36話 証明してしまった
憎たらしいほどに満天の星空が照らしだすエルコニアン。
潜水服の視界補助機能がなくとも明るい、うつくしい浅瀬の海域に存在する大穴は、血と、脂と、骨と、臓腑と、魔物の残滓によって凄絶な光景となっている。
世界有数の極限地帯に棲む生物たちと、かつて南の海を支配した魔物たちによる、海域の支配権を賭けた戦争が起きているのだ。
月と星の光による幻想的なカーテンとなった海面の下で、タラニスは次から次へと迫りくる魔物に風魔術を放っていた。
「ご先祖様は、また厄介な遺星錬器を持ってきてくれたな……!」
玻璃錨カシオペヤ。
ミア・ブリッジが世に遺した兵器のひとつによって、分家筋の戦艦に施された隠密術式が消失した。それだけでなく周囲から魔力や術式を奪い取り、尋常ではない勢いで励起させたことで、付近の海域にいた魔物を引き寄せてしまったのだ。
「……これは、つらいや。姉さんがあの男に体当たりしてくれなかったら、ぼくはあの場でみっともなく気絶したかもしれない」
この身に宿す魔力もそうとう奪われてしまった。
なんとか大穴で暴れる魔物を討ち、危険な生物を回避できてはいるのだが、もう時間は残り少ない。
ふと視界の端からデタラメな大きさをした、三角形の鋭い歯が並ぶ口が二つある、サメに似た異形の魔物が接近してくるのに気が付いた。しかし冷静の術式を編み、すぐそばを弾丸のように遊泳する魚を意識する。
「ごめん、借りるよ」
魚の進路に道をつくる。風の晶析武装、砂のように細かい魔力の結晶を放ち、あの魚を誘導する渦を生成した。
渦に呑まれたことで、魚は危険を察したのか火属性の術式を行使した。すると。
「よし。計算どおり」
水中に爆音を響かせて、文字通り自分自身を射出した魚は、タラニスに接近していたサメのような魔物を穿ち抜き、大きな穴を開かせては消失させた。
あの魚はダツの一種であり、鋭く伸びたご自慢のあごを硬質化させて、今のように爆発的な推進力で獲物や敵へと突撃する生物であった。
情けない。見つけた家族を救うためには、こうして周囲の生き物を利用して余力を残さなければならない。
あの男と違って。
「星属性さん……聞いてないぞ。あんなふうに周囲の魔力をすぐ取り込めるだなんて、ずるいじゃんか」
ユーリス・パス・オービター。星属性の英雄は、このエルコニアンに満ちみちる魔力と彼自身をつなぎ、先ほどから強烈な星属性の魔技と魔術を行使している。魔力を補給しながら戦うことで、長時間の高出力な行使が可能らしい。しかし、順調とはいえない。
彼が相手にしている巨大な軟体動物は、周囲の魔物や生き物を触手で捕えて、損傷した部位を再生させる部品にしているからだ。決定打を与えきれてはいない。
原因は間違いなく、彼の身体を拘束しているとしかいえない旧式潜水服である。
また、タラニスは心の底から不快感を覚えた。
海底を識る者アルダー・キラフが遺した、“もっとも小さな力を理解したとき、もっとも大きな力を得ることができる”という言葉。
それの体現を目指し、術式の集合体でより大きな結果を生む魔術系統を発明した自分にとって、あの軟体動物の在り方は似通う部分があるだけに、よりいっそう嫌悪感が増した。
ふだんであれば、捕えた獲物を魔力ごと取り込む生態には興味が引かれるところだが、アレは大切な姉を海に引きずり込んだ憎き存在だ。吹き飛ばせるものならすぐにでもそうしている。
「まったく、泣けてくる。アレを星属性さんひとりに押し付けて、家族も見つけられずにこうして四苦八苦だ」
本当に頼りになる。もしもこの場に彼が居てくれなければ、自分は家族を失い、このさき生きてはいけないほどの後悔を抱えたに違いない。
タラニスは、こんな感覚を覚える相手が、義兄以外に現れるだなんて思いもしなかった。
「……義兄さんも義兄さんだ。もっとぼくに頼ってくれても良かったのに」
言いながら否定する。不可能だったのだろう。
義兄は彼自身ではなく、この義弟にヴェーラの主権を握らせようとしていた。それは、彼の覚悟だったのかもしれない。
ヴェーラの主権争いに勝利したとしても、魔族との密輸が露見する可能性はずっと残りつづける。だから万が一に備えて、何も知らされていない自分に主権を握らせたかったのだ。
義弟と妻は関係ない。すべての責任は自分自身にある。そんなふうに泥を被るために。
「そうだ。文句をぶつけてやるんだ」タラニスは周囲を観察し、計算しながら魔力を励起させる。「義兄さんに、それに姉さんにだって……。みんなで無事に、あの屋敷に戻ってから、今まで言えなかったことも、言いたかったことも、全部ぶつけてやるんだ!」
= = = = =
レインは顔を動かして周囲を見渡す。
戦艦から崩れ落ちた木材が、海面にいくつも浮かんでいる。自分の上半身は、そんな木材のひとつに引き上げられていた。
「どこか痛むところはあるか?」
同じ木材に片腕でしがみつくグウェンドルが、心配そうにこちらの顔を覗きこんできた。
「平気よ」どこにも、とくに痛むところはなかった。「……ごめんなさい。またあなたに迷惑をかけてしまったのね」
「迷惑だと?」グウェンドルが苦笑を浮かべて応じる。「おまえが動いてくれなければ、甲板にいた全員が魔力を奪いつくされて、暴走したあのクソ野郎が戦艦を粉々にしていたことだろう。そうなれば、魔物どもの餌食となってたな」
だが、結果的にはこの状況だ。
どうやら自分たちの身体の下では、エルコニアンの生き物たちと魔物が死闘を繰り広げているようだ。海中の状況と比較すれば目立たない自分たちだが、いつ襲われてもおかしくはない。
レインはもういちど顔を動かす。
戦艦は、ここからそれほど離れてはいない。あそこに戻るか、タラニスたちと合流しなくては危険だ。
「タラニスは間違いなく、私たちを捜してくれているはずだ」グウェンドルが戦艦から少しずれた方角を指さす。「あの辺りの海面から、風魔術が勢いよく飛び出していた」
示された箇所を目で追うとまさにちょうど、海面を割る風魔術が夜空に飛び出した。
タラニスだ。弟があそこにいる。絶望するほど遠くはないが、楽観視できるほど近くもない。
周辺は戦闘の騒音で満ちており、ありとあらゆる魔力が入り乱れている。海中ではよりいっそう激しさが増すことだろう。叫んだところで、意味はない。
「どうすれば、わたしたちがここにいると伝えられるかしら」
「……賭けになるが、こいつを拾った」
そういってグウェンドルは木材にしがみついているほうと逆の腕をあげる。その手に握っている細長い魔導機器は、救難を求める信号弾を発するものだ。
レインの胸中に希望が生まれたのだが、しかし。
「それ、壊れてる?」
「あぁ。機能はするが、魔力が漏れ出ているな。信号弾を撃ちだすには使用者の魔力が必要だ。それも、かなりの量がな」
そう答えたグウェンドルの顔色は悪い。呼吸は浅く、どこか目が虚ろにも思える。
この症状を、レインはいやになるほど知っている。
「あなた、もしかして体内の魔力が」
欠乏していることは、間違いない。
「……ははっ。エルコニアンの底に潜らされて、カシオペヤに魔力を奪われて、あのデカい魔物だ。さすがにちょっと……疲れたな」
そして海に飛び込んで、自分を救ってここまで引き上げてくれた。
「だが、そうも言ってられない。聞いてくれ、レイン。今からこいつに残りの魔力をすべて注ぎ込む。なんとかしてタラニスまで信号を届かせる。しかし、私はきっと気絶してしまうだろう。だから悪いが、波に攫われてしまわないように、この身体を支えててくれ──」
直後、「きゃあっ!」自分たちの頭を覆うほどの波が打ち寄せてきた。
戦闘の余波だ。周囲で殺しあう生き物と魔物による魔術の影響で、海は荒れている。
小さく笑ったグウェンドルが、「……まあ、きっとだいじょうぶだろう」と強がった。顔面蒼白で口にしていい言葉ではない。
レインは、魔道具を握りなおす彼の腕をつかんだ。
「ん、どうした?」
「あなた。それを使う必要はないわ」
どういうことだと、眉をひそめる彼の顔に、レインは心を決めて口を動かす。
「あなただけで、タラニスのところまで泳いで。それぐらいならまだ魔力は残っているはず」
「…………なにが言いたい」
「わたしはもう、じゅうぶんだから」
ついさっきまで見ていた夢は、きっとこういうことだったのだ。
いつの日か、両親の葬式で耳にした“生きていても意味のない小娘”という言葉。あれは、まったくもって正しい評価だった。
「ずっとずっと、まわりに迷惑ばかりかけてきた。家庭用の魔導機器も動かせず、商才もなければ、ヴェーラの家格だって弱小一派の娘に、あなたは幸福を与えてくれた」
「レイン、それは──」
「もういいのっ!」
叫ぶレインは、目頭が熱くなるのを感じた。呼吸も荒れてくる。
だが、今まで言えなかったことも、言いたかったことも、全部ぶつけるのだと決めた。
「そんなわたしのために、あなたが、本当はもっともっと立派になれたはずのあなたが、危険を冒す必要なんてない! これ以上タラニスの、大切な弟の重荷になんてなりたくない!」
言葉を紡ぐたびに、傷の痛みを覚える。
新しいものではない。これまでずっと、かさぶたができることのなかった、心の傷だ。
