幕間 軍団長の場合1
ロベール王国の軍機構は大きく分けて、聖都を守護するヴィザンティ軍団、王都を守護するパーリツィ軍団、そして各方面都市に常駐するディジヨーヌ・ボルデア・トゥリオン・リールレア、この4つの方面軍団で組織されている。実質聖都は大司教軍、王都は国王軍、各方面軍団は各方面都市長官軍のようなものだ。
各軍団は軍団長という司令長官的地位の人間が統率する。軍団は主に3個師団の騎兵部隊、1個師団の魔法士部隊から組織され、騎兵師団は4連隊の軽騎士団と2連隊の重騎士団から、魔法師団は2個大隊の竜騎士団と3個大隊の魔法騎士団で構成されている。ちなみに衛生兵を含む兵站部隊は各師団に1部隊ずつ配備されている。
その中で、ベルナール・ド・ギレムはヴィザンティ軍団の軍団長に任命されていた。
彼は元々聖都郊外に領土を持つ、侯爵位を拝命するギレム家に次男として生れてきた。生粋の高位貴族出身という訳である。ギレム家の血筋は代々魔力保有量の大きいものが多く、ベルナールも例に違わず一般人より大きな魔力を持っていた。長男はそのまま侯爵位を継いだが、次男である彼はその魔力量を活かし、騎士学校へと進学。そのままヴィザンティ軍竜騎士団へ入団し幹部候補として順調に昇進、晴れてヴィザンティ軍団長の座まで辿り着いたのである。
ここまで上り詰めたのにはもちろん出自の長というものもあるが、彼自身の才能もそれを助けた。彼は竜を操る能力が特に高かったのだ。
竜というのはとても誇り高く、食物連鎖の上位たる生物だ。平均的な大きさで体長7メートル、大きな個体になると10メートル以上にも及ぶ。大きな翼と牙、鋭い爪と分厚い鱗によって覆われた身体は、何者をも凌駕する頑強さを誇っている。更に魔力を纏うため、通常の獣はその魔圧でもっていとも簡単に身動きが取れなくなってしまう。地上における最強の肉食獣といっても過言ではないのである。
ロベール王国は、その強大な生物である竜と契約を結ぶことで他国を圧倒する空の力を手に入れた。だからこそ、竜騎士団、その中でも聖都を守護するヴィザンティ軍団の竜騎士団に入団できるというのは、一種のステータスなのだ。
今でこそ司令官の地位にいるため自分が先頭に立って竜に乗り部隊を指揮することはないが、自分と契約した竜は常に傍に置いていた。今でも師団長として部隊の先陣を切っていたときが一番楽しかったと思えるくらいだ。そういう意味で、彼は根っからの現場指揮官向きだったのかもしれない。
だから、今回聖女が降臨されたという話を聞いたとき、思わず軍の先陣を切るであろう矛の聖女に、少々羨望の念を抱いていた。常人の域を遥かに凌駕する魔力をもってして、全軍の先陣にたち敵を屠る。なんというロマンチズムだろうか!
彼は矛と盾の聖女がそれぞれ決定されたと聞いた時点で、早く矛の聖女に会ってみたいものだと考えていた。盾の聖女ももちろん主の御遣いとして人々を癒すという点で、北方の蛮族によって疲弊したロベール王国を救う慈悲深い方には違いない。しかし彼は軍団長を務める者。やはり気になるのは自分たちと直接の関わりを持つであろう矛の聖女なのである。
そしてとうとう聖女召喚から2週目にして、彼は矛の聖女と見える機会を与えられた。
場所は聖都郊外の第1訓練場。ヴィザンティ軍団の練度を矛の聖女へ示すべく、全軍団が集められきっちりと整列している。自慢の竜騎士団の竜たちも、竜騎士が完全に制御し大人しくその巨体を座らせている。
――よし、全軍の様子は悪くない。
彼はそう心の中で呟くと、少々緊張気味に矛の聖女が演習場へ到着するのを今か今かと待ち構えていた。
そろそろ時刻か、と思った時、遠く向こうから馬車が走ってくるのが見える。
あああれに聖女様が、と逸る気持ちを抑えつつ、大声で号令をかける。
「全軍、敬礼!」
馬車がある一定の距離まで近づいたとき、並々ならぬ魔圧を感じた。
――これが聖女様の魔力の大きさか。
完全に制御されているのか、圧力自体は一般兵でも耐えられるものである。しかし、その存在感は未だ姿を見せていないのにもかかわらず、はっきりと感じ取ることができた。
やがて馬車が到着し、司祭にエスコートされて1人の女性が姿を現す。聖女の姿を見るなどまず人生であり得ない経験だ。全軍がその一つの人影に意識を集中させたのが分かった。
矛の聖女は、黒髪と虹色の瞳を持つ、美しい女性の姿をしていた。
