく疲れるんだから」
「え?そんなに疲れるんですか?」
まだよくわかっていないマリア様に、レオが優しく説明する。
「フィリップ殿は25歳になるんだけど、いろんな事情でまだ婚約者がいないんだ。第1王子だし、将来は国王様だ。貴族たちは競って、自分の娘を嫁がせようとしている。まあその競争が激しくてね。やれうちの娘の方が器量が良いだの、うちの娘の方が賢いだの、本人そっちのけでやりあっているんだよ」
「ええ~、そんなにたくさん候補がいるなら、フィリップさんが選び放題で逆に困っちゃいますね」
「あはは、私が自分で選べればいいのかもしれないですけれどね」
「え?だってフィリップさんのお嫁さんでしょ?フィリップさんが選ぶんじゃないんですか?」
きょとんとしたように聞いてくるマリア様。きっとこの方は、周囲に恵まれとても素直に生きてきたのだろうな、と一瞬うらやましく思った。
「まあそうもいかないんですよ。曲がりなりにも私は、この国の第1王子。国を背負っていく責任がある。私の妻になるということは、王妃としての役目を果たせる人でなければいけないんです。だから、私の一存だけでは決められない大事なことなんですよ」
「フィリップ殿は政務以外にも、自分に関わる全てにおいて気を遣わなければいけない、大変な地位にいますからね…」
レオが気遣うように言うから、いつものようににこやかに返す。
「いやいやそんな、大したものじゃないよ。もちろん国の将来を担うということは、大きな責任を伴うことだけれどね。でも、それも私がこうして生まれてきた意味だと思えば――」
「――でも、それって、本当にフィリップさんの幸せなんでしょうか」
マリア様が、何となく落ち込んだように呟く。
その一言に、思わず目を瞬いた。
「私の、幸せ?」
「普通の人は、好きになった人と一緒になりたいって思って、結婚するじゃないですか。ずっと愛する人と一緒にいたいって思うのって、普通のことじゃないですか。なのにそれを、王子様だからって、他の人が勝手に色々決めちゃって…フィリップさんは、愛する人と一緒になれないんですよ?国のためって言うけど、フィリップさんだって一人の人じゃないですか。なんで、国のために、フィリップさんだけが嫌な思いしなくちゃいけないのかなって。皆が幸せになってこそ、いい国なんじゃないですか。ていうことは、まずフィリップさんが幸せにならないと、意味ない気がします!」
思わずぽかんとしてしまった。しかし、こちらを見てくる大きい瞳は真剣だ。
私の幸せ。そんなものを考えたことなど、これまでほとんどなかった。
国を豊かにすること。貴族たちから国政の主導権を奪還すること。立派な王になること。ただひたすら、それだけを思って生きてきた。
だから、妃だって当然、「誰が国母として相応しいか」ということしか考えていなかった。自分の伴侶という感覚より、王妃という立場につく人間、というくらいにしか認識していなかったのだ。
しかし、マリア様は結婚を「愛する人と一緒になる」ことと言った。
そう捉えると、私はこのままいけば、全く愛のない女性と生涯を共にすることになるのだ。そしてマリア様は、それを「幸せではない」と思っている。ひいては私が幸せにならないと、国も幸せにならないと。
「そう言われるのは、初めてだな…」
私自身の幸せを願われるなんて、初めてのことだった。父も母も、親である前に王と王妃だ。彼らも政略結婚だし、私もそうなると最初から決められていた。だから、こんなに真っ直ぐ「私」を見てくれたのは、彼女が初めてだ。
なんだろう、すごく戸惑うのに、くすぐったいような、不思議な感覚。世界の色が少し変わったようで、なんだかそわそわする。
「…私も初めてですよ、フィリップ殿のそんな笑顔見たの」
驚いたようなレオの声で、自分が知らずに微笑んでいることに気づく。思わず頬を撫でていると、マリア様がとびきりの笑顔で更に言った。
「フィリップさん、いつものちょっと作ってるみたいな笑顔より、そっちの方が好きです!」
その言葉に、急に胸が温かくなる。
この気持ちは何なのだろう?穏やかで、温かい、今まで感じたことのない感情が溢れている気がする。
これが盾の聖女の力なのだろうか。
「ありがとうございます」
「あ、それと、フィリップさんは私より年上でしょ?だから、そんな固い話し方しないで、タメ口で話してくださいよ!呼び捨てでいいし!ほら、お兄ちゃんと妹みたいな感じで!」
兄と妹。私の知っている兄妹は、そんなに気安い関係ではないのだが…彼女の知るそれは、このように温かなものなのだろうか?
聖女様に対して恐れ多いと思う反面、それに手を伸ばしてみたいと思ってしまった自分がいた。
「――じゃあ、マリアちゃん、と呼ばせてもらおうかな。マリアちゃんも、レオに話すみたいに私に話してもらっていいよ」
「はいっ!じゃあ改めて、よろしくねフィリップさん!」
花が咲くように笑う少女に、また心がほんわかする。
――そうか、これが「幸せ」という感情なのかもしれないな。
そう感じた、暖かい午後だった。