「この状況だって、もとはと言えばわたしのせい! わたしのためにあなたは魔界と取引してしまった! 同じ一族なのに、他人を利用することばかり考えている、あいつらに弱みを握られてしまった!」
血が流れつづけるばかりではなく、広がりつづけた傷は、もう癒えない。
「たとえ魔界から届けられる鉱石で治療しても、魔力の漏出が抑えられるだけ! この先も変わることなんてないの! だから──」
顔をあげて、愛する彼へと最期にぶつける。
「──これまで生きてきたわたしに、意味なんて無かった!」
「だが価値が無かったとは言わせないっ!!!」
グウェンドルの叫びで言葉を失った。
沈黙する自分に、彼は冷静な口調で語る。
「レイン、私が……オレが、天涯孤独の身であることは言ったよな」頷く自分に、彼はつづける。「おまえと初めて出会ったあの日。あの牢獄のなかで、盗賊どもの身代わりに殺されると知らされたとき、オレには生きる気力なんてなかった。自分の人生に、価値を見いだせなかったからだ」
だが、おまえとタラニスが救ってくれたと彼がほほえむ。
「おまえのために生きようと決意した。この子のためなら、オレは全力で生きてみせる。努力してみせる。傷つくことも、必死に汗を流すのだって苦労とは思わない。おまえが、レインがタラニスといっしょに笑いあってくれるのなら、幸せになってくれるのなら、どんなことでもしてみせる価値があったんだ」
価値。
自分がこれまで、考えたこともなかった言葉だ。
「そうしてオレの人生に、意味が生まれた。レイン、意味なんて後から付いてくるものなんだ。なにかを目指して生きる。だれかとともに生きる。やりとげるために生きる、あきらめることなく生きる。そんなふうに道を進もうとする歩みにこそ、意味が生まれるものなんだ。……誰にだって歩けるはずさ。なぜなら」
その人自身が見出した価値こそが、どこまでも歩いていける原動力になるからだ。
「約束する。オレが、おまえがこれからも生きつづける価値を証明してみせる。あのとき、オレを救ったおまえがそうしてくれたように、必ず。だからオレといっしょに生きてくれ、レイン!」
「…………グウェンドル」
息がつまって、うまく呼吸ができない。
胸がいっぱいで、言葉を考える余裕もない。
かさぶたのできなかった心の傷が、あっというまに焼いて塞がれたほど、熱い想いが身体をかけめぐる。
ならばすることは、ひとつだ。
「待て、なにをっ!?」
レインは魔族から受け取った封魔道具を、銀の腕輪を取り外した。
投げ棄てた直後、魔力が漏出しはじめるがしかし、どこか爽快な解放感も覚える。
焦りの表情を浮かべる夫に説明する。
「あなた、その道具をいっしょに使いましょう。今ならたっぷりわたしの魔力も使えるわ。頼りになる弟へと確実に、この場所を伝えられるはず!」
「無茶だ! そんなことをすればおまえの身体が──」
「わたしも生きたい! これからもあなたやタラニスといっしょに、これまで以上に懸命に、これまでになかった意味を作っていきたい!!」
そのためなら、この程度の障害なんて乗り越えてみせる。
「……っ! まったく、ほんとにオレの妻はお転婆だな!」
レインは、こうして夫といっしょに心の底から笑いあったのは、なんだかずいぶんと久しぶりな気がした。
恐怖もなく、躊躇もなく、戸惑いもなく、不安もない。
愛する夫といっしょに、レインは魔導機器を構えて、ちからを込めた。
= = = = =
いくら力を込めても、噴き出る宙の零れ火を抑えきれない。
シンシアは全力でカシオペヤを押し込むも、いっこうに進んでいる気がしない。
「こんっのぉ!」フロムもまた、滝のような汗を流している。「私たちに封印されまいと、こいつも必死に抵抗しているようだぞ!」
竜の少女も感じとっているように、勢いはむしろ増してきてさえいる。
「ざっけんじゃないわよ! おとなしくしなさい!」ミレイ。
「まずいぞっ! この勢いでは封印どころか、俺たちが手放してしまえばカシオペヤが吹き飛んでしまう!」テオ。
シンシアは、なにか利用できるものはないかと周囲を見渡す。
エルコニアン。海原の巨大穴の底には、はるかむかし南の海を荒らしまわった魔物たちの巨大な骨しか見当たらない。
そう思っていた。
「……あなたは!」
骨の森から現れ、ゆっくりとこちらに近づいてくる人影は、先ほど甲板でグウェンドルのそばにいた、男性ヒューマンの傭兵だ。
自分の声に反応したみんなも、弾かれたように顔を向けた。
「そこのおまえ!」テオが彼に呼びかける。「見ていないで手伝ってくれ! この黒い光を封じないと、おまえも無事ではすまないぞ! ここは一時休せ……」
テオは顔をしかめながら押し黙った。
傭兵が、片頬を吊り上げながら槍の触媒を構えたからだ。
「なにをするつもりよ!」とミレイが問いかけると、傭兵は応じた。
「それさえあれば……その遺星錬器を手に入れさえすれば、生きてここから逃げられる。魔族どもに追いついて、魔界に匿ってもらえるんだ!」
「馬鹿なことを言うな!」フロムは説得する口調だ。「よく考えろ。すでにやつらの戦艦は遠くまで行ってしまったはずだ。この兵器だってうまく扱える保証なんてない。いまは協力して──」
「暴走したのは、あの山猫のジジイが素人だったからだ! 俺様なら問題ねえ。そいつを渡してもらうぞ!」
さらに。
「……っ! あの人も、ここに!」
狼の男性ビーストが、傭兵の奥から現れた。
気が付いた傭兵が振り返り、「なんだ、ボニート。おまえも来たのか」と少し驚いた様子だ。
「ちょうどいい。俺様を手伝えば、いっしょに魔界へと連れて行ってやるぞ。大陸の裏切り者なおまえにとっては、慣れ親しんだ土地だろう。感謝するんだな」
ボニートは、傭兵の言葉にゆっくりと頷いた。
ミレイが「ちょっと、これまずい!」と焦りを見せる。
「俺が、なんとか抑える」テオが必死の形相を浮かべていう。「フロム殿。ミレイ殿。頼む。あの二人を迎撃してくれないか?」
彼の提案に対し、フロムが首を横に振った。
「ダメだ、テオ。この勢いだと、おまえとシンシアだけでは抑えきれないっ!」
「っていうか!」ミレイの声に苦痛の色が混ざりはじめる。「どんどん勢いが、増してる……!」
シンシアも防壁魔術を展開したいのだが、短杖を手にすることができない。もはや両手で抑えなければ耐えられない。
こちらの身動きできない状況に、傭兵は嗜虐の笑みを浮かべては。
「ふははっ! それじゃあ厄介な弓矢を飛ばしてくる、そこの魔族のガキからだっ!」
ミレイに向かって突撃してくる、直前。
「ごっ……え゙ぇ……?」
目に留まらぬほど海中を急速に動いたボニートが、傭兵の腹にひじを強烈に叩きこんだ。
うっすらと火属性魔力の気配を漂わせた動きは断じて素人ではなく、戦闘を見据えた潜水服の薄くも強固な護りを貫き、傭兵の頭を覆うガラス製の装備に血の混ざる吐しゃ物が飛び散ったほどの威力であった。
その動きにシンシアたちが呆然としていると、「オイラも手伝うぞ! そっちへ行くから持ちこたえろ!」と彼はこちらに言い放つ。気を失って海中にただよう傭兵を残して向かってきた。
まだ警戒心を抱く自分たちに、ボニートはニヤリと笑ってミレイを見つめる。
「きっとだいじょうぶさ、ウラニボリのお嬢! ウェズンから聞いてるぜ。きみがとっても優秀な女の子だってな!」
「…………あん、た」心の底から驚いているミレイは、両目を見開いて応じた。「あの人を、ウェズンさんを知ってるの……?」
「よくは知らんが」テオが、ちょっともう限界という顔をボニートに向けた。「どうやら信じてよさそうだな。ボニートといったか。こっちへ来てくれ!」
返事をしたボニートが、テオが位置をずらして空けた場所に到着し、そしていっしょにカシオペヤを握る。
五人の力で、なんとか宙の零れ火が噴き出る勢いに対抗しはじめるが、しかし。
「うっひゃあ! こいつぁキツイ!!」
ボニートが言うように、キツイ。
彼のおかげでカシオペヤが吹き飛ばされる心配はなくなったが、しかしもう一手だけ必要だ。
やはりどうにかして、ユーリスから星属性を受け取らなければならない。
「すまねえ。ビビリなオイラだから、旦那の弟くんがつくった通路をのんびり通ってきちまった。もっとはやく来ていれば……!」
タラニスの通路。魔界の魔道具を使用して造った、防壁魔術の通路。
シンシアは思い出した。
──エルコニアンは、そんな海綿動物の一種だよ。信じられないかもしれないけれど、浅瀬に広がるあの大穴は、いち個体である海綿動物の魔物がつくりだした、特殊な海域なんだ。
ユーリスの言葉。
──エルコニアンの底までつづくあの特徴的な坂道は、岩石ではなく生物の身体だった。だから壁面付近では自然魔力ではなく、光属性の魔力に偏っていたんだ。エルコニアンは、光属性の魔物なんだね。
タラニスの言葉。
シンシアは、エルフの目を意識して周囲を見まわす。
そして、見つけた。
「みなさん」強い決意を込めた自分の声に、仲間たちが顔を向けてくる。「ユーリスさんから、星属性を受け取る方法を思いつきました。そのためには、少しの間だけカシオペヤから手を離す必要があります」
よろしいですか?