思わず自分の立場も忘れてその姿を凝視する。これが、矛の聖女。堂々とこちらへ歩み寄ってくる姿は、自分より頭一個分は小さいにもかかわらず、付き従わざるを得ないようなオーラを出している。こちらを真っ直ぐ見つめる瞳は、七色に変化する宝石のようだ。
――いけない。自分としたことが、役目も忘れて思わず魅入ってしまっていた。
はっとして敬礼の姿勢を改めると、早速自分から名乗る。
「お初目にかかります矛の聖女様!私、ヴィザンティ軍団が軍団長を拝命しております、ベルナール・ド・ギレムであります!このような形で御尊顔を拝することができますこと、心より主に感謝する次第です!」
彼女はじっとベルナールの方を見ている。まるで検分されるようなその視線にたじろがないように、ぐっとこらえながら直立不動の姿勢を保った。
「初めまして、ギレム軍団長。私は矛の聖女を預かる者、名はマーガレット。名で呼ぶことを許可しよう。この度は軍の集結ご苦労だった」
淡々と語る口調は、聖女というより軍人のようでもある。しかし彼にとってその雰囲気は、矛の聖女たる者として好ましく映っていた。
「マーガレット様。その聖名を呼ぶことを許可いただきましたこと、有難く存じます」
「楽にしてくれて構わない。私は形式より実務を優先したい。さて、今回の訪問の目的は告知してあるとは思うが」
「はっ!しかと心得ております。只今こちらに控えさせておりますのが、ヴィザンティ軍団全軍にございます!」
彼女の視線は横に逸れ、全軍を舐める様に見ていく。
「…一応事前にヴィザンティ軍団及び王国内の全軍団機構構成等は確認してある。主力は軽騎士及び重騎士による騎兵師団、そして航空及び突撃力として竜騎士団、防御として魔法騎士団があるとの認識で正しいか?」
「はっ、左様にございます!竜騎士たちが突撃し、魔法騎士団がそれを補佐して敵勢力を突貫。その後重騎士を先頭に騎兵師団の隊が攻め入ります。更に魔法騎士団は蛮族が大型獣等を使役してきた場合や飛道具を使用してきた場合に備え、防御網を構築する、こういった構成です」
「成程。運用方法については理解した。ついては実質的な力量を測りたい。早速訓練に移ってもらうとしよう」
「はっ、畏まりました!――全軍傾注!これより実訓練に入る!流れの確認のため、各師団長は我が元へいったん集合せよ!」
てきぱきと差配し、ヴィザンティ軍団が統制された第一線級の軍であることを証明しなければ。少し緊張しながらも、彼は師団長と演習の流れを再確認し、各師団及び大隊への伝達を促す。
ちらりと横を見ると、矛の聖女はじっと各師団の動きを観察している。彼女の目は竜騎士団のところまでいくと、少し目を細めて竜を検分しているようだった。
――そういえば、矛の聖女様は従軍経験がおありなのだろうか。
ふとそんな考えが出たのには、事前に聞いていた聖女についての説明があったからだ。
曰く、聖女召喚は主への呼び掛けによってなされる。聖女自体は、主が選びたもうた異世界の者が送られてくるとのこと。彼女らは強大な魔力を持ってやってくるが、彼女らが元いた世界というのはこちらの世界とは全く異なる形態をしているらしい。
だとすれば、矛の聖女様とはいえ、もしかすると従軍経験がないという可能性もあるのではないか?
彼女の軍人然とした堂々たる態度に気圧されていたものの、よく考えるとこちらは彼女の価値観というものを全く知らない。彼女の外見年齢は、精々20歳程度にしか見えない。そもそもロベール王国にて女性は護られるべき存在であり、間違っても従軍するなどということは一般人ではあり得ない。思わず『矛の聖女』という枠組みだけで彼女を見てしまっていたが、実際のところどうなのだろうか?
考えれば考える程、隣にいる彼女の素性が気になってくる。もしこうして軍を見ることが初めてだったら?彼女は不安を感じたりはしないのだろうか?
取り敢えずさっと手を挙げ、訓練開始の合図を出させる。
今回の訓練は、北方の蛮族が北方都市郊外の平原地帯に襲来したときを仮定として実施している。北方バルバーにおける戦闘では、矛の聖女は必然的に前線で闘うことになるのだ。彼女は自然と全軍の動きを熱心に観察している。
彼も各師団の連携が上手くいっているか、作戦通りの動きができているかチェックしながらも、何となく気になってマーガレットの方を横目で見ていたりする。
彼女はまず竜騎士団の動きを凝視していた。腕を組みながら、無表情でじっと竜の動きを見詰めている。
「ふうん、竜とはこんな…」
ふと彼女から漏れた呟きに、彼ははっと思い至った。
――もしかすると聖女様は竜を初めて目にされたのだろうか?