そんな自分の確認に、彼らは疑問をはさまず笑顔で応じる。
「やってくれ、シンシア!」フロム。
「まかせたわよ、聖女候補様!」ミレイ。
「必ず耐えてみせる。シンシア殿」テオ。
「お嬢たちがこう言うんだ。オイラも信じるぞ!」ボニート。
彼らの信頼を受け取ったシンシアは、いちど頷いてはカシオペヤから手を離す。
そして先ほど発見した箇所まで急いで泳いだ。
「……よし、間にあった」
この海底に伸びる特徴的なガラス質の骨針は、まだ宙の零れ火に浸食されきっていない、海綿動物としてのエルコニアンであった。
確認したシンシアは、自分の先生であるニックの言葉を頭に浮かべる。
──そうそう、シンシア。君は理解がはやい。そうだよ。光から派生した命属性が、なぜ治療効果が高いのか。ひとことでいうなら、柔軟だからだ。属性因子の結合が非常に容易なんだよ。魔力の同調がとてもしやすい……って、それは私よりも君がよく知っているか。このことを魔力研究者たちはね、手が多い、と表現するんだよ。どんな相手とも、たくさんの人と手を繋ぐことができるとね。
命属性の魔力をエルコニアンと結ぶ。ガラス質の骨針に、やわらかい白色の輝きが伸びていく。
本来であれば、命属性の魔力はある程度まで進んだところで消えるはずだった。
だが、輝きは続いていく。
「……もっと」
エルコニアンの底で活動していた動植物たち。常に超過魔力を放出させていた、あの力強い者たち。
「もっと、先まで」
特徴的な坂道。
岩礁にサンゴ、背の高い海草にほかの海綿動物を棲み処にした、多様な生き物たち。テオから教わった、エルコニアンの注意すべき、しかしとても魅力的な生命たち。
「お願い。私にちからを貸して……」
この特殊な海域で、殺意と破壊の嵐に負けることなく、懸命に生きようとする生き物たち。
彼らに自分の魔力を伸ばすための橋渡しをしてもらう。
「……っ!」
しかし、この命属性であってもやはり難しい。途中でどうしても切れてしまう。
「まだ、もう一度!」
それでも魔力を注ぐ。命を結ぶ。手を伸ばす。
「今度こそ」
これが命属性の。いや、違う。
「絶対に」
これこそが自分の、“シンシア・ネッカルの意味”なのだと信じて。
「繋いだこの手を、けっして離しはしないっ!」
そして、命の輝きは一本の道となり。
「ユーリスさーーーん!!!」
彼のいる海面付近まで。
= = = = =
届いた。
ユーリスの星の瞳に、エルコニアンの底から壁を伝う命の道が映った。
「シンシアさん……すごい。本当にやり遂げてくれたんだ」
反応したのは自分だけではない。
先ほどから拮抗状態をつづけている巨大な軟体動物も、シンシアによる命属性の道へと引き寄せられるように全身を鳴動させる。
さらにエルコニアンの生き物たちや魔物たちからも意識されはじめた。
「なんとか急いで、あそこに向かわないと……」
瞳に映る銀の糸。あの星の道が、シンシアがつないでくれた命の輝きまで結ばれている。
あの場所までたどり着くことができれば、星の結界を展開することが可能なのだ。
「星属性さんっ!」
耳に届く、少年の声。
魔物への攻撃をつづけながら顔を動かすと、雷雲を識る者タラニス・ヴェーラが高速でこちらに泳いできていた。
「タラニスくん!」
「あの聖女候補さん、とんでもないな。……目標はあの命属性だね。ここはぼくに任せてくれ」
彼がユーリスのそばに到達すると同時に、周囲の海中に強力な渦が巻きはじめる。
「さあ、いくよ!」
「うぉっ!?」
この身体が、すさまじい速度の海流に呑まれた。旧式潜水服では不可能だった、高速遊泳が彼のおかげで実現している。
なるほど。こんな術式を発揮できるのであれば、本来の彼が実力を発揮する主権争いでは、勝利することは困難だったかもしれない。
「ありがとう。君のおかげで」そんな識者の協力により。「道が、つながった!!」
三星領域ハビタブルゾーン。
星の道がつながったシンシアが行使したことで、ユーリスを中心に赤いような銀色と、青いような銀色の煌めきが散らばる星々の空間が、爆発するように広がった。
周囲に存在した魔物たちが、見えない壁、あるいは衝撃に巻き込まれたかのように吹き飛び、エルコニアンの生き物たちはとつぜん正気を取り戻したかのように動きがおとなしくなる。
さらに、シンシアのいるエルコニアンの底でも、結界は同じく展開されたようだ。二か所同時に術式を行使したのだ。
「これは、こんな現象が、ありえるのか……」
空間を見まわすタラニスの驚きと同時に、ユーリスは気が付いた。
「……っ! アレは」
信号弾だ。
海面の輝くカーテンの向こう。分家筋の戦艦とは別方向から、夜空を斬り裂く光が自分たちの頭上を通り過ぎた。
「あの魔力の気配。まさか、姉さん!?」
ユーリスも察していた。あの信号弾を構成している多くの魔力は、間違いなくレインのものだ。
彼女の夫であるグウェンドルの魔力も混ざっている。あれは、二人が協力して放ったものだろう。
タラニスの家族の居所がおおまかに判明した、直後。
「……タラニスくん。船がっ!」
迫る殺意に顔を向けると、星の結界術式で多少は吹き飛ばしたはずなのに、それでも距離感がほとんど変わらないほどのふざけた巨体。あの軟体動物の魔物が、触手を戦艦へと伸ばしていた。
周囲からほかの魔物が吹き飛ばされ、エルコニアンの生き物たちが距離をあけたせいで、あの戦艦以外に周囲の手近な獲物が消えてしまったからだ。
敵対していたとはいえ、船には分家筋の残りや傭兵たちが残っている。なんとかここで決着をつけなければならない。
「君は家族を迎えに行くんだ。俺は、どうにかしてアイツを──」
「安心して」
どこまでも穏やかな声色のタラニスに、ユーリスはゆっくりと振り返る。
彼は周囲に、彼自身の晶析武装を、あのきめ細かな砂粒のような結晶を展開していた。
「そうか。こういうことだったんだ。属食反応どころか術式すらも……だから、星の属性」
「待ってくれ! 星の結界術式の内側では、晶析武装が融解してしま……?」
している。タラニスが顕現させる風属性の晶析武装は、融解している。
だが、どこまでもまばゆく、力強い発光体となって少年ビーストの周囲に留まっている。
これには見覚えがあった。あの風下の方人、神域武装を顕現させた男性魔族が、大太刀と組み合わせることによって生み出した、完全に飽和する属性魔力。
「……風の極光」
「うん。ぼくのこの魔力なら、あのデカブツを吹き飛ばすことができる。姉さんと義兄さんの場所がわかった今なら、やっと全力で行使することができる。でも、トドメを刺すまではいかない。だから星ぞく……ううん、ユーリスさん! この術式であなたごと──」
「吹き飛ばしてくれ! 俺が決着をつけてくる!」
タラニスの意図に応じて頷いたユーリスは、星の瞳に映る彼の術式を理解し、彼の前方へと向かって移動した。
そして。
「これは風だ。星によって生まれ、星がまとい、星を……この世を動かす風の理だ」識者が術式を構築し。「どこまでもちっぽけなぼくだけれど、世界の原動力、そのひとつが織りなす極限の意味を、ここに示そう」
極光は放たれた。
「星風域、プレリオン・シエラ!!」
= = = = =
エルコニアンの外縁付近で、海面を割る竜巻が出現した。
魔界の歴史上でも類を見ないほどの術式は、稲光のような銀色の閃光を放ちながら、この海域の一角を埋め尽くす巨大な軟体動物の魔物を、エルコニアンを囲む浅瀬まで吹き飛ばした。
もはや物理や魔力といった次元ではなく、空間そのものに干渉したのかと思える規模だが、しかし戦艦に被害を与えぬためか、星を夜空に打ち上げるためか、破壊の意味は込められていなかった。
そのため、あの巨大な魔物はほとんど無傷といっていい。
「勝負ついたわね~」
ヴェーラの高速船の甲板。
自分の主人であるティティルン・ヴァシラタスが、お気に入りの羽扇を動かしながら発言した。
「はい。これで終わりです」
先ほどまでせっせと働いていた彼女の部下、メールニアも覗いていた双眼鏡をゆっくりとおろす。
自分たちの視線の先で、星属性が夜空を高く、とても高く飛んでいた。あの巨大な魔物を追いかけるように、全身の旧式潜水服が空中で剥がれていき、軽装となった彼の身体が、海面に堕ちる。
ふと気になったので、訊いてみることにした。
「お聞かせください、ティティルンお嬢様。あなたが見極めた、このパイク・ルラーニャにおける星の一行の価値を」
星が堕ちた海面付近で、水柱が噴き上がる。
「甘々ね~。わたくしが呆れかえるほど、心配してしまうほどに甘い子たちだったわ~」
水柱から出現した星。
夜の海であればこそ、遠目からでもまぶしく映る流星が、海面を滑るようにとてつもない速度で動いている。
主人があの猟犬から聞いていたように、星属性の準備武装を周囲に展開した彼の姿は、さながら小規模な星系、あるいは星雲のようだ。
「甘かったとは?」
「あの戦艦の甲板では、魔力欠乏症のビーストごと、さっさと星の力を降り注がせていれば終わっていたわ~」
浅瀬に乗り上げたことで、海中に逃れることができない巨大な魔物は、数え切れぬほどの、しかし一本いっぽんは巨木のような触手で星を迎撃しようとする。
だが、まるで意味がない。抵抗むなしく星々に触れてはチリとなっていくだけだ。
「それに、魔王ちゃまもね~。そもそもエルコニアンの封印なんか、パイク・ルラーニャや南の海なんか無視してカシオペヤを手に入れてさえいれば、魔界で勝利することができたかもしれないわ~」
海上に現れた防壁のように触手を広げる魔物へ向けて、接近した星属性は細かな星々を放った。
メールニアは、あの星粒ひとつひとつが、彼の剣と同調術式でつながっていることに気が付く。
「他人の事情ばかりを気にして、本来の成すべき目標をないがしろにしていた、ということですね」
そして星属性が剣を振るうと同時に、剣閃と同調した星々が銀の斬撃となり、軟体動物の数え切れなかった触手を瞬時に壊滅させた。
「そのとおりよ~。だから、わたくしにとって当代の星と魔王は……星の一行は、過去の者たちと比較すればこそ、甘々で心配してしまう、なんとも生ぬるい連中ね~」
魔物は触手の護りを失い、黒い光をもっとも集中させている部分を露出させる。核だ。
そこに向かって海面を駆ける星属性から、夜空に向けて銀の柱が出現する。見上げるほどに高い柱へ散りばめられたのは、星々だ。見たところ、あれらは彼が触媒である剣を砕き、破片ひとつひとつを星属性で結ぶことで部分的な晶析武装にしたのだろう。
あれが星の決戦術式。
「お聞かせいただき、ありがとうございます」星座で造られた剣。あの魔物ほどもある巨大な光の刃を見つめながら、口を動かす。「では、彼らの一人ひとりはいかがです?」
主人を横目で見ると、彼女も横目でこちらを見ながら、なんともうれしそうにほほえんだ。
「大、大、大好物だわ~~!!」
星属性が振るった光の刃は、軟体動物の中心までいともたやすく斬り裂いては、その核を捉えた瞬間、海面ごと彼方まで消し飛ばす星々の奔流となった。
遠近感を狂わせる術式によって、エルコニアンの決戦は終着する。また、同時に。
「星の一行……いいえ、あの識者にも、その家族にも、わたくしが認める価値がある」
メールニアが感じ取っていた、大穴の底で鳴動していた不穏な気配も収まる。
玻璃錨カシオペヤによって、エルコニアンはふたたび封印されたのだ。
すべて終わった。
星々が照らす穏やかな夜の海面から、厳粛な口調となった主人に視線を移す。
「彼らの心には、光があった。その光はありとあらゆる財宝を、資源を、兵器を……あるいは命の時間すらを上回る価値がある」
護剣は、ゆっくりと片腕を海に向けて差し伸べる。
「この世に価値のない人間なんていない。大きい小さい。善性に悪性。規模の多寡に、目立つものや目立たないもの。永く遺るもの。ほんの一瞬だけのもの。解釈も人の数だけ異なるけれど、それでも見いだすことができる価値が、しかし確かに存在している」
華炎灯台は、なにかをつかみとるようにゆっくりとこぶしを握る。
「大事なことは、自分自身が、自分自身の価値を見いだせるかどうかなの。どんなものかなんて口にしなくていいし、正確に言葉にするだなんて絶対にできない。それでもこれだと信じて、その価値にふさわしい道をみずから選ぶ。心に灯した決意の光で、道を歩く意味を生む」
ティティルン・ヴァシラタスは、握ったこぶしを胸にあてる。
「メールニア。彼らはたとえ困難であろうとも、自分が信じる道を愚かしく、無謀に、苦痛をともなって、だけれど輝かしく歩いてみせた。わたくしに、その価値を証明した」
「……取引相手、ということですね」
「そうよ、メルちゃま~。これから忙しくなるわよ~」いつもの口調に戻った主人。「無駄足にならなくてよかったわ~。あの移動手段、もう帰りの一回分しかないもの~」
メールニアは、そういって安心してみせる主人との会話を思い出す。
──お嬢様も想定されていらっしゃるのでしょう。ここにはもうすぐ星属性たちがやってくる。そして、お宝とやらを入手するために、あのエルコニアンに潜っていくと。星属性ユーリス・パス・オービターと魔王ミレイ・ウラニボリを殺すのであれば、これ以上の機会はまずありません。
自分の言葉に、彼女はこう応じた。
──だからこうして急いでやってきたんじゃないの~。
そうだ。自分が宰相ダウィートンの親衛隊、彼らの城塞で発見したのは、ヴェーラ分家筋との裏取引の記録だけではなかった。
星と魔王の暗殺計画。
大陸南部だけでなく、さまざまな土地で星の一行を対処する案が記載された資料も発見した。その中に、このエルコニアンという特殊な海域が含まれていた。
星の一行の価値をまだ見極めていない自分の主人は、ヴェーラ分家筋と裏取引をしている連中が動くと想定し、計画を阻止するために帆柱都市までやってきたのだ。
もっとも、彼らは彼ら自身で解決してしまったが。
「……そろそろ戻りましょうか、お嬢様」
メールニアは、帆柱都市パイク・ルラーニャの方角から、警備隊の戦艦がいくつもこちらへ向かってくることに気が付く。エルコニアンが封印されたことで、かの魔物から生まれた存在も消失、あるいは大幅に弱体していた。都市の者たちも動けるようになったのだ。
ティティルンも振り返って、「面倒で無駄な事情聴取なんてごめん被るわ~。不経済だもの~」と苦い顔を浮かべる。
「あなたには苦労をかけたわね~。密偵の真似事に、こうして慣れない救助活動もさせてしまったわ~」
主人が甲板に顔を向ける。
そこには戦艦から海に引きずり込まれてしまった分家筋の連中や、傭兵の者たちが気絶して倒れていた。
自分が風魔術で飛翔し、このヴェーラの高速船に引き上げたのだ。
「ヴァシラタス家が誇る戦闘部隊、その次席であるメルちゃまは、この帆柱都市では本領を発揮することができなかったわね~」
「ちょうどいい休暇でした。お嬢様と二人っきりで過ごせた時間は、それこそ何よりも代え難い価値がありましたし」
「あら~、おべっかが上手になっちゃって~」
いや、心の底からの本音だが。
とはいえ、これ以上は言うまい。虹の入り江では、こんなにも魅力的な主人に近づこうとする男どもを、かたっぱしからこっそり撃退していたことも含めて。
ティティルンがふたたびエルコニアンに顔を向ける。
「それじゃあ星のみなちゃま~。またあなたたちとお話できることを、心から楽しみにしているわ~」
彼女の言葉に合わせて、風魔術を行使する。
自分と主人を運び、浅瀬の大穴を照らす星空の中を飛翔するために。
= = = = =
南海諸島に滞在している間、ずっとお世話になっているスターボード島における最高級ホテル、カリルロウ。
ヴェーラ一族の本拠地を参考にしたこの建築物には、優秀な専属の地属性庭師が数人に、花属性の園芸用魔導機器にと豪勢な体制で手入れされている、やや目に余るぐらいに色鮮やかな庭園が存在している。
ただし、ヴェーラの本家や分家の庭園と比較すれば人工的な気配が強く、人によっては好みが別れるところであろう。
ミレイがそんな庭園に備え付けられた、立派な門をくぐった直後だ。
「魔王ちゃま、ご機嫌よ~う」
護剣ティティルン・ヴァシラタスが、極彩色の花々に囲まれながら、まもなく正午を迎える陽射しの下で手を振ってきた。
彼女の隣ではメールニアが、大きな袋を手にして立っている。ほかにも大量の買い物袋が足元に並んであった。
「どっかに消えたかと思ったら、ふっつ~に会いに来たわね、あんたたち」
片眉をあげてあきれ顔を見せると、先にここへ到着していたみんなも苦笑を浮かべた。
「まあまあ、昨晩は本当に助けてくれたしさ」ユーリス。
「うむ。だが、ティティルン。私はまだ少しだけ、おまえのことを警戒しているからな?」フロム。
「あはは……。ついさっきもフロムちゃん、美貌だかなんだかで勧誘されましたもんね」シンシア。
「港湾警備隊の一人としては、お二方には事情聴取に応じてもらいたかったのだがなぁ」テオ。
「テオの言うことはもっともだけれど、魔界との交流を見据えて、ヴァシラタス領とは今後ともよきお付き合いをしたいところ。不愉快な思いはさせたくないわ」ローザ。
さらに。
「ヴァシラタス領、か。オイラも叶うことなら、噂に聞く晶門都市を目にしたいところだ。いったいどれほどの規模を誇る市場なんだろう」