だとすれば驚かれるのも無理はない。あれだけの巨体、そして獰猛そうな外見。いくら竜騎士によって魔法で制御されているといっても、女性にとっては恐ろしい様子に思えるはずだ。もし初めて見るとすれば、その恐怖は尚更だろう。聖女様は膨大な魔力を持っているから竜の一匹や二匹簡単に御すことができるはずなのだが、若い女性なら理屈に簡単に感情が追いつくとは思えない。
訓練は竜騎士が術式を数発発したあと、竜の統制攻撃でもって敵に突撃し、更に魔法騎士たちが巨大術式を打ち込んでいく。
彼女は魔法騎士たちが詠唱によって巨大術式を発現させ、敵陣地に放出した際にも少し驚いたように眉尻を僅かに上げた。
確かにこの巨大術式は圧巻だろう。ある一定以上の魔力を持った魔術師たちが集まらなければ、この類の攻撃はできまい。
更に彼らは防御膜も展開できる。敵陣へとなだれ込んでいく騎兵師団たちの前に展開された巨大な防御膜に、聖女も納得しているようだ。
「ここまでとは…」
思わずといった感じで呟かれた一言に、聖女様にも感嘆していただけるような内容であったことに彼は安心を覚える。
一通りの訓練を終え、マーガレットと彼は訓練場に併設された会議室にて、蛮族撃退戦略、そして各作戦について話し合いをした。
「…つまり、炎鳥に対抗する主戦力は今まで通りの竜の運用と」
「ええそうです。炎鳥は焔を吐きますが、竜の皮膚は分厚い鱗で覆われており、大した効力を持つとは考えられません。なおかつ、竜の方が圧倒的なパワーを持つのです。いくら炎鳥が魔圧の影響を受けない生物とはいえ、そもそもの物理的圧力から考えてこちらに利があります」
「そうか。ちなみに魔法騎士の運用方法は何某かの新しい研究開発はされているのか?」
「いえ、魔法騎士の運用レベルは現時点で考えられ得る限りの最高のものです。展開された術式も見ていただいた通り、他国が追随できるものではありません。蛮族などは散り散りになるしかないでしょう」
「…ふうん」
彼女は顎に手を当てて、少し考え込む素振りを見せる。その表情は依然として無表情だが、どこか不安げにも見えた。
――いや、いくらヴィザンティ軍団が万全の用意をしているからといって、もし彼女にとって戦闘が初めてのものであれば、不安になるのは致し方ない。一般の女性ならば卒倒しても可笑しくないレベルの話だろう。まあ矛の聖女様を一般人と比べることはおこがましいとはいえ、やはり女性、深層部分に恐怖心がないともいえないではないか。
そう彼は考えて、考え込む彼女に声をかける。
「ご安心ください。ヴィザンティ軍団は訓練され統制された大軍団です。特に竜騎士団は以前私自ら叩上げた軍勢。相当の力量を保証いたします」
「そう、か」
――待てよ、いくら突撃力の強さを誇ったとしても、万万が一マーガレット様自身に危険が及ぶことがあれば大変である。いや、実際マーガレット様自身に危険が及ぶというのは、聖女様のお力がある故あり得ないことではあるのだが。しかし理屈と感情は別。ここはその御身に危険が及ぶことはないということもアピールしなければ!
「それと、もちろんマーガレット様ご自身にも傷一つ付けさせません!我が魔法騎士団の術式はとても高度なものです。その防御膜は、炎鳥の焔、敵の刃と銃撃ごとき掠りもさせないでしょう。ですから、マーガレット様はその御身を十全の安心をもって私どもにお預けいただければと思います!」
「…成程。お前たちの気概は十分に伝わった。それはさぞかし安全に違いない」
「ええ正に!」
――そうだ、彼女は軍団を先導する矛の聖女様であるとともに、私たちの守るべき主より預けられし大切な御身でもあるのだ!
彼女の容姿のせいか、どうも彼の中で「女性とは守るべきもの」という概念が強くあったこともあり、マーガレットを『矛の聖女』という超常の存在から「共に戦いつつ護るべき存在」という認識が強くなっていく。
しかし彼女も、今回その雄姿を見て軍団が信頼足り得ると納得できたのではないか。できれば彼女には、安心してその背中を自分たちに預けられるように感じて欲しい。
「どうでしょう、我がヴィザンティ軍団は!」
思わず前のめりになりながら彼が問い掛けると、彼女はここに来て初めての表情をした。
にこりと笑顔を見せたのだ。
「そうだね、素晴らしいものだと思う」
無表情から一転、その笑みはいっそ蠱惑的ですらある。
虹色の瞳は、光の角度からか今は赤紫に染まっていた。再びその輝きに囚われそうになりながら、彼は無意識のうちに口から言葉を発する。
「マーガレット様は矛の聖女様であります。ロベール王国全軍一同、その聖なる御許にて存分な働きをお約束する次第です」
神の使徒を軍団に擁するというかつてない奇跡に、彼はただ高揚感を覚えるのだった。