ボニート・パス・ガンナシル。
かつてミレイの故郷と交流していた密貿易組織の一員だ。
「こんにちは、ウラニボリのお嬢」ほほえむ彼が、こちらに片手をあげる。「無事でよかったよ。昨晩も……それに五年前も」
あの日ヒライス・トゥパンを襲ったサルゴン派によって、大打撃を受けたその組織は、すでに解散している。
没落貴族の末っ子である彼は、なかば勘当された身であり、行く当てもなく帆柱都市に流れ着く。そしてグウェンドルが魔力の豊富な食材を探しているという情報を耳にし、かつて自身が取り扱った魔界の食材を提案するために、彼へと近づいた。
自分が生きるため。顧客の望みを叶えるため。
そんなふうに始めた魔界との裏取引が、最終的にパイク・ルラーニャの存続を危ぶむ事態を招いてしまったと、ずいぶん反省しているようだ。
「……五年前に私が無事だったのは」ミレイは、とても深い心の苦しみを覚えながら応じる。「ウェズンさんの、おかげなの」
「あいつ、むかしっから責任感が強かったからなあ」ボニートは瞳に、懐かしさと寂しさを織り交ぜた色を浮かべた。「お嬢を抱えながら街へと走っていく背中を、今でもハッキリと覚えている」
ふと視線を感じて頭を動かす。
彼との会話が気になったのか、みんなが疑問を浮かべる表情をこちらに向けていた。
「いま出てきたウェズンさんってのは、私の恩人の名前よ」
ミレイはつらくも忘れがたい、あの日々を語ることにした。
五年前。いつもどおり大陸から流れてきた本を購入しようと港へ向かったそのとき、故郷がサルゴン派の襲撃を受けてしまった。船から荷物を下ろし、自分を港の入口まで送ってくれたウェズンが、腰を抜かして動けなくなった自分を抱き上げて、両親のもとへ届けようと走ってくれた。
急いで大陸へと避難する、密輸組織の船を無視して。
「敵の動きを抑えきれず、私を家に送り届けてくれたときには、すでに街は包囲されてしまった」
なんとか防衛をつづけたヒライス・トゥパンであったが、不可解なほどに士気の高い軍勢に押し込まれ、そして陥落した。
街を防衛しようと戦った父は、足を負傷して動けない。母は遠くまで旅をする体力がなかった。
二人が、自分を拾って育ててくれた両親が、大切な家族が、最期に見せた表情は笑顔であった。
──決めたんだ。あの人たちは、決断したんだ!
美しい満月の晩。星々が憎たらしいほどに美しい夜空を覚えている。
ミレイは泣きじゃくりながら、自分の手を引くウェズンを見上げる。彼は、こちらにいい聞かせるように何度もその言葉を繰り返していた。
自分たちでは足手まといになる。だから、愛娘を頼みたい。
ウェズンは、両親からのそんな頼みを引き受けてくれたのだ。
「お父さんからは、家に残してあったお金に貴重品。お母さんからは、持ち運べる家財にマリア派の土地を記した地図。それらを闇属性であるウェズンさんに渡した。彼の隠密術式で、なんとか街を脱出することができた」
戦火に追われたマリア派たちの侵入を、サルゴン派の街では警戒されていた。
五大種族であるウェズンの正体も隠さなければいけない。足元を見られた貴重品の換金。身分の証明が不要な代わりに、粗末な部屋と食事なのに料金だけは高かった宿。依頼斡旋所で路銀を稼ぐこともできず、辻馬車といった移動手段も使えなかった。
お金と、体力と、精神を削りつつも、しかしようやくたどりついた山脈の麓の街。
「運命のイタズラってやつかしら。私とウェズンさんが訪れたまさにその日、魔王の器を捜すダウィートンたちがやってきたの」
街の者に姿を見られた自分は、宿に戻って荷物をまとめているとフルブライト軍の兵士に追い込まれてしまった。
ウェズンとともに窓から脱出し、隠密魔術を施す彼に連れられて逃走したが、しかしあのとき体力も魔力も限界だった彼の術式は不完全であり、追いつかれるのは時間の問題だった。
「ウェズンさんは五大種族として。私はマリア派の魔族として。その場で殺されることは間違いなかった。……だから、あの人はひと芝居打つことにした」
もう無理だ。逃げきれない。
森の中で、そんなふうに泣き言をこぼす自分に、足を止めた彼がゆっくりと振り返った。ひざを折り、自分と目線をあわせて、最期にこう言い遺した。
──だいじょうぶ。きみは、きみ自身が思っている以上に、とても強いのだから。たとえ厳しい道のりになろうとも、こんな不運なんか打ち消してくれる、すばらしい人たちと出会える力をきみは持っているんだ。“人と人は繋がることができる”。オイラのこの言葉を憶えて……信じてくれ。
「いったいどうしたのかと不思議に思っていたら、彼の闇魔術によって私は気を失ったの」
つぎに目を覚ましたときには、先ほどの街の広場で、フルブライト軍に囲まれて保護されていた。
いったい何が起きたのか理解できず、彼らの毛布にくるまって黙っていると、ダウィートンの甥っ子であり、後に護剣となるゴミーが兵士をともなって現れた。
「……おまえを人質にしていた五大種族の侵入者は、すでに始末しておいた。最初、あいつが口にした言葉の意味を理解できなかった」
ゴミーは恩着せがましく、自慢げに語った。
森の中で気絶した自分を抱えるウェズンは、兵士たちへこのように叫んだらしい。
『サルゴン派とは名ばかりの腰抜けフルブライト軍。おまえたちの田舎から連れ出した、このガキの命が惜しければ近づくな』という挑発。
『いっしょにこの街を訪れた、オイラの仲間を連れてこい。そしてマリア派の土地へ向かえる装備を用意しろ』という要求。
つまりウェズンは、ミレイではない架空の人物を作りだし、存在しない仲間との合流を要求したのだ。
彼は、背後にまわりこんだ兵士に斬りつけられ、まもなく呼吸を止めた。
「幸か不幸か。私は気絶しているあいだ、あいつらに魔王の器を鑑別されてしまい、合格していた」
フルブライト軍が擁立する栄えある魔王候補。
恩人を失った衝撃で沈黙を貫くミレイを彼らは、勝手に天涯孤独の身であると判断し、そして自分たちのモノにすることを決めた。
「結果、あの奇妙な膨らみのある盾によってフルブライト軍は勝利し、ハリボテの魔王ができあがりってワケ」
何度、夢に見たのだろう。
何度、涙に腫れた目で朝日を迎えたのだろう。
何度、眠ることに恐怖を抱いたのだろう。
両親との死別。
カタチだけの戴冠式。
恩人の命を喰らったことで着いた、魔王の座。
エーテル・オドスの部品という扱いを受ける日々。
少しでもマリア派を支援しようとする自分の案を握りつぶした宰相。
カナンやルガルザンの暖かさに慰められるも、だが安眠を貪ることを、自分の後悔がつくりだす悪夢が許してくれなかった。
「“人と人は繋がることができる”……ね。幼馴染の口癖は、オイラもよく憶えているよ」
ボニートの声には、郷愁の想いが込められている。
ミレイが顔をあげると、彼は大切な思い出を共有するように頷いた。
「いつか必ず、こんな隠れ潜んだ密貿易じゃない。誰もが胸を張って堂々とした、大陸と魔界をつなぐ交易を実現してみせる。絶対に叶うはず。そう語るウェズンにオイラは訊いたんだ。なんでそんなに自信満々なんだって。すると、あいつはこう答えたんだ」
──ヒライス・トゥパンには、大陸の本をよく読んで、オイラたちを理解してくれようとする、かわいい女の子がいる。彼女みたいな存在は、きっとまだたくさん居るはずだ。そうやって互いの知識を深めて、誤解を消して、心を決める切っ掛けさえあれば、必ずつながるはずだ。
「それに絶海を超える危険を繰り返すことができたのも、あの子が見せてくれる笑顔のおかげ、だとさ。……あいつは、感謝していたよ、お嬢。あい、つは」声を震わせるボニートは、目元を片手で覆った。「あぁ、きみに感謝していたさ! まったく。ウェズン、らしいや。そうか。あいつはちゃんと、まもり、ぬいたんだなあ……!」
ミレイも、頬を流れる熱に気が付く。
しかしこれは、いままでずっと、ずっと夜に流しつづけてきた、哀しいだけのものではない。
「うん。……うん、守ってくれたよ。あの人は、私のことを、さいごのさいごまで」
ボニートの涙を目にし、ミレイは理解した。
あの人のことを、やっと振り返ることができた。やっと口にすることができた。やっと誰かと想いを通わせることができた。
そんな今、自分が流すこの涙は、意味が変わってくれている。
前へと進むための思い出に、力になってくれたのだと、感謝を抱きながら理解した。
「……きょうは、ごあいさつにきたの~」
ミレイとボニートが落ち着くタイミングを見計らったように、ティティルンがやわらかい声を発した。
「わたくしはあくまで中立の立場よ~。きのう星のみなちゃまと協力はしたけれど、このさき魔界ではどうなるかだなんて、わたくしにだって分からないわ~」
しかし、取引相手としての価値は認める。ティティルンはそういって青空を見上げる。
「もしもみなちゃまが、ヴァシラタス領と手を組みたいというのなら、取引の場は準備してあげるつもり~。とはいえ、大切な領民たちの命を、軽々に扱うつもりなんて微塵もないの~。だから少なくとも、大きな軍事力を抱える魔界の領主が二名、あるいは護剣をもうひとり味方に引き入れることが条件ね~」
「つまり勝ち馬に乗れそうなら協力すると」
フロムのツッコミに、シンシアがどおどおと抑える。
竜の少女からの冷たい目線を、むしろ喜んで受け止めているティティルンへ、ミレイはゆっくりと歩み寄った。
「価値を認める、ね。あんたにとって私は、売れ残って割り引かれたしわしわなお花のはずなのに」
この自分の言葉に、ユーリスにローザやテオが少しあわてた様子となり、メールニアは眉をひそめた。
こちらに視線を移す華炎灯台に、魔王はゆっくりと首を横に振る。
「理解できないの。ソンレス平原での私は、殺されてしまうと分かっていながら、あんたたちのもとまで向かった自暴自棄の角付き魔族だった。こういっちゃアレだけれど、とても価値なんて見いだせないひどいものだったわ」
自分自身を卑下する物言いに、つぎはフロムとシンシア、ユーリスも厳しい視線をこちらに飛ばしてきた。
彼らの思いやりにミレイは困ったような笑みを浮かべた後、顔を引き締めて護剣に向きなおる。
「でも、ティティルン。あんたは私に花一輪の価値を見いだした」
「……どんな者にも価値があり、そしてみずから変えることができるのよ~」
「ふ~ん。だったらこんな私でも、あんたに再評価される程度には変われたのかしら?」
「ふっ、ふふふ!」この質問を、彼女は待ってましたといわんばかりな笑顔を見せる。「その答えになるモノを、わたくしはきちんと準備して持ってきたのだわ~!」
うれしそうに語るティティルンの隣で、メールニアが手にする大きな袋を開いた。
取りだされたものは。
「……あぇっ」
花束だ。
亜麻色を中心にした部分。金色に青色を織り交ぜた部分。紫に白を添えた部分。そして、深紅を中心にした部分。
色彩を四つに区分けして整えつつも、それぞれが互いを引き立てる不思議な、しかし心が満たされる瑞々しい花束であった。
「いまのところ、魔王ちゃまを含めた星のみなちゃまは~? まっ、それぐらいかしらね~」
こちらに近づいてきたメールニアから、ミレイはそんなすばらしい花束を受け取った。
「…………」あまりにも美しい贈り物に。「…………ふわぁ」としか、口から出なかった。
「さてさて、言うべきことは言ったわ~。渡すものも渡したし~、大陸で一、二を争うステキな服もたくさん手に入れちゃった~」
この上なく機嫌が良さそうなティティルンへと。
「またのご来店をお待ちしていますわ。護剣様」
ヴェーラの当主代理が丁寧に一礼した。
大量の買い物袋を抱えたメールニアをともなって、ティティルンは自分たちから距離をあける。
空間を移動する、あの謎の技術を準備するためだろう。
「ここは、おとなしく彼女たちを見送ろう」
ユーリスの言葉に、ミレイはみんなといっしょに頷く。
さすがに無理やり割り込んで、何の準備もなく魔界入りはありえない。
「そうそう、メルちゃま。これは確認よ~」
ティティルンのどこか芝居がかった大声に、ミレイはどうかしたのかと片眉をあげる。
「ダウィートンは最近、魔界でもっとも大きな海上戦力を有する、例のサルゴン派貴族と協力を取り付けたわ~。大陸に侵攻する日は、きっともうすぐね~」
ぽかんと、口を開いてしまった。
いま彼女が言及したのは、宰相側にとっては最重要の機密情報である。
「そうですね、お嬢様」メールニアもまた、芝居臭さが抜けきらない声をしている。「幻水回廊の時期もまもなくです。われわれ魔族は、ふだんから大陸への侵入を企んでいるからこそ、世界魚の動きは正確に把握しています」
「時間はあまり残されていないのね~」
ありえない会話だ。ふつうに考えたら罠だと断じるほどに、とんでもない情報を耳にしてしまっている。
「で、あればこそ、大陸側はつかんでいる情報をよく吟味して、もっとも必要だと思える存在を探すべきだわ~。それこそ遺星錬器だけじゃなく──」
「シリウス・フレーゴが求めているもの」
とつぜん発せられたユーリスの言葉に、ミレイは弾かれたように彼へと振り向く。
星属性は、真剣なまなざしを華炎灯台に向けていた。
フロムやシンシアたちに、さらにメールニアまでもが驚いた表情を浮かべるなかで、ただ一人、ティティルンだけがニヤリと片頬を吊り上げる。
「メルちゃま~? わたくしたちは星ぞく……いいえ。ユーリスちゃまの価値を、もういちど検討すべきかもしれないわね~」
「……です、ね」
「それじゃ、つまらない会話は終わり~。ではでは、みなちゃま~! この次も、お互いの利益となる出会いになると、そう願っているわ~!」
こちらに向かって手を振るティティルン。
慇懃に一礼するメールニア。
二人の魔族の姿は、空間がゆがんだかと思えば、どこか遠くへと飛んでしまったかのように消失する。
= = = = =
といった感じで護剣と配下の魔族を見送ったと、ユーリスのそばでテオが語り終えた。
すると、ヴェーラ分家筋の屋敷を継ぐ者と、雷雲を識る者が、「なんだそれっ!」といっしょに叫ぶ。
まず口を動かしのは、グウェンドル・ヴェーラだ。
「はるか遠くの地まで瞬時に移動できる手段? それも複数人が、荷物を抱えて可能だと!?」なんとも力を込めた握りこぶしを、彼は自身の額に押し当てる。「んなもん常用できるようになれば世界の革命だろうが! なにも商業の話だけじゃあない。重傷を負ってしまった者の緊急搬送。事故や災害、魔物などの被害を被る人々への救助。もっと多くの、さまざまな想定で世の中の助けになる技術ではないか! オレがその場にいたら、なにがなんでも詳細を訊いたのに……!」
つづけて憤慨するは、タラニス・ヴェーラ。
「ぼくがその場にいたら、わずかであれ術式の仕組みを考察できたはずだ!」なんとも力を込めた握りこぶしを、彼は自身の額に押し当てる。「視認するだけじゃあない! 肌に感じる魔力の動き。耳に届く魔力の鼓動。ものによっては鼻に香る魔力の残滓や、舌で味わう魔力の意味だってある! 一度だけで看破できるとは絶対に言えないけれど、それでも手がかりを得られた自信はあるんだ! いやほんとマジで、なんで言ってくれなかったの……!?」
そしてがっくりと肩を落とした二人の反応に、ユーリス、フロム、シンシア、ミレイは苦笑を浮かべ、ローザとテオは困った笑みを浮かべあう。
「まあまあ、ふたりとも」
そんななか、一人だけ柔和な笑みを浮かべる女性ビーストは、レイン・ヴェーラだ。
「近い将来、大陸と魔界の交流が実現すれば、そんなすばらしい技術が世の中に知れ渡っていくはずよ。そのためにも私たちは、ユーリス様たちの力にならなければいけない。……だからそんなふうに、そっくりな姿勢でいじけないで」
いじけてない! と、これまた声をぴったりにして返す義理の兄弟を前に、妻であり姉である彼女は血色の良い顔をほころばせた。
その様子をほほえましく見つめるユーリスは、確認のために星の瞳を起動してみる。
「……ユーリス。どうだ?」
フロムがこっそりと尋ねてきた。
「心配ないよ。レインさんの症状は大幅に改善されている。あの封魔道具がなくたって問題ない。ティティルンさんからの治療手段で確実に根治できるはずさ」
この言葉にフロムだけでなく、シンシアにミレイ、テオとローザも安心した表情を浮かべた。
ティティルンとメールニアを見送った三日後。
つぎはユーリスたちが、彼らヴェーラ一族に見送ってもらう番となった。この帆柱都市を訪れたときと同様に、テオの付き添いによるヴェーラの船で、帝都まで快適な船旅の予定である。
今でこそ、この見送りの場にはローザとテオ、タラニスとレインにグウェンドルの五人だけだが、朝からヴェーラ一族のあちらさんにこちらさんにどちらさん、港湾警備隊の責任者たちやヴェーラにつぐ商家のお偉いさんと、もう本当にいろんな人からあいさつと感謝を贈られた。
正直もうくたくたである。この港の係船岸壁でやっと落ち着いたところだ。
「みなさん。最後に確認だけれど、本当によろしいのかしら?」ローザが頬に手をあてて訊いてきた。「さすがにあの子……レムハーティアラの耳にも四日前の大事件は届いたわ。ヴェーラの旗艦を超特急でこっちに向かわせているはず。もうまもなく会えると思うけれど……」
「非常に申し訳ないのですが」彼女に応じたのは、シンシアだ。「ハーティちゃんがヴェーラの大親分になれば、魔界を攻略する際に帝都か、あるいは希望岬で必ず会えるはず。そのときに積もり積もったお話ができます。そんな再会を気兼ねなくするためにも、いまは急いで帝都に戻らなければなりません」
「うん、わかったわ」頷いたローザは、シンシアからユーリスたち星の一行ひとりひとりの顔を見つめる。「改めまして、ローザ・ヴェーラが当主代理として、あの子の母親として、そして帆柱都市パイク・ルラーニャに生きる一人のビーストとして、みなさんに心からの感謝を申し上げます。一族や都市だけではなく、南の海を救っていただき、本当にありがとうございました」
一礼するローザにあわせて、テオとタラニス、レインとグウェンドルも静かに頭をさげた。
ヴェーラ一族の感謝を真摯に受け止めるユーリスたちに、「必ず、御恩には報います」と顔をあげながらローザはつづける。
「シンシアさんが仰った、魔界の攻略についてよ。本家も分家も一丸となったヴェーラ一族が率いる帆柱都市。それが協力するとなれば、引いてはビーストという種族そのものが、あなたがたの力となることでしょう。……まあその、義理や恩義を中心にしつつ、ちょっとだけ商売チャンスという下心も込みで、ね」
違いないと、ユーリスたちは納得の笑みで応じた。
「協力するといえば、われわれもだ」
こちらに向かって、グウェンドルが一歩だけ踏み出した。
ユーリスは、彼から向けられた眼差しに謝罪と、そして深い感謝を感じとった。
「星の御一行。このたびは私、グウェンドル・ヴェーラの失態により、みなさんには多大なるご迷惑をおかけしてしまった」
分家同士で喰いあう勢力争い。そのなかで真に力ある者たちから、責任逃れのために押し付けられた代表という立場。表沙汰にはできない内部事情。いっけん複雑で、しかし根底にあるのは単純で不愉快な動機と感情。
そんな暗い渦中で彼が露見させてしまった、妻の命を救うために行った魔界との裏取引という弱み。それが起因となって帆柱都市の危機を引き起こしてしまった。
「それだけでなく、妻の治療手段も準備していただける。義弟から聞いたときは、これは夢か現実かと頭を振ったものだった。……失ってしまった封魔道具の分もしっかり計上し、この言葉にできぬほどの借りを必ず返済するつもりだ。約束する」
「あの封魔道具は、しっかりその役目を終えたんだ。どうか気にしないでほしい」ユーリスは彼に応じた。「それに、彼女の症状がここまで改善されたのは、グウェンドルさん。間違いなく、あなたが彼女の心を動かした結果なんだ」
子どものころ、グリュークの山中で沼に沈められるという、魔術師匠トゥールから受けた修行を思い出す。
──私たちの魔力はね、ユーリス。感情が、精神が、心が動かすエネルギーなのよ。
四日前。すべてが解決して、警備隊の船に引き上げられたときにはすでに、レインはこの状態になっていた。
つまり、彼女が夫と二人で海上に漂っていたまさにそのとき、彼女の心を大きく動かす何かがあったのだ。とても喜ばしい、何かが。
だからこそ。
「あなたたち夫婦であれば、必ず幸せな未来へと歩いていける。俺の星の瞳であればこそ、そんな道がここにあると断言することができるんだ」
振り向いた夫は妻へと頷き、頷き返す妻は夫と幸福を噛みしめる表情で視線をあわせる。
暖かな空気の中で、「んっん」と弟がせき払いをした。
「とはいえ今回の件で、義兄さんがぼくのことを頼りにしていないってことが、よ~~く理解することができたよ」タラニスが片眉をあげながら言い放つ。「姉さんも姉さんで無茶ばかりだ。放っておけないね。あの屋敷から離れていたけれど、こりゃ引っ越しする必要があるなぁ」
その言葉にグウェンドルが眉をひそめた。
「なんだと? タラニス。こっちへ来いと何度も言ったのに、断っていたのはおまえのほうじゃないか」
「だってさあ。義兄さんって商売の才能は抜きんでてるけれど、内装のセンスだけは壊滅的じゃん。あんな金ぴかな置物だらけだと落ち着かないってば」
「なっ。い、いいじゃないか! なんかこう、わかりやすい物があれば、訪問客にも胸を張れるというか、安心できるというか……」
「むかしっからそういうところあったよね。成金趣味とはまた違うけれど、ちょっと心配しちゃうって感じのさ」
弟の言葉に、レインが「うんうん」と首を上下に動かす。
「グウェンドルってば見栄っ張りなところも多いし、負けず嫌いだし、なにより同族嫌悪なのよね。自分自身がどん底から這い上がったからこそ、堕ちた星屑という名を払拭したユーリス様に敵愾心まるだしだったし」
ぐふ。グウェンドルが片膝を突く。
「昔からといえば、タラニスも背伸びしちゃうところが多いわね。グウェンドルのこと、おにいちゃんおにいちゃんって甘えてたのに、識者の称号を授かってからは大人びた口調で義兄さんだなんてさ」
がふ。タラニスが片膝を突く。
「でも、これから二人とも、わたしの目が届く範囲にいてくれたら助かるわ。あなたたち。いつまで経っても古びたものを、あ~だこ~だ言い訳して、しつこく使いつづけようとする悪癖があるものね」
ごふぅ。流れ弾を受けたユーリスも片膝を突く。
「そこまで! そこまでー!」テオが制止の声を張りあげる。「三人とも、無事か? ちょっといっしょにその辺を歩こうか?」
ユーリスたちは、テオに向けてなんとか問題ないと返事をした。
きょとんとした表情のレイン。
フロムは彼女を見つめながら、「どうやら格付けは済んだようだな」と腕を組んで感心したようにつぶやいた。
「ところでさ」思い出したようにミレイが尋ねる。「ボニートさんは、これからもここで働いていけるのかしら?」
魔王は、彼女自身の恩人を知っているビーストを心配しているようだ。
「むしろ、これから忙しくなることだろう」立ち上がったグウェンドルが答えた。「私と彼が経験した商取引、その経験は大陸と魔界の交易がはじまれば貴重な情報となる。さらに言えば、彼はああ見えて希望岬で名を上げた等級狩りの一族、その一人なんだ。魔界の攻略について何か考えがあるらしい」
そんな彼と話しあい、必ずあなたたちの力となる。グウェンドルはそのように締めくくった。
ミレイもまた、彼と再会できる機会があると知り、安心した様子で了承する。
「……そろそろだな」
テオの声にユーリスが振り返ると、彼は甲板にいる船員を目配せをしあっていた。
どうやら、出発する時間らしい。
「ユーリスさん」
タラニスの呼びかけに、ふたたび顔を動かす。
そばまで近づいた彼は「あなたの星属性について、識者の立場として言いたいことがある」と、真剣なまなざしを向けてきた。
「……聞かせてほしい。タラニスくん」
「うん。あなたの星属性をぼくは最初、意味がほとんど宿されていないように思えた。もっと多くの意味が込められるはずなのにってさ」
彼の意見に同意して頷く。自分自身、この星属性は歴代の英雄たちとはまったく異なることを知っている。
「でも、それは少しだけ間違っていた。……エルコニアンでは、あなたとシンシアさんにフロムさん、三人による結界魔術に包まれた。あなたが言うように、あの結界魔術の中では晶析武装、つまり属性魔力を固める技術は空間に溶けてしまう。属食反応だね」
そのとおりだと、フロムとミレイが頷いた。
「じっさいは属食反応どころじゃなかったんだよ」タラニスは熱を込めて言い放つ。「もともとぼくは晶析武装を細かくし、周囲の自然魔力を巻き込む術式を行使している。小さな術式の集合体で、より大きな意味のある現象を起こす。そんな魔術なんだ。だからこそ、ぼくの晶析武装は極光に変化した」
「それは、どういうことだい?」
「あなたの星属性は、正確には基礎属性とつながっているわけじゃない。術式を、意味をつなげているんだ。そのおかげで、ぼくの術式の集合体は風属性そのものとなった」
意味をつなぐ。
ユーリスは彼の言葉を耳にした瞬間、思い出したことがある。
──剣閃を飛ばすことができたのは、あなた自身ではない、もっと別の要因があったからこそ成しえたことだった。正直いうと俺は、そのような印象を受けた。
グリュークから帝都まで、地平喰らいの槍の資料をルーフェンがもってきてくれたときのことだ。
ぼろ布蟹へ自分が星の剣閃を飛ばしたことを聞いたテオは、そのように言っていた。そして、あの剣閃を放つ直前にあった出来事とは、フロムと星の道がつながったことである。
魔技を得意とする火属性ドラホーンと星の道がつながったことで、あの剣閃を飛ばすことができた?
「以上のことから、ぼくは確信した。ユーリスさんは必ず、その星の使命を果たすことができるとね」
ほほえむタラニスは、こちらを励ますように口を動かす。
「この先、いろんな人の魔力や意味と……決意と結ぶことができるはずだ。結ばれた光は、やがて星座となって、かけがえのない、とても大きな力になる。あなたの星属性は、これからにこそ輝かしい意味を宿していくんだ。雷雲を識る者として、そんな未来を保証するよ」
「ありがとう、タラニスくん」識者に、心からの感謝を告げる。「君が言うんだ。俺も、そんな出会いが待っているのだと信じるよ。この南海諸島で巡り会えた、君たちのような光と、きっと」
ユーリスは、タラニスからローザ、グウェンドルにレインと、想いを込めた視線を交わす。
魔界の攻略を開始するときには、必ずまた会おう。
星の一行は、ヴェーラ一族の代表たちとそのように約束し、そして帆柱都市へと別れを告げた。
= = = = =
フロムの頬を、船上を吹く風が撫でる。
南海諸島での冒険は終わった。ヴェーラ一族の船、その甲板の船べりに両手を置きながら感じる潮風は、まだ旅路を歩む自分の背中を押すような、心を励まされる爽快さがあった。
しかし同時に。
「……遺星錬器」
心には、この強い風を受けてなお晴らせぬ曇りがあった。
玻璃錨カシオペヤ。
かつて橋渡しのミア・ブリッジが世に遺した、人々を魔物から護るための兵器。ユーリスいわく、エルコニアンという超巨大な魔物を浄化し、海綿動物とすることができたのは、どうやらあの権能のおかげらしい。
魔力というには少し違う、根源的な意味を宿したように感じる宙の零れ火。分家筋の戦艦で周囲から術式そのものが奪われたように、あの輝きもまたカシオペヤによって、エルコニアンの底に引き寄せられて封印されていた。
封印された宙の零れ火は少しずつ消失していき、やがて完全に通常の生物となるだろうと彼は予想していた。
そう聞けば、世のため人のためとなるすばらしい存在だと感じるだろう。
だが、ソンレス平原で目の当たりにした黒い閃光。鉢迷宮の上層を埋める青白い劫火を払った風。意思を通じあわせることができる分身を、数多く生み出しては動くことができた虹。強制的にあらゆる術式を奪いつくす輝きの渦。
あまりにも強力な権能だ。平和を取り戻すために使用された後を考えると、どうしても嫌な想像をしてしまう。
「星が遺した兵器、か」
シンシアがいつの日か語り聞かせてくれた、橋渡しが世に遺した触媒。
かの者は、あれらをどのように造り出したのだろうか。
「ミア・ブリッジ……」
伝説上の人物。
見た目について言及された文章はなにひとつ残されておらず、その姿を描いたと思われる石碑が見つかるまでは、多くの顔かたちを想像されて描かれた。その逸話と功績があまりにもすさまじく、現在では人物そのものは実在せず、当時存在したとある集団が、擬人化されてしまったという説が主流の存在。聖地の創造者。星と語る者。奇跡の落下地点。
歴史に残る最古の星属性。
いつの日か、シンシアから教わったことを思い浮かべていると、背後から誰かの話声が聞こえてきた。
「それじゃあ、星属性くん」どこか詰問するようなミレイの声色。「聞かせてもらいましょうか。ティティルンにぶつけた、あの言葉の意味についてよ。いったいどういうことだったの?」
フロムがゆっくり振り返ると、ちょうど船内から甲板にでてきたミレイが、隣を歩くユーリスにしかめっ面を向けていた。
二人の後ろを歩いていたシンシアがこちらに気付き、「あっ、フロムちゃん!」といって手を挙げる。
「入れ違いにならなくてよかった。いっしょにユーリスさんからお話を聞きませんか?」
「ん、わかった」フロムは三人のもとへ歩きながら、魔王へと視線を移す。「ミレイ。おまえのいう言葉とは、シリウスについてのことか?」
「そうよ、フロム。遺星錬器よりも優先するということは、私たちの旅の目的が変わってしまうわ」
たしかにその通りだ。
頷いたフロムは、ミレイとともに星属性へ表情で問いかける。
シンシアからも同じく沈黙で促されたユーリスは、「みんな、覚えているかい?」と指を一本たてて口を動かしはじめた。
「シリウスの目的だよ。彼はアストロラーベを使用して、遺星錬器ではない何かを探しだそうとしていた」
鉢迷宮の上層で目にした光景を脳裏に浮かべる。
樹々の天蓋に覆われ、燐光を放つ平原の中央にあった丘。あの竜巻の前に立っていた護剣が口にした言葉。
──いや、ミレイ・ウラニボリ。おまえは、マリア・ヒライスの意志を継ぐといっていたおまえは、アストロラーベをただの兵器探しの道具としか見ていないのだな。これはとんだ見込み違い……いや、期待外れだったな。
「そしてティティルンさんとの会話。レインさんを治療する鉱石について、俺たちが不信感を抱いていると、彼女はこう言った」
──本当かって? わたくしの同僚に、この病について誰よりも詳しいやつがいるのよ~。一時期そいつの手伝いをしていたこともあったから、まず間違いないわ~。五大種族であれば、この方法で救われるはずよ~。
「ミレイ。確認だけれど、カナンさんが魔力欠乏症について悩んでいたとか、そういう話はないよね?」
「ないわ」魔王はあごに手を添えてつづける。「それに、ゴミーもね。あいつがそんな悩みを抱えていたり、身近に悩む人物が居たなんてこともない。ぶっちゃけ嫌になるけれど、なんだかんだ魔王擁立戦争からの付き合いだから間違いないわ。これはヴィクセンも同じはず」
「ありがとう。で、もうひとつ。彼女とメールニアさんが魔界に戻る直前に提示した、ヴァシラタス領と協力する条件だよ」
──だから少なくとも、大きな軍事力を抱える魔界の領主が二名、あるいは護剣をもうひとり味方に引き入れることが条件ね~。
「……護剣と言っていたな。だが、どうにもあからさまだ」フロムは眉をひそめながら腕を組む。「罠の可能性はないか? あいつは私たちに協力するふりをして、そのじつ遺星錬器を手に入れさせないように時間稼ぎを、とかな」
「フロムの考えも、可能性はあると思う。でも、虹の入り江では不意打ちの機会を放棄していたし、エルコニアンでの協力は本物だった。だからこの話は、なんていうかこう……彼女からの試験みたいなものだと、俺はそう受け取った」
「試験、か?」と、思わず目を丸くした。
「うん。シリウスが求めている何かを探しだし、彼を味方につけることで、ティティルンさんの期待に応じる実力を示せるかどうか……そんな試験だよ」
「ふむ~」聖女候補がうなりながら青空を見上げる。「かりにユーリスさんの仰るとおりだとすれば、話はそうとう厳しいものになります」
フロムも同意して頷いた。
世界樹の鉢でシリウスが、誰かの魔力欠乏症を治療するためにアストロラーベを求めていたのだとすれば、ティティルンの協力があってなお、手に入れることが叶わなかった存在ということだ。
重篤な症状を患っていたレインを根治する、件の鉱石を提供してくれる華炎灯台ですら。
「きっと、魔界にはない」じっと床に視線を落としながら、魔王はつぶやくようにつづける。「戦闘能力だけでいえば、シリウスよりもカナンやヴィクセンのほうが上……だと思う。でもね、魔界で行使するシャドウ・サーヴァントの本領は、大量の使役術式による汎用性なの。空を飛んで地形を無視する高速移動。物資の運搬に、索敵範囲の広さと正確さ。敵であれ味方であれ、あいつ一人が戦いに加わるだけで、戦術どころか戦略から変わってしまう」
そんなシリウスでも、手に入れることはできなかった。
ミレイはどこか納得した様子で頷く。
「華炎灯台という情報源に協力してもらい、青い猟犬でも探し出せなかったとなると、魔界に存在してるとは考えづらい。……だからこそティティルンは、私たち大陸側に捜索するよう誘導したんだと思う」
そこでユーリスが、「じつはね」といって帆柱都市の方面に顔を向けた。
「魔界にある可能性は低い。俺もそう考えて、グウェンドルさんに話を聞いてもらったんだ」
妻の魔力欠乏症を治すために、あの黒豹のビーストは治療手段を血眼になって捜索していた。
そんな彼だからこそ、シリウスの求める存在を知っているのではないか。
ユーリスからの質問に、グウェンドルは力不足を詫びながら首を横に振った。
「でも、こんな助言をもらうことができたよ。本当にそんなものが存在するのなら、星の御一行であれば、トリシール封緘塔で手がかりを得られるのではないか……ってね」
トリシール封緘塔。
「どこかで耳にした覚えが……」首を捻るフロムは、思い出した。「そうだ! アストロラーベに記録された、遺星錬器の光がある場所、そのひとつじゃないか!」
遺星錬器の捜索と、ユーリスの考えるティティルンの試験。その両方の話をいっしょに進めることができる。一石二鳥だ。
先行きの明るい方針にフロムは頬をゆるめるも、だがすぐに眉根を寄せてしまった。
「どうした? みんな、そんな顔をして」
「え~っと、そうですね~。あそこはまあ有名な場所でして~」頭痛に悩まされているような、星命の聖女候補。
「あとまわしにしてたけれどさぁ。いい加減そろそろって思ってたけれどさぁ」そして大きいため息をつく、魔王。
「提案しておいてアレだけれど……ヴァルカンで迷子になっただけに俺も不安だよ」苦笑を浮かべながら頭を垂れる、星属性。
なんとなく察したフロムは、片眉をあげては笑みを浮かべる。
そんな竜の少女の前で、彼ら三人は。
「トリシール封緘塔…………行きたくないな~~~」
どこまでも抜けるような南の海の青空に、なんとまあ情けない声色でいっしょに叫んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回も引き続きお読みいただけたら幸いです。




